天の仙人様

海沼偲

第135話

 金属を叩きつけるかのような甲高い音はそこいらから聞こえている。子供は一体ではないということである。少なくとも三体もの子供の鳴き声が聞こえている。彼らの鳴き声は、数が多くなればなるほどに、親の怒りを買う。当然である。どうも、クジラオオツバメは自分の力で火事場の馬鹿力を発動することが出来るようになっている種族らしく、三体もの子供を同時に危険に陥れるだけの脅威を持っている敵に挑む親の力というのはどれほどのものだろうか。俺は考えたくはなかった。小国の軍隊を壊滅させるには子供の助けを求める声は一つで十分であるらしい。ならば、三つならば。今すぐにでも防衛を放って逃げ出してしまっても許されることだろう。だが、決してそんなことはしないと言い切れてしまうわけではあるが。
 当然だが、こちらは何もしていない。近寄ってきた暴走している生き物たちを倒すだけにとどめているのだ。大きな生き物に対しては、絶対に手を出してはならないと徹底させているはずである。少しばかり、恐ろしいと感じることはあるだろうが、それに手を出したほうが命の安全は保障できないことも連絡しているので、攻撃することはない。実際、人間の攻撃だと思わしく音の類は聞こえてきてはいない。だからこそ、俺たちのせいではないのだが、どうやら、今回狩りをしている子供たちの技術力が恐ろしく拙かったのだろうということが予想できる。
 そもそも、クジラオオツバメの子供が初めて狩りを行うのは生まれて十年経ってからである。そして一年ほど親に連れられながら狩りをして巣立ちをしていく。十年おきに、こういうことは何度もしているのだが、たまに狩りが下手糞な子供、または狩りを教えるのが下手糞な親、が出てきてしまう。それが起きてしまうと当然ながら獲物を逃がしてしまい、それに呼応するように周囲の動物たちもパニックに陥り、暴走状態が起きてしまうのである。百年くらい前に隣国の方へ動物たちの大暴走があったという記述をどこかで見たことがあるのだが、その時もたしか原因となったのはクジラオオツバメだったはずである。しかし、その時は彼らと軍隊が衝突したという記録は残されていない。どうにかして、敵対することはなかったのだろう。
 しかし、今回はおそらく彼らと衝突することは間違いはないだろう。なにせ、王都の目の前で子供が助けを求めているのだから。親は当然敵らしいものを襲いにかかる。これには、獲物として狩りの対象になる生物だけではない。その地域に住んでいる危害を加えるであろう生物全てである。クジラオオツバメの親の怒りでその地域に住んでいた生き物が植物を除いて死滅したという話は数件だけではあるが存在するのだ。
 今回、ここまで事態が発展してしまった要因は、おそらくだが、親の教育が下手で、子供の狩りも下手という、二重の下手が重なっているのではないだろうかと予想される。そうでなければ、こうはなってはいない。三体の子供がいて、それのどれもが親の助けを呼ぶなんて、普通では考えられないのだから。よほどの下手糞だと他の仲間たちに罵っても言い返せないほどなのだから。
 だが、今こうしていても何か事態が好転するわけではないので、今すぐにでも攻撃準備をしなくてはならない。先ほどまで、戦闘をしていたのだから、すぐにでも、隊形を元に戻して、いつでも、攻撃が出来るようにしなくてはならない。特に、今回は追い払うのではなく、親と子の撃滅を考えなければならないだろう。なにせ、歴史上類を見ないほどの狩りの下手な家族なのだから。これを野放しにしていれば、いづれは他国へと襲い掛かってもおかしくはない。この国ならば、追い払えてもおかしくはないが、他国には、もっと軍事力も国力も劣っている国はある。そちらへ向かえば、滅亡したという知らせが届いてきてもおかしくはない。彼ら四体の生き物の命と、これから散ってしまう可能性のある、数万を超える命。それを天秤にかけてしまうと、やはり数万の命を取ってしまうだろう。慈悲はないのかもしれない。だが、そう非情にならなくてはならないことなのだ。俺は、この悲しみを面に出さないように、無理やりに握りつぶす。
 当然、兵士たちがそれをわからないわけはなく、今すぐにでも攻撃命令が出れば、すぐにでも遂行できるように陣形を整えていく。もしかしたら、壁の中にいるだけではなく、外に打って出なくてはならないかもしれないという緊張感が、周囲に素早く広がっていく。今日が命日になってもおかしくはないという、緊張感なのである。俺だって、どれだけの力を持っていようとも、今ここにいるすべての人たちを救うだけのことは出来ない。だから、それぐらいの覚悟がなくてはならないだろう。死は美徳として誇ってはならないが、今は、その心意気でいなければ、この地に二本足で立っていることが相当な苦痛として襲ってくることであろう。
 俺たちの立っているこの地面。それがすっとわずかばかり影が覆っていた。その本の瞬間だけの暗闇を俺たちは逃すことをしなかった。すぐさま空を見上げると、そこにはたしかにクジラほどに大きな鳥が空を飛んでいるのである。彼らの姿を生で見たことはなかったが、口を開けて、閉じることを忘れてしまうくらいには圧倒されてしまった。あの体を維持するためにも、飛行するためにも、相当な量の魔力を使用する。彼らの羽の一本一本に、びっしりと魔力だけが通れる管が存在しており、そこに魔力を流し込むことで、彼らの体を浮かせるだけの力を生じさせているのだ。この世界では彼らのように物理法則をほんのわずかに外れるような姿や生態をしていても、許されるだけの力があるのだ。だが、彼らの魔力は全てがあれだけの巨体を空中で支えるために存在しており、魔法を使って攻撃をしてきたりはしない。むしろ、そんなものがなくてもあの巨体から繰り出す一撃でたいていの生き物は死ぬ。

「うわあ、なかなかすごい体だね。体全体に魔力が張り巡らされているから、魔法が体の奥深くまで突き刺さらないよ。あれじゃあ、魔法の本来の威力を発揮できないんじゃなかな? 表面を少しだけ焦がして終わりかもね。ちょっと笑えないね。あれじゃあ、どうやって空中にいる相手を倒すのだろうかわからない」

 ルーシィが少し顔を引きつったような表情を見せながら、呟いた。たしかに、その通りだろう。彼らは、あの巨体でありながら、遠距離攻撃の花形ともいえる魔法攻撃があまり通用しないという特性もあるのだ。副作用みたいなものだが。それでも、物理的な方法でしか、致命傷を与えることは出来ないというのは非常に難しい。こちらには大砲はあるが、命中精度が非常に優れているわけではない。空を飛ぶ生き物を、大砲で撃ち落とすなんて芸当はたとえ的がクジラほどの大きさがあっても難しいのだから。しかも、のんびりと漂っているわけではないのだ。大空を我が物顔で飛行しているのだ。その速度は言うまでもない。目で追いかけることは出来るが、目の前でその速度で移動されてしまえば、追いかけることは不可能であるだろう。
 彼らはまず初めに子供の安全を確保する為に、子供に近い敵から襲っていく。その範囲はだんだん広がっていき、目につく範囲全てへと広がる。このあたりにいる、カンムリダチョウが絶滅しても不思議ではないだろう。それほどの範囲だ。さすがに、カンムリクダチョウたちも、立ち向かうことは得策ではないということはわかる。彼らもバカではない。それなりの知性を持っている。自分たちが立ち向かったところで、勝ち目がわずかにでも残っていないとわかる相手には、反撃しないのだ。どたどたと、彼らが遠ざかっていく足音が聞こえる。彼らは、追いかける時より逃げ足の方が速い。おそらくは、それなりの数は逃げ切ることは出来るだろう。彼らよりも暴走したものたちの方の対処を最優先にするだろうから。逃げているものたちを、敵対しているものたちだとは思わないだろう。だからこそ、生存する確率は高いのである。ならば、俺たちもと思うかもしれないが、俺たちが逃げれば、力なき民衆が無残に殺されることだろう。それだけは避けなくてはならない。ならば、俺たちは残って彼らの相手をしなくてはならないだろうさ。仕方のないことである。剣を握る手が強くなる。緊張しているのだろう。
 それは、全員がそうなのだ。みんなして、もうすぐにでも死んでしまうかもしれないという恐怖を無理やり押さえつけるかのようにして彼を睨み付けているのだから。たとえ、ここで死んだとしても、必ず我々が勝つのだと。それだけの覚悟でもって今この場にいるのだから。今の兵士たちは、暴走した魔物たちの数倍以上に強いことは間違いない。生死が掛かっているときの生物は、どんなに弱い生物であろうとも、予想だに出来ない実力を発揮することが出来る。みんなは、それに賭けるしかないのだ。
 ピリピリとしたこちら側の空気を気にしていないようなそぶりを見せて、クジラオオツバメの虐殺に近い報復行動は続いている。門は開いているのだから、そこの間から彼らの行為は丸見えなのだ。耐性がなければ、目を覆い、それでも頭から光景が離れることはなく、吐き出してしまうことだろう。それほどの光景である。目をそらしてしまってもばちは当たらないことだろう。だが、いま目を逸らすことがどれだけ危険なのかをわかっていれば、そんなことは出来ないのだが。

「アラン様……あんなにもむごたらしく殺されてしまうのですね。食べるために殺す、殺すために殺す。そのどれでもありません。どうにかして苦痛を、痛みを、出来る限りの恐怖と絶望の中で生かしたままに、命が消えていくように、加減をしながら殺しているのですね。恐ろしい相手です。人間と同等に、恐ろしい。いいや、下手したら、人間ですら嫌悪してしまう程度には、気味が悪いことですらあります。ああ、今もまた、嘆きもがいている、イノシシにゆっくりと爪がたてられています。一思いに殺してやればいいものを、どうして……」
「ルクトル、何を実況しているのかしらね。そんなことをわざわざ伝える必要があるのかしら? アラン、大丈夫? アランは、動物のことも愛しているから、今のこの現状を苦しんでいるのかもしれないと思うと、心配で仕方がないわ」
「大丈夫だよ、ハル、ルクトル。俺は、あれぐらいで弱音を吐くような人間じゃあない。むしろ、彼らの悲しみを俺はしっかりと聞かなくちゃあいけないんだ。そうじゃなきゃ、彼らを愛しているなんて言えるわけがないのだから」

 だから、俺は目を離さずに、起きている事態の一部始終をしっかりと記憶しているのだ。生の残酷さと死の残酷さを同時に目に焼き付けているのだ。そこからは、決して逃げてはならないことなのだから。
 悲痛な鳴き声が響いている。助けてくれと懇願しているようにも見えなくはない。だが、今助けにはいけない。平原というのは、隠れる場所がないのだから。そんな場所に出て行けば、俺らが殺されてしまうことは確実であろう。だから、俺たちは一歩も動けず、彼らの助けを切り捨てて、ただ見殺しにするだけなのである。許してほしいとは言わない。ひたすら恨んで死んでも構わない。だから、おとなしく死んでくれ。
 周囲の生物をあらかた殺したところで、次はこちらだと言わんばかりに首を向けてくる。その目つきは、動物では珍しく、殺意にあふれているのである。殺すために殺してやろうという、その意思が感じ取れる目つきを見せているのだ。これは、他の生物ではめったに見ることは出来ないだろう。彼らは考えて敵を殺しているのだということが分かる瞬間だろう。だが、それよりももっと恐ろしい本質を更に奥深くに隠しているのだ。俺たちが暴けるところのさらに奥では何を考えているのだろうか。不気味なこと限りない。
 その目で見られれば、恐怖で足がすくんでもおかしくはない。絶対的な強者に睨まれてぴんぴんしていることは相当な難易度なのだから。だが、それでも戦闘のスペシャリストたちは、最後の一歩を踏ん張ることが出来るもので構成されている。最後の最後で敵には屈しない強い心でもって、彼らを睨み返すことが出来るのだ。
 親がこちらへ突撃してくる。まるで弾丸かと見紛うほどの速度で突撃してくるために、一瞬だけ命令が遅れる。そのわずかな時間ですぐそばまで接近しているのだ。そして、壁に激突する。体当たりをしてくるのだ。壁がぐらぐらと揺れている。だが、さすがに王都を守る壁だけはある。何とか崩壊することはなく維持している。とはいえ、たいていの攻撃では絶対に揺れることすらない壁を揺らすだけの威力だ。何人かその一撃の恐ろしさを理解して青ざめている者もいる。
 彼は一旦距離をとっていく。もう一度突撃するのだろう。先ほどの攻撃は耐えられたが、何度も、攻撃されても大丈夫だというほど自信をもって宣言することは難しい。その前にどうにかして決着をつけなくてはならないだろう。

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品