天の仙人様

海沼偲

第128話

 教会へとぞろぞろと人が集まっている。王族の結婚式ともなると、規模が大きく違うのだろう。さすがである。この後にパレードでもあるのだろうか。そんな風に思えてしまうほどに、人々は浮足立っているように思えるのだ。王子の結婚式が、俺が王都に来る前にあったそうだが、その時は、王都中が祝福ムードでお祭り騒ぎが起きたそうだ。マリィ様に教えてもらった。
 マリィ様、それとミーシャ様。その二人は俺たち家族の一員になるのだからと、前日に挨拶に来ていた。その時に教えてもらったのである。彼女たち二人はなかなかに綺麗な女性である。ルイス兄さんはかなり恵まれているのだろう。俺も負けていないつもりではあるが、身分という武器を持ち出されると、どちらも、俺たちよりも上の身分の貴族の娘である。父さんも母さんたちもあまりの出世具合に目を回していたこともあったぐらいである。懐かしい話だ。
 俺たちはルイス兄さんの身内だからこうして教会内に入ることが出来ているわけだが、その周囲には王家であったりキリルトロ家の人間が座っているのである。これは新手の拷問であろうか。小さな男爵家の人間にそれ以上の位の人間たちと同じ席に座らせているとはなかなかに給仕の人たちはバカな生き物なのかもしれない。いいや、わかっている。ここは今回の主役である兄さんたちの身内のための席なのだと。だから、俺たちバルドラン家が、このような場所に座っているのだと。だが、それでも、今この場所にいることの重圧を考えたことがあるのだろうか。俺は、もしかしたら、兄さんのことを恨んでしまうかもしれない。愛に身分はないだろうが、愛以外には身分が存在するのだ。俺は今すぐにでも発狂しそうな心を押さえつけるばかりである。
 親たちが前列に座り、子供が後列に座る。俺の隣には、なんと第一王子殿下である。殺す気なのか。席は家までしか決められていないために、そこからどういう並びで座るかは個人の自由なところがあった。だが、俺の隣に次期国王が座るとはだれが予想するだろうか。第三王子殿下が座るだろうと思っていたのだから、俺の心の余裕は更になくなっていく。俺であろうとも身分には勝てない。仙人は、別に国王陛下よりも偉いというわけではないのだ。むしろ、その身分とは関係ないところに存在しているようなところがある。だからこそ、この身分社会には、対抗できないのだ。

「何を緊張しているか。もっと体を楽にしたらどうだ。君の兄の結婚式なのだぞ。そんなに緊張していたら、祝うものも祝えまいだろう。それに、そんなに体を固くしなくても、俺たちは別にすぐにでも処刑をしようなんて思わないさ」
「あ、あ、はい。申し訳ございません。こうして、リヒト殿下のすぐそばまで近寄ったことなどこの人生で一度でもあったことはないものですから。つい、その空気に当てられて緊張してしまいました」
「ははあ、そうか。やはり、身分の差は大きいだろうな。どれだけ身分差程度ではすぐに首をはねることはないと宣言しようとも、向こうから遠慮してしまうのだ。どうにか変えたいとは思っているが、そうすると、今度は身分がなくなってしまう。身分がなくなれば、人々は誰に敬意を払うのかが曖昧になってしまい、国が荒れ果ててしまい、人々が死の恐怖にとりつかれてしまうことだろう。そればかりはあってはならないのだな。非常に難しい話である。どうにかして俺の代ではそういうことを取り除いてみたいと思ったことはあるが、それではこの国が成り立たないだろうと思ってな。諦めてしまったものだ。国家というのは難しいものだ」

 と、王子殿下は一人の世界へと入っていった。しばらく、上の空でぶつぶつ呟いているだろうから、少しばかり俺の心の安寧を取り戻すことが出来るだろう。少なくとも、俺が変顔をしたとしても、気づくことはないと思える。それだけ熱中しているのだ。呼吸を整えるように、静かに呼吸を繰り返していく。アオが俺を安心させるように頬をぺろぺろと舐めているのを感じる。それが妙にくすぐったく感じた。
 父さんたちは当然ながら、昇爵の話をしている。ルイス兄さんが学年主席を守り続けたまま卒業したという優れた功績を収めているために、家ごと上の爵位にしてはどうかという話があるのだ。そのような功績を治めることが出来た人は、この長い王国の歴史でも数える程度にしかいない。それだけ難しいことなのである。だからこそ、この話が上がっている。ルイス兄さんはバルドラン家の人間である。その家のものの活躍は当然、家全体で共有される。だからこそ、その話がある。だがしかし、父さんはあまりその話には乗り気ではないようである。父さんはあの村が好きであり、あの人たちを捨てて、新たな土地の貴族となることを好まないのであった。だから、もし、昇爵するならば、息子の代になってからにしてほしいと、そういう話であった。国王陛下の話を断るなんてなかなかの精神ではないが、その理由は何とも父さんらしいと思うので、俺はそれを聞くだけで何も口出しをすることはない。ただ少しばかりの頬のゆるみを見せた顔でそれを見つめているだけなのであった。
 鐘が鳴り響く。式が始まるのだろう。今まで談笑していた全員がしんと静まり返って前を見る。神父様が立っている。いくつか言葉を述べて、扉に手を向ける。今度はそちらへと顔を向ける。ぎいと扉が開いて、そこから順番に新郎、新婦が入ってくる。この入場が一般的である。それと同時に、拍手が巻き起こる。
 外からも大きな鳴り物を鳴らしていることが分かる。今から盛り上がっているようである。これでは最後の方まで体力が残っているか怪しいところではある。外に出た時に、疲れ果てた民衆を見たら、俺はきっと吹き出してしまうだろう。だが、外にいる彼らは一切、そんなことを考えてはいないのだろう。
 式は厳かに進んでいく。綺麗である。誰がということではない。全てが綺麗なのだ。神の祝福というものが目の前で見られるとしたら、きっとこのような光景なのだろうかと思えてならない。そんな式が今目の前にあるのだ。俺はじっと式を食い入るように見ていたのであった。
 全てが終わった。式は終わったのである。もう、誰も残っていない。静かに一人、ここにいる。みんなが盛り上がっているであろう、あそこではなく、外などではなく、今ここに、俺はいるのであった。そして、じっとこの教会を中から見ているのだ。しんと静まり返っている教会というのはどうしてだろうか、また、愛おしく感じてしまう。儚い美しさを持っているように感じるのだ。

「どうしたのですか? 一人だけでここにいて。皆さんと一緒に行かないのですか? ここは静かですよ 今は誰もおりません。我が主も、彼らの後ろをついていきました。だからか、ここは少し寂しいでしょう? どんな貴族の結婚式も、終わった後はこのような空気になるのです。ですから、ここにいてももの悲しさがつもりばかりですよ」
「ああ、行きますよ。ですが、まだここにいたいのです。役目を終えたわけではないですが、先ほどまでの全てを失ってしまったかのようにぽっかりと空いてしまったこの場を記憶にとどめておきたいと思ってしまったのです」
「珍しい方なのですね。このような風景など誰も見たいとは思いませんよ。虚しくなってしまうでしょう」

 だが、俺はどうにもこの景色から目を離したいとは思えなかったのである。何かが俺を引き留めているように感じてしまうのであった。そして、それは力強いのだ。今出ていってはならないと強く念じているのだ。悪とでも言うべきか。少なくとも負の情念が、ここいらを漂っているような気がしてならない。とはいえ、その正体を掴むことは出来ていない。ならば、ここにばかりいても、俺がいないと気づいた人たちによる『アラン探し』なるイベントが発生してしまうことになったら、面白くはない。だから、最後に一つ主をかたどっていると言われている像に向けて手を合わせると、俺は外に出るのであった。
 先ほどまでの静から動へと変わったように、盛り上がっている風景が目に入ってくる。俺はカイン兄さんの隣へとたどり着く。そして、このパーティの主役となっている三人へと目を向けている。ルイス兄さんは、ここまで人に注目されることが珍しいから、それなりに緊張しているように見えるが、新婦二人はそうではないようであった。さすがというべきだろうか。
 この席では誰もが気が緩んでいる。大きな音があたりで響いているために、ほんのわずかな物音程度には気づくことはないだろう。それは、カイン兄さんほどにまで感覚が研ぎ澄まされていてもである。だが、俺だけは、教会の中で感じている奇妙な感覚があったために、少しばかり警戒していた。だからこそ、気づくことが出来たのだろう。それは教会の方から鳴っていた。ほんの静かにかすかに。それに反応したのはやはり俺だけであったのだ。すぐさま、誰にも気づかれないようにこの会場から離れるように動く。誰にも悟られてはならない。今この場に残る幸福の香りを汚してはならない。
 俺は気配を殺して、教会へと侵入すると音のなったほうへと向かっていく。するすると、進んでいくと、一つのドアが遮っている。その先には、今にも刃物で突き刺されそうになっているシスターの姿が見えた。刃物を握っている男は黒い装束に身を包み、姿が一目見てわからないようにされている。
 俺はすぐに部屋へと侵入して、男の手首を握り締め、へし折る。その力に男は持っていた刃物を落としてしまった。俺はその瞬間に、刃物を手に取り遠くへと投げ捨てる。ちゃんと、場所を考えていたために、刃物はドア付近の壁へと突き刺さる。
 そのまま、関節を極めるようにして、男の動きを止める。動けば動くほどに、痛みが増していく。だからこそ、動かないことが一番最適である。腕一本を犠牲にすれば逃げることは出来るだろうが。そこまでの度胸はないようであった。俺は、この男が少なくともナイフの持ち方や力の入れ方などから、少なくとも殺すということを生業にしている人間ではないということは分かった。だからこそ、逃げるためには腕の一本使い物にならなくてもいいという気概を持ち合わせていないだろうという考えにたどり着くのだ。
 俺は顔を隠している布を取り払う。その顔に見覚えはないが、どうやらシスターの方はその顔を知っているようであった。はっと驚いたような顔を見せている。俺はすぐに彼女の方へと顔を向ける。知っていることがあるのなら、すべてを話してほしいと表情に書いてあるかのように。それを理解したようで、彼女はこくりと頷いた。

「か、彼は……私に付きまとっていた人です。何度も断っていたのですが、それでもあきらめないで何度も言い寄ってきていたのです。ですから怖くなって衛兵の方に通報して、忠告をしてもらったのです。それ以来彼がわたしの前に現れることはなかったので、安心していたのですが……」
「はあ……今目の前で愛によって幸せをつかんだ人たちがいるんだ。その真隣で愛によって殺人を犯してもらいたくはないなあ。とても、後味が悪い結婚式になってしまうところだっただろうね。自分たちの幸せの隣で、その幸せの裏返しが起きてしまったかのような殺人が行われていたなんて」

 しかし、男にはまだあきらめきれないとばかりの憎悪の念が込められている。あまりにも大きくて醜い。そして、それに操られているようにも見えるのであった。そもそも、この男自体が何者かに操られていると言われてもおかしくない程に虚ろな目をしているのである。
 俺は、気を流し込んで、肉体を正常へと戻していく。肉体が清くなれば、それと共に精神も清らかなものへと変わる。すれば、汚らしい情念は外へと吐き出されるのである。だが、男はそれに拒絶反応を示しているかのように、呻き始める。そして、唐突に死んでしまった。心臓が止まり、動かなくなってしまったのだ。一切の理由もわからないままである。そして、男の体から何か黒い霞が飛び出していってどこかへと飛び立とうとしている。
 すぐさま、俺は黒い霞を逃がしてはならないと感じて、手を伸ばす。だが、それをひゅるりとあざ笑うかのように、抜け出して、消えたのだ。俺はその光景をただ見ていることしか出来ないのであった。ただただ惨めに、今この場にいるのである。

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