天の仙人様

海沼偲

第127話

 冬になる。だんだんと、世界が白一色に染まっていっているのである。それがより深まるほどに俺の部屋にいる蛇のアオは体を丸めて暖を取っているように見えなくもないのである。実際のところはどうかはわからないが、普段部屋にいる時はいつもその体勢をしているのであった。寒いのだろうか。やはり爬虫類なのだなとその時ばかりは思うのである。
 蛇の名前は決まった。アオと呼ぶことになった。鱗が青いわけではない。古代ヘルムニア語の言葉で、意味は『自然』である。今俺たちが話している言葉は、この言葉が変化していった先の言葉であると言われている。それで、この名前になったのもつい最近の話である。それまで全く名前が決まっていなかったのだ。冬に本格的に入る前に何とか決まってよかったと言ったところだろうか。それまで、相当に意見をぶつけ合ったものである。これはなんだかんだ名前が決まることなく大人になるだろうと俺が思ったほどなのだから。
 アオは冬眠をしないのか、今もこうしてぬくぬくと活動しているのである。部屋の中だけかというとそうではない。普通に外に出て食べ物を取ってくることをしているのである。突然いなくなってしまったからと、部屋中を探し回っていた時に、窓の外からひょっこりと帰ってきたときは度肝を抜いたほどである。その時にはもう冬であった。それからもたまに、知らないものを飲み込んで腹を膨らませていることからも確かである。その形がネズミに見えたり猫に見えたりとさまざまであった。つい最近では、野良猫を見かける頻度が少なくなってきてしまったが、それとは関係あるのだろうか。あるのだろうな。猫好きのおじいさんが悲しんでいたところを目にしたことがあるのだから。少しばかりの申し訳なさもある。

「わしが大切に……大切に育てていたご飯じゃったのになあ。どこへ消えてしまったのじゃ。それも、ずいぶんとずんぐりむっくりとしておってのう。もうそろそろ食べごとになるところじゃったのに。……悲しいのう。手塩に育てた食べ物がなくなってしまうというのは何とも悲しいことよのう」
「はいはい、わかったから、行きますよ、おじいさん。猫をわざわざ食わなくたって、ネズミがいるんですから、それを食べればいいじゃないですか。猫よりもおいしいとおもいませんか? いえ、いいです。猫が好きなのだから、おじいさんは猫を食べているのですものね」

 ああ、そう言えば、猫好きのおじいさんは、蜘蛛の蟲人だったか。大きな目が二つに、その間に小さな目ん玉があることからもわかる。それ以上に手足あわせて、八本というところも、なかなかに興味深くて、視線が向かってしまうが。とはいっても、それなりの数を見かけることは見かけるが。そこまで珍しい種族というわけではない。
 今はこうしてみる限り、確かに冬なわけだが、冬休みなんてものはない。あるのは年末年始の数日だけ休みがあるということだけである。この期間を働いていると、年越しに置いていかれてしまうのだそうだ。去年と今年とで、すべてを一旦分けなくてはならないために、何か仕事をしながら年越しをしてはいけないことになっている。そのため、このあたり一帯の商業地区すべての店が閉店しているのであった。ホテルにすら泊まることも出来ないのだそうだ。だから、家のあるところに帰るらしい。旅人は、野宿をすることが、多いのだそうで。それは非常につらそうだが、どこかの家に泊まらせてもらえるように交渉する人も少なくはない。人それぞれである。
 俺はその、しんと静まり返った街並みをぽそぽそと歩いているのが好きなのである。フードの隙間からアオも顔をのぞかせている。ちろちろと舌を出しながらあたりを観察しているようであった。冬の景色の中に一匹の蛇。普段なら見ることは出来ないだろう。とても珍しい光景である。いいや、自然の法則を無視しているようにすら感じる。だが、それ以上に、めったに見られる光景ではない、この静かな王都というのもまた美しいものであろうか。俺は目を輝かせて、見入っているのである。喧騒が雪に溶けて消えてしまっているのである。誰もかれもが、いそいそと速足で歩いている。目的地まで一直線だ。
 俺は街中をふらふらと歩いていると、教会の前にたどり着いていた。白く綺麗で、ほころびなく存在している。白い壁に白い雪、完全に白と同化している。だが、ガラスは色鮮やかに輝いているために、そこのみが、この建物の存在を俺たちに知らしめてくれているのであった。その美しさに俺は、見惚れているのである。いつまで見ていても飽きることはないだろう。そして、そのガラスの前にしんしんと雪が降っているのである。ああ、なんと素晴らしいだろうか。その雪のおかげで、このガラスに厚みを持たせることが出来ているのだ。やはり、冬にこそ教会はより輝くと思えてならない。
 開いている。当然である。神に仕えることは仕事とされていないためである。だからこそ、神職の人たちはこの日であろうとも、教会を開放しているのである。そして、人々の法を説いているのだ。だが、そのおかげで、暇な人たちがぶらりと教会に立ち寄ることが出来るわけであるが。ありがたいことである。このような寒い日に、部屋の中にいるだけではなく、こうやって集まることが出来るのだから。

「あらまあ、こんなにも小さな子供がやってきたのですか? 普通はお父さんやお母さんと一緒にいるものでしょうが。わざわざ一人でここまで足を運んでくるなんて珍しいですね。とはいえ、我らが主はその敬虔な行動を褒めてくださることでしょう」
「たしかに、言われてみればおかしくはあるかもね。普通は、父さんや母さんと一緒に過ごすことでしょう。俺だって、出来ることならそうしていたいと思います。ですが、俺はずっと遠い村から、学校に通いに来ているのでございます。だから、部屋にいても暇なわけでございます。だから、こうして教会まで足を運んで来たわけなのです」
「あら、そうでしたか。とてもいい心がけです。敬虔な者には、しっかりと我が主の目に留まりますよ。ほら、そんなところにいては寒いでしょう。中へお入りなさい。とても温かいですよ。包まれるかのようでしょう。神様のぬくもりで温められているのですよ。とても心地が良いのです」

 俺は、シスターに勧められるままに、中へと入っていく。やはり、建物の中というのは温かい。アオもぐいと首を大きく出してきょろきょろとあたりを見回しているようである。たしかに、ここは他の建物とは空気が違うことだろう。神聖な空気とでも言うべきだろうか。祈りの言葉により清められた空間が発する独特の空気感とでも言うべきか。それを、外に出さないように、ドアも窓も二重についており、厳重に守られているのである。ドアの模様もそれぞれ大きく違っているところも大事なところである。教会の方を向いているドアには、天界と呼ばれる神の国の模様が、教会の外を向いているドアには、俺たちの住んでいる地上が描かれているのだ。
 俺は適当に空いている場所に座る。ここは少しばかり正面が見づらいがまあ、かまわないだろう。想いは、障害など突き抜けて目的へとまっすぐにたどり着くのだから。また、その思いも大事であろう。だからこそ、どこの座っているのかなどは関係ない。静かに、祈りを捧げるので十分なのである。あたたかな心地に包まれながら、今年一年見守ってくださっていたことに感謝を捧げる。これもまた大事であった。
 俺は祈りを捧げていると、フードに隠れて静かにしていたアオがしゃあしゃあと叫び始めている。これでは他の人の迷惑になるだろうと、静かにするように、口元を抑えようとするわけであったが、そのために顔を上げてしまう。そうすると、なんと見知った顔の人がこちらへと歩いてくるではないか。
 どうやら彼らも気づいていたらしく、こちらへと歩いてくる。そうして俺の目の前にとまる。フードから飛び出しているアオの姿を見ると、呆れたようにかすかに笑みをこぼしているようであった。たしかに、今この場にペットのような存在を連れてくるのは珍しいことだろう。ならば、部屋に一人で置いていけるかというと、俺はそんなことは出来ないと断言するだろう。

「やあ、兄さん、マリィ様。今日はどういう用件で教会にまで来ているんだい? まあ、二人してデートしているのだろうということは、見てすぐにわかるけれどもさ。教会デートというのは、何とも趣があることだろうね」
「王都の教会といえばここだからね。むしろ、他の教会全ての価値がここに吸い取られているとすら思って仕方がない。まあ、ここに来るような人たちは貴族ばかりだから、入りづらい庶民の人たちは他の所へ行くのだろうけれども。それで、僕たちはおそらく……いいや、絶対に来年ここで式を挙げるだろう。だから、一回ぐらいは二人で来てみようかってさ。で、こうして足を運んだってわけだ。実際良いところだ。とても綺麗だしね」

 と、そこまで話したところでシスターたちに見られていることに気づいた。俺たちはそそくさと迷惑をかけないように退散をする。王族も含めて、貴族の子息だから、大丈夫かもしれないが、ここで、貴族だと偉ぶっても惨めにしか思えない。だから、誰もそのようなことを考えないわけである。
 俺は、二人のデートの邪魔ではないかと思ったが、別にそうではないと言ってくるわけで、久しぶりに会う弟と話したいのだろうと思うことにして、しばらく付き合うことを決めるわけである。それでもやはり、少しばかりの居心地の悪さを感じなくてはいけないわけであった。なにせ、デートしている最中に部外者に入ってこられることに喜びを感じることはないだろう。それがわかるからこそ、今のこの現状にわずかな息苦しさを感じざるをえない。
 ルイス兄さんは、マリィ様以外にももう一人婚約者がいるはずである。二人の女性と結婚をするらしい。卒業式の数日後だったか。その日に結婚式を挙げるということで、俺たちも参加するのである。
 そう……もうすぐルイス兄さんは卒業する。寂しいものである。それ以上に、俺もあと二年ほどで卒業するのだろうと思うだけでも十分寂しく感じるわけであるが。あまりにもあっけなく終わってしまったと物思いにふけてしまうのであった。
 俺たちはしばらく他愛のないことを話しながら、そして適当なところで切り上げて別れるのである。これで再び二人歩きに戻った。一人は蛇であるが。さくさくと足音をたてて雪の中を歩くわけである。しんしんと降り続ける空を見ながらであった。静かに落ちてきて、固められていっているのである。
 十年目の冬も変わりはない。なんてことなく、世界を白く包み込んでいる。だが、変わらないのは冬ばかりである。他のところは変わりつつある。変わっているといってもおかしくはないか。雪は生まれ降り注ぎ、そして溶けて消えてしまうのである。その静かな流れの一つ一つが俺たちなのかもしれない。それを、高速で再現しているだけかもしれない。いいや、それなら俺は消えてはいないか。俺だけ他とは違う軸で動いてしまっているのだろうな。
 心配しているかのようにアオが俺の顔をのぞき込んでいる。だが、俺は何でもないように笑顔を見せる。しかし、それでは納得できないようで、今もまだ顔を見つめ続けているのであった。そんなにのぞき込んでいたって、何かが変わるわけではない。ただ、それほどまでに心配しているのだという彼の気持ちが強く伝わってくるのであった。だったら、俺は嬉しくなるだろうさ。その笑みは、彼を安心させる笑みではなく、彼から心配されているという優しさにより生まれた笑みであっただろう。それはいつもとは違うと気づいただろうか。彼もまた納得してくれたかのようにそっぽを向いてしまった。彼は、感情を顔に出すことが出来ない。
 ゆきんこが、ころころと俺たちの目の前を転がっていった。だんだんと体を大きく膨らませながら。この季節になると、彼らの行進も風物詩である。小さな線が何本もひかれているのである。そして、どこかへと消えていってしまう。冬を追いかけているそうだが、どこに冬があるのだろうか。追いかけていれば、常に冬にいられるのだろうか。気になるところではあるが、俺は彼らを追いかける余裕はない。それはそれは残念なことであった。
 少しばかり雪が激しくなってきたために、さっさと寮の中へと非難する。体を払えば、いくつかの雪と、それにつられていたゆきんこが落ちてくる。彼らはキャーキャーと小さな叫び声を上げながらあっちゃこっちゃへと逃げていく。俺たちはそれらの尻尾を掴んで外へと放り投げる。外は雪のおかげで柔らかい。彼らも怪我はしないだろうさ。俺は、フードを脱いで、自分の部屋へと戻るのであった。肌をこすりつけているかのように、アオも体をくねらせている。

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