天の仙人様

海沼偲

第119話

 ふと、目が覚めた。俺は眠りについたと思った直後に、見たこともないような、そんな場所に立っているのである。そして、その隣にはお師匠様が申し訳ない顔をしながら正座をしていた。そのあまりの姿に、俺は驚きに目を見開いてしまった。なにせ、お師匠様が正座させられているであろう姿を俺は一目でも見たことがないのである。あまりにも新鮮なために、少しだけ脳の処理が追い付かなかったとばかりに、思考がとまってしまっても仕方あるまい。

「ようやく二人とも、集まったか。お主らは仙人じゃから、眠らなくても大丈夫なおかげで、二人そろって眠りについてくれるのに、日数がかかってしまったわけじゃが。仕方のないことではある。そこはあまり気にしないことにしよう。まあ、お主もそこに座れ」

 と、俺の目の前に閻魔様がぬっと現れた。あまりにも唐突のことである。そのおかげで、今夢の世界で彼らに会っているのだということも理解できた。夢の中に入ったと同時に呼び出されてしまったのは残念だが、連絡手段としては最も楽なものだから、仕方がない。
 俺も同じように、お師匠様の隣に正座をする。すくなくとも、お師匠様の顔を見ただけで、俺たちは何か叱られるようなことをしたのだとわかる。何かあっただろうかと、考えるが、思い浮かぶことはない。

「お主たちは……元幽霊の娘に名前を与えたな。それが、どういうことなのかわかるな? たとえ、肉体を手に入れていたとしても、いいや、新たな肉体を手に入れているからこそ、その重みがわからないとは言わないよなあ?」

 あまりの圧力に俺は押しつぶされそうになる。俺は名前を付けていないのだから、俺まで怒られるのはどうかとも思ったが、俺はお師匠様を止めなかったという罪なのだろう。ならば仕方あるまい。

「鞍馬、お主はまたしても新たな妖怪を生み出したのう。わかるか? 幽霊はここを介在せずに新たな命を手に入れてしまったということなのだからのう。それが、どんな異常事態かわかるかのう? あの娘はこれからどうなるかのう? 気になることは気になるが、それは、普通の凡百の、人の道から大きく外れているのがわからないわけではないのう」

 ああ、これは時間がかかる。どれだけの時間がかかるか。夢の時間はいくらでも改変させられる。一日もの時間を叱られても、次の日の朝には起きれることだ。だから、今この瞬間が永遠に続いたとしてもおかしくはない。俺は覚悟を決めて、閻魔様の説教を聞くのである。
 今日の朝、起きた。日を見れば、いつもと同じくらいの時間だろう。悪夢を見たせいで、寝坊するということがなくて安心した。俺は、いつものように食堂へと足を運んでいた。夢の中でどんなに説教されようとも、今日は進むのだから。切り替えである。そこで、カイン兄さんと会ったのである。王都では顔を合わせることがなかったが、ようやくといったところだろうか。それだけ、俺と兄さんとの時間がずれていたということである。たまたまが、今日起きたのであった。もしかしたら、閻魔様のお導きかもしれない。そうすることで、あの時間を苦痛ではなかったと思い込もうとするのであった。
 そういうこともあってか、今日は兄さんと一緒に王都の外に来ていた。ハルも一緒についてきているが。最近はずっと俺の近くにいる。ユウリが近寄らないように見張っているそうだ。ルクトルには任せないことにしたらしい。これはもう変えようのないことだろうと感じる。
 確かに、ユウリならば、俺が一人でいるとわかれば、会いに来るだろう。それは誰にでも予想できる。だから、こうして俺の近くにハルが常にいるようにしているのだということはよおくわかる。どうも、ハルはユウリのことを警戒しているのである。とはいうが、ユウリは俺と友人としてかかわっていきたいと思っているはずである。だからこそ、彼女は俺と恋仲にならないという意味を込めて、俺のことが嫌いだと宣言したのだろう。あれに他にも意味があるかもしれないが、俺はそのすべての意味を排除して、彼女が言った言葉をそのままに受け取るのであった。あえてである。俺は、変に深読みをする必要はないのだ。そのままをそのままに受け取るのである。そうでもしないと、俺は収拾をつけることが出来ないのだ。愛しているから。愛してしまえるから。
 俺たちは、広い草原、そこの少し道から離れたところに立ち、剣を構える。二学年の次席と、三学年の主席。その二人がこうして剣を構えることなどないだろう。兄弟でない限り。いいや、兄弟でも剣を交えようとは思わないか。ピリピリとした空気があたりを包み込んでいる。少しばかりの動きの全てが隙にでもなりそうなほどの緊張感が広がっている。そう感じてしまうのだ。それはお互いにであろう。その気の中にいても、なお笑っていられるのだが。
 久しぶりだ。楽しまなくては損だろう。両方がそう思ってしまっている。お互いに力は拮抗していてもおかしくはないだろう。兄さんの方が強いかもしれない。強いといい。だが、そのどちらなのか、それはわからない。だが、そのどちらでもいい、ただ戦おうという意思のみが支配しているのだとわかってしまうのだから。
 草を何かが踏んで、こちらへと近づいてくる音が聞こえる。だんだんと大きな音となってきているのである。だが、俺たちは今そちらへと視線を向けることは出来ないのである。だから、ほんのわずかばかり、心の片隅にでも置いておく。そして、再び目の前に立っている、兄さんに集中していくのだ。
 ずるりと、すり足で少しばかり近づいた。その瞬間に、剣が頭に向かって振り下ろされる。軸をずらして、攻撃を避ける。それと同時に剣を振り上げ、脇へと攻撃を当てるようにする。だが、そうは上手くいかない。攻撃は、防がれる。振り上げる力は、そこまで強くなることはないのだから。だからこそ、慎重に攻撃を当てる先を選んでいかなくてはならないのである。
 蹴り上げて、金的に一撃。する前に、膝で俺の足を抑え込まれる。そのままひねられたら危険だろう。その足を軸にして、飛び蹴り。腹に当てる。それを避けるには、足を離すしかない。それで距離を取ることが出来る。そうして再び構え直すのである。ゆっくりと慎重に剣先を向けていくのだ。
 静かに、近寄っていく。地面と足がこすれ合う音だけがあたりに響くばかりであった。ほんの少しだけ、剣先から外れたところで止まり、お互いを見ている。これ以上進めば、飛んでくる。お互いの呼吸を読み合うように、じりじりとした時間が過ぎていくのであるのだ。
 瞬間早く、俺が動いた。兄さんの呼吸の隙をつくようにして、剣を突き出すのである。線の動きではなくて、点の動きである。これは避ける以外には防ぐことは至難の業だろう。避ける。そうでなくてはならない。だからこそ、左右のどちらかへと、動くことは予想できる。だが、兄さんは、その点に剣の腹を当てて、軌道を逸らすのだ。そのままに、俺たちの距離は近づき、兄さんの肘がこちらへと飛んでくる。こめかみのあたり。当たってはいけない。それは絶対であった。ならば、額で受け止める。頭突きである。とっさにするならそれしかないだろう。額と肘がぶつかり合う。当然だが、額の方が強い。
 兄さんの肘はしびれて、しばらくは使い物になることはないだろう。そのチャンスを逃してはならない。痺れた肘の方のわき腹を攻める。そちらを守りにくいであろうことは誰だってわかるのだから。剣も拳も、蹴りも、その全てで兄さんを攻め続ける。しかし、それをギリギリのところで躱してくるのである。俺は少しばかり、じれったく感じている要素を抑え込むようにして、一つ一つ丁寧に攻撃していく。
 しばらく、それは続いた。その間に兄さんの痺れはなくなってしまったようで、元の状態へと戻ってしまったが。それでも、前半での俺のわずかな優位が最後まで覆されることはなかった。最終的に、俺が最後までたつことが出来たのである。
 とはいえ、これも俺の体力が人以上にあるからというだけである。そうでなければ、兄さんと俺が同時に倒れてもおかしくはない。むしろ、兄さんが一時的に弱まったおかげで、無駄に体力を消耗させることが出来て、俺がボロを出す前に、体力を完全になくすことが出来たと言えるだろう。そうでなければ、この結果にはならなかったと言える。
 と、俺の背後から、大きな鳴き声が聞こえた。しかもその声は、カンムリダチョウの鳴き声である。ガラガラとした、低く響き渡る声である。仲間を呼ぶような音を出してはいなかったが、俺の背後でその音が鳴らされたら、背筋が凍るような思いをしてしまうのは仕方がないだろう。
 俺はゆっくりと振り返ると、確かに俺のすぐ後ろにカンムリダチョウが立っている。そして、何か興奮しているような顔で俺の胸に頭をこすりつけてくるのであった。あまりのことに俺は固まる。だが、すぐになれるというもの。俺は彼女の頭をゆっくりと優しく撫でるのである。
 彼女はもしかしたら、ずいぶん前に俺と一緒に壁の中に入ろうとしていた、カンムリダチョウかもしれないと思った。だが、俺はカンムリダチョウの顔をそれぞれ見分けることが出来ない。だから、彼女が俺の知っているものかどうかがわからないのであった。しかし、俺に近寄ってきて、あまつさえ、頭をこすりつけてくるようなものを彼女以外に知らないからである。とはいえ、王都からはずいぶん離れたところですんでいたはずである。そう思えば、ここまで来たのかと思わざるを得ないわけだが。
 遠目には、こちらを睨みつけるように見ている集団が見える。あの集団も見覚えがある。それでようやく、彼女があの時のカンムリダチョウであろうと自信をもって言えるのである。しかも、あの集団に睨まれるほどということは、彼女は、この種族の間では絶世の美女の可能性が出てきた。たしかに、それほどの女性が別の種族の男と仲良くしていたら、彼らも気が気ではないだろう。
 カイン兄さんは上体を起こして、こちらを呆れたように見つめている。たしかに、カンムリダチョウにここまでなつかれている人間というものは今まで確認されてはいない。だから、珍しいことだろう。

「アラン……すげえな、お前。どうやったら、そんなに鳥や獣に好かれるようになるんだ? 何か特殊な匂いでも発しているんじゃねえのか? ほら、こう、動物たちが寄ってきたくなるようないい匂いがさ」

 どうなのだろうか。あり得なくもない。だとしたら、俺はその匂いを前世から持ち込んでしまっていると言えるわけだが。だが、動物たちに好かれることは悪いことではないだろう。だから俺はそれを自慢に思う。
 彼女は俺の無煙だけでは飽き足らずに頬であったり、腕や足であったりと体のいたるところに自分の体をこすりつけている。まるで、マーキングをしているみたいだと思わなくもない。だが、その行為にどんな意味があるのかはわからない。自分の縄張りを主張するためともいわれているが、そういうことをするのは雄の役目だろう。だから、雌が、どうしてそのような行為を見せるのかが、わからない。いろいろと説は上がっているが、そのすべてが有力ではないのであった。
 今の俺はきっと、カンムリダチョウの群れに混ざっていても、バレないかもしれない。それほどに、彼女たちの匂いに包まれてしまっていた。俺としてはそこまで嫌いではないが、獣の匂いに嫌悪感を示す人はたくさんいる。
 ハルが、手のひらから水を放出して俺の体全体に浴びせる。匂いをかき消そうとしている。彼女はそこまで匂いにうるさくはないが、少なくとも、これほどの匂いを見過ごしはしないらしい。しかも、彼女はそれだけが理由ではないとばかりにその匂いを付けた本人に睨み付けているわけである。

「あんた、何勝手に私の婚約者に手を出しているのかしら? あなたは一切何様のつもりなのかしらね?」

 それに応えるように、二人して睨み合っていた。一触即発ともいえる状況であるが、もし、何かの間違いでも喧嘩をしようものならば、すぐさまハルを抱えて逃げなくてはならない。なにせ、このあたりのカンムリダチョウ全てが俺たちを敵とみなして襲い掛かってくるからである。さすがに、三人で相手できるようなやつらではないのだ。
 俺は静かに、彼女たちが爆発しないように見守ることしか出来ないのであった。ハルの手を握り締めながら、俺は祈るばかりであるのだ。

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