天の仙人様

海沼偲

第113話

 聖域はより力をつけていくと、自分自身を管理させるための存在を生み出すと言われている。それは、精霊や妖精のように自然に生まれてくるような存在ではなく、聖域の自分自身の意思で生み出されるものである。それが今目の前にいる彼女なのであるが、どうやら、聖域の守りびとというらしい。これは、今までのどの資料にも書かれていない情報であった。つまりは、俺たちしか知らないことかもしれないということである。こんな発見に胸が躍らないわけはないが、だからといって学会には発表しない。聖域についての情報は出来る限り、秘匿されていなくてはならない。俺はそう思っているからである。

「ありがとうございます。聖域とは欲とは一切が切り離されていなくてはならない存在。出来る限り、人の目から触れないようにしなくてはなりません。出来ることならば、エルフとも関りをたっておきたいのです。しかし、彼らは我々と長い時を同じく生きていました。生きすぎていたというべきでしょうか。ですから、そうそうできることはないでしょう。それはとても難しい話です」

 彼女も、俺がこの情報を公開しないということに、肯定してくれている。やはり、ここは人間が侵入できないように出来ているのだから、人間が知らなくていいことなのである。知りようのないことは、知るということすら浮かばないか。ならば、聖域の存在を人間に教えたのはエルフということになる。俺は、ずいぶん前に出会った、エルフの探検家の存在を思い出しているのであった。
 彼女たちは聖域を守るために存在しているわけだから、ここから離れることは出来ない。その代わりとは言っては何だが、他の誰も、彼女たちに危害を加えることは不可能であるのだ。聖域内において、最も力を持つ存在が彼女たちである。俺たちは、すべてを見透かされているのだ。隠れることも逃げることもできないだろう。
 俺は、この地が、彼女を生み出すほどまでに力を蓄えているのだと知ることが出来て嬉しく感じている。ここは、俺の息子のようなものであるのだ。だからこそ、成長しているのだと実感できるのはとても喜ばしいことなのである。

「私はあなたたち……いいえ、お父さまたちに会えたことは今までなかったので、今こうして顔を合わせることがとても感動しております。こうして、お父さまが目の前にいることをうれしく思っております」

 彼女の目は俺に向いていた。そして、その発言。それをハルが見逃すわけなないのである。俺の方へと振り向いた。鬼の形相である。彼女が大きく勘違いしてしまっているのだろうと思えば、とても愛らしく感じるだけであるが、そうでなければ、今目の前にある彼女の顔に恐れを抱いてしまうことは間違いないだろう。そう思えたであろうということは確実であった。

「よくよく、話を思い出してごらんよ。彼女は聖域の守りびとなんだよ。そして、聖域の守りびとはこの地によって生み出されるんだ。つまりは、聖域の化身のようなものだともいえるだろう。聖域の中でのみ存在できるそんざいなのだからね。それならば、俺のことを父と呼んでもおかしくはないじゃないか。なにせ、この地は俺がきっかけで生まれたようなものなのだからさ。だから、この聖域も俺のことを父親だと認識しているということになる。そういうわけだから、彼女も俺を父親だと言っているんだよ。そうだろう?」
「ええ、もちろんです。お父さまは存在しますが、お母さまは存在しません」

 彼女はゆっくりと記憶を掘り返していくように、明後日の方へと視線を向けていく。どれほどであろうか。ちくたくと時計の針が聞こえてくるかのような錯覚を覚えながら、待っていると、とうとう答えは出たようであった。恥ずかしさからか顔を真っ赤に染め上げていくのである。そうして、俺から隠れるように手で顔を覆ってしまった。何とも可愛らしいことだろうか。俺は、彼女を抱きしめる。そうして、優しく背中をさするのであるのだ。
 その姿を、目の前にいる守りびとはにこりと笑ってみている。何とも和やかな雰囲気が漂っていた。しかし、それを破るような顔を見せる人がいた。それは守りびとその人である。彼女が、目を開いて、じっとある一点を見つめている。その視線の先には幽霊の少年の姿があるのだ。

「お父さま。どうやら、何やらよからぬものにとり憑かれてしまっているようですね。害意はないように見られますが、それでも、それに対してお父さまは心を痛めているようですね。とても心苦しく悩んでいらっしゃるのだとわかります。お父さまにこんなつらい思いをさせる輩など今すぐにでも消滅させてあげたいですが、お父さまが望んではいないようなのでしません」

 その言葉を聞いたハルはすぐさまは復活した。そして、ギリギリと歯ぎしりをたてながら、きょろきょろとあたりを見渡す。しかし、幽霊などハルにはまだ見えないために、何も見つけることは出来ないのであった。それにただただ苛立ちを感じているようで、地面を思いっきり踏みつけることしか出来ないのである。

「まただ、まただよ! こうやって、アランには変な女が付きまとってくる。もう嫌だよ。ねえ、アラン。もう外に出るのはやめよう? 私がずうっとお世話してあげる。そうすれば、一生部屋の中で過ごすことになっても問題はないでしょう。だから、アランは部屋の外に出ないで、私と一生部屋の中で過ごそうよ。そうすれば、変な女にとり憑かれることもなくなるんだよ。そして、私とアランの二人だけの世界で一緒に暮らそうよ。そうすれば、とってもとっても幸せな時間に浸ることが出来るんだよ」
「ハルさま、とりついている幽霊は、女性の霊ではございません。どうやら、男性の霊でございます。男の人がお父さまの周りをふらふらと漂っているのでございます。少しばかり面白い幽霊ではございますが」

 ハルは、その言葉を反芻していく。それと共に、頭を掻きむしっていくのである。彼女のやるせないこの気持ちをどうにか発散しようとしているが、それが出来ていないのであった。どうすればいいのだろうか。いっそのこと、彼女の言うとおりに世話されながら一生を部屋の中にでも過ごしたほうが、精神の安定を図ることは出来るのだろう。だが、俺はそれは出来ない。それはやってはいけないことだと思うのである。
 俺はただ彼女の手を握ることしか今は出来ない。彼女は握られた手を見つめる。それをだんだんと辿っていき、俺と目が合うのである。俺は微笑みかける。口をとんがらせている。それでも、俺の気持ちは伝わってくれたのだろうか。彼女もまた、俺に微笑みかけてくれるのだから。それだけで、十分に思えた。
 だが、それと、今この瞬間も俺にとり憑いて離れない彼を放置することは同義ではない。どうにかして対処しなければならないのだが、それが何一つとして思いつかないのである。当然、俺は彼に触れるのだから、無理やりにボコボコに殴って死ぬ寸前まで痛めつけることは出来るだろうが、それに対する一切の意味がないのである。下手したら、呪い殺されてもおかしくはない。手を出すことが正解ではないのである。彼を成仏させる手段が俺には存在しないのだから、こうして、穏便になるように静かにしているばかりなのである。みじめにすら感じることだろう。だが、それしか方法もないと思うのである。

「お父さま、そう悩んでいるようですが、私には一つ、お父さまの悩みを解消する術が存在します。ですので、そうして落ち込まないでください」
「それは本当なのか? 彼を引き離す方法が存在するというのか。それを、することが出来るというのか?」

 彼女は力強く頷いてくれた。これは力強いことである。俺はさっそくとばかりに頼んでみるのである。今すぐにでも呪縛から解放されたいと思うのは当然であろう。俺の顔は喜びに今までにない輝きを放っていたことであろう。彼を特別嫌っているわけではないが、付きまとわれえていることに喜びを見出すのは非常に難しいのである。
 そうして、彼女がしたことは、土くれから一体の人形を作りだしたことである。むしろ、それしかしなかったと言える。俺たちはそれに対して首をかしげることしかできなかったが、彼女の自信のある顔つきから、これが策なのだろうということが分かったのである。

「ちょっと、あんた。これは何よ。人形を作るなんてアリスだって出来るわ。そんなことを披露したって何になるっていうのよ。そんなことを披露したからって、アランに褒めてもらえるなんてあさましいことを考えているのかしら?」

 いらいらとしている様子のハルの肩に触れ、気持ちを落ち着かせるように撫でていく。ひと撫ですることに同時に深呼吸もしてもらって、ゆっくりと心を平常へと持っていくのだ。
 彼女は落ち込んでしまったような顔を見せている。ゆっくりと頭をなでる。彼女は俺のことを真剣に愛しているのだろう。だから、こうしてあたりが強くなってしまうだけなのだ。だから、俺はそれを知っているからこそ、嫌ってはいけない。むしろ、嫌うことなどできるはずがないのである。

「ごめん、アラン。ちょっとイライラしてて。こんな女なんて嫌いになっちゃっても仕方がないよね」
「いいや、そんなことはありえない。決してね。何度も言っているだろう? 俺は永遠にハルのことを愛し続けると誓っているのだからさ。だから、決して、ハルのことを嫌いになるなんてありえないよ」
「ありがとう、アラン。私も愛しているわ」

 何とか落ち着いてきたハルの肩を抱いて、俺はその人形へと視線を向ける。よく見ているとわかるのだが、まるで、血管のように体中に魔力が流れているのである。これは、アリスの人形にはなかった構造である。おそらくは、それが重要な役目を果たすのだろう。
 すると、幽霊の少年はその体に引き寄せられるようにして近寄っていくと、その人形の中へと入り込んでいくのである。すると、その人形がゆっくりと動き出した。その動きはなめらかであり、まるで生きているようであると錯覚させるほどである。表情の一つ一つも、作り物めいているわけではなく、しっかりと感情がこもられているかのように見えるほどなのだ。

「ははあ、すごいねえ。僕だっていつまでたっても魂だけで生きていたくはないからね。こうして新しい体が欲しいとは思っていたけれど、こうやって、手に入ってみるとやっぱり格別だねえ。しかも、アランくんだけに見えるわけじゃなくて、他の人全員にも見えるようになるんだからさ。いやあ、ありがとうねえ。守りびとさん」
「いいえ、礼には及びませんよ。今はまだ仮の段階ですが、その姿で生活していれば、いずれはその肉体があなたの魂と同調して、完全にあなたの体となることが出来ますよ」

 と、その会話を聞いていると、俺の体がわずかにふっと軽くなるように感じた。俺は彼の方へと視線を向けると、彼は俺にウインクをした。もしかして、彼は俺にとりつくのをやめてくれたのかもしれない。彼は俺だけではなく他の人ともコミュニケーションを測れるようになったのだ。だから、俺の隣に常にいる必要はなくなったのである。俺は思わずガッツポーズをした。これで、俺は一人になることが出来るのである。これはとても喜ぶべきことなのだ。一人でいたいときに一人になることが出来るのであるから。

「ところでさあ、気になることがあるんだけど、どうして、この体は女の人の体なんだい? 僕は男だってわかっているだろう。それなのに、こんな体にしたのはどういう理由があってのことなんだい?」
「どうですか、とても可愛らしいでしょう。しかも、あなたの生前の顔の面影も残しております。ですから、あまり違和感なく……むしろ、その方がなじんでしまうかもしれませんね」
「いや、女の人の体なのが違和感あるって言っているんだけれども……まさか、ねえ? そんなことってありえる?」
「さあ、どうでしょう?」

 たしかに、彼の肉体は女性である柔らかな輪郭をしている。しかも、成人女性をかたどっているらしく、胸にも膨らみがあるわけだが、ここで俺はあることに気づいた。彼は全裸であるということである。そう、女性の体を完全に再現して作られた肉体が全裸で俺たちにさらされているのであった。
 俺は彼らを全員おいて、すぐさま帰宅して、似た体格をしているメイドから、洋服を頂戴することにした。彼女は顔を赤らめながら俺の頼みは断れないために、渡してくれた。申し訳なく思ったが、今は緊急事態なので、礼を言ってすぐに森へと戻る。そして、彼に洋服一式を渡すのである。当然、下着の類も付けてもらっている。
 これで、彼は人前には出れるようにはなった。だが、俺の家には来れない。当然である。俺は今までハルとルクトルを家に連れてきているのである。森から。三人目はさすがに父さんたちの許容をこえることだろう。だから、家に帰った時についでに取ってきた、いくつかのお金を渡して、王都へと向かうように言うのである。彼もそれにはしぶしぶ納得してくれたようで、少しばかり哀愁が漂うような背中を見せながら目の前から去っていくのであった。
 もし、王都で会うことがあれば、必ず何か埋め合わせをしなくてはならないと少しばかり罪悪感に犯されているのを感じるのであった。

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