天の仙人様

海沼偲

第112話

 少年の幽霊それからもことあるごとに俺の前に現れては一緒に遊ぼうと誘ってきているのであった。俺はそれに付き合っているのだが、それは彼がもしかしたら成仏するのかもしれないなどという思いからでもあった。彼らは基本的に此方にいてもいいような人々ではないので、出来る限り送り届けてやらねばならない。そのためには、彼らの望みをかなえるということも必要だろう。だから、俺は望みをかなえるために一緒に遊んでいるのである。とはいえ、何が望みなのかはわからないし、教えてくれないわけであるが。どうすれば成仏するのだろうか。
 幽霊というのは死んでしまうと名前を失う。名前というのは肉体に名付けられるものであり、魂に名前が与えられることはない。それは絶対なのだ。俺の名前だって、今の名前は今世でしか名乗ることが出来ない名前なのだ。前世の名前は今は使い物にならないのである。もし、魂に名前が刻まれてしまうと、永遠にその存在でいることになる。つまりは、生まれ変わるということが出来なくなるということである。もし、彼の身に何かがあり消滅してしまっても、またどこかで復活した場合、彼は全ての記憶と知識を保持したままに生まれ変わるのである。これはあまりよろしくない。俺がこうしていることはあるが、それは相当なイレギュラー的なものだからである。普通はあんなこと自体起こりえないのだ。お師匠様自身が言っているのだから確かなのだろう。
 俺は何度か、彼に名前を付けてほしいと言われたが、それをしなかったのだが、それが一番の理由であった。少なくとも、成仏できなくなってしまうのだ。それは俺の望みとは大きく違っている。だから、与えられないのであった。しかし、彼は名前を手に入れることで成仏しない存在になろうとしているのだろうということもわかる。
 最近、一緒に遊んでいてわかってきたことなのだが、どうやら彼はあの交差路から俺の所へ遊びに来ているというより、俺自身にとり憑いているようであるのだ。それは、春休みに実家へと帰省した時にも一緒についてきたことでようやくわかったのである。馬車に乗りながら外を見てくつろいでいたら、唐突に彼が隣に座っているのである。心臓が口から飛び出るかと思ったほどであった。俺はある意味で、呪われてしまっているのである。これは一刻も早く彼を成仏させねばならないということが理解できた。そうでなければ、俺にプライベートはないということを突きつけられているということになるのだから。その事実を知った時には頭を抱えたものである。
 ハルたちは俺に幽霊がとり憑いているということを知らない。どうも、俺程度の実力であってこそギリギリ彼を視認し、触れることが出来るようなのだ。とはいえ、そこまで差が大きく広がっているわけではないと思うので、いずれはすぐにでも彼女たちも見ることは出来るようになるだろう。それは安心するとともに、彼女たちに大きな心配をかけてしまうという申し訳なさを心に生み出してしまっていた。とはいえ、彼が俺から離れることはないだろう。今のうちから覚悟を決めておかなくてはならないだろうと心に誓うのであった。

「アランの実家ってどんなところなの? 僕はさあ、王都から外に出たことがないから、外の世界がどうなっているか知らないんだよねえ。楽しみだなあ。ね、アランも僕と一緒に帰れるから嬉しいでしょ? これからも、ずっとずっと一緒だからねえ」

 彼は、どうも俺の実家に行くことを楽しみにしているようで、鼻歌を歌いながら、リズムをとってゆらゆらと揺れているのである。俺はその姿を見ていると、何も言えなくなってしまうのであった。甘い人間なのである。だからこうして、とり憑かれたままでも、こうして普通に話していられるのだろう。そう思っているのである。
 春休み前には、当然だが学年末の試験があった。その時に再び、ハルと実技試験で戦う機会があったのだが、今度は時間切れまで持ち込んだ。結果としては、引き分けになるだろうか。そうなると、当然順位が変わることはない。つまりは、俺は今だに学年次席だということである。俺は実力をつけているわけだが、それ以上に彼女も強くなっているのだと実感している。とはいえ、学年次席というだけでも素晴らしい成績であることを俺はかすかな誇りとして胸にとどめるだけにしている。王都の学校で学年次席の成績を修めることは相当に難しいのだから。
 そうして、俺たちは実家へと帰ってきたのである。ひとつ、誰にも言えないような荷物をくっつけたままに。一応、誰にも言えないが、誰にも見えないおかげで、そこまで心配されてしまうような事態にはなっていないことはほっとするところではある。とはいえ、この悩みを誰にも言えないというのはあまりにも悲しいことである。誰にも心配してほしくないからこそ、隠しているわけだが、そもそも、誰も彼を見ることが出来ないのならば、言うだけ無駄であろう。彼は、魔力の塊ではないのだ。だから、どれだけ優秀な魔術師であろうとも、見えないのだから。
 俺はリビングのソファに腰をかけながらくつろいでいる。その目の前には隠れることなどせずに堂々と幽霊の姿がある。何やら興味深そうに部屋の中を見て回っているのである。たしかに、王都のつくりとは大きく違うだろう。だから、彼が興味を持つのはおかしくはない。王都の建物は基本的に、物資が余っているからなのか、少し豪華なつくりなのだ。細工の一つ一つが細かくされている。逆に地方になれば、そういうことはなく大雑把なつくりであったり、無地であったりが多い。だから、珍しいのだろう。俺はその光景を見て、諦めたような気の抜けた目を見せるのであった。そうでなければやっていられない。そう感じてしまっているのであった。
 おそらく、彼は通りすがりの人に誰彼構わず肩を叩いていたのだろう。そうして、俺だけが彼の存在に気づいた。だから、俺は彼に気に入られてしまって、こうして今の今までついてこられてしまっているのだと思うわけである。あの時に反応を示さなければよかったのだが、後悔ばかりしても意味がない。無駄の極みであろう。だが、そうでもしないと俺の精神が安定していけないのだ。
 少なくとも、彼は成仏するような気配はない。なんだかんだいって、王都で百年過ごしている幽霊である。姿かたちは子供であろうとも、そのうちに蓄えた力は、計り知れないだろう。そう思えば、やはり、自分自身の実力もついてきているのだろうとわかることが出来た。唯一彼が見れたことによるメリットかもしれない。
 次の日には、聖域へと足を運ぶ。彼がいるからと言って、足を運ぶことをやめたりはしない。ここにいる間はそこに足を運ぶ、それが俺の日課なのである。当然だが、ハルたちもついてきている。だが、その顔はあまりいい方向には向いていない。不満がたまっているようである。まあ、彼女たちがキスを求めてきても、俺が拒んでいるからなのだが。俺は、彼の目の前でしたくはないのだが、そうは言えまい。人前で堂々とするということがあまり好きではないのだ。前に女の子たちの前でしたことはあったが。だから、彼女たちの不満だけが溜まっているということであった。早くどうにかしないといけないのだが、その案が思い浮かばないまま今日まで来ているのである。この不満な気持ちが聖域の空気で吹き飛んでくれたらありがたいと、弱々しいことを思うことである。
 聖域へと一歩入る。ぶわっと風が押し寄せてくる。不浄なものを取り払うかのような突風が俺たちに向かってやってきているのである。もしかしたらと、彼の方を向いてみるが、堂々と近くにいる。もしかしたら、聖域の空気に触れたせいで、彼が成仏してしまったかと思ったがそうではないようである。彼もまたこちらの方を向いた。俺と目が合った。彼はにこりと笑みを浮かべる。俺も、それに合わせて笑みを浮かべるばかりであった。さすがに、笑顔を浮かべているのに、それに笑みで返さないのはありえないから。それとこれとは話が別なのである。
 その清浄な空気に満たされながら聖域の中を歩いていくと、聖石があるところへとやってきた。石は苔むしており、緑へと変色しているが、それがまた美しさと神秘さを大きく輝きだしているように見えた。そして、その隣には見知らぬ女性がにこやかな笑みを浮かべながら立っているのであった。

「あら、おはようございます。アラン様、ハル様、ルーシィ様、久しぶりですね。再び会えることを心待ちにしておりました。……ああいえ、申し訳ございません。あなたたちからとってみれば初めましてというほうが正しいでしょうか?」

 彼女はゆっくりと頭を下げていく。そのしぐさはゆったりとして余裕を持っているそれである。優雅に感じられることだろう。
 俺たちは一瞬ばかり、彼女に対して警戒の意思を向けたが、それでも彼女は柔らかな笑みを浮かべるばかりである。それを見て、彼女は俺たちに敵対するような人物ではないと理解できるのであった。まあ、聖域に攻撃されていない時点で、彼女は敵対する必要がないのだということは理解できるのだが、唐突に目の前に現れたら反射的にそういう行動をとってしまうというものであるのだ。少しばかりの申し訳なさを感じつつも、彼女の近くへと歩み寄っていく。
 しかし、ここで一歩とまって睨み付けているのが、ハルであった。俺の手を掴んで彼女から引き離すようにする。それを見た、ルーシィは露骨に呆れたような顔を見せるが、それでもあえて気にしていないようで、俺の目の前に立って守っているかのように見えるのであった。

「ハルちゃん、気にしすぎだよ。この女の人は、別にそういう目的ではないと思うよ。あの目を見てみなよ、そういうような考えを持っていないですよっていう人でしか見せることの出来ない柔らかな目をしているでしょ。さすがに、世界中の女の人がアランのことを好きになるわけじゃないんだからさ」
「いいや、そんなのは嘘っぱちだよ。知っているんだもの。お母様が言っていたわ。たとえどんなことがあろうとも、自分の愛する人を他人にみすみす近寄らせるようなことはしてはいけないって。全ての女は敵なのだと、教えられたわ。そして、私たちはその悪から夫を守る義務があるのよ」

 ハルのゴブリンママは、何とも過激な教育をとっているらしい。そうでなければ、彼女たちの種族的な嫉妬深さは説明できないわけだが。小さなときから、そんな教育をしていれば、そういう価値観になるというのもうなずけるというものである。こればかりは、俺がどうのこうの言って変えられるものではあるまい。
 そうして、硬直状態が続いているが、最初に動いたのは目の前の女性であった。ゆらりとした動作でこちらへと歩いてくるのである。いいや、飛んでいるといってもいいかもしれない。足の動きというものが見えないのである。彼女は体系を隠すかのように大きな布のワンピースに身を包んでいるため、ゆらゆらとスカートが揺れるばかりであるのだ。
 大人の女性の雰囲気を纏わせたままにこちらに寄ってきている彼女だが、近づいて分かったのことであるが、どうやら、俺たちよりほんの数センチ身長がある程度でしかなかった。つまりは、少女のような体であるということであった。それでありながら、あのような母の格を醸し出すのは恐ろしいことであるが。

「ふふ、驚きましたか?実は、あなたたちと同じくらいの身長しかないのですよ。まあ、聖域の力がまだ弱いために、このくらいの体しか生み出すことが出来ないせいでこんな小さな体なだけですけれども。ああ、この聖域の力が弱いことに文句を言っているわけではありませんよ。むしろ、これほど短い期間でこれほどの力をつけることが出来るのですから、優秀だと言えるでしょうね」

 俺は、彼女の発言に、聞き捨てならない言葉を聞いたような気がした。いや、確実に彼女は重大なことを言っている。それは、俺が思っていたこととは大きく違うことであるとはっきりと伝えているのである。静かに、彼女の顔を見つめる。細い目の奥に隠れている瞳と目が確かに合った。俺の頭の中でも見透かしたのか、正解だと言わんばかりにこくんと頷いたのである。

「気づきましたか? 私はこの聖域に生み出された存在。聖域の守りびととして、この世に生を受けたのですよ」

 彼女は朗らかな笑みを浮かべてそう語った。それは、引き込まれてしまうかのような笑顔であるのだ。

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