天の仙人様

海沼偲

第99話

 最後の一人となった盗賊に対して、彼らのねぐらを聞いてみる。さすがに、盗賊でありながら一切の拠点を持たずに点々と各地を放浪しているはずはないだろう。それだと、盗んだ金目の物を一時的に保管しておくことが出来ないのだから。とはいえ、同じ場所に始めから終わりまで過ごしているわけはないだろうが。それだと、すぐにつかまってしまうだろうし。
 その通りに、彼らもまた拠点を持っている。そこへの道を教えてもらえば、彼も仲間と同じように旅立った。一人ぼっちにするのはかわいそうだろう。どうせならば、仲間と同じときに死にたいだろう。俺の彼らに対する最大限の優しさという奴であるのだ。むしろ、こんなことしか彼らには施してやれないことを悔やんで仕方がなかった。俺が出来るのはここまでなのだ。彼らを旅立たせることしか出来ない。そこから先を俺は何も干渉してやることが出来ない。彼らがどんな来世を送ることになろうとも、俺の手の届く範囲を超えてしまうのだ。それが非常に残念でならなかった。俺は、仙人ではあるが、逆に言えば仙人でしかないのだ。いち仙人では、殺す殺さないまでは出来ても、それ以降が進まないのだから。
 御者を待たせて、ねぐらへと突撃してもいいのだろうが、俺たちが関わるべきはここまでであろう。そこから先は、近くの町の警備隊でも、衛兵でも誰でもいい。彼らに手柄を与えてやるべきであった。手柄という響きに俺自身はあまり好ましく思っているわけではないが、少なくとも、盗賊を殺したり捕えたりすれば賞金が出る。だから、それを目的に盗賊狩りがいるのだから。仲間が、拠点を放棄してどこかへ逃げてしまう可能性はあるだろうが、そうなる前につかまえられることを祈るばかりであった。すぐさま、使用人の一人に、早馬を走らせて少し先の町へ連絡を入れるように手配する。これで、俺の仕事は終わったのである。
 ひょこっと、肉食獣が顔を見せる。血の匂いにつられてきたのだろう。彼らの臭いはあまりにも不快なために、これを食べてしまうのかと心配してしまうわけだが、どうもそれを気にしないようで、よだれをだらだらとたらしている。確かに、今目の前にいる獣は、鼻があまりよろしくないから、気にしなくてもいいのだろうが。そうだとしても、腐ったような臭いを出しているものを食わせることに気が引けることには変わりはなかった。今死んだばかりだから、肉は腐っていないだろうが、腐ったような臭いを発した肉というものが安全なものかどうかは非常にあいまいだと思わずにはいられないのである。
 ひとまず、食べるのをやめてみて、他の肉を探してはどうかと、説得してみるが、どうにも彼らは食べたいらしい。確かに、多くの肉が転がっている。これを捨ておけというのは、彼らから言わせれば言語道断に違いない。ああでも、これを食ったら腹を壊してしまわないかと変に過保護になってしまっている自分がいるのだ。俺が用意してしまったようなものだから、俺がこれに対しては責任を持たなくてはならないだろう。それに、今目の前に広がっているこれらは、あまりにも美味しいと思えるような外見をしていないのだ。これを喜んで食わせるべきかどうか。非常に頭を抱えてしまう案件である。
 だが、結局俺は折れることにした。仕方なしという風に、彼らに肉を差し出したのである。そんなに美味しそうには見えないが、それでも彼らにとっては別格なのだろう。貪るように、骨まで食べてしまっている。バリボリと、砕かれている音がここいらに響いているのである。わずかに小気味よく、咀嚼しているのであった。心地よく感じるほどだ。そこまで、美味しそうな表情を見せながら食べてしまっては、俺はこれ以上何かを言えなくなってしまうのである。
 馬車は再び走り出す。彼らの音を背景に。俺たちはそれにゆられているのであった。少し遠ざかってもわずかな血の匂いが漂い続けているのである。ルイス兄さんは、にわかに気分が悪くなったようで、青ざめた顔をしていたが。まるで俺が悪いことでもしたみたいに睨み付けられてしまう。盗賊に出会ったとして、返り討ちにして殺してしまうということはよくある。これからも、ルイス兄さんの周りで、再び同じことが起きるとも限らないだろう。だったら、今から慣れなくてはならないといけないのではないだろうか。俺はそう思えてならない。
 俺は一切の罪悪感を感じていないし、それが普通だと思っているのだが、それに対し手兄さんは驚いたように目を開いているのである。俺にはそれが不思議でならなかった。この世界では当たり前ではないのだろうか。最近は違ってきているのか? 王都のルールはよくわからない。

「アランは、どうして、彼らを獣に食わせたんだ。あれは忘れられそうにない。夢に出てくることだろう。びっしりと脳裏に焼き付いて離れそうにないんだ。ただ死んだだけならば、何とでもなった。でも、あれを骨まで食わせるのはどうかと思う。想像してしまうんだ。同じ人間だからね。自分が食われてしまう姿を。そうなると、だめだ。体が震えてきてしまうんだよ」

 どうも、兄さんが心苦しんでいたのはそこだったらしい。たしかに、自分と同じ姿をしている生き物が食われる姿を見て興奮する人間などいないだろう。もしかしたら、次は自分が食われてしまうのではないか、という恐怖心が湧いてきてもおかしくはない。実際、兄さんはそうなっているわけである。自分の体が、ただの肉の塊であるかのように幻視してしまってもおかしくはないだろう。どうも俺は、そういうところが欠落してしまっているみたいである。なにせ、全くそういうことを考えなかったのだから。死んだ生き物の残された器は、所詮ただの肉でしかないだろう。俺はそうとしか考えられないのである。生き物として生きていた証拠は魂となり、彼岸へと渡ってしまうのだから。ならば、器に情など湧くことはないだろう。

「ごめんよ、兄さん。俺だって、彼らが肉を食うのを止めようとしたんだ。だけどさ、彼らだって腹が空いていて仕方がないと懇願してくるんだ。死んだ彼らを、思いやるべきか、今生きている彼らを思いやるべきか。非常に悩んださ。だけど、やっぱり、生きている彼らを優先してしまったんだ。おし負けてしまったんだ。実際に見ていただろう。彼らが喜んで肉を食べている姿を。きっと、死んでしまった彼らもそれを喜んでいるに違いないさ。だから、俺は食わせてしまったんだ」
「いやあ、まあ、うん。見ていたから、アランだって止めようとしていたのはわかるのだけれども。……ごめん、こっちもショッキングな映像を見たせいで、ちょっと苛立っていたみたいだ。謝るよ」

 兄さんは悪くないというのに、俺に頭を下げている。誰だって怒りをぶつける場所を適当に選んでしまうことはあるではないか。俺に八つ当たりしたのだとしても、少なくとも、今この瞬間ではいいではないか。ストレスをためてしまうことの方が、これから先でもっと大きな爆発となって表れてしまうことだろう。ならば、今ここで発散したっていいではないか。俺はそう思えてならないのであった。
 カイン兄さんは、その兄さんの様子を見ていて、肩をすくめた。ほんの少しだけであるが、口元が笑っているようである。兄さんも救いようがなさそうだ。俺の味方になってしまうらしい。それはダメだろう。少なくとも、今この状況ではルイス兄さんの価値観という奴が普通なのだというべきなのだから。だったら、この考えを改めなくてはならないので歯はないだろうか。
 俺はそんな悩みを解決することなく、心にどうろりと残したままに、今日泊まる町へとついた。俺たちは荷物をおろして、宿の中へと入っていく。受付には、女性が一人立っていた。少しぼさっとした頭が印象的である。半開きに開いている口からは絶えずぶつぶつと何か声をこぼしているのである。それがほんのわずかに不気味にも見えなくはない。少なくとも、ルーシィは俺の背後に隠れるようにしているのだから。俺たちはそこで部屋の鍵を受け取る。

「何をやらかしたのかねえ。今のあんたは、とっても臭うよ。血の臭い。シリアルキラーだってそこまで臭わせないねえ。それなのに、たったあれだけの道を通って、ここまでぷんぷんと臭わせているとはねえ。あんたは、獣か何かかい? わらわも、一時期は、やんちゃしたものだが、それに似ているねえ。いいや、それ以上かもしれないねえ。ほどほどにしといたほうが良いんじゃないのかね」

 俺は、その女性の顔を見る。にいっと頬を吊り上げてこちらを見ているのである。わざとらしく、尻尾を数本幻術を使って見せつけてきている。俺はそれにただ呆れるように息を吐き出した。いつの間に乗り移ってきたのだろうか。ずっと前から? それとも、今この瞬間だろうか。少なくとも、今の彼女の表情は、先ほどのような生きているだけの死体のような顔ではなく、扇情的にさえ映って見えるのである。

「お久しぶりですね。最近は、本体ご自身でこちらに来ませんね。何か用事でもあるのですか? お師匠様を探してはいないので? もう諦めてしまったのでしょうか。それなら、残念でなりません」
「いんや、鞍馬はわらわの本体の隣におるわ。だから、離れ離れにならんように、こうして、念だけを送ってあたりをうろつくのであろうよ。なにせ、本体がふらついている間に、どこかへ行ってしまうのでな。そうでなければ、こんな窮屈なことなんぞせんよ」

 台にもたれかかるように、九尾様はだらりと体の力を抜いている。貴族の前でこんな格好を見せれば、首が飛んでもやむなしなのだろうが、今この中身がどんな存在であるかと考えれば、むしろ、俺の方がしゃんと立っていないと、首が飛んでしまうのではとすら思えてならないのである。それだけに、俺と彼女の力関係ははっきりとしているのである。恐ろしさすらあるだろう。
 ただ、彼女は気にしていないだろう。面白おかしく思っているだろうに、ただ頬を吊り上げて笑うばかりであった。狡猾なキツネの面を見せるようにしている。心も身も震えるように、鳥肌が立っていた。
 九尾様たちは、どうもここ最近はよく一緒にいるらしく、昨日も無理やりにお師匠様を連れ出して、一緒に温泉へと入ったそうだ。仲睦まじそうでとてもいいことだろう。お師匠様がどんな顔をしているのかが俺には予想できてならないが、この予想が大外れであることを祈るとしよう。
 それから少しだけ話をして、部屋に入れば、兄さん二人が中にいる。馬車と同じ組合わせで部屋を分けているのであった。これに対して、部屋の外から腕を掴まれて、隣の部屋へと連れていかれてしまうところからみても、彼女たちは納得いかないそうだ。さすがに、ここしばらくは一緒に過ごすということが極端に少なかったからな。そうなるのもわからないではない。数か月もの間、ハルとルーシィの二人とは一緒の場所で寝たことがないのだから。どれだけの不満がたまっていることだろうか。
 じっと俺のことを見つめているハルは、がばっと俺を抱きしめる。思いっきり力いっぱいにである。ぎりぎりと体が悲鳴を上げているような気がしないでもないが、これが彼女の愛情の大きさであると考えれば、それだけ俺のことを愛してくれているという証明になるのである。ならば、これを俺は喜んで受け入れるのは当然なのである。それ以外の選択などあるはずもないだろう。
 それを羨ましがって見ているだけではないので、もう一人の婚約者であるルーシィも同じように今度は背後から抱きついてくる。骨が鳴っている。わずかに、命の危険というものが頭をよぎってしまうが、それで死ぬのであれば、俺は彼女たちの愛に答えられない軟弱な人間であったという話だ。俺はそんな惨めな死に方などしないという意思でもって、彼女たちの抱きつきに答えていくのである。
 その彼女たちの思いから解放されるのは、いつ頃なのだろうか。いいや、いつ頃などと終わりを望むことはない。解放されなくていいだろう。むしろ、されないほうこそ俺が望んでいることであると言えるだろう。絶対にそうだと言い切れるさ。静かに時間は流れていく。終わりすら感じさせないほどに、深く愛されているのだという実感が俺の奥底から湧き上がってくるのであった。

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