天の仙人様

海沼偲

第84話

 授業が始まって、いくばくかの時間が流れていった。今は昼食時であるから、食堂に全学年の生徒が集まり、それぞれ食事を楽しんでいる。俺の周囲にはいつもの三人が座っていた。俺の目の前にいるルーシィはなんとも、美味しそうに骨を食べているのであった。久しぶりにこの光景を見て、彼女がハイエナの獣人なのだと、思い出させてくれたものである。骨を食べることが出来るのなんて、彼女たちぐらいであろう。だが、骨を消化できるわけではないので、たまに、吐き出しているところを見たりはするが。彼女自身はそれを見られるのを極度に恥ずかしがるため、隠れてしているわけではあるが。
 この学年で主席の成績を持っているハルは俺の隣に座っていて、食事をとっているのだが、何かを警戒したようにあたりを見ている。落ち着いて食事をとれているようではなかった。彼女の警戒の先には角が生えている少女がいるのである。彼女は角の少女……ルイに対してはどの誰よりも警戒心をもって接していた。彼女たちは、どうもうまが合わないらしく、いつも喧嘩をしているように感じる。そのために、俺がいくら注意をしようとも、ハルは彼女に対する敵対心をなくすことはないし、むしろ、悲しんだような瞳でこちらを見てくるのである。もうどうしようもないのであった。だから俺は、静かに彼女たちのことを見ていることしかできなかった。諦めているともいえるだろう。だが、これはどうにかなることではないかとも思えていたのであった。
 今日の午後は、フィールドワークと言うべきか、王国が管理している山へとハイキングをしに行くこととなっている。とはいっても、ハイキングコースなどが整備されているということではない。班ごとに分かれて、山頂まで登ろうという授業である。危険な動物などが出ることはないし、命を落とすような危険な場所もない。ただ、足場が悪いため、非常に疲れるという山であった。先生も一応監視しているために、危険がないが、小さな子供にこんなことをさせるのはどうかとも思うが、これがこの世界の教育の一つであった。小さなころから、自然界で生き残る方法を叩き込んでいくのである。死がより近いからこその教えかもしれない。そのおかげであるかもしれないが、学校へ入ってからの死亡率は極端に少なくなる。
 この班分けは、くじ引きで行われる。そのため、男だけの班、女だけの班、混ざり合った班が生まれる。班の人数は三名となっているのだ。特待クラスだからこそ、人数を少なくしているようだ。他のクラスでは六名だったりするそうで。特待クラスは成績優秀だから、半分程度の人数で他のクラスと同じ程度になれるだろうという、考えがあるのだ。
 そうして、俺の班は、俺にハルとルイという、犬猿の仲の二人が一緒になってしまった。俺はただ笑うしかなかった。これはもう運命であろうと。試練に近い。この二人を取りなすことが俺の試練なのだ。神は俺に試練を与えるのが大好きなのではないかと思えてならなかった。神を試したことはないというのに、神は俺を試してくるらしい。
 彼女たちは、さっそくお互いに威嚇をしているように、牙をむき出しにしているのだが、小さな女の子がしているだけにとても愛らしく見えてしまう。とりあえずは、俺が班長ということで、話を進める。彼女のどちらかが班長になろうとすると、必ずバラバラになるだろうから、俺がやるのが最も適任であった。二人もそれには納得してくれたのだから、正しいだろうと思える。
 これは、助け合いを学ぶための授業としての思惑もあるだろう。だからこそ、少しでも彼女たちが仲良くなれればいいとは思っているが、そう簡単なことではないというのもよくわかっている。きっかけの一つでもできればいいのだ。俺は、あまり期待をしないように望むのである。今すぐに彼女たちが仲良くなる、または、この険悪な関係が少しでも改善する。そうなるのであれば、今の時期もこうして睨み合うことなんぞあるわけがないだろう。そういうことなのだから。
 スタートの位置は、班ごとにばらばらである。そのために、他の班と協力を最初からできないようにさせている。途中で出会った場合は、協力関係を結ぶことを否定はしないのだが、最初から協力されては、班の意味がないから。そうやって、スタート位置を分けるのであった。
 最初はなだらかな斜面なために、しっかりと足を踏みしめていれば、歩くのには問題がない。特に、俺たち二人にとってみれば、敵がいないという状況に置いて、警戒をする必要がないというのは非常に歩きやすいのであるから、ずんずんと奥へ進んでいくこともできた。だが、ルイはさすがにそうではないので、彼女のペースに合わせて歩くのであった。こういう、舗装されていない道、道というのすら怪しくはあるが、そういうところでは、経験の差というのは大きい。これは、俺たちの方が長くそういう道を歩いていたというだけの話である。

「……遅い。遅いよ。ちんたら歩いてないでさ、しっかりとして欲しいよね。敵に追われてたらと考えると、あなたを囮にして、私たち二人で逃げてもいいんだよ。これが、ただのハイキングだから、あなたをわざわざ待ってあげているというのに、急ぐ様子が見られないよね。悪いと思っていないのかしらね」
「だからなんなのかしらね。わたくしだって、これでもあなたたちに遅れないように急いでいるつもりなのです。その努力を無視して、遅いなどと。あなたには人としての情というものがないのですね。非常に冷血で残酷な人ですね。そんな人がよくもまあ、結婚だの婚約だの言い放つことが出来るものですね。尊敬しますよ」

 彼女たちはイライラとした様子でいる。俺は静かに、岩の上に座って、それを見ているだけである。今は少し歩いたところで休憩をしている。だから、口を動かす余裕が二人にあるのだ。ならば、ずっと歩きっぱなしにしておくべきかとも思ったが、そんなことをしたら、ルイが倒れるだろう。それの方がまずい。
 俺は魔法で水を生み出すと、それすらも疲れからか出来ていないルイに分けてあげるのである。羨ましそうにハルが見ているわけだが、ここでは、だからといって自分も要求してはいけないのだと、わかっているために、それを見るばかりにとどめているのである。そういう分別は聞くのだがと、俺はつい口元が緩んでしまう。

「ハル、気にしすぎだ。ルイを批判しようと無理にいろいろという必要はない。協力はとても難しいのはわかる。ハルの気持ちもわかっているつもりだ。だからといって、負の方向でルイに絡んでも無駄に疲れるだけだぞ」
「わかっているもん。でも、でも……」

 彼女は、ルイに対して警戒しすぎなのだ。そんなに警戒心をむき出しsにする必要はないだろう。牽制なんて必要ないのだ。普通にしていればいいのに。何をそんなに恐れる必要があるのだと、問いかけたくなってきてしまう。
 彼女が恐れている気持ちも、彼女自身を考えてみればわからなくはない。だが、今はその時代ではないだろうと、今のハルは、その当時のハルではないだろうと、思うのだが、自分の体に染みついた、価値観はどうやっても帰ることなんぞ出来ないだろう。難しいことなのであった。俺は頭を悩ませてしまうことだろう。眉間に指をおいて、もみほぐしていくのであるのだ。

「ルイが、ルイがハイキング中にアランのことを好きになったらと思うと心配で心配で。アランはかっこいいから、ルイは絶対、アランのことを好きになっちゃうんだよ。その時に、私が間に入って、アランのことを守ってあげないと、ルイに奪われちゃう。そんなの嫌だよ。嫌だ、嫌だ……」

 やはりそうなのだ。怯えているのだ。俺にはどうしようもないほどに心の奥底から湧き上がる恐怖に負けてしまっているのだ。これに対して俺はどんな手段も知らないと言えたのである。立ち止まってしまうことしか出来ないのである。どうしようもなかったとしか言えないのであった。虚しさすら感じるだろう。
 ルイはそれを見て、にいと目を細めるのである。それに対してもハルはわずかな怯えを見せるのだ。ハル程女性に対して恐怖を抱いている人はいないだろう。本性から出てきてしまっているのである。

「あらあら、ハルしゃんは、わたくしよりも魅力がないと自分で思っているようですね。アランしゃんは、ハルしゃんよりも、わたくしと一緒にいたいと思ってしまうのではないかと恐れているのでしょう。だから、そんなことばかりを考えて、怯えているのでしょう。みじめな人ですね」

 二人は再び、睨み合い始める。俺はハルの頭をなでることで何とか落ち着かせる。ルイも彼女のことをからかっているかのようであった。俺の胃に穴が開きそうだから、やめてほしいのだが、やめるつもりはないのだろう。
 そもそも、ハルも俺のことを美化しすぎだと思わないでもない。俺がルイに惚れることはあるだろう。というか、ルイのことも当然愛しているのだから、ハルと同じような関係になる可能性があることに怯えるのはわかる。だが、ルイが俺のことを愛するようになるかといわれたら、そうは思えない。ハルは俺のことが好きなのだとしても、皆が、俺のことを好きになるわけではないのだから。自分が好きな人はみんなに好かれるというわけではないだろう。
 休憩は終わり、俺たちは再び山を登り始める。ここからは、段々と険しい道が現れてくる。俺たちなら何とかなっても、ルイでは少し難しい道だってある。当然、その時は、俺が先に登って、手を差し伸べる。それを握ってもらって俺が上から引っ張り上げるのだ。これが協力ということであろう。仲間を誰一人かけることなく、しっかりと、全員で登っていく。これが、この授業の意義である。俺は、それを実感しているのだ。
 だが、ハルは俺とルイが手を握ったことに不満があるようだった。だが、ハルがするかといえばそうではない。彼女の嫉妬深さには困ったものがあるのだが、そもそも、これを俺が愛してしまっているのだ。もし、彼女の嫉妬深さが罪であるのならば、それを受け入れている俺だって同罪なのだ。避難されるなら、俺たち二人であった。それでもかまわないと思っているからこそ、彼女の性格も含めて愛しているのだ。それは変わらない。どうしようもなかったのだ。

「羨ましいですね。ハルしゃんは。アランしゃんに愛してもらえているのですから。あの性格のままでも。下手したら、誰からも好かれなくなってもおかしくないというのに、あの性格を受け入れてくれるなんて羨ましいです。わたくしも、そういう人に愛されたいです。ずるいですよ、彼女は」

 むすっとした顔を見せている。俺は彼女のその顔を初めて見たかもしれない。新鮮な気持ちでそれを見ていたのである。

「ルイも、そんなことを思っていたんだね。全くそういうことは思っていないとさえ思っていた。ごめんよ。そんな女の子だと勝手に勘違いしてしまって」
「別に構いませんよ。そういう表情をあまりン見せてこなかったというのも事実でありますし。……わたくしも、彼女に嫉妬しているのかもしれません。素敵な人に愛されているだけでも羨ましいというのに、それを独占したがっているのだから。わたくしにも、分けてくれたっていいでしょうに。……はあ、醜いですね」

 彼女は、唇を尖らせていた。俺は、わずかに彼女に手を伸ばそうとするが、やめた。彼女には何もしなかった。少なくとも、彼女から求められない限りはしてはいけないのである。それが、俺がハルに対する愛の表現なのだ。

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