天の仙人様

海沼偲

第66話

 森の奥、さらに奥から気配を感じている。獣や鳥といったたぐいの気配ではなかった。人間の気配がするのだ。頭の片隅にちくちくと、そういったものが渦巻いており、気にならずにはいられない。今まではなかったのだ。ということは、つい最近にこの森に入ってきたということ。しかも、居座っている様子まであるわけである。
 ゆっくりと景色を楽しみながら歩いているようでは、昼までに帰ってくることなどできないので、駆け足気味に気配の元へと近寄っていくのだ。それにハルたちもついてきている。その気配は今までに感じたこともない程にむかむかとした不快感をまき散らしているのだから、すぐさまなくしたいと思ってしまうのも仕方のないことであった。
 木々の間をするすると避けながら駆けていく。この森でわからないことなどない。そうと言い切れる自信があるのだ。だんだんと、大きな気配を感じてきている。人がたくさんいるのだろう。数十人程度の規模であるが、俺たちから見れば大きな集団といっても差し支えない程である。
 ここで気配を消していく。もうすぐそばまで来ている。耳をすませばかすかに人の声が聞こえるのだ。だから、静かに息を殺していく必要があるのだ。気を外に漏らさないように内側へと押し込めていく。気配がより希薄になっていく。存在が薄れていくように錯覚するのだ。隣にいるのにも、しっかりと目を向けて、凝らして見なくては気づかないことだってある。そこまでの技術はないので、近くにいる時に見られたら気づかれてしまうのだが。
 俺たちは木に登り、飛び移って近づく。軽やかに飛び跳ねて、音など出すことなく進んでいくのだ。ふんわりとした動きに近い。そして、しっかりと確認ができる距離までたどり着いたのである。話し声も聞こえるし、彼らの姿もしっかりと、隅々まで見ることが出来る。俺たちはその光景をみて、正確にはその光景が発する匂いを嗅いで、顔をゆがませてしまったのである。
 彼らは、一目見るとまるで浮浪者かと疑いたくなるようなひどく汚い姿であった。おそらく、何日、何か月、何年もの期間、水浴びすらしていないのだろうということがわかる。どれほどの不精ものかと怒鳴り散らしたくなる。それだけのひどい惨状である。そのせいか、鼻がひん曲がっているのだろうか、近くにいる腐った獣の死骸すらもなんてことないように生活している。原始人よりもひどい生活を送っているのではないかと心配してしまうのだ。いや、原始人ですらもう少し綺麗好きかもしれないとさえ、思えた。それほどに薄汚いのである。
 しかし、着ているものは、そこまで汚くはない。ある程度手入れされているのがわかるのだ。命を守るためであろう。剣もしっかりと手入れしているのだろうと思う程度には刃こぼれなどの類が確認できていない。剣が折れたら、死ぬからな。そうならないように身に付ける物だけはしっかりとされていた。だが、その姿はバラバラであり、統一性というものの一切がなかった。だったら、体も清潔にすることは出来るだろうと思いたくもなるが、思えば、このような不快なにおいで敵の集中を阻害できるのならば、それはそれで有用な戦術だと思ったのだ。それならば、この不潔極まる体でも納得は出来る。
 おそらく、盗賊といったものに準ずる何かなのだろう。この近くに現れるとは思っていなかった。たしかに、このあたりは田舎だから潜むにはちょうどいいのかもしれない。潜むだけならば、俺はこの場を立ち去ろうと思っている。だが、そんなことがあり得るだろうか。あり得ないだろう。近くの村を襲うだろう。聞こえてくる話声も、俺たちの村を襲う計画のものがたまにあったりする。つまりは、いずれ俺たちと敵対することがあるというわけである。それならば、今敵対しても変わらないだろうな。俺は残念だった。彼らを殺すことになるだろうという予想が。だが、どうしようもないことなのだと、納得して、静かに笑みを浮かべる。笑顔でいることで、納得いかない部分は消していくのだ。飲み込むとも言っていい。
 俺は、彼女たちにその場で動かないように指示を出して、少し遠ざかって、彼女たちから盗賊を挟んで反対側に回り込んだ。そうすれば、よっぽどのことがない限り彼女たちが見つかることはないだろう。
 俺は盗賊の目の前に堂々と出ていく。最終確認のようなものである。敵対するのかどうかということを確認するのである。妄言で襲撃計画をたてていたのに、勘違いされて殺されたのならば、かわいそうであろう。俺の最後の慈悲であると言えるだろう。できれば、これで何もなければいいと思って仕方がないのである。ただの浮浪者の集団であってくれと思ってしまっているのだ。
 笑いながら盗賊の一人の前に出る。突然草むらをかき分けて、俺が現れたことで驚いているようであった。しかし、それを前にしても俺は笑顔を絶やすことなどしない。ひどい臭いはこちらに来る前に魔法で吹き飛ばしている。ただの風だ。だから、警戒はされていない。

「な、何だ坊主? どこからここへ来たんだ。全く気が付かなかったぞ。それに、何をしに来たんだ?」

 こんなところにいる、子供が笑いながらこちらを見ているということに対して、何かしら思うことがあるようだ。つっかえたように話しかけてくるのだ。とりあえず会話をしてみようと試みているのだから、悪と切り捨てられるような人間ではないのだろうかと思う。

「おじちゃん、ご飯ちょうだい。ご飯。ぼく、最近お腹が減って仕方がなくてさ。何か食べるものが欲しいんだ。おじちゃんたちに、美味しいものは期待できないからさ、別にまずくても我慢するよ」

 俺は両手を前に出して、ご飯をねだってみる。笑みを絶やすことはしない。しかし、盗賊の男は何かに怯えているようであり、その場から逃げてしまった。残念である。俺はつまらなそうに溜息を吐いてしまう。
 すると、背後から敵意を感じ、振り向きざまに裏拳を繰り出す。それは膝にあった。明らかに健常な人間が曲げられる。そして、勢いをそのままに体を打ち付けるようにして倒れてしまう。膝のあたりからは布が破れており、わずかながらに白い硬そうなものが飛び出ていた。そこから大げさに血が噴き出してしまっているのである。あまりにも強くしてしまったと反省する。

「ぐ、う、いてえええええ!」

 男は叫び声をあげるが、俺は気にせずに、近寄る。すると、痛みをこらえるように苦悶の表情を浮かべながらふらふらとした筋ではあるが、剣を振ってくるのである。その線は俺の首のあたりに来ているのだ。つまりは、俺を殺すための剣であるということだった。俺に対する恐怖から、俺を殺さなくちゃいけないと思ったのだろう。殺したいという思いが俺にぶつけられているということを実感している。殺すために殺すという意思のままに剣は俺に飛んできている。だが、俺は避ける。その程度では殺せない。

「素敵ですね。その殺意は。しかし、殺そうとしたのならば、あなたは死ぬことも受け入れなくてはなりません。殺すということは同時に殺されることもあるということなのです。生きるにはお互いが殺し殺される関係を常に持ち続けなくてはいけない。だからこそ、あなたの殺意は俺の殺意を生み出してしまう。だから、一思いに殺してあげましょう。傷みなく、静かに。安らかに逝けるようにね」

 俺は、剣を持っている腕を踏みつけてへし折ると、そのまま胸に拳をねじ込ませる。心臓へと届いた。どくどくと脈打っているものが破裂する音が俺の耳にも届いたのである。その瞬間には男は血を吐いて動かなくなってしまった。俺はその場に咲いていた花を一輪、摘み取って男の胸の上に置いた。
 俺は目を閉じて祈る。彼が安らかに向こうへと向かうことを。どんな悪人でも善人でも、死は平等に訪れる。ならば、俺が彼らに対して、安らかにあの世に行けることを祈ってもいいだろう。閻魔様が地獄に落とすか天国に行かせるかは、わからないが、彼岸へ渡ることができるように祈りをささげることは大事なのである。
 男は恐怖の表情のまま死んでいるのだ。これではだめだろう。形を整える。顔つきを安らかなものへと帰るのだ。優しい顔つきにして、死を受け入れる菩薩のような顔である。これがまた美しいのである。死に顔の美であった。とても愛おしく感じる顔つきであった。死に顔が醜いと、とても悲しいだろう。
 それが終わるときには、俺は囲まれていた。みんなして俺に剣を向けている。俺はそれを見て笑みを浮かべるのである。それに彼らはひるんでしまう。なぜ、戦場で笑みを浮かべてはならないのか。愛おしいものが戦場にないとは限らないだろう。俺は、死にたくないと、生きていたいと、殺さなくてはと、そういう感情を見るのが好きなのだ。愛しているのだ。人間の生の執着を見ることに喜びを覚えないものはいないだろう。

「あなたたちは、今まさに俺に剣を向けているのですから、殺すつもりであるということと受け取っても構わないですよね? それならば、俺だって死にたくないので、あなたたちを殺そうとしても構いませんよね? ああ、安心してください。あなたたちの魂は黄泉へと行き、肉体は土へと帰るのです。自然の一つとしてあなたは存在し続けることが出来るのです。恐れる必要はありませんよ。自然の一部となって、巡り巡って、多くの生き物の糧となることが出来るのです。とても美しいことだと思いませんか?」

 しかし、それではだめなのだ。死を恐れなくなった人間ほど虚しいものはない。死に対して恐怖し抗おうとするから美しいのだから。
 彼らは、恐怖に負けて俺に襲い掛かる。美しいものだった。彼らの生きざまを決して忘れてはいけないと思うのである。たとえどれほどまでに悪徳に染まっていようとも、彼らを愛し、彼らを想うことが大切なことであるのだ。
 俺は、死んでいる男から剣を取り、一人一人と斬り殺していく。悲鳴を上げて、苦しむことなく、綺麗に殺しているのだ。彼らが現世から解放されるのに苦痛など必要ないのだ。必要なのは慈悲と思い切りのいい介錯と、愛である。そのすべてを俺が与えよう。だから、すべてを預けて俺に殺されるのだ。神に感謝をするといい。天の使いが、優しく死を送り、安らかな眠りにつけるよう手配をしているのだから。死を恐れることは大切であるが、今このときでは、安らかな死を与えられることを喜ぶべき状況なのである。綺麗に死ねるように愛によって殺しているのだから。
 数が多いからか、ハルたちも参戦してきた。しっかりと、綺麗に殺してくれることを祈る。苦しみなど与える必要はないのだ。綺麗に、苦なしに死を与えるのである。それが生の美を見せてくれる彼らに対する礼儀であるのだから。
 最後の一人はあっけないものであった。命乞いをしていた。生きたいという、死にたくないという思いの爆発が、力が、俺の心にしっかりと刻まれているのだ。とても心地よく美しく、素晴らしいものであった。その光景をじっと焼き付けて忘れないように深く深く刻み付けていくべきなのだと理解したのだ。しっかりと、目に焼き付ける。忘れないようにと。そして、その美しさを、その歓喜の美を壊すことなく綺麗に切り取ってあげるのだ。美しい瞬間であった。首が跳ね、宙を舞いながら命の灯火が消えていく虚しさがある。それがとても美しいのであった。
 俺たちは、彼らの亡骸を綺麗に一列に並べて、順番に弔っていく。俺は彼らが快く冥府の門をくぐれるように最後まで手助けをするのだ。装飾品ごと、穴の中に綺麗に埋めていく。これで、彼らは再び自然へと帰るのだ。じっくりと、年月をかけて。そのはるか先の気の遠くなるような未来を、想い偲んでいるだけで、心が温かくなるのだ。
 俺は、手を合わせると、彼らの冥福を祈るのであった。彼らが安らかに閻魔様の元へ向かえるように、心から祈るのである。俺が彼らにできる最後の愛情であった。

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