天の仙人様

海沼偲

第56話

 それからしばらく、アリスは一人でいる時なんかにたまに聞こえる鈴の音に話しかけていたらしい。どういうわけかはわからないだろうが、俺の言うことだからと一生懸命聞いてくれるのは嬉しかったが、これで何も進展がなければかわいそうなことをしてしまったと申し訳ない気持ちになることだっただろう。
 俺はソファに座っているアリスをちらりと見てみる。そこには笑顔を振りまきながら明後日の方を向いて何かに話している姿があった。独り言ではない。誰かと会話をしているようなものだ。実際には会話をしているのだろう。なにせ、視線の先には精霊が漂っているのだから。
 しかし、精霊が見えている俺たち三人は何とも思わないが、見えない人たちにとってみれば、アリスの言動は相当いかれていると思うことだろう。これでは、嫁の貰い手など永遠に来なのではないかとすら思えてくる。別のことで申し訳なく思っているのだ。深く考えずに、提案してしまったのは、俺の落ち度であろう。
 父さんたちは、アリスの様子に相当頭を悩ませているようであった。当たり前であろうな。それほどまでに分からないものというのは恐ろしい。それが、目の前に存在しているのだ。サラ母さんの体調がよくなってきたというところで、この事態であるのだから、やつれてきてしまうのも無理はあるまい。お医者様に見せたそうだが、一切原因がわからないということで、匙を投げるほどであった。まあ、精霊が見えて、それと会話できるという話だからな。その結論にたどり着けるわけがないだろう。魔導師様以外にそれが出来たと言われる人間はいないのだから。いや、いたとしても本人がその力に気づくことがないか。実際、アリスも言われるまでは特に思ってもいなかったようだしな。
 俺は、この出来事を引き起こしてしまった張本人として、どうするべきかと頭を抱えることもある。だが、それ以上に、アリスの才能を見出してそれを教えてやれたことに対する喜びの方が大きい。やはり、才能は隠されたままではいけないのだ。自分自身でも他人からでも、見つけてもらえる方が良いのだ。だから、俺は後悔はしない。そうと心に決めたのである。

「アリス、精霊さんと何をお話ししているんだい?」

 それに、俺は見えているから、アリスのことに対して不気味に思って、悩んだりはしない。ただ、そこにいる存在と会話をしているだけなのだから。ただ、何を話しているのかは一切わからない。それだけが不便だと思うだけである。それがひどくもどかしい。俺には絶対にわからないのだ。アリスに通訳してもらいながら話したこともあるが、それでもわからなかった。表現が独特なのだ。
『くぉるりまらんな水に溺れるキリギリスを吊り上げるカメレオンの目の中には宇宙が広がっており、そこに入り込めればカマキリとの愛情が芽生えましょう。きゅるりまんとした缶詰を足の指で開くのです。ぱらぷりるは線の先の点の向こうへと全力で後退していくのです』
 精霊との会話の内容である。しかし、それがどうもアリスの頭にはしっかりとしたした意味を持って伝わっているらしい。ジャミングがかかっているのだろうと納得するしかなかったのである。俺は、諦めることしかできないことを悔やんだ。
 俺は、アリスの隣に座った。すると、アリスからわずかに漏れ出す聖気が体に触れて、だんだんと心が晴れるような気がしてくる。正直、毎日聖域に顔を出している俺に効いているのかはわからないが、気持ちの問題としてそう感じるのだ。
 そう、精霊がアリスの周りで活動できるのは、アリス自身が聖気を発しているからなのだ。妖精ならば、この程度の聖気では活動できないだろうが、精霊ならばいける。だからこそ、精霊がここにあり続けることが出来るのだろう。その絶妙な聖気の量に対して俺はある意味では感心していた。

「お兄さま。今はこの子とこの村のことについてお話していたのです。この子は、生まれたばかりらしくて、この村のこともよくわかっていないそうなので教えていました。《だよね?》」
「―――――」

 アリスが、魔導言語で話しかけると、それにちりんちりんと鈴の音で相槌をうつ。精霊との会話には魔導言語が必要らしいので、俺も試しに話しかけてみたが、会話は成立しなかった。これは、先天性のものだということで納得した。しかし、それは仕方のないことである。たとえ、聞き取れても先ほどの内容が入ってくるだけだ。
 そのあとも、しばらくアリスと精霊は楽しく会話を続けていると、父さんが俺に向けて手招きをしているので、そちらへと向かう。だいたい、何の用事かはわかるが。

「……アラン。アリスがああなった原因はわかるか?」

 父さんは単刀直入に聞いてきた。それほど切羽詰まっているのだろうか。相当に精神が疲労しているのだろうということが分かった。俺も、父さんたちがこの程度のことで変に疲れているのは忍びないと思うわけだ。

「ええっと……アリスは精霊が見えているし、精霊とお話が出来るみたいだよ。だから、アリスは精霊とお話をしているだけ」
「はあ? 精霊とお話し? そんなことがあり得るのか?」

 父さんが呆れたような顔を見せている。確かに、自分の娘が魔導師様と同じような能力を持っているというのはそうそう簡単に信じられるようなものではない。俺だって父さんと同じ立場なら信じられるとは思わないだろう。それはどうしようもないことでもある。

「実際にそうだしね。アリスも精霊と話をしているといっているんだし。それが嘘だったらもうわからないよ。それに、魔導師様だって、精霊と会話が出来たから今の魔法技術が出来たって本に書いてあったよ。魔導師様と同じ力をアリスが持っていたというだけじゃないの?」

 だが俺は、驚くことでもないというように、話した。まるで、大したことでもないように、セミの抜け殻でも見つけたかのような淡々とした話し方をしていたおかげか、父さんは気に病んでいるのがバカバカしいというような態度を見せている。眉間に指を押し当てながら、息を吐き出している。

「そうか。そうなんだな。まあ、アリスと話をしてみるよ。アランの言うことを否定するわけじゃないが、俺も実際に聞いてみないとわからんからな」

 そうぼやくと、アリスの方へと向かっていった。これで、変に気に病むことをやめてくれると嬉しい。なにせ、アリスがこうなったのは俺の責任も少しはあるわけだからな。そのせいで不安に思っていると、俺は悲しいのだ。俺はそう思いながら部屋を後にするのである。
 その後、アリスが話している相手は精霊なのだという結論に落ち着いた。むしろ、それが一番精神的な負担の少ない落としどころでもあった。だから、両親たちはみんな納得していた。これで、母さんがストレスで病気を再発してしまうという危険が排除できた。俺は、嬉しく思い、うんうんと頷いていた。

「アリス、精霊の力を使って何か魔法は使えないのか?」

 確かに、魔導師様は精霊の力を借りて、多くの魔法を発現させており、なかでも、海を割ったり、森を生やしたり、火山を噴火させたり、地割れを閉じたり、隕石を破壊したりと恐ろしいことを行ったという伝説がある。これも全て英雄譚に書かれており、アリスも魔導師様と同じようなことが出来るのではないかと思うのは至極当然のことであった。だが、この場でそれをやられたら困ることになってしまうので遠慮してほしいが。

「ううん、精霊さんは生まれたばかりで弱いから、力を貸してあげられないって言っていたの。それに、わたしの魔力が少ないから貸しても使いこなせないって……。ごめんなさい、お父さま」
「そうか、わかった。じゃあ、精霊さんの力を使いこなせるように魔法の練習を頑張らないとな」
「はい!」

 最初は、精霊の力が使えないからと落ち込んでいる様子を見せていたが、父さんが優しくフォローしてくれたおかげで、普段の明るい姿に戻ってくれた。アリスの元気がないと、俺たちも寂しいからな。やはり、妹には明るくいてもらいたいものだと思わざるを得ないのである。
 それからは、父さんたちも一生懸命にアリスに魔法を教えるようになった。やはり、自分の娘が魔導師様のような才能があるのだと思うと喜びの感情が抑えられないのだろう。あれやこれやと何でもかんでも教えようとしており、それを聞いたアリスがパンクしかけている。魔法の才能はルイス兄さん、もしかしたらそれ以上の可能性はあるのだが、いかんせん、頭の作るでは兄さんの方が一つ二つ、三つぐらいは上なのだ。ルイス兄さんならできるであろうことでも、アリスが出来るとは限らない。それを鑑みないで何でもかんでも教え込もうとするのはダメだろう。実際に、使用人にも怒られている姿を見た。使用人たちも、雇い主の行動に非があるのならば、注意をすることが出来るのだ。
 今では、ゆっくりと、アリスのペースでもって魔法の特訓が行われている。しかし、アリスもまだまだ子供だ。魔法なんかやらないで遊んでいたいと思うことはあるだろう。そういう時には、俺たち兄弟や、俺の婚約者であるハルたちが一緒に遊んであげるのだ。才能があろうが、なかろうが、俺の妹であることは変わりがないというのもまた事実。愛する家族の一人なのだから。
 そういうこともあってか、アリスはのびのびと魔法の訓練が出来ているのである。だからか、魔法の技術もだんだんと向上していく。その速度は目を見張るものがあった。ルイス兄さんを追い抜かすほどのものであったと言えるだろう。

「お兄さま、お兄さま! 見てください! 《土と水よ》」

 アリスが俺の前に来て、呪文を唱えると、泥がアリスの目の前に出現した。そして、それを動かして形作っていくと、泥人形が生まれたのである。しかもそれで終わりではなく、それは動き出すのだ。これは、俺にはまだまだできない。というか、出来るのか? それほどまでに、緻密で規則だった美しい魔力の操作が必要なのだ。俺の扱いではまだまだ歪である。それを実感しているのだ。

「すごいな、アリス!」
「えへへ」

 俺は、アリスの頭を思いっきり撫でた。それにまんざらでもない様子を見せるアリスであった。

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