天の仙人様

海沼偲

第45話 しばし別れと出会い

 春、ルイス兄さんと、父さん、ケイト母さんの三人に、使用人がついていって、王都へと向かっていった。護衛の兵士も何人か連れていく。馬車は列をなしてカラカラと遠くへと消えていく。今日は霧が濃い日であったために、余計に不穏に見えて仕方がない。すうと消え去っていくかのように、前の車から見えなくなっていくわけであった。
 とうとう、ルイス兄さんが、学校へ通う時期が来たのだ。これから、父さんたちは帰ってくるが、ルイス兄さんは帰ってこない。一人いなくなるというのは寂しいものだ。それまで、確かに俺たちの中に存在していた人が一人消えてしまうのだから。死ぬわけではなく、ただ、遠くへと行くだけなのに。同じ空の下で生きているというのに。それでありながら、変に感傷的になってしまうのであった。俺たちは、じっと、馬車の姿を見続けていたのだ。見えなくなってからも、しばらく。

「行っちゃったな……」
「そうだね、兄さん。男が二人になっちゃったよ。父さんもいれたら三人か。それだけのわずかな数になってしまった」
「ルイス兄さんは寂しいかな? ホームシックになって、成績が振るわなかったりしてな。そうしたらオレたちで笑ってやるとしようか」
「どうだろうね。一人でも本さえあれば生きていけるでしょ。だから、寂しくはないんじゃない。もしかしたら、俺たちにボコボコにされなくなるから喜んでいるかもしれない。そういう人だよ、兄さんは」
「ああ、そうか。オレがいつもボコボコにしてたもんな。でも、あれは兄さんが修練をさぼっていたせいなんだからな」
「兄さんは別にさぼっていたわけではないと思うけどね。死ぬほど、兄さんと戦うのが億劫だったというだけでさ」

 俺たちは、草原で剣を合わせながら、そんなことを話していた。次の日のことであった。しみじみと、振り返っているのだ。カイン兄さんが特にである。昨日も、何度もその話を蒸し返してきて、面倒になるほどである。ルイス兄さんがいなくなったことへの感傷など吹き飛んでしまうところである。ただ、それだけ兄さんにとって、ルイス兄さんがいなくなってしまったということは非常に大きいことなのだということだけはわかる。その寂しさをごまかしているだけに過ぎない。いなくなって初めてわかるということもあるだろうが、カイン兄さんは思い切り兄さん子であったということだろう。ルイス兄さんからすれば、恐ろしい事には間違いないだろうが。
 しばらく剣を打ち合い、カイン兄さんが疲労で立ち上がれなくなる限界まで行ったところで切り上げる。今までルイス兄さんとばかり戦っているせいで、鈍っているのではないだろうか。格下の相手とでは、自分の技術が上がることはないのだ。そのせいでか、あんまり強いとは思えなかった。それとも、剣に自身の揺らぐ感情が乗っかってしまっているのか。どちらにせよ、今の兄さん打ち合いをしたとしても、一切の収穫はないだろうということは確実である。

「アランってこんなに強かったっけ?」
「まあ、ルイス兄さんとばかり戦っている人に簡単に負けるような修練を積んでいるわけではないからね。むしろ、負けてしまうようでは俺の努力がすべて才能の一言で踏みつぶされてしまうまであり得るだろうからね。それだけは絶対に阻止しなければならないさ」

 煽っているようにも見えるが、カイン兄さんに対してはこれが正解であった。負けず嫌いな性格をついた対応ともいえるのだ。これはルイス兄さんにも通用する。兄さん二人は、仲良く負けず嫌いな性格であるのだった。そのおかげで、特訓には飽きることがないが。たとえ一度勝つことが出来たとしても、それ以上の努力でもってまた負けてしまう。それが非常に好ましいのだ。絶対的勝者はこの中に存在しないというのがたまらなく好きなのだ。
 俺の顔はふと緩んでしまっていたことだろう。俺はそれを隠すように、ごまかすように手を口元に置いて、考え込むような仕草を取っている。一切目元を笑わせないようにしながら、ゆっくりと、緩んでしまった口元を修正していく。引き締めなくてはならない。だが、その努力のおかげで、兄さんは気づいている様子は見られない。ほっと、息をつく。

「あー、くそ。そういうことか。……そうだ、じゃあ剣が強い友人でも作るか。そして、そいつと訓練を積んでいくんだ。そうすれば、アランに負けるっていうこともなくなるんじゃないか? かなりの名案じゃあないかこれは」

 カイン兄さんが思いついた案は、あまりにも荒唐無稽なものであった。不可能だと一蹴するのがそれほど簡単なのである。しかし、それではだめだろう。今まさに思い立った人に対して無理であると突きつけることはあまり好ましくない。ほとんど無理であろうとも、まずは行動させる必要があるのだ。とはいえ、カイン兄さんより強くはなくても、そこそこの強さならばいるかもしれない。それすらもひどく低い確率でしかないのだが。いざとなったら、ルイス兄さんと同じように鍛えるしかないだろう。

「いるの? この村に。ただでさえ、兄さんは相当に強いんだから、納得するような人なんてめったなことじゃあ現れないと思うよ」
「さあ? でも、探してみなくちゃわからないだろう。ハンターを目指すなんてよくあることだろ。英雄物語でも、主人公はみんなハンターだからな。そこまでハンターに魅力を感じたことはないけれども」

 草原に、二人組の男の子が現れた。村の方からこちらへと歩いてきている。俺たちは、遠くからやってきている二人組にすぐに気が付いた。しかし、彼らは気づいている様子は見えない。そして、俺たちから少し距離が離れたところで、木の棒で打ち合いをしていた。その姿を見た、カイン兄さんは、口元をニッと釣りあげて、笑っている。俺は引きつった笑みを浮かべた。まるで、獲物を見つけた肉食獣である。これから彼らは捕食されるのだ。拷問にも等しいことを。明らかに実力差が違う少年たちは、一体どんな目にあわされるのかと、今すぐにでも目をつむって見なかったことにしたい。だが、それは許されない。俺の魂が許しはしないのだ。
 兄さんが合図を送る。ついてこいという合図を。俺はおとなしく従う。しなければならないだろう。音を出すことなく、しっかりと後をついていくわけであった。
 二人して気配を殺しながら少年たちに近づいていく。すぐ近くまで来ているというのに、彼らは気づいた様子を見せていない。あまりにも警戒心がなさすぎる。いや、このぐらいの歳ならば、それが普通なのだ。むしろ、俺ら兄弟が異常なのかもしれない。特に、カイン兄さん。
 カイン兄さんは前に、ルイス兄さんに不意打ちをいつでも仕掛けてきていいと言ったのだ。そのとおりに、一週間ぐらいはルイス兄さんは不意打ちを何度も仕掛けていた。しかし、そのすべてがカイン兄さんに当たることはなかった。それ以来、ルイス兄さんは不意打ちをするのをやめた。で、やめてしばらく経った頃に、俺が不意打ちを仕掛けてみた。なのだが、それを軽くいなされたことがある。それをされて以来、俺も不意打ちをやめた。どれほどの警戒をしながら家の中を歩いているのだと、叫びたくなったほどだ。お前の命を狙う人間などいないと言いたい。
 目と鼻の先に、少年二人がいる。ここまで来ているのに気づかないで、棒を叩きつけ合っているのだから、少々危険だとさすがに思い始めてきた。この平原は安全だとなっているが、危険な場所に変わってしまう可能性だってある。一応オオカミだって出る。めったに襲うことはないが、何かの拍子に襲い掛かってくることもあるだろう。尻尾を間違えて踏んでしまったせいで襲われたという事件はいくつかある。そうなったときに、最低限でも逃げられる程度の警戒心は持つべきではないかと、心配してしまうのだ。大人が駆けつけてくるまでに一分程度のタイムラグは確実にあるのだから。
 兄さんが、俺の目の前に指を三本立てる。二本になる。一本。全ての指がたたまれる。
 俺たちはすぐに飛び出して、少年の首筋に剣を当てる。その直後、少年たちはピクリとも動かなくなった。仕方ない、あえて殺気を漏らして、恐怖で動きを止めたのだ。そうしなければ、木剣で首を斬りつけてしまう可能性もあった。首が飛ぶほどの切れ味は存在しないが、だからといって痛みもわずかな傷も入らないわけではない。だからこその、脅しである。だったら、首に当てるなといいたくもなるのだが、癖である。首を斬るのが一番殺傷能力が高いのだから、その通りにしただけの話である。それに、あえて首筋に当てているという面もあるのだ。成長を促す意味でも必要な気がするのだ。

「それじゃあ、すぐに死ぬぞ。今起こった通りにな」

 静かに、腹の底から響かせるような思い声を少年二人に聞かせていく。脅すように、怖がらせるように、恐怖を植え付けていく。少年たちは言葉を出すこともできずに、目を見開いて固まるだけである。何もさせないとばかりの圧が、体を縛り付けているようであった。俺がわずかに漏らしている殺気のさらに倍を超えて彼らを恐怖に陥れるのであった。小さな少年は、あまりのことに失禁をしてしまっている。気づいていないようなので、素早く魔法を発現させて、乾燥させているわけだが。少し馬鹿らしくなってきたのは内緒の話だ。

「兄さん、それじゃあ友達なんて夢のまた夢だよ。それで、友達になれると本気で考えているわけじゃないよね?」
「え? あ、当り前だろ。今のは演技だ。それに、実際その通りのことを言っただけだからな。忠告だよ、忠告。そうでもしないと、危なっかしいとアランも思っただろう? そういうことだよ」
「あー、はいはい。そういうことにしておくよ」

 俺は、軽く話しているが、少年たちは涙目になりながらガタガタと体を震わせている。俺はさっと離れる。それにつられるように兄さんも離れる。そうして、少年たちの震えが治まるのを待つのだ。いつ治まるのかは知らないが。
 俺は、彼らの姿をなんとなく見つめていた。明らかに農民の息子であろうということが分かる、服装である。顔もあまりぱっとしない。ただ、醜い顔というわけではない。平凡な顔である。特別美しくも醜くもないというだけであった。だが、そういう顔はこの世界を生きていくうえで生きやすいということもまた事実であった。

「あ、あの……君たちは?」

 ようやく、震えが治まったらしい、少年の一人、身長の大きいほうが、俺たちに問いかけてきた。その程度まで回復できているようなら、安心だな。

「オレは、カイン=バルドラン。で、こいつが弟のアラン=バルドラン。気楽に、カインと、アランとでも呼んでくれ」

 俺は、口を開けた。驚愕した。失望した。それほどまでに、うちの兄がたわけだとは知らなかった。今この場で言うべき自己紹介ではなかった。状況が把握できていないのかと殴りたくなるほどだった。これでは、仲良くなるには相当な難易度になることは間違いないのだから。

「あ、あ、りょ……領主様の子供……。あ、あの、す、すみ、すみません。ゆるしてください」

 少年は、頭を下げて許しを乞い始める。震えたままであるもう一人も、素早く頭を地面につける。まるで、悪いことをしているかのような気分にさいなまれる。いや、実際にはこちらの方が悪いのだろう。なにせ、彼らは一切の罪がなく、むしろこちらが脅しているのだから。そう考えれば考えるほどにこちらの気分が悪くてしようがない。だが、そのそぶりを少しも見せることはしない。

「え! なんで! アラン、なんでだ! なんで謝るんだ? こいつらは何も悪いことをしていないぞ!」
「兄さん、いきなり襲われたんだよ。しかも、貴族の子供に。そうしたら、自分たちに身に覚えがなくても謝るだろうよ。だから、氏は明かさないほうがよかったのに、言っちゃうもんだから……」
「そんなのわかるわけないだろ! それに、そうなるってわかっていたら、アランも最初に止めろよ!」
「彼らに、命が狙われる恐怖、死ぬことの恐怖、自然に対する恐怖、それを教えるのにちょうどいいと思ったから、何も言わなかったんだよ。だとしたら、自分たちの身分を明かさないことが最重要じゃないか」
「あー、アラン。お前はいつもそうだ。生きている、死んでいる。それを教えてどうするのさ!」
「愛せるようになるのさ。全てを。その先には愛しかない。全てを乗り越えて愛にたどり着くことが出来る。であれば、それは皆が今すぐにでも知るべき重大な物事なわけだろう」
「道理で。だから、婚約者が二人もいるのか。オレには出来ないよ。そもそも、これから先にも出来るか怪しいしな」

 カイン兄さんは、呆れたように、首を振る。そうして、少年たちに向き直った。少年たちはいまだに頭を下げて許しを乞いてる。俺は、カイン兄さんに目線を合わせる。意味が通じたのか。諦めたような目を見せた。しかし、これは兄さんの責任だった。だから、やるべきなのだ。

「あー、大丈夫だ。頭を上げてくれ。俺たちは怒っていない。謝らせようというわけではない。お前たちは元から許されている。むしろ、オレらの方が悪いというまである」

 少年たちは、ゆっくりを頭を上げる。おそらく、年上と思われる少年が口を開いた。そこから出てくる声は大きく震えている。

「本当ですか? 僕たちは悪くない?」
「もちろんだ。ただ俺たちは、遊びたかっただけなんだ。一緒にな。……一緒に遊んでくれるか?」

 兄さんは、不安そうな声を出している。今まで、俺たちとしか遊んでこなかったからな。他の人に声をかけて断られる不安が体を駆け巡っているのだ。少年たちは目を合わせて頷いた。

「兄さん、彼らでいいの? 思った以上に弱いと思うけど?」

 俺が小声で、聞いてみると思いっきり睨まれてしまった。明らかに殺すつもりであったと言わざるをえない顔つきであった。俺は、一歩下がってにこりと笑みを作った。兄さんに向けてではない。目の前の少年たちである。少しずつ震えを抑えてもらえるように笑顔で接しているのである。

「よ、よろしくお願いします」
「本当か! ありがとう」

 兄さんの顔に笑みが戻る。俺たちも、それにつられるように、明るい顔に戻る。ようやく、友達のスタートラインにたった。そう思える瞬間であった。こういう時を大切にしていきたいと感じる。

「それで、何で遊ぶのでしょうか?」

 少年は、顔をうかがうように聞いてきた。このままでは、身分差が大きく障害になるだろうと思える。そういう対応をされたのだ。だが、今すぐには直せないだろう。貴族と平民というものはそういうものなのだから。

「ん? これだけど?」

 そう言って、兄さんが持ち上げたのは剣であった。木剣。少年たちの首筋に当てた木剣。少年たちの顔が青ざめたのは言うまでもないことであった。俺は、空に向かって息を吐いた。魂が抜け落ちるほどの重い息であった。

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