天の仙人様

海沼偲

第42話 半端な仙人

 この後も何度か確認することによって、ハルが俺だけではなく他の人の気力もしっかりと知覚できているということが分かった。そもそも、俺一人だけでも気の流れがわかるということは異常でしかないわけだが。もしかしたら、俺とハルとの愛の力によって感じ取れるようになってしまったのでは、という可能性はまったくなくなったということがわかったことは確かだが。
 いつ頃からそういうのがわかるようになっていたのか、聞いてみたのだが、だいたい俺の家に住むようになってからだそうだ。つまり、あんまり時間が経っていないということもあるが、その前に、ある特徴的な出来事があるというのも大きい。当然、ハルの姿が大きく変わったというところである。何が原因かは全くわからないが、あの出来事が起きたころから、ハルは他人の気を感じ取れるようになったと考えていいだろう。
 しかし、気の巡りを感じ取ることは出来ても、自分自身の気の流れを操ったり、外の気に関われたりということが出来るわけではないようである。仙人のようではあるが、仙人ではないという中途半端な位置にいることは間違いない。生まれてすぐのころの俺と同じ程度といえばいいだろうか。ハルは、そのことで俺と一緒だということに喜んでいるらしい。とても可愛らしいことである。
 しかし、この事態に対して、俺一人でどうすることもできないので、夜、皆が寝静まるまで待っていたのである。
 夜というのはそれだけで、生者の世界からは外れている。俺のような、生きていながら生きていないともいうような中途半端にも近いような存在にとっては、非常に、夜というのは気持ちがいいのだ。力がみなぎるということはないが、居心地がいい。生と死のしがらみから解放されているからこそなのだろう。二つの要素を持ち合わせることで、魂の悦びが増大しているように思う。
 夜深く、俺は庭へと足を運ぶ。草木も眠っているようで、しんと静まり返っており、俺の呼吸音しか、音といえるものはない。目を閉じたら、俺しか存在しない無の空間に存在するという錯覚を覚えるほどである。俺は胡坐をかいて座り、目を閉じ手を合わせる。祈りを込める。

「お師匠様。私に知恵を力を貸してください。悩みを、困惑を、不可思議を、恐れを、消し去るために力をお貸しください」

 正直なところ、これで来るのかといわれると、そうは思えない。前にも何度か呼び出せるかとやってみたことがあるが、そういうことは全くない。たまに来るが、たまに来ない。来たり来なかったりと、猫ほどに気まぐれだった。俺だからというわけではないだろう。お師匠様は忙しいのだから。どれほど忙しいのかは知らないが、少なくとも、俺の呼びかけにそう簡単に応じることは難しいはずである。
 ざりという草が踏まれたようなそんな音が聞こえた。何かが俺の近くに立っているようで気配を感じる。今誰もが寝静まっているこの瞬間において、誰かがいるのである。起きているのである。応えてくれたのだろうか。あまり、期待はしていなかったのだが、なんだかんだと、来てほしい時に来てくれるようである。ありがたいことだ。

「なんじゃ、お主」

 声が聞こえた。しかし、男の声ではない。女の声だった。予想から大きく外れてしまう声の主が、俺の近くに存在しているのであった。よくとおる、澄んだ声。しかし、その声の重みは俺の魂をわしづかみにして今にも握りつぶせるほどの力を持ち、俺を硬直させる。いつでも殺せると言わんばかりの圧倒的な格差をたった一声で、認識させる力を持っている。

「ああ、お師匠様の奥様でしたか。俺の近くに来たときには、もしかしたらお師匠様が来てくれたのかと思いましたが、そうではなかったようです。まさか、奥様が来てくださるとは」

 俺の目の前には、九尾の狐様が仁王立ちで立っていた。全くの別人が現れてしまった。これは予想だにしていない。俺は、軽く汗をかいた。威圧感というものか、それがあった。空気が震えているとはよく言ったものである。逃げているのだ。離れようと離れようと、大気の粒が慌てているのだ。それほどまでに……自然が恐怖を感じるほどに、目の前の存在の格が大きいということの表れなのだ。

「ふふ、お主はわかっておるの。たしかに、わらわが鞍馬の永遠の伴侶である。しっかりと、後世に伝えておくのじゃぞ。お主の子孫全てにおいて、この仲睦まじさを言い伝えて、いづれは伝記につづっておくというのも悪くはない。頼んじゃぞ」
「かしこまりました」

 俺は深く頭を下げた。彼女の対処は間違えていなかったようだ。しかし、これほど想われているというのに、お師匠様は何とも不甲斐ない。やはり、愛を知らないというだけのことはある。それだけ、仙人になる前は愛されなかったのだろうか。それとも、生まれながらに仙人以上の存在であったか。どういうものかはわからない。だが、お師匠様が愛を知らないということは事実であるのだ。

「して、今日は何用でしょうか?」

 そう、俺が呼んだのはお師匠様であり、彼女ではない。だから、なぜこの地に来たのかというのが不思議でならない。つい先ほどもやってきていたが、この地にはそれほど魅力的な場所はないと思うのだ。聖域があるが、あれなんて他にもあるだろう。この地にしか存在しないものではない。

「わらわたちに用は存在せぬ。生き、死に、生き、そしてまた死に。その繰り返しを眺め、気まぐれにうつつを渡り、人に恐れられ、敬われ……予定などなく、ただその日を優雅に過ごしていくのじゃな」
「……なんとなく、ここに来てみたということでしょうか」
「ああ、そうじゃな。おんしらにわかりやすいように、言うとしたらそうなるのじゃろうの。丑三つ時にこの地をゆうらりと歩くのじゃ。下駄をカランコロンと鳴らしながらの。傘でもさそう。今日は綺麗な月に星の雨。きっと、玉座に佇む女王よりも輝く。見てみたいとは思わんか?」
「ふん、童が雨の中を歩いている姿のどこに妖艶さがあるのだ。やんわりと、すらすらと、柳のような体を躍らせているほうが美しい。貴様のはただ品がない。鼻たれ小僧に情緒があると思うのか? 泥の船を屋形船だとほらを吹く大ウソつきよりもひどい話だ」

 俺の後ろから声が聞こえる。振り向くとそこにはお師匠様の姿がある。今日は気まぐれで来てくれたようだ。これは助かった。しかし、彼女がいるというのに、わざわざこちらへ来たというのはどういうことか。避けていると思ったのだが、案外そうではないのだろうか。前回もなんだかんだで、無理やり追いやったりはしていないようだったからな。それも、愛だと思うわけだが……お師匠様には伝わらないのだろう。
 狐様は、輝いたような顔を見せていることは確かだが、言葉に紛れるとげを感じていると、そう素直に喜べない。それを表すようにむすっとふくれたような顔を出しているわけである。

「ふん、女がわからないようじゃな。それだから愛もわからぬというものじゃ。だから、わらわが教えてやろうかの。すれば、女の機微もわかるものであろうよ」
「不思議、謎、迷い、秘密……こんなものを内包する姿に魅惑を感じるのはせいぜい娼婦のような女よ。妻になる女にそんなものはいらんというのがわからないようであるらしいな」
「わらわに、そういう女になってほしいということじゃな。では、今度からは努力するとしてみようかのう。そうすれば、お主もわらわの虜となり……永遠を誓い合う中になれそうじゃな」
「そういうわけではない。一般的に魅力的な女というものがどういうものかを教えてやろうという優しい心遣いだ。感謝しろよ。そうじゃなければ、小便臭いガキのおままごとにしかならなかったのだからな」

 まあ、お師匠様は愛を知らないというだけだからな。女を抱いたことがないというわけではない。たぶん。一夜限りだけの関係を結んだことはきっとあるに違いないだろう。その結果が、あの答えなのかね。どうなんだろうか。

「あ、そうです。お師匠様。ちょっと聞きたいことがあります。今日はそのために呼ばせていただいたのです」

 そうして、俺は無理やりにも軌道修正を試みる。そうでもしなければ、お師匠様たちの愛の語らいだけで夜が過ぎてしまう。それは非常にもったいないのだ。目的を達成できなければ、今この場に二人の大いなる存在を呼んだ意味がなくなってしまう。それだけはしてはいけないと、思うわけである。

「なんだ? 言うてみろ」
「あー、彼女を見てほしいのです。なんというか、気を感じられるのです。俺の気の動きをピタリと言い当てたのです。それ以外にも自然全ての気の流れを感じ取ることが出来ているそうです。どうやら、まだ巡らせることまでは出来ていないようではあるのですが」

 その言葉に、二人はピクリとまゆを動かした。お師匠様に眉があるかどうかはわからないが、目の動きでなんとなく察せられた。やはり、俺の思った通りに、そういう事態が起きることはまれなのだ。ひとりでにそういう技術を覚えられるようなものではない。肉体と精神の安定と統一のもとに初めてなされる技術である。生死を超えて知覚できるものなのだ。
 俺はお師匠様たちに家に上がってもらい、自室へと連れていく。扉を開けると、ハルとルーシィの二人はぐっすりと眠っている。俺たちは気配を完全に殺しているために、気配で起きてくることはないだろう。

「ふむ、確かに。あのエルフは面白い気の流れだな。仙人のようにゆらゆらとしている。しかし、仙人ではないらしい。面白いな。ここまでたどり着いたのだから、あともうひと押しが出来てもおかしくないのだが、出来ていない。ぎこちなさがとどまっている」

 入って一言、お師匠様はそういった。一目見ただけで、それだけわかるというのは、やはり、自分との格の違いを痛感させられてしまう。だが、そんなことに落ち込んでいるという事態ではないので、すぐに気持ちを戻すのである。

「いえ、彼女は元ゴブリンです。天龍様に名前付けてもらった、あの時のゴブリンでございます」
「ほう……なるほどなあ。やはりそうなのか。ならば、こうなるのも……ううむ。いや、それでも恐ろしい。彼女がそういうものだったとしか。彼女の天性の才がこういう結果として覚醒したのだというのが一番ありえる……」

 お師匠様は納得がいったようで、満足そうに顎を撫でていると思ったが、顔をゆがませて悩んでいるようにも見える。何か予想もしていないことが起きたような気がする。だが、それを同行できるわけでもないし、俺は静かにしているだけだ。そういうお師匠様にたいして、九尾は、驚いたような顔を見せていた。

「天龍様に名前をいただいただと……? なんたることじゃ。そんな、もの、わらわの生涯すべてを天龍様に捧げても足りない程の褒美であるぞ。そこらへんに歩いておるゴブリン程度がもらえるとは来世では確実に永遠に幸福を得られることはないだろうの」

 やはり、天龍様に名前をもらうということは、それほどに大きなことであるらしい。なんてもないかのように名前を与えるのだから、大したことないと勘違いをしてしまっていた。次に会ったら、しっかりと感謝の言葉を述べないといけないと、俺は決意した。

「まあ、どんなことがあろうとも、天龍様に名付けてもらったのだから、これだけの力をつけて当たり前であろう。アランよ。ハルとやらは、仙人への道をわずかながら登っておる」
「本当ですか?」
「ああ、本当だ。しかし、いまだ未熟。いや、仙人ですらない。始まりにすら至っていない。これは非常に惜しい。アランよ。ハルに仙術を教えてやってくれ」
「え? いや、それは構いませんが、私もまだ未熟者。ハルに仙術を教えられる立場ではないと思いますが」
「いいや、かまわん。仙術に終わりはない。どのあたりから仙術を扱えるかという決まりもない。それに、貴様は優れている。不老の段階までは、もうたどり着いている。なのであれば、教えることも無理ではあるまい。それに、仙人というものを外から見てみるのも悪くない。自分の内とだけ対話をしていても上達することは出来るまいよ。ならば、外の仙人と交わることが成長のコツというものだ」

 お師匠様の目つきは鋭く、俺はそれに呑まれそうであった。しかし、わずかな理性を働かせてもみるが、それでも、俺は師匠の提案を却下しようとは思わなかった。俺は納得させられているのだ。

「わかりました。絶対に、ハルを仙人にして見せましょう」

 俺の答えは意志を感じさせるほどにしっかりとした音を出していた。

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