天の仙人様

海沼偲

第23話 獣人の心

 夕方となり、夕食が出来るまでの間に俺はルーシィを家まで送り届けることになった。使用人が行ってもいいのだが、使用人に任せるというのもどうかと思い、俺が送り届けることにしたのである。友達を家に送るのに、使用人に任せるというのはなんとなく違うと思うだろう。
 俺たち二人は、赤く染まった帰り道を手をつないで歩いているのである。それは、誰が言うでもなく、いつの間にかつながっていたものだった。手と手の間には、少しばかり熱がこもってしまってはいるのだが、俺は、この小さな熱が好きだった。

「……ねえ」

 と、俺の隣を歩いていたルーシィは呼びかける。俺たちの足が止まる。ルーシィは下を向いていた。顔をうつむけたまま発せられたその声に俺は言いようもない力を感じた。腹の底から沸き起こる不気味な感情であった。

「どうした?」

 しかし、俺にはそれしか聞き返すことが出来ない。変なところをつついて地雷を踏んでしまうほうが危険なのだ。包み紙を破かないように丁寧に開けていくことと変わりがない慎重さが必要な気がした。だから、俺はあたりさわりのない返事を返しておくのである。そして、その言葉に反応するように彼の視線だけがこちらに向いているのである。じっと、見透かしてくるかのような目つきである。

「アリスって言ったっけ? 妹さんの名前」
「そうだな。それがどうしたんだ?」
「好き?」
「好きだよ」

 俺は何でもなく、すぐに答えた。そこまで頭を抱えるようなことでもない。家族のことが好きだというのに恥じらいなどないのだから。家督争いでどろどろの関係になっているようであるのならば、家族に対する愛情などは芽生えない可能性もあるが、俺の家ではそのようなことはない。ならば、堂々と言えるという話であろう。
 その答えに、ルーシィは何とも言えない表情を見せている。俺は本心で言っているつもりだし、それをしっかりと理解してほしいと思っているのだから、真っ直ぐに彼の目を見つめている。理解はしてくれたのだろうか。何やら一つ、頷いたのであった。彼の中では何かしらの納得に値する根拠が見つかったのだろう。

「でも、それがどうしたんだ? 突然聞いてきたりして」

 俺は逆に聞いてみることにする。先ほどのままごとでもそうだったが、ルーシィはアリスによく突っかかっていたのだ。たしかに、べたべたしすぎではあったが、その程度ならば、幼児であればよくあることだろう。そこまで向きになるほどではないような気もする。確かに、キスをしようとするのは看過できないが、それでなければ、まだかわいげがあるというものだ。

「いや、別に……」

 そっけなく答えると、手を握る力が強まった。俺も同じような力で握り返す。すると、もっと強く握り返してきた。獣人の力というものの強さを感じることが出来た。つまりは痛いということなわけだが、怒っているような気がしないでもないので、そのまま好きなようにさせておく。しばらくたてば、力が弱まる。満足したのか、それとも、申し訳なく思ったのか。そのどちらか。
 そうして、ルーシィの家に到着すると、手を離して近づいていく。俺はその後姿を何となしに見ていた。なんというか、寂しくなる。また会えるとは言っても、別れには感傷的になるだけの力があるのだから。

「……またね」

 その顔は夕焼けのせいか。赤く染まっていた。恥ずかしそうに手を小さく振っている。俺も同じように手を振り返す。俺は笑みを浮かべる。彼もまた同じように笑っている。何故だかそれが、たまらなく恥ずかしいことかのように思えた。

「またな」
「うん、また。またね。また遊ぼうね」
「そんなに言わなくてもわかってるって。明日も、明後日も、その次も、お互いが再開する限り、一緒に遊ぼうな。約束だ」
「うん!」

 扉の奥へと姿が消えた。俺はじっとそちらへ目を向けているが、満足して、家へと帰ることにした。
 ふと、視線を背後から感じたので振り返ってみると、そこにはドアから少しだけ覗かしてこちらを見ていたルーシィがいた。俺は手を振る。彼も同じように手を振り返す。完全に見えなくなるまで俺たちは手を振り合っていた。

 それからというもの、ルーシィは俺に対してべたべたとくっつくようになった。肩を寄せ合ったり、腕を組んだり、肩に頭を乗せたりということもあったか。草原へ出て、剣の訓練をしているときも、休憩中にいつも以上に近い距離で休憩をとるようになった。肌が触れ合う機会というものが恐ろしく増えてきているように思えてならないのである。そして、その視線を向けると、ごまかされるかのように笑顔を向けられる。ならばと俺も笑顔を向けるのだが、それだけで終わる。ただお互いを見つめ合っているだけの時間が過ぎていくのである。
 で、今は休憩中である。剣の訓練を先ほどまでしていたのだ。ルーシィはいずれ優秀なハンターとなり、世界をまたにかけるのを夢見ているのだ。その鍛錬は毎日やることでしか、向上することはないだろう。だから、毎日のように午後はルーシィと剣を鍛えているわけだ。最初のころよりも、より優れた剣の技術を獲得できているようで、少なくとも振り始めから速度の質が上がっている。構えが様になっている。様になるということは、それだけ体に叩き込ませているということでもある。
 休憩中の今は、俺の膝の上に頭を乗せている。顔をこちらに向けてじっと俺のことを見つめているわけである。少女のような愛らしい顔で見られると、俺も気が気ではないわけだが、ルーシィは自分で男であると言っているわけだし、俺は彼が男であると信じることしかできない。とは言うが、この世界ではホモセクシャルは別に偏見的な目で見られることはない。愛の一つの形としか見られることはないため、ルーシィがそちらの人間であるかもしれないわけだ。それならそうとして、俺はそれをやさしく受け入れる心はあるわけである。

「……アラン」

 彼は、一言呟くと俺の頬に手を触れる。俺はその手に触れる。その手は温かく柔らかく、ぬくもりを感じる物であった。お互いの熱が混ざり合う。ゆっくりと溶け合っている。一つになってしまうのではないかという錯覚に溺れてしまう。
 俺はチラリと彼に目を向ける。どうやら、同じことを考えていたようで視線が重なっている。彼しか見ることは出来ないほどに、惹きつけられてしまっている。そのまま、唇へと視線が向いてしまい、奪ってしまいたくなるが、彼は男であった。俺は問題なくても、彼には問題があるだろう。だから、俺はゆっくりと意識を戻していき、何でもないかのように振る舞う。ごまかすように笑みを浮かべるのである。彼もまた、同じように笑顔を作っている。

「……ルーシィの手、温かいな」
「うん、とっても温かい」

 俺は周囲を見てみるが、他には誰もいない。心臓の音がだんだんと大きくなっていくのを感じる。俺は、目の前にいる少年に発情しているのだろうか。それとも、恋心でも抱いているのだろうか。確実に愛情を持っているというのは間違いないのだが。これは、俺の肉体が幼児であるから、肉体に引っ張られているのかもしれない。本能というものは肉体が支配するものである。理性は精神が支配するもの。では、愛という感情はどちらが支配するものか。今の俺のルーシィに対する愛は本能が支配しているのかもしれない。絶対そうだろう。
 ……そういえば、俺はルーシィの変化について調べたのだった。彼がどうして、あまりにも突然に、俺に対してべたべたとくっついてくるようになったのか、気になったのである。これが、個人的なものであればわからないが、種族的なものであればわかるかもしれないという考えに至ったからである。
 獣人というのは、獣が進化をしていくことによって二足歩行を手に入れた種族であると言われている。そのためか、発情期というものが備わっている。で、幼児期や少年期に持発情期が存在し、その時には家族を覗いた中で最も親しい人物に対して、発情をするというのがあった。それに、男女の違いはなく、男が男に発情しても、女が女に発情してもおかしくはないというわけである。おそらく、性別の違いを深く認識するための器官がまだまだ未熟だからなのではないかと思っている。つまりは、彼のこの言動は俺に対して発情しているというわけである。すると、この行為全てがとても艶めかしく映って仕方ないのである。それに、ルーシィにとっては、俺が最も親しいと思ってくれているというのはとてもうれしく感じるものだ。
 それを思い出したおかげが、俺はすっと冷静になることが出来た。この興奮に身をゆだねたら、何をするかわかったものではない。なにせ、この感情は幼児期に特有のものだというだけなのだから。そこから、先へと進むことはあってはならないのである。それが、この時期の獣人との付き合い方なのだろう。
 俺は軽く頭をなでる。くすぐったそうに身を震わせている。とても可愛らしい。

「ふふ……」

 ルーシィは目を細めて俺を見つめていた。その視線は俺を舐めるようである。俺はなぜだか、寒気を感じてしまったのである。身震いしてしまう。まだまだ、夏の日差しは残っているというのにもかかわらず、秋風が吹いているのかと勘違いしてしまうほどである。

「まだ休憩するか?」
「うーん……もうちょっと。まだこうして、アランと一緒に休んでいたいかな。それに、今はまだ暑いし、無理に運動して倒れてしまっても困っちゃうからね」

 そう言って、俺の手をぎゅっと握る。俺はその体温に意識をとられる。獣人というのは、小さなころから誘惑的なのか。彼だけが例外なのか。それは俺にはわからない。しかし、だからといって、俺が彼を拒絶することがないというのは変わらない事実である。それほどに、俺たちの友情というものは固いものだということを確信していたのだ。
 俺たちは恋人のように寄り添い合っていた。そして、その関係性は発情期が終わるまでの期間続いていくのであるのだ。

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