クラウンクレイド
【クラウンクレイド NARKOSE】《N1-5・世界と番人》
N1-5
由比の必死の制止を無視して波留がその手にしている携帯電話の発信を押した。
なりふり構っていられないと、由比は咄嗟に彼女を押し倒す。そして波留が握っている携帯電話の発信を止めようとした。しかしそれを、異様な力で押しとどめられる。
「やっぱり由比が私のログアウトを邪魔していたのね!」
「違う、違うよ。今その携帯電話を使ったら!」
件の彼が死んでいた状況からして、由比は自身の仮説が正しいという自信があった。だからこそ、今その携帯電話を使ってはならないと。
しかし波留のログアウトを妨げているのは由比だと勘違いをし、必死に押し退けようとしてくる。地面に転がり互いの手首を抑えつけながらもみ合いになる。
「由比が邪魔していたんでしょう、ずっと」
「何を言ってるの、波留姉!」
「この世界はゲームなのよ! 私はこのゲームをプレイしているだけなの! でもこの世界からログアウト出来なくなった! でもやっと分かったわ!」
波留が由比の腹部に蹴り上げて、その衝撃に一瞬目の前が眩む。地面に転がった由比に対して波留は携帯電話を握りしめたまま叫ぶ。
「私がログアウトさせないようにしていたのは由比だったんでしょう! 携帯電話を隠したのもそのせい」
「違う、駄目だよ。波留姉、それは」
携帯電話の中に遺されていた情報が正しく、そして昨夜の状況を顧みるならば。
クラウンクレイドの軛を越える為に、件の彼とXは工作を行った。それはゲームの運用権限を持つリーベラの目を欺く為だった。だが、もしも。それが発見されていたならば。携帯電話を介して外部と通信している記録が「バレ」たならば。それはゲームにおいて重大な「エラー」になる。そしてリーベラはそれを許さない。ゲームにおける不正ツールとして扱われる筈で、当然対処する必要がある。そして祷茜という少女を守る事にも繋がる。
故に、その携帯電話の発信が感知されてしまったら。
「ひっ……!?」
波留が携帯電話を手にしたまま、その表情を青ざめたものに変えた。
それは突如、そこにいた。
まるで初めからそこにいたように。何の気配も音も立てず、それは存在していた。あり得ないことは分かっている。だが、それは何処かから急にやってきたわけでも近づいてきた訳でもない。まるで沸いて出たように存在したのだ。
体長2メートル近く、筋肉が激しく隆起している巨大な体躯。服の類は全て剥がれ落ちたのか、全身の肌が露出している。左胸に巨大化した心房が露出して脈打っていた。丸太の様に太く隆起した腕と、それを難なく支える肉体と姿勢。まるで石膏で作られた様な、現実離れした姿。
見た事のない、屈強な体躯をしたゾンビが立っていて、由比は声を漏らす。
「……アダプター」
何故、昨夜に彼が死んでいたのか由比はずっと考えていた。
由比は長期間の生存生活の中でゾンビを観察してきたが、彼らには幾つかの行動習性がある事に気付いた。
まず第一に、ゾンビは群れを形成する。示し合わせた様に彼らは群れを作り上げ、「まとまって」行動する。偶発的に孤立したゾンビと遭遇することはあるが、基本的には十数体、多い時には百近い数の集団になる。パンデミック発生後、数カ月経ってからは殆どのゾンビが群れに合流、形成している。
そしてもう一つ、ゾンビは夜間に行動しない。夜間には群れで集まって休止状態になる。
由比は仮説として、ゾンビが夜間に活動を休止し身を寄せ合うのは体温の低下、ひいてはエネルギーの消費を防ぐためではないかと思っていた。
自然界でも、例えばエンペラーペンギンは気温の低下に対して群れが密集することで対処する。それと似た事を行っているのではないか。
これらの性質を踏まえてみると、一つの疑問が浮かぶ。
ならば何故、昨夜、件の彼は死んだのか。夜間の屋外、そして雪が降り積もる中、一匹のゾンビと偶発的な遭遇をしたのか。
「クランクレイドの軛……」
大柄なゾンビの視線は波留の方を向いていた。
携帯電話によって外部と通信していることが感知されて、それを運営者であるリーベラによって排除されるとしたら。その方法があくまでゲーム内の「文法」に沿っているとしたら。
突如、ゾンビがこの「座標」に存在してもおかしくないのではないだろうか。由比の後ろで波留が叫び声をあげる。
「なんで、なんでよ! ログアウトさせなさいよ!」
由比はそっとポケットの中のリボルバーに触れる。残弾一発、相手は規格外の大型のゾンビ。倒せるものだろうか。
悩んでいる時間はなく、そのゾンビは一歩前に踏み出して。由比はポケットがリボルバーを引き抜く。波留が声を張り上げる。
「こんな悪夢はもううんざりなのよ! 早く終わってよ!」
銃声。間近で聞いてみれば、強烈な爆音であった。鼓膜を突き破らんばかりの音。
その轟きが波留の叫び声をかき消して。
声は遅れて掠れた音に変わる。
「ぇ……ぁっ……?」
「ごめん、波留姉」
リボルバーから手の平に伝わってきた振動が徐々に収まって、由比の中の感覚を正常に変えていく。焦げたような臭いの中に血の臭いが混じり合う。
銃弾に貫かれて波留の胸元からは血が溢れ出していた。その表情は困惑したもので、何が起きたのか理解出来ていないようだった。そのまま、今際の言葉もなく彼女は地面に倒れる。
波留を撃ち抜いた銃を由比はその場に投げ捨てた。
これが彼女にとっての救いになる事を祈って。
どうかその悪夢が終わる事を願って。
大型のゾンビは由比に目もくれず、息絶えた波留の死体に向かっていく。息絶えた彼女の手には、あの携帯電話がまだあって、応答のない呼び出し音を鳴らし続けていた。
由比は踵を返して唇を噛む。波留の死体を弔うよりも、自身の生存を選ぶべきだと本能が言い聞かせてくる。あのゾンビは危険だとも。
決して振り返らず由比は呟く。
「知ってるよ、波留姉。私も知ってたよ」
この世界は本当はゲームの中だという事も。
目撃したのは初めてであるが、あの大型のゾンビがアダプターという名前だという事も。
「でもね、それは妄想なんだよ。波留姉の妄想。耐えられないような残酷な現実から逃避する為に心が壊れただけ。だって波留姉はNPCだから」
籠城していた部室に戻る。持てるだけの水と食料を鞄に詰め込んでいく。数カ月の籠城生活の中で、周辺の地図は頭の中に叩き込んであった。学校から脱出しどのルートを取るのか、脳内で再確認する。そうして鞄を背負うと由比は立ち上がった。
部室棟の屋上へ向かう。まず周囲の確認と、可能性は低いがアダプターが此方へ向かってきているか確認したかった。
屋上からは周囲一帯が見渡せた。何も変わりはない、ゾンビによって壊れた世界が見えた。
NPCも最期に走馬燈を見ることはあるのだろうか、そんな事を由比は考える。
そっと右手を持ち上げて、空中をなぞる様に指先を動かし文字を描いてみる。しかし何が起こるわけでもなく、ただその指は虚空を裂くばかりで。
「ログアウト出来なくなったのは私の方だよ、波留姉。いや、波留」
遠方、向こうの空に、一線の紅が差した。地上から天を穿つかの様に伸びていく眩い光。何処から放たれたものかは分からないが、それは徐々に傾いていき周囲の建物に直撃する。そして火の手が上がる。一種の熱線の類だろうか。
もしかすると、シンギュラリティがあの場にいて魔法を使った可能性がある。
由比は目指すべき方角を熱線が見えた方にすることに決めた。クラウンクレイドのゲームクリアに魔法を使用できるシンギュラリティの存在は必須だと考えたからである。
最も、クリアすることで救われるのかどうかは、誰が教えてくれるわけでもなかった。
「この悪夢はいつ終わるのかな」
【クラウンクレイド NARKOSE・完】
由比の必死の制止を無視して波留がその手にしている携帯電話の発信を押した。
なりふり構っていられないと、由比は咄嗟に彼女を押し倒す。そして波留が握っている携帯電話の発信を止めようとした。しかしそれを、異様な力で押しとどめられる。
「やっぱり由比が私のログアウトを邪魔していたのね!」
「違う、違うよ。今その携帯電話を使ったら!」
件の彼が死んでいた状況からして、由比は自身の仮説が正しいという自信があった。だからこそ、今その携帯電話を使ってはならないと。
しかし波留のログアウトを妨げているのは由比だと勘違いをし、必死に押し退けようとしてくる。地面に転がり互いの手首を抑えつけながらもみ合いになる。
「由比が邪魔していたんでしょう、ずっと」
「何を言ってるの、波留姉!」
「この世界はゲームなのよ! 私はこのゲームをプレイしているだけなの! でもこの世界からログアウト出来なくなった! でもやっと分かったわ!」
波留が由比の腹部に蹴り上げて、その衝撃に一瞬目の前が眩む。地面に転がった由比に対して波留は携帯電話を握りしめたまま叫ぶ。
「私がログアウトさせないようにしていたのは由比だったんでしょう! 携帯電話を隠したのもそのせい」
「違う、駄目だよ。波留姉、それは」
携帯電話の中に遺されていた情報が正しく、そして昨夜の状況を顧みるならば。
クラウンクレイドの軛を越える為に、件の彼とXは工作を行った。それはゲームの運用権限を持つリーベラの目を欺く為だった。だが、もしも。それが発見されていたならば。携帯電話を介して外部と通信している記録が「バレ」たならば。それはゲームにおいて重大な「エラー」になる。そしてリーベラはそれを許さない。ゲームにおける不正ツールとして扱われる筈で、当然対処する必要がある。そして祷茜という少女を守る事にも繋がる。
故に、その携帯電話の発信が感知されてしまったら。
「ひっ……!?」
波留が携帯電話を手にしたまま、その表情を青ざめたものに変えた。
それは突如、そこにいた。
まるで初めからそこにいたように。何の気配も音も立てず、それは存在していた。あり得ないことは分かっている。だが、それは何処かから急にやってきたわけでも近づいてきた訳でもない。まるで沸いて出たように存在したのだ。
体長2メートル近く、筋肉が激しく隆起している巨大な体躯。服の類は全て剥がれ落ちたのか、全身の肌が露出している。左胸に巨大化した心房が露出して脈打っていた。丸太の様に太く隆起した腕と、それを難なく支える肉体と姿勢。まるで石膏で作られた様な、現実離れした姿。
見た事のない、屈強な体躯をしたゾンビが立っていて、由比は声を漏らす。
「……アダプター」
何故、昨夜に彼が死んでいたのか由比はずっと考えていた。
由比は長期間の生存生活の中でゾンビを観察してきたが、彼らには幾つかの行動習性がある事に気付いた。
まず第一に、ゾンビは群れを形成する。示し合わせた様に彼らは群れを作り上げ、「まとまって」行動する。偶発的に孤立したゾンビと遭遇することはあるが、基本的には十数体、多い時には百近い数の集団になる。パンデミック発生後、数カ月経ってからは殆どのゾンビが群れに合流、形成している。
そしてもう一つ、ゾンビは夜間に行動しない。夜間には群れで集まって休止状態になる。
由比は仮説として、ゾンビが夜間に活動を休止し身を寄せ合うのは体温の低下、ひいてはエネルギーの消費を防ぐためではないかと思っていた。
自然界でも、例えばエンペラーペンギンは気温の低下に対して群れが密集することで対処する。それと似た事を行っているのではないか。
これらの性質を踏まえてみると、一つの疑問が浮かぶ。
ならば何故、昨夜、件の彼は死んだのか。夜間の屋外、そして雪が降り積もる中、一匹のゾンビと偶発的な遭遇をしたのか。
「クランクレイドの軛……」
大柄なゾンビの視線は波留の方を向いていた。
携帯電話によって外部と通信していることが感知されて、それを運営者であるリーベラによって排除されるとしたら。その方法があくまでゲーム内の「文法」に沿っているとしたら。
突如、ゾンビがこの「座標」に存在してもおかしくないのではないだろうか。由比の後ろで波留が叫び声をあげる。
「なんで、なんでよ! ログアウトさせなさいよ!」
由比はそっとポケットの中のリボルバーに触れる。残弾一発、相手は規格外の大型のゾンビ。倒せるものだろうか。
悩んでいる時間はなく、そのゾンビは一歩前に踏み出して。由比はポケットがリボルバーを引き抜く。波留が声を張り上げる。
「こんな悪夢はもううんざりなのよ! 早く終わってよ!」
銃声。間近で聞いてみれば、強烈な爆音であった。鼓膜を突き破らんばかりの音。
その轟きが波留の叫び声をかき消して。
声は遅れて掠れた音に変わる。
「ぇ……ぁっ……?」
「ごめん、波留姉」
リボルバーから手の平に伝わってきた振動が徐々に収まって、由比の中の感覚を正常に変えていく。焦げたような臭いの中に血の臭いが混じり合う。
銃弾に貫かれて波留の胸元からは血が溢れ出していた。その表情は困惑したもので、何が起きたのか理解出来ていないようだった。そのまま、今際の言葉もなく彼女は地面に倒れる。
波留を撃ち抜いた銃を由比はその場に投げ捨てた。
これが彼女にとっての救いになる事を祈って。
どうかその悪夢が終わる事を願って。
大型のゾンビは由比に目もくれず、息絶えた波留の死体に向かっていく。息絶えた彼女の手には、あの携帯電話がまだあって、応答のない呼び出し音を鳴らし続けていた。
由比は踵を返して唇を噛む。波留の死体を弔うよりも、自身の生存を選ぶべきだと本能が言い聞かせてくる。あのゾンビは危険だとも。
決して振り返らず由比は呟く。
「知ってるよ、波留姉。私も知ってたよ」
この世界は本当はゲームの中だという事も。
目撃したのは初めてであるが、あの大型のゾンビがアダプターという名前だという事も。
「でもね、それは妄想なんだよ。波留姉の妄想。耐えられないような残酷な現実から逃避する為に心が壊れただけ。だって波留姉はNPCだから」
籠城していた部室に戻る。持てるだけの水と食料を鞄に詰め込んでいく。数カ月の籠城生活の中で、周辺の地図は頭の中に叩き込んであった。学校から脱出しどのルートを取るのか、脳内で再確認する。そうして鞄を背負うと由比は立ち上がった。
部室棟の屋上へ向かう。まず周囲の確認と、可能性は低いがアダプターが此方へ向かってきているか確認したかった。
屋上からは周囲一帯が見渡せた。何も変わりはない、ゾンビによって壊れた世界が見えた。
NPCも最期に走馬燈を見ることはあるのだろうか、そんな事を由比は考える。
そっと右手を持ち上げて、空中をなぞる様に指先を動かし文字を描いてみる。しかし何が起こるわけでもなく、ただその指は虚空を裂くばかりで。
「ログアウト出来なくなったのは私の方だよ、波留姉。いや、波留」
遠方、向こうの空に、一線の紅が差した。地上から天を穿つかの様に伸びていく眩い光。何処から放たれたものかは分からないが、それは徐々に傾いていき周囲の建物に直撃する。そして火の手が上がる。一種の熱線の類だろうか。
もしかすると、シンギュラリティがあの場にいて魔法を使った可能性がある。
由比は目指すべき方角を熱線が見えた方にすることに決めた。クラウンクレイドのゲームクリアに魔法を使用できるシンギュラリティの存在は必須だと考えたからである。
最も、クリアすることで救われるのかどうかは、誰が教えてくれるわけでもなかった。
「この悪夢はいつ終わるのかな」
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