クラウンクレイド
『8-4・発症』
8-4
「でも、私は……ゾンビに、ならなかった」
「てめぇだろ! 昨日の深夜に教室出て『いっあのあ!』」
小野間君が叫んだ、呂律が回っていない。彼の瞳孔が開ききっていて、私は杖を握り締める。小野間君の佳東さんへの態度は、彼女が感染する可能性があった故に依るものであったのだろうか。
「教室を出ていった……?」
私は、ようやく全容を理解する。
佳東さんが深夜に教室を出ていった。彼女にあった真新しい傷。彼女の言った言葉。職員室のドアが開いていて、何故かゾンビが職員室に集まっていた、その理由。
もし、ゾンビが低下している視力の代わりに、聴覚と、そして嗅覚を発達させていたのなら。
もし、佳東さんの真新しい腕の傷が刃物で自分で付けたものなら。
もし、深夜に起きて教室を出ていった佳東さんが職員室のドアを開けていたのなら。
海に一滴の血を零すだけで、その驚異的な嗅覚で位置を特定するサメの話を思い出した。ゾンビが真新しい血の匂いに反応して集まってくるのならば。
佳東さんの言っていた、破滅願望の様な台詞が今更ながらに重たくのしかかる。幾つもそれを指す前兆が転がっていたのに、私はそれを見抜けなかった。
佳東さんが掠れた声で怒鳴る小野間君を見て、楽しそうに言う。
「みんな終わり……これで」
「おあえがっ!」
小野間君の言葉は、既に歪んで崩れたもので。彼が必死に佳東さんへと手を伸ばしていた。そんな光景に葉山君が頭を抱えて叫んだ。
「何処でミスをした!? シミュレーションは完璧で、シンギュラリティも居たんだぞ」
以前御馬先輩で見たように、葉山君が観察していたように、ゾンビに噛まれてからゾンビ化が起きるまでは数分しかない。つまりそれが、タイムリミットだった。「発症」すれば、思考能力と会話能力を失い本能に赴くまま人を襲いだす。私は明瀬ちゃんの手を強く握りしめて、抱き寄せる。彼女の耳元に言う。
「逃げよう」
「え?」
「多分、もう駄目だよ」
小野間君が呻き声を上げると同時に、私は明瀬ちゃんの手を引いて走り出す。教室入り口の崩れたバリケードを乗り越えて廊下へと飛び出した。小野間君達が開けっぱなしにしていた非常口からゾンビが溢れてきていた。職員室に集まっていたゾンビが小野間君達を追いかけてきていたのか。
咄嗟に床を蹴る。ゾンビの足ならば十分に振り切れると判断し、廊下の東側へと走った。明瀬ちゃんが何度も私の名前を呼ぶが、それを無視して手を引いた。東側の非常口を乱暴に肩で押し開けて、屋外非常階段へ飛び出す。硬い金属音が闇夜に響いていくも、気にせず乱暴に駆け下りた。3階から一気に足を止めずに1階まで駆け下りた。私達の足音に気が付いてゾンビの呻き声が闇夜に響く。
校門が開いているのが遠くに見えた。校舎から校門まで数メートル。しかし校舎の中から、校舎の陰から、音に誘われたゾンビが集合しつつあった。無数のゾンビ。目に付いただけでも数百体。蠢くと形容するしかない程、ゾンビの集合体が溢れ出してくる。無数のゾンビ同士がその身体を押し合ってひしめき歩いてくる。だが、ゾンビの足であれば十分に逃げ切れると私は思った。ゾンビの群れを横目に、駆け抜ける。
「明瀬ちゃん、走り続けて!」
「祷! あれ!」
校舎から湧き出て拡がったゾンビの群れ。その中から勢いよく飛び出してきた何かがいた。
「なに、あのゾンビ!」
「走ってる……?」
それは2体のゾンビだった。肩を前に突き出す様な奇妙な姿勢で、勢いよく駆けてきていた。たどたどしい歩行しか出来ない他のゾンビと比較して、それは明らかに「走る」という行為だった。しかも、あまりにも早すぎる。私達よりもその速度は圧倒的に早かった。明瀬ちゃんが半泣きで喚く。距離にして数メートルまで一気に詰めてくる。
「何で走れるのさ! ロメロが泣くぞ!」
「誰それ!?」
私は足を止めて、杖を手の中で回すと握り直して前方へ構える。先行してくる走る2体のゾンビ。あれの足を止める必要があった。私達の足ではとても逃げ切れない。
私は明瀬ちゃんへと大声で言う。
「先に行って!」
「嫌だ!」
明瀬ちゃんが私の背に抱き付いた。突然感じた背中の感触に、私は驚く。
「明瀬ちゃん!?」
「私の為に、なんて絶対嫌だ!」
私の身体を抱きしめる明瀬ちゃんの腕の力がとても強くて。私は躊躇いを捨てた。足を踏みしめて、正面を見据える。杖を目の前に翳す。迷いは要らない。私と明瀬ちゃんの道を塞ぐなら、それを全て焼き払うだけだ。
「この地に叫喚の名を冠せ、焦がし滅する紅蓮の欠片。狭間の時に於いて祷の名に返せ」
「祷! 前!」
「猛焔―さかりほむら―!」
目の前に、走るゾンビの姿があった。私の手前で地面を蹴り、跳躍して飛び掛かってきていた。向かってくるゾンビと私の間の地面へ目掛けて、翳した杖から炎の塊が零れ落ちる。地面へと落ちた炎の塊が、私の身の丈以上の火柱を上げた。飛び掛かってきたゾンビがのみ込まれて、炎の中に黒い影を作り出す。
「猛焔―さかりほむら―」は対ゾンビにおいて今まで使用してきた「穿焔―うがちほむら―」とは性質が違う。穿焔は炎の塊を撃ち出す魔法であるが、猛焔は火柱で地面を焼き尽くす魔法だった。
猛り狂う火の手から黒く焦げ落ちたゾンビが這い出てくる。その身を炎が舐めて黒煙を上げていた。動かなくなったゾンビの姿に私は、明瀬ちゃんの手を引いて走り出す。校門の半開きの扉の間をすり抜けた。私が振り返ると、先程の走るタイプのゾンビが1体、校門の陰から飛びだしてきた。走る勢いそのままに飛び掛かってきたゾンビの姿に、私は咄嗟に杖を翳す。
「……詠唱省略」
「でも、私は……ゾンビに、ならなかった」
「てめぇだろ! 昨日の深夜に教室出て『いっあのあ!』」
小野間君が叫んだ、呂律が回っていない。彼の瞳孔が開ききっていて、私は杖を握り締める。小野間君の佳東さんへの態度は、彼女が感染する可能性があった故に依るものであったのだろうか。
「教室を出ていった……?」
私は、ようやく全容を理解する。
佳東さんが深夜に教室を出ていった。彼女にあった真新しい傷。彼女の言った言葉。職員室のドアが開いていて、何故かゾンビが職員室に集まっていた、その理由。
もし、ゾンビが低下している視力の代わりに、聴覚と、そして嗅覚を発達させていたのなら。
もし、佳東さんの真新しい腕の傷が刃物で自分で付けたものなら。
もし、深夜に起きて教室を出ていった佳東さんが職員室のドアを開けていたのなら。
海に一滴の血を零すだけで、その驚異的な嗅覚で位置を特定するサメの話を思い出した。ゾンビが真新しい血の匂いに反応して集まってくるのならば。
佳東さんの言っていた、破滅願望の様な台詞が今更ながらに重たくのしかかる。幾つもそれを指す前兆が転がっていたのに、私はそれを見抜けなかった。
佳東さんが掠れた声で怒鳴る小野間君を見て、楽しそうに言う。
「みんな終わり……これで」
「おあえがっ!」
小野間君の言葉は、既に歪んで崩れたもので。彼が必死に佳東さんへと手を伸ばしていた。そんな光景に葉山君が頭を抱えて叫んだ。
「何処でミスをした!? シミュレーションは完璧で、シンギュラリティも居たんだぞ」
以前御馬先輩で見たように、葉山君が観察していたように、ゾンビに噛まれてからゾンビ化が起きるまでは数分しかない。つまりそれが、タイムリミットだった。「発症」すれば、思考能力と会話能力を失い本能に赴くまま人を襲いだす。私は明瀬ちゃんの手を強く握りしめて、抱き寄せる。彼女の耳元に言う。
「逃げよう」
「え?」
「多分、もう駄目だよ」
小野間君が呻き声を上げると同時に、私は明瀬ちゃんの手を引いて走り出す。教室入り口の崩れたバリケードを乗り越えて廊下へと飛び出した。小野間君達が開けっぱなしにしていた非常口からゾンビが溢れてきていた。職員室に集まっていたゾンビが小野間君達を追いかけてきていたのか。
咄嗟に床を蹴る。ゾンビの足ならば十分に振り切れると判断し、廊下の東側へと走った。明瀬ちゃんが何度も私の名前を呼ぶが、それを無視して手を引いた。東側の非常口を乱暴に肩で押し開けて、屋外非常階段へ飛び出す。硬い金属音が闇夜に響いていくも、気にせず乱暴に駆け下りた。3階から一気に足を止めずに1階まで駆け下りた。私達の足音に気が付いてゾンビの呻き声が闇夜に響く。
校門が開いているのが遠くに見えた。校舎から校門まで数メートル。しかし校舎の中から、校舎の陰から、音に誘われたゾンビが集合しつつあった。無数のゾンビ。目に付いただけでも数百体。蠢くと形容するしかない程、ゾンビの集合体が溢れ出してくる。無数のゾンビ同士がその身体を押し合ってひしめき歩いてくる。だが、ゾンビの足であれば十分に逃げ切れると私は思った。ゾンビの群れを横目に、駆け抜ける。
「明瀬ちゃん、走り続けて!」
「祷! あれ!」
校舎から湧き出て拡がったゾンビの群れ。その中から勢いよく飛び出してきた何かがいた。
「なに、あのゾンビ!」
「走ってる……?」
それは2体のゾンビだった。肩を前に突き出す様な奇妙な姿勢で、勢いよく駆けてきていた。たどたどしい歩行しか出来ない他のゾンビと比較して、それは明らかに「走る」という行為だった。しかも、あまりにも早すぎる。私達よりもその速度は圧倒的に早かった。明瀬ちゃんが半泣きで喚く。距離にして数メートルまで一気に詰めてくる。
「何で走れるのさ! ロメロが泣くぞ!」
「誰それ!?」
私は足を止めて、杖を手の中で回すと握り直して前方へ構える。先行してくる走る2体のゾンビ。あれの足を止める必要があった。私達の足ではとても逃げ切れない。
私は明瀬ちゃんへと大声で言う。
「先に行って!」
「嫌だ!」
明瀬ちゃんが私の背に抱き付いた。突然感じた背中の感触に、私は驚く。
「明瀬ちゃん!?」
「私の為に、なんて絶対嫌だ!」
私の身体を抱きしめる明瀬ちゃんの腕の力がとても強くて。私は躊躇いを捨てた。足を踏みしめて、正面を見据える。杖を目の前に翳す。迷いは要らない。私と明瀬ちゃんの道を塞ぐなら、それを全て焼き払うだけだ。
「この地に叫喚の名を冠せ、焦がし滅する紅蓮の欠片。狭間の時に於いて祷の名に返せ」
「祷! 前!」
「猛焔―さかりほむら―!」
目の前に、走るゾンビの姿があった。私の手前で地面を蹴り、跳躍して飛び掛かってきていた。向かってくるゾンビと私の間の地面へ目掛けて、翳した杖から炎の塊が零れ落ちる。地面へと落ちた炎の塊が、私の身の丈以上の火柱を上げた。飛び掛かってきたゾンビがのみ込まれて、炎の中に黒い影を作り出す。
「猛焔―さかりほむら―」は対ゾンビにおいて今まで使用してきた「穿焔―うがちほむら―」とは性質が違う。穿焔は炎の塊を撃ち出す魔法であるが、猛焔は火柱で地面を焼き尽くす魔法だった。
猛り狂う火の手から黒く焦げ落ちたゾンビが這い出てくる。その身を炎が舐めて黒煙を上げていた。動かなくなったゾンビの姿に私は、明瀬ちゃんの手を引いて走り出す。校門の半開きの扉の間をすり抜けた。私が振り返ると、先程の走るタイプのゾンビが1体、校門の陰から飛びだしてきた。走る勢いそのままに飛び掛かってきたゾンビの姿に、私は咄嗟に杖を翳す。
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