クラウンクレイド
『4-2・分析』
4-2
外の世界の景色に、私は目眩がした。
今この地獄の様な事態が、狂気の果てが、学校の中だけで起きている事で。必ず外から助けがやってくるのだと信じていたかった。けれども、私が見てしまった現状が、現実が、その淡い期待を打ち砕いて。目眩と共に後退る。
世界はどうなってしまったのだろうか。どうすれば良いのか見当も付かなくて、私は床に座り込んだ。私を突き動かしていた何かが切れてしまったようで。何となく教室の中心で、私達は力なく言葉もなく円を組んで座った。押し潰されそうな沈黙を湛えた私達の中で、葉山君が口を開く。
「僕達は1年A組の生徒です。偶然逃げきれて、ここまで来ました」
「……そっか。私と明瀬ちゃんは昼休みに科学室にいて、それでその……、免れた感じで」
故に何があったのか分からないのだと私は言った。
私達が最初に「彼等」と遭遇した時には、既に学校中に溢れていた。廊下や校内を埋め尽くす彼等の群れは、一体どのようにして現れたのか、私達はその始まりを見てはいない。小野間君が苛立った様子で私の言葉に返した。
「俺たちだって分かんねぇよ。正門の方で騒ぎになってて、校庭に避難することになってよ。それで全員が校庭に避難してる時に、あのゾンビ共がやってきた。噛まれたやつから、頭がおかしくなって、そいつらもゾンビになっちまった」
「……よく無事だったね」
「無事じゃねぇ。ダチがみんな死んでんだよ」
小野間君の言葉は乱暴で、しかし苦渋の色を滲ませていた。此処にいるのは皆、私や明瀬ちゃんと同じだった。気が狂いそうになる光景を、目の前で人が死ぬ光景を、幾つも見てきている。私に噛み付かんばかりの語調の小野間君を葉山君が制す。
「やめろ、小野間。先輩方に当たっても仕方がないだろう。みんな同じ想いをしてるんだ」
「大丈夫だよ。よく分かるから」
「とりあえず状況を把握しましょう。祷先輩の荷物、中身は何ですか。食料の類は持っていませんか?」
その問いに私は荷物を背中にそっと寄せた。竹刀袋と鞄の中には確かに剣道の道具が入っているが、実際に私が重きを置いているのは、その中に忍ばせている魔女の杖とその道具の一式だった。あまり見られたいものではない。
「ううん、中身は剣道の道具だから」
「竹刀でゾンビに勝てるかよ」
小野間君が私にそう言った。棘のある言い方なのは嫌でも感じ取れた。
今の所、小野間君達に魔法の事を話す気はなかったので、私は曖昧に首を振る。私の魔法であったとしても、あれだけの数の彼等を相手取る事は出来そうもない。全員を守って戦えるという様な期待をされても困る。
葉山君が彼のスマートフォンを見ながら言う。
「通信はやはり伝わらないし、何らかのパンデミックが発生したと考えた方が良いかもしれないですね」
「パンデミック?」
「人をあんな姿に変えてしまうウイルスが発生した、と考えるしかないでしょう。現実離れしていますが」
パンデミック。感染症が世界的に流行する事を指す言葉だ。そんな説明を明瀬ちゃんから聞いたことがあった。
葉山君の言ったパンデミックという言葉に、私は科学室での明瀬ちゃんの言葉を思い出す。明瀬ちゃんは、映画ならば、と前置きしていたがウイルスの可能性について言及していた。人を人食いの化け物に変える、そんなウイルスがあるという話を聞いたことも無い。少なくともニュースでやっていた覚えもない。
私と同じことを思ったらしく小野間君が苦々しく言葉を返す。
「人間をゾンビに変えちまうウイルスなんてあるのかよ」
「ゾンビ、……ゾンビか。死人が蘇ったわけではないからゾンビと言うのが適しているか分からないが、仮にゾンビと呼ぼう。
ゾンビについて判っているのは、人間を襲うという事だ。しかも『喰う』事を目的として、だ。大量の人間が一斉に『そう』なるなど、感染症か何かだとしか説明が出来ないだろう」
葉山君の論は続いた。街中という広範囲、そしてほぼ同時期に起こっている事から精神病等の可能性は低いと断じて、彼等の特徴を挙げ始める。
恐らく思考や感覚が失われており、視覚は著しく劣化。それを補うために聴覚と嗅覚が発達している可能性が高い。そして平衡感覚の喪失故にか歩行を苦手としており、理性や思考が麻痺している為か常人離れした怪力を発揮するという事。私達が見てきた彼等の特徴通りだと思った。よく観察していると思う。
葉山君の話を聞いて、小野間君が明瀬ちゃんの方を見て言った。
「後は感染すんだろ。ゾンビに噛まれた奴はゾンビになる。明瀬センパイが今からなるみたいに」
「いや、その可能性は低いだろう」
私が反論する前に、葉山君は冷静な口調のままそう返した。彼は先程もそう言っていた。感染の可能性を否定した理由を続けた。
「ゾンビに噛まれた人間がゾンビになったのは、血液感染でウイルスが体内に入った事により感染したせいだと考えられる。感染から発症までのスピ-ドは驚異的だ。少し噛まれただけでも5分以内に発症している。明瀬先輩は一時間以上経過していても容態は安定している。ゾンビ化発症の可能性は低い」
「たまたまかもしれないだろ」
「20人以上、観察していた。感染する人間は全員が5分以内にゾンビ化している」
最も、専門家ではない素人の推測だが、と葉山君は言葉を結んだ。しかし確かな説得力があって小野間君は引き下がる。
この状況下でそこまで観察していた彼に、私は驚きを隠せなかった。異常と言っても差し支えない程の冷静さだと思った。
目の前でクラスメイトが死んでいく中で、彼はそこまで状況を分析できる余裕があったのだろうか。今の冷静さも含めてだ。そもそも彼等3人だけがこの3階に辿り着いているのは何故だろうか。
「それと、映画なんかで観る度に僕は不思議で仕方がなかったんだが、何故喰われる人間とゾンビになる人間がいるんだ。ゾンビは共食いをしないようだが、感染した人間を食べる事はないのか」
外の世界の景色に、私は目眩がした。
今この地獄の様な事態が、狂気の果てが、学校の中だけで起きている事で。必ず外から助けがやってくるのだと信じていたかった。けれども、私が見てしまった現状が、現実が、その淡い期待を打ち砕いて。目眩と共に後退る。
世界はどうなってしまったのだろうか。どうすれば良いのか見当も付かなくて、私は床に座り込んだ。私を突き動かしていた何かが切れてしまったようで。何となく教室の中心で、私達は力なく言葉もなく円を組んで座った。押し潰されそうな沈黙を湛えた私達の中で、葉山君が口を開く。
「僕達は1年A組の生徒です。偶然逃げきれて、ここまで来ました」
「……そっか。私と明瀬ちゃんは昼休みに科学室にいて、それでその……、免れた感じで」
故に何があったのか分からないのだと私は言った。
私達が最初に「彼等」と遭遇した時には、既に学校中に溢れていた。廊下や校内を埋め尽くす彼等の群れは、一体どのようにして現れたのか、私達はその始まりを見てはいない。小野間君が苛立った様子で私の言葉に返した。
「俺たちだって分かんねぇよ。正門の方で騒ぎになってて、校庭に避難することになってよ。それで全員が校庭に避難してる時に、あのゾンビ共がやってきた。噛まれたやつから、頭がおかしくなって、そいつらもゾンビになっちまった」
「……よく無事だったね」
「無事じゃねぇ。ダチがみんな死んでんだよ」
小野間君の言葉は乱暴で、しかし苦渋の色を滲ませていた。此処にいるのは皆、私や明瀬ちゃんと同じだった。気が狂いそうになる光景を、目の前で人が死ぬ光景を、幾つも見てきている。私に噛み付かんばかりの語調の小野間君を葉山君が制す。
「やめろ、小野間。先輩方に当たっても仕方がないだろう。みんな同じ想いをしてるんだ」
「大丈夫だよ。よく分かるから」
「とりあえず状況を把握しましょう。祷先輩の荷物、中身は何ですか。食料の類は持っていませんか?」
その問いに私は荷物を背中にそっと寄せた。竹刀袋と鞄の中には確かに剣道の道具が入っているが、実際に私が重きを置いているのは、その中に忍ばせている魔女の杖とその道具の一式だった。あまり見られたいものではない。
「ううん、中身は剣道の道具だから」
「竹刀でゾンビに勝てるかよ」
小野間君が私にそう言った。棘のある言い方なのは嫌でも感じ取れた。
今の所、小野間君達に魔法の事を話す気はなかったので、私は曖昧に首を振る。私の魔法であったとしても、あれだけの数の彼等を相手取る事は出来そうもない。全員を守って戦えるという様な期待をされても困る。
葉山君が彼のスマートフォンを見ながら言う。
「通信はやはり伝わらないし、何らかのパンデミックが発生したと考えた方が良いかもしれないですね」
「パンデミック?」
「人をあんな姿に変えてしまうウイルスが発生した、と考えるしかないでしょう。現実離れしていますが」
パンデミック。感染症が世界的に流行する事を指す言葉だ。そんな説明を明瀬ちゃんから聞いたことがあった。
葉山君の言ったパンデミックという言葉に、私は科学室での明瀬ちゃんの言葉を思い出す。明瀬ちゃんは、映画ならば、と前置きしていたがウイルスの可能性について言及していた。人を人食いの化け物に変える、そんなウイルスがあるという話を聞いたことも無い。少なくともニュースでやっていた覚えもない。
私と同じことを思ったらしく小野間君が苦々しく言葉を返す。
「人間をゾンビに変えちまうウイルスなんてあるのかよ」
「ゾンビ、……ゾンビか。死人が蘇ったわけではないからゾンビと言うのが適しているか分からないが、仮にゾンビと呼ぼう。
ゾンビについて判っているのは、人間を襲うという事だ。しかも『喰う』事を目的として、だ。大量の人間が一斉に『そう』なるなど、感染症か何かだとしか説明が出来ないだろう」
葉山君の論は続いた。街中という広範囲、そしてほぼ同時期に起こっている事から精神病等の可能性は低いと断じて、彼等の特徴を挙げ始める。
恐らく思考や感覚が失われており、視覚は著しく劣化。それを補うために聴覚と嗅覚が発達している可能性が高い。そして平衡感覚の喪失故にか歩行を苦手としており、理性や思考が麻痺している為か常人離れした怪力を発揮するという事。私達が見てきた彼等の特徴通りだと思った。よく観察していると思う。
葉山君の話を聞いて、小野間君が明瀬ちゃんの方を見て言った。
「後は感染すんだろ。ゾンビに噛まれた奴はゾンビになる。明瀬センパイが今からなるみたいに」
「いや、その可能性は低いだろう」
私が反論する前に、葉山君は冷静な口調のままそう返した。彼は先程もそう言っていた。感染の可能性を否定した理由を続けた。
「ゾンビに噛まれた人間がゾンビになったのは、血液感染でウイルスが体内に入った事により感染したせいだと考えられる。感染から発症までのスピ-ドは驚異的だ。少し噛まれただけでも5分以内に発症している。明瀬先輩は一時間以上経過していても容態は安定している。ゾンビ化発症の可能性は低い」
「たまたまかもしれないだろ」
「20人以上、観察していた。感染する人間は全員が5分以内にゾンビ化している」
最も、専門家ではない素人の推測だが、と葉山君は言葉を結んだ。しかし確かな説得力があって小野間君は引き下がる。
この状況下でそこまで観察していた彼に、私は驚きを隠せなかった。異常と言っても差し支えない程の冷静さだと思った。
目の前でクラスメイトが死んでいく中で、彼はそこまで状況を分析できる余裕があったのだろうか。今の冷静さも含めてだ。そもそも彼等3人だけがこの3階に辿り着いているのは何故だろうか。
「それと、映画なんかで観る度に僕は不思議で仕方がなかったんだが、何故喰われる人間とゾンビになる人間がいるんだ。ゾンビは共食いをしないようだが、感染した人間を食べる事はないのか」
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