ぼくは今日も胸を揉む

果実夢想

#7 俺の奴隷になれよ

 遠くで、二人の男女が大勢の男を相手に交戦しているのが見える。
 ぼくたちのために奴らを足止めしてくれている、ネルソン王子とシナモン王女だ。

 その二人対十数人という人数差のある戦闘を、ぼくとミントは船の上から眺めていた。
 ちなみに、〈バトリオット〉へ行くまでの船の料金は、つい先ほどネルソン王子がくれた。
 ネルソン王子からの依頼を受け、その報酬はまだ貰っていないわけだけど……もう充分すぎるほど助けてもらった気がする。

 ここまでしてもらって、失敗したなんてことになったら、あの兄妹にもユズにも顔向けできなくなる。
 だから、何が何でも〈バトリオット〉の偉い人を説得させないとね。
 もちろん、そうじゃなくても失敗なんて絶対にするつもりはないけど。

 ぼくやミントのために戦ってくれている二人を見ながら。
 ぼくは、改めて決意を強くした。

     §

 やがて、数時間が経過した頃。
 先ほどまで辺り一面海だけだった景色に、とある大きな陸地が現れてきた。

「……あれが、私が前まで暮らしてた国――〈フェヌグリーク〉」

 その大陸をどこか遠い目で見つめながら、ミントはそう呟いた。
 少し離れたところからでも、分かる。
 陰湿というか、じめじめしているというか、荒廃しているというか……そういう暗い雰囲気が漂っているのを。
 さっきまでぼくたちがいた〈トランシトリア〉とは、様子が大きく異なっていた。

 数分を要し、船は〈フェヌグリーク〉の桟橋に停まる。

 ぼくとミントは急いで船から降りるが、ぼくたち以外に降りている人は一人もいない。
 わざわざ、こんなところに用がある人なんて滅多にいないということか。

 黒くて若干凸凹とした大地を踏みしめ、ぼくたちは歩く。
〈トランシトリア〉にあった広大な草原や、晴れ渡る青空、温暖な気候……どれも、ここにはない。
 まだ夕方にすらなっていないのにも拘らず、黒い雲が空を覆っているせいか、この国は異様に暗い。気が滅入ってしまいそうなほどに。
 まるで、ここで暮らしている住人の心を表しているみたいだ。
 辺りを見回しながら、ぼくはそんなことを思った。

「ねえ、ミントの住んでた〈バトリオット〉ってのはどこなの?」

「……もうすぐ。ほら、あそこ」

 そう言い、ミントは目線の先を指差す。
 その指の先へ視線をやると、一つの集落のようなものが見えた。

 街というよりは村、もしくは里といったほうが正しいかもしれない。
 ただ、中央付近にある大きな物体が、その小さな集落には似つかわしくないように思える。
 ドームのような、円形の巨大な建造物だ。
 ぼくの表情から察したのか、何も質問していなくてもミントが答えてくれる。

「……あれは、闘技場……みたいな、もの。奴隷を見世物にするために戦わせて、お金を稼ぐの」

「もしかして、勝ち負けってのは」

「……ん。どちらかが、死ねば終わる。死ぬまで、終わらない」

 まさに、生死をかけた遊びってことなのか。そいつらにとっては。
 何で、そんなに酷いことができるんだろう。
 奴隷だって、ぼくたちと同じように生き、ぼくたちと同じように一喜一憂する。
 こんな下らない遊戯なんかで、簡単に命を落としていいわけがないのに。

「……行こ。ライムには、あんな闘技場、関係ないこと、だから」

「……う、うん」

 そうだ。今からぼくがしようとしていることが成功すれば、もう闘技場なんかで死ぬ人はいなくなるはずなんだ。
 だから、とりあえず前に進むしかない。

 何度目か分からない決心をし、ぼくたちは〈バトリオット〉へと足を踏み入れる。
 真っ先に抱いた感想は――スラム街みたい、だ。

 所々にある民家と思しき建物は、必ずどこかが崩れていたりボロボロだったりで、どれもお世辞にも綺麗や大きいなどとは言えない。
 更に、地面で寝ている人がいたり、服装が破けまくっていたり、体が泥だらけだったり。
 ミントからある程度のことは聞いていたものの、こうして実際に目にしてしまうと、あまりにも荒れていて衝撃を隠しきれない。
 これが、貧民街ってやつなのだろう。
 自分がどれだけ恵まれていたのか、思い知らされてしまった気がする。

 暫く歩いていくと、とある人物が二人ほど道を横切った。
 瞬時に、ミントはぼくの背後に身を隠す。
 最初はどうしたのかと訝しんだが、その二人をよく見て理由が思い至った。

 前方で歩いている人は、おそらく二十代後半の男性。
 後方で歩かされている人は、きっと十代後半の女……ミントと同じくらいではないだろうか。
 男は手に鎖を持っており、女の両手首には手枷、両足首には足枷が固定されている。
 そして、男の鎖と女の首輪は繋がっており、男が引っ張る度に女は苦しそうな声をあげていた。

 間違いない。
 後ろの女の子こそが、奴隷なのだろう。

「……こっち」

 ふとミントがぼくの袖を引っ張り、路地裏の細い道へ。
 できるだけ、奴隷を連れている人や知り合いには会いたくないのだろう。
 すぐさま意図を理解し、ぼくはミントとともに路地裏を進んでいく。

 ――すると、不意に。

「……痛っ」

 よく前を見ておらず、ぼくは何かにぶつかってしまい、尻餅をつく。
 その状態のまま見上げてみれば、一人の男性が目の前に立っていた。

 ツンツンに尖らせたオールバックの茶髪に、かなり目つきの悪い双眸。
 決して太っているわけではないし、筋骨隆々とまではいかないまでも、体はなかなかにガタイがいい。
 今のぼくは背が低めということもあるけど、それを抜きにしても背が高いほうだろう。
 不良、ヤンキーといった印象を抱いた。

「……んあ? 何だ、てめぇら」

 男は舐るように、ぼくとミントの全身を睨みつける。
 ぼくは尻についた埃を手で払いながら立ち上がり、できるだけ怒らせないよう気をつけつつ謝罪の言葉を述べる。
 見た目からして、怒らせると怖そうだと思ったから。

「あ、あの、すいません。よく前を見ていなくて」

 しかし、男はぼくの言葉に一切何の反応も示さず。

「……へえ。この町に、まだこんな上玉が残ってやがったのか」

 そう呟き、ニヤっと口角を上げる。
 何だか男の笑みに、言い知れない不快感を覚えた――矢先。

 男はぼくの襟元を荒々しく掴み、壁に叩きつけた。
 背中が痛いだとか、急にどうしたとか、そんなことを考える余裕すらなくて。

「お前――俺の奴隷になれよ」

 ほぼ数センチほどの近距離にまで顔を近づけられ、しかも吐かれた発言は本日二度目のもので。
 不快とか辟易とか呆気とか、色んな感情が綯い交ぜになっていたけど。
 ただただ、ぼくは。
 距離の近さと、男の凶悪な顔つきと、筋肉質の体と、粗暴な態度……それらに畏怖の念を抱いていた。

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