ぼくは今日も胸を揉む

果実夢想

#10 もう帰っていいですか

 大きな扉を開け、城の中へ足を踏み入れる。
 そこは、途轍もなく広い空間だった。

 左右に廊下が続き、奥には二階へと続く階段がある。
 天井は凄まじいほどに高く、これが家などとは到底信じられない。
 人生初の城内に感動し、ぼくはついキョロキョロと辺りを見回してしまう。

「お坊ちゃん。おかえりなさいませ……って、あら? そちらの方は?」

 と、廊下の奥から一人の女性が歩いてきて、ぼくの存在を視界に捉えるや否や首を傾げた。
 その姿を見て、ぼくは思わず感動を覚える。

 何故なら――その女性は、メイド服を着ていたのだから。

 やはり、王族なだけあって仕える者もいるのか。
 しかもメイド喫茶にいるような紛い物ではなく、完全にガチのメイドである。
 更に美人。そして、メイド服の上からでも分かるくらい、かなりの巨乳だった。
 ……Fか、それ以上ありそう。ぼくも、こういう美人なメイドに奉仕されてみたい。
 まあ、雇う金なんてあるわけないんだけど。

「ああ、ただいま。紹介するよ、僕の彼女だ」

「は、はは初めましてっ! えと、その、ライム・アプリコットっていいます!」

 ぺこりぺこりと頭を下げ、慌てて自己紹介をするも、緊張のあまり声が上ずってしまった。
 だめだ、圧倒的に経験が足りない。
 鏡を見なくても、顔の熱さで赤面してしまっていることが分かる。
 が、メイドさんは然して気にした様子も見せず、口元に手を当てて笑う。

「まぁっ! お坊ちゃんにも、ついに彼女の方ができたのですね。おめでとうございます」

「う、うん、まあね」

 メイドさんが嬉しそうに声を弾ませるものの、当の王子は気まずそうに目を逸らす。
 どうやら、お見合いを断るための偽彼女であるという旨はメイドさんにすら話してはいないらしい。当然か。

「初めまして、ライム様。わたくしはパピオール家のメイドをしています。マリアージュ・ウインクと申します。よろしくお願いします」

 そう名乗り、礼儀正しくお辞儀をするメイドさん。
 一つ一つの所作が丁寧で、さすがは王に仕えているだけはあるなと感心するばかりだ。

「マリア。僕は今日、父様に彼女を紹介するつもりだ。そして、お見合いの件を断る」

「左様ですか。お坊ちゃんがそうなさるのでしたら、わたくしは反対いたしません。将来の伴侶となる方くらい、自分で決めたいと思うのは当然ですもの」

「ああ、分かってくれて嬉しいよ」

 将来の伴侶って……分かっていたことではあるけど、やっぱり結婚前提なんだね。
 でもぼくは男には興味ないし、もちろん偽の彼女である以上、結婚なんてするつもりはない。
 だったら、今日お見合いの件をなしにできたとしても、今度はいつ結婚するのかという問題に直面しそうだ。
 大丈夫かな。今から、めちゃくちゃ不安になってきました。

 言い知れない懸念を孕みつつも、ぼくはネルソン王子に続いてマリアージュさんの横を通り過ぎる。
 と、その拍子に、マリアージュさんの小声がぼくの耳に入った。

「……頑張ってくださいね。いつかお坊ちゃんと結婚できますよう、応援していますから」

 ぼくは、何も答えることができなかった。
 どうしよう。どんどん外堀を埋められ、本当に結婚しないといけなくなりそうで怖い。
 無闇に引き受けないほうがよかった気がする……。今更後悔しても遅いのは分かってるけども。

 早くも帰りたくなりながら、ネルソン王子の半歩後ろで階段を上っていく。
 今から王様に会わないといけないのだと考えれば考えるほど、心臓の音が騒がしく鳴ってしまう。
 ああ。何で中身は男なのに、こんなことをしなければいけないのか。
 認めてもらったら、それはそれでぼくとしては困ることになりそうなのだが。

「あの、ネルソン王子」

「ははは、王子はつけなくていいよ。呼びづらいだろう?」

「じゃあ、ネルソンさん。本当に、ぼくで大丈夫なんですか?」

「そう身構えなくても大丈夫だよ。きっと難しいことは要求してこないだろうしさ」

「そう、なんでしょうか……」

 ネルソンさんが励ましてはくれたものの、ぼくは全く不安感を拭えなかった。
 当然だろう。王子の彼女として王と直接顔を合わせるなんてこと、緊張するなというほうが無理な話だ。
 一歩進む度に動悸の激しさが増す胸を押さえ、ひたすら王子について行く。

 幾つかの階段を上り、廊下を突き進む。
 やがて、かなり奥までやって来たところで、一つの大きな扉が見えてきた。
 見ただけで、この先に王様がいるんだろうなということを察せれる。

「いくよ? 大丈夫?」

「あ、は、はい……大丈夫です」

 心配そうに訊ねてくるネルソンさんに、ぼくは何とかそれだけを答える。
 本当は全然大丈夫なんかではなかったけど、今更言ってもどうにもならない。
 頑張れ。頑張るんだ、ぼく。さっさと終わらせて、大金を貰ったあとでユズたちのところに帰ればいい。

 自分に言い聞かせていると、ネルソンさんは大きな扉を開け放つ。
 ギィー……と重そうな音が辺りに響き渡り、その扉は全開となった。

 そこは、何百畳もありそうなほど広大な部屋だった。
 柱が何本か建ち、扉のところから続くレッドカーペットの先には一つの王座。
 王座の上には、一人の男性が腰掛けていた。

「父様、僕の最愛の彼女を連れてきました。僕は、将来この人と結婚するつもりです。だから、お見合いの件はなしにしていただけないでしょうか」

 言いながら、ネルソンさんは玉座に座る王のもとへ歩み寄っていく。
 その半歩後ろでついて行きながら、ぼくはビクビクと怯えてしまう。

 結構な近距離にまで近づくと、ようやく王の顔をはっきりと見ることができた。
 そして、見てしまったことを全力で後悔した。

 まるでサンタクロースのように、立派に蓄えた白い髭。
 髭や髪と同色の眉毛の下には、細くて鋭い双眸。
 王様らしいマントなどの服装を身に纏っているが、ガタイのよさは歴然だ。
 おそらく服を脱げば、そこにはかなりのゴツい筋肉が現れるだろう。
 王子とは親子なのだろうけど、微塵も似ていない。

「ほう……?」

 王の鋭い眼光が、ぼくを捉える。
 睨みつけられ、ぼくは顔を青ざめさせるだけで身動き一つ取ることさえ叶わない。

 端的に、一言だけ感想を言うならば――とても怖かった。

 やばいよ。この王、完全に怖い人だよ。
 さっきまで必死に固めた決意は、一気に消し飛んでしまった。
 ……あの、もう帰っていいですか。

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