鱶澤くんのトランス!

とびらの

夏だ、海だ、水着がない!

 
 軍事施設の前を、少しだけ早歩きで通り過ぎていくと、イッキに景色が開けた。
 森が終わり、急な坂道。その地面はすでに、白い砂で出来ている。
 砂浜だ。そして、海が広がっていた。

「おおーっ瀬戸内海!」
「うみーっ!」

 さっそく、走り出していく『青鮫団』。ああ、外国人観光客がぎょっとして逃げていく。テンションのあがった男子どもは、そのままザブザブ、海水に足を着けていった。

「うは、つめて。すずしー!」

「こらーっ水着持ってきてるだろう、ちゃんと着替えてけよ!」

 俺が声を張り上げると、何人かは言うとおりにしたが残りは無視。どうやら気にせず濡れていくつもりらしい。ばかじゃなかろか。夏だからって、海水だぞ。乾いてもべたべたするし汚れるだろうに。

「くらえ山の字。秘儀、手のひら水鉄砲!」
「ぐはっ! おのれ川の字。オレを怒らせたな? 出でよ水龍!」
「ぶへぁっげほげほっ」

 俺は腰に手を当て、ため息をついた。

「ばかばっかり。どうしてあいつらはこう、図体ばかりで脳みそは小学生のままなんだ」

「良くも悪くもね」

 明るい声で、モモチが言う。あっ、笑ってる。
 琥珀色の目を細め、眉をたらして微笑んでいた。もうあのコンビへのわだかまりはないのだろうか。横顔に陰りは見えない。

 モモチはビーチバッグを軽く持ち上げ、俺に向かってあごをしゃくった。

「おれたちも泳ごう。あの小屋みたいなのが更衣室だから」

 俺は肩をすくめた。ぶんぶん首を振り、

「あたし水着持ってない」
「えっ? ペンションに忘れた? そのリュックは」
「じゃなくて、家から持ってきてない……リュックは、その――お財布とか」
「えぇーっ!?」

 モモチは大きな声を出した。

「なんで? 二日目の昼はビーチって、鱶澤さんには伝えたよ。聞いてなかった?」
「き、聞いてた、けど。あたし、水着持ってなくて……」

 正確には、男物ならばリュックに入ってる。今日、旅行二日目は男に戻ってる予定だったからな。着替えはもちろん、水着だって鱶澤ワタル専用だ。
 しかしモモチにこの理由を言うわけにいかない。
 愕然としている彼に、俺は適当に言ってみた。

「ちょうどサイズ新調しようかなって思ってたとこに、突然の代役だったから、買いに行くのが間に合わなくてさ。でもいいよ。足でもつけて……みんなが楽しんでるの、見ているだけで」
「……せっかく、片道八時間もかけて離島に来て?」
「うっ。いや、でも仕方ないじゃん」

 俺が男だったら――男の体だったら、『青鮫団』の連中のように、ざばっと濡れてしまってもいいけどな。さすがに女でそれは、みっともない。シノブの服を汚すのもなんだし、トップスのほうは濡れたら下着が透けそうだし。

 しかしそう言われたら、急に惜しくなってきた。
 この暑さで山道を歩いてきたのだ、俺だって、みんなみたいに水をかぶりたい。
 念のため、って、シノブに借りておけばよかったなあ。水着ってほとんど下着感覚あるから、実妹に借りるのはちょっと気が引けたんだよ。

 もう、仕方ないよな……

 モモチは顎に手を当てて、なにやら考え込んでいた。ぶつぶつ、呟いている。

「……どうだったかな……あったような気がするけど……普通みんな持ってくるからなあ。でもシーズンだし少しくらいは……」

 なにやら記憶をたどり、むうと唸ってから、俺の手を取った。

「アユムちゃん、お金は持ってきてるんだよね。じゃあこの先、もう少し歩いて、休暇村ホテルまで行ってみよう。たぶんだけど水着も売ってる」
「えっ。本当?」
「たぶんだってば。まあもしなかったら、それはそれで。海水浴以外の楽しいことしよう。あっちにはウサギもいっぱいいるし、自転車をレンタルして、ぐるっと回ればテニスとかグランドゴルフとか……」

 言いながら、さっさと歩き始めるモモチ。俺は手を握られたままなので、必然、いっしょに行くしかない。
 一応、海のほうを振り向くと、『青鮫団』一同はすっかり夏を満喫していた。
 まああいつらは放っておいてもいいとして。

「モモチはいいの? 自分は海に入らなくて」
「おれ? 子供のころから毎年来てるもん、今更」
「……でも……みんなと水遊び、楽しみにしてたんじゃ……」

 俺の言葉に、モモチは吹き出した。俺の手を離し、その場にしゃがみこむ。
 砂浜にうずくまり、彼は腹を抱えて笑っていた。

 ……なんだよ。

「くく……っ、アユムちゃん、それマジでいってるの。おれが、『青鮫団』と海水のかけあいっこをしたいって? 本当にそう思ってるんだ。アハハ」

 ……だったらなんだよ。知らないよ。違うなら違うっていえばいいだろ。
 ほほを膨らませた俺に、モモチは立ち上がり、軽く頭を抱えた。

「そんなの全然楽しくね―よ、とは言わないけど。できれば、君としたいに決まってるじゃないか」
「……え……」

 目を丸くし、急速に紅潮した俺に、モモチがハッとして手を振った。

「し、したいって、ちがうよ! そういうことをしたいじゃなくて、海水浴、水の掛け合いっこの話!」

 うん? それはわかってるけど、何を弁解しているんだ。
 俺が理解できないところで、モモチは勝手に赤面し、慌てて何やらまくし立ててくる。

「お、おれ別にほんと、そんなの考えてない。あの――あの、携帯のアレも、ほんとに違うんだ」

 俺が何も言う前に、どんどんしゃべりだすモモチ。

「ただ最初普通にどうということないの見てたら気になるリンクが、紛らわしくてわかりにくくて、間違えて。初めからそういうの検索かけたわけじゃない」

 ああ、うん、うん。
 俺は頷き、優しく微笑む。

「わかってる、大丈夫」
「ただちょっとタップしてみただけで、そしたらどんどん、色んな案内が出てきて、それで」
「わかる。理解を示す、じゃなくて共感。経験者。もういい」
「うっかり夢中に――ほんと無意識に――気が付いたら夜明け前――」
「オッケー少年、いいから落ち着け。墓穴を掘ってるその手をとめて、一回深呼吸な」
「そりゃ全然そんな気持ちがないって言ったら嘘になるけどそんなの普通だろ、なんであんなにからかわれなきゃならないんだ。おれが特別ムッツリとかじゃないだろ、あぁアユムちゃんの水着姿だって見たいに決まってるわ当たり前だ!」
「黙れモモチ! もうこっちがいたたまれねーよっ!」

 俺はモモチの脳天にチョップを下ろした。

「ふぎゃっ」

 たいして力はいれてなかったが、そのショックで目を見開いたモモチ。どっと汗を浮かべると、俺に背を向け、走り出した。

「待って、あたし道がわかんない!」

 叫ぶ。と、彼はその場で足を止め、今度はゆっくり歩き始めた。
 混雑した海水浴場、足跡だらけの砂浜に、モモチの靴跡が捺されていく。
 俺はそこに、サンダルを重ねた。
 彼との距離を開けたまま、同じ道をたどっていく。
 砂浜を抜け、アスファルトへ続く階段あたりで、モモチは止まって待っていた。
 俺が一度サンダルを脱ぎ、裸足についた砂をはたいていると、片手を持ち上げ、支えてくれた。両足ぶん、持つ手を変えて。

「ありがとう。行こうか」

 靴を履き終え、階段を上る。山道とちがい、海の周りはきれいに舗装され、アスファルトはまったいら。
 ホテルは真っすぐ、道なりにあるらしい。もう目の前に、大きな建物が見えていた。
 それでも俺たちの手は、ずっとつながれたままだった。

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