鱶澤くんのトランス!

とびらの

そんなことよりイカモツだ

「うまーいっ!」

 夏の空、ウサギの島にひびく野太い歓声。

「やべっこれあっつ。あちっ。うまっ。おう、おう」
「なんだこれ野菜がうまい。しいたけが滴る。カボチャがとんでもねえ!」
「肉! 肉! 肉―っ!」

 遠く、聞こえてくる声に、俺は笑った。山盛りご飯を両手に抱え、大騒ぎしているところへ乱入していく。

「ごはんのおかわり、欲しい人―っ」

 はいはいっとたくさんの手が上がる。おっと、こりゃまた往復しなくちゃ。とりあえず近くのひとにどんぶりをわたし、炊飯器のほうへ小走りで戻った。

「ひえっ、もうこんなに減ってる。もう一升炊いた方がいいなこれ」

 吸水や蒸らしをサボれば、三十分ほどで炊き上がる。男子の食事は舌より腹だ。待たせるくらいなら早炊きでいこう。
 とりあえず挙がった手のぶんは間に合うか。バーベキュー広場に運び、俺は再び、五メートル離れた調理場へ戻った。すでにカラッポになっていたほうの釜を持ち上げた。

「熱つっ……」

 まだ熱が残ってたらしい。鍋掴みがないな。俺は面倒がって、だぼゆるシャツの裾で手を覆い、熱い釜を持ち上げた。
 丸出しにした臍に、さっと涼しい風がとおって気持ちいい。
 よいしょよいしょと洗い場へ運んでいると、丼を抱えた大山が、俺の前に立ちふさがった。

「あれ? ごはん、売り切れ?」

 俺は首を振った。

「もうひとつの釜にまだあるよ。でも黄色信号。これから追加を炊くね」
「二つとも炊いたほうがいいかも。みんなまだまだ食うよ」
「そっか、わかった、そうする」

 俺は大山をかわし、釜を洗い、米を量った。ボウルで研いだ米をザルにあげ、釜に戻して水を量って、炊飯する。
 もう一つの一升炊きに、ほんの少しだけ残っていたご飯をボウルへ上げて、またシャツを使って釜を持つ。そこへ二年生の男子が三人やってきた。

「アユムちゃーん、ごはんおかわり」
「あと肉も追加欲しいって」
「ジュースちょうだい」

「ボウルに上げてるから自分でついで。肉はウインナーならそこに。カルビはまたすぐ持ってく。ジュースはペンションのほうに言って!」

「えー」「えー」「えー」

 こら、三人そろってエーってなんだ。そのくらい自分でやらんかいっ。
 ああもう、忙しくて手が回らない。男子高校生どもの食欲はすさまじくて、こさえてもこさえても消化されてしまうのだ。
 調理はともかく、雑用くらいはそっちで頼みたい。こっちはアツアツの釜を抱えて、フウフウ歩いてるんだからな。
 と、またまた前に障害物。今度はひょろ長いシルエット、小川である。

「ついでやりなよ。みんなアユムちゃんの、はいおかわりどうぞ、が聞きたいんだから」
「……は? ……はあ」

 俺は眉をひそめ、首を傾げた。なんだかわからんが、とりあえず小川、どけ。
 三秒、待ってもどいてくれないので、俺はやはり身をかわして進んだ。
 先に肉を持っていき、帰ってきてから米を研ぐ。

 ……さっきのやつ、ジュースもらえたかな? あとで様子を見に行こう。

 炊飯のスイッチを入れて立ち上がると、左右にぴったり、男が二人。またしても大山小川である。

「アユムちゃん、あのホイル焼きすげー美味かったよ。オレ、白身魚って苦手だったのに独り占めしちゃった」
「ああそう? それはよかった」
「ホント料理上手だね。いつも彼氏に作ってあげてるのかなあ?」
「彼氏いない。家族以外に作ったことない」

 早口でそっけなく答えたが、別に機嫌が悪いわけではない。ちょっと今忙しいのだ。

「……生キャベツにかけたドレッシング、アユムちゃんの自作だよな。なにあれすごい美味かった」
「めちゃくちゃ簡単だよ。ごま油にニンニク塩コショウとお醤油」
「そういう、冷蔵庫にあるものでちゃちゃっと作れるってポイント高いよなー」

 ポイント? いやだから忙しいんでどけって小川。

「やっぱ、美味しいもの食べてるから肌がきれいなのかな? それ、すっぴんだろ? ほっぺたぷりぷりもちもち……」
「体はきゃしゃなのに、二の腕と太ももがむちっとしてるのが、また……」

 二人を押しのけ、また料理にかかる。大山め、アクアパッツアを独り占めしたなんて。あれは魚好きのモモチのために作ったんだからな。

 もう一度同じものを作るため、イワナを処理して、ホイルの皿にアサリとならべて、キノコと玉ねぎ、オリーブオイルにニンニク、パセリとトマト、白ワイン。それを二皿、大山に渡す。

「はいこれ、網の上に置いといて。ひとつはお前のおかわりに。でもひとつは手を出すなよ」
「オレのために作ってくれたのか?」
「違う! いや違わないけど決定的になにかが違う」
「ありがとう、大事に使うよ」
「使うってなんだ。速やかに食え」

 大山はホイルを持ってバーベキュー広場へ向かったが、すぐにまた帰ってきた。イカのモツ煮込みを調理している俺の前に立ち、なぜか少し、背伸びをする。

 ……なんだ? なんか、変な動きしてるぞ。

 ふと、手元に影が差す――小川が俺の真後ろにたち、やはり少しだけ背伸びをして、身を乗り出していた。

 ……俺はふと、彼らの視線――俺を、真上から見下ろしたところを想像してみた。
 ゆったりとした襟元。正面からなら鎖骨だけだが、真上からなら胸のふくらみぶん、体の中が見えてしまう。一本線の谷間と安物のスポーツブラがそこにある。
 俺は慌てて、胸元を抑えた。にらみつけると、シレッとそっぽを向く二人。

 こいつら……!
 まったく、男ってのは――気持ちはわかる、すごくわかる、よくわかる!

 そのせいか、怒る気にはなれなかった。俺のガードが甘いせいってのもあるしな。
 俺は嘆息し、何も言わずに作業を再開した。それで許されたと思ったのかバレていないと判断したのか、またもスススッと横に並んでくる二人。

「あのさあ、アユムちゃん」

 大山よお前は初日、妹ちゃんとか言ってただろうが。なんで名前呼びになってんだ。敬語モドキもなくなってるし、なんか妙に粘っこい。
 昨日は道中置いてけぼりにしたのに、なぜ今日になってベタベタしてくる? はっきり言って気持ち悪いんだけど! 

「な、なにかな大山くん」 
「俺さ……ベンチプレス、百キロ持ち上げられるんだよね」

 …………。

「……はあ」
「しかもノーギアね。ちなみに俺の体重は八十キロだから、自体重よりも一,二倍近くも重いんだよ。高校生で。ノーギアで。あ、ノーギアってのはベンチTシャツを着けない、生身ってことね。ベンチTシャツってのは、伸縮性ある素材で締め付けることにより反発力を利用して記録を伸ばすもので、フルギアはズル、とまではいわないけど、ノーギアの俺と一緒にされたくはないっていうやつ」
「…………はあ?」

 それなら、一緒に体育でやったから知ってるけど。ちなみに俺は百四十キロ上げられたけども、それがどうしたんだ。
 意図が分からずキョトンとする俺に、小川がチッチッチ、と人差し指を振って見せた。

「やめろよ山の字、アユムちゃんが困ってるじゃないか。女の子にそんな話したってわからないだろ。それにこの二十一世紀に、腕力でアピールなんてどうかしてるよ」
「なんだと、川の字」
「即物的なんだよお前は。雄の魅力ってのは、そんなもんじゃないんだ。ねえ、アユムちゃん?」
「……ええ……まあ、うん。それには同意かな……」

 とりあえず頷きはしたものの、そもそも何の話だか分からない。
 あ、イカモツが煮えてる。俺は調理台のミニコンロから小鍋を外し、皿に移し替えていく。わーい美味しそう。

「アユムちゃん。俺ってさ――社長の息子なんだ。イトコは芸能人だし」

 後ろで小川が何か言ってるけども、そんなことよりイカモツだ。刻みショウガとネギで飾って、出来上がり。これはどうかなー、母親がビールのアテにって大喜びするメニューなんだけど、高校生だとクチを選ぶかもしれないなー。

「そんなのお前の手柄でもなんでもないだろうが。ていうか町工場の三男坊、イトコは月給二万五千の吉本芸人だろ」
「う、うるさい! どっちも将来性があるって話だよ。腕力なんて年齢とともに落ちるだけだろ。衰えていくのを見ていくだけより、伸びしろがあるほうが生涯を共にしたいもんだろうが!」

 まあ、誰も手を着けなかったら、俺があとで食べればいいし。
 ……そういえば、おなかすいたな。
 調理に忙しくて、まだ一口も食べていない。この体は、男の時より食欲がないんだけども、それにしたってもう昼過ぎだ。いい加減疲れてきたし、そろそろ休みたい――

「だからそれはお前の兄貴とイトコの話であって、お前が伸びるのは前髪くらいのもんだろっ!」
「なんで前髪だけなんだよ! 後ろ髪だって伸びるわ!」
「どうだか!」
「伸びるわ!」
「俺だってまだまだ肥るわ!」
「どうだか!」

「ああもううるせーっ! 手伝いもしないならあっち行ってろ!」

 とうとう俺が怒鳴りつけると、二人はビクゥと縦に飛び跳ねた。そして慌てて、その辺の物を掴む。どうやら手伝うつもりらしい。どっちかというとあっちへ行くほうを選んでほしかったが……まあ邪魔しないならいいや。

「じゃあ二人、このイカモツと、イワナの追加を持って行って」
「おお……いい匂いだ」
「美味しそー」

 俺は笑った。我ながら単純、バカ丸出しだけども、そう言われたら機嫌が直ってしまう。

「ちょっと、つまみ食いする?」

 二人同時に、パカッと大きな口が開いた。あれ? 俺、つまんで食べさせてあげる、なんて言ったっけ?
 ……まあいいか。
 指でつまみやすそうなイカ肉を探して、二人の前に掲げて見せる。気分は親鳥。

 はい、アーン、と放り込んでやろうとしたところで、横から手首を掴まれた。

 ――モモチだ。

 彼はしかめっ面のまま、俺の指をばくりと咥えた。

「あっ」
「ああっ」
「あああっ!」

 男二人の悲鳴。モモチはイカを奪うと、一度、俺の指を舐めた。指先に、モモチの舌の感触。彼はすぐに俺の指を開放し、もぐもぐ、イカを咀嚼した。

「――ん。うまい。かすかな苦みがイイね」

 ……それは、よかったです。

「こら、桃栗。てめえ……」

 目の前で食料をさらわれ、大山がすごむ。小川がゴキゴキと拳を鳴らしていた。しかしモモチは鼻を鳴らし、俺の肩を抱いて背を向ける。

「お疲れ様。もういいから、アユムちゃんもバーベキュー食べよう」
「えっ――でもまだ、みんな食べ終わってないだろ。平気だよ、二人が手伝ってくれるっていうし」
「手伝う? そこは、代わるよってところじゃないのか」

 ……何怒ってんだ、こいつ。

「楽しそうに調理してたから、そっとしといたけども……。アユムちゃんは客、この旅行の幹事はおれだ。あんまり目に余るようだと解散させますよ、先輩がた」

 言葉は穏やかだったけど、脅迫であった。二人はグッと呻いて沈黙する。
 俺はモモチに手を引かれて、広場の方へ。キャンプチェアに座らされ、右手に箸、左手にお皿。そこに、モモチはぽいぽいと肉を放り込んできた。

「えっと、モモチ?」
「ごはん持ってくる。飲み物はジュース、お茶?」
「お茶……」
「あっアユムちゃんだ、食材、もうなくなったん?」
「休憩だろ? ずっと作りっぱなしじゃアユムちゃんだってエネルギー切れするよな」

 寄ってきた男子を、モモチはにらみつけた。ほとんど怒鳴りつけるようにして言う。

「アガリだよ。続きは自分らでやろう」
「えー? でもオレ料理なんかしたことないし、調理師じゃないしぃ」
「アユムちゃんだって、おれらの家政婦でもないだろ」

 そういわれて、初めて彼らも思うところはあったらしい。心地悪そうに後ろ頭を掻いて、俺に頭を下げてくれた。俺は笑って手を振った。

「全然平気! ほんと、楽しんでやってたから!」
「でも、そういえば二時間以上、ずっと……」
「俺らばっかりバクバク食って、なんかほんと、無意識っつーか、家でのクセというか」
「大丈夫だって、それこそあたしも家でやってることだしっ」

 なんかそんな、素直に謝られると居心地悪い。
 しかし確かに疲れたし、おなかも空いた。そういえば朝食も取ってないぞ。
 モモチの気遣いに甘えて、ここでご飯にさせてもらおう。
 俺は手を合わせると、モモチがとってくれた肉にかぶりついた。
 自分で下味もつけたけど、試食もしていなかった。
 腹ペコの胃に、炭火でじっくり焼いた牛肉の味。俺はすかさずご飯を頬張り、一緒に噛んで、堪能する。
 全身が震えた。

「うわあっ……おいしぃーっ!」

 周りから、どっと笑い声。

「なにこれ……なんでこんな美味しいんだ……」

「ペコペコだったからでしょー」
「いやいや、アユムちゃんの下ごしらえがよかったからだ」
「魚もあるぞ、骨、外しといてやろっか」
「ホストかお前ら!」

 俺がわめくと、また笑い声が上がる。俺も笑った。
 美味しくてうれしくて幸せで、口をいっぱいにしながら笑っていた。
 たいして高級な肉でもなさそうなのに、なんだこの旨味は。炭火すげー。バーベキューすごい。
 『青鮫団』のみんなも、肉や野菜、俺が作った料理を食べて、美味しい美味しいと喜んでいる。遠くからその声は聞こえていたけど、顔を見るのはまた格別だった。
 嬉しい。
 人に料理を作ってあげることが、こんなにたのしいなんて知らなかった。
 俺の料理を、喜んで食べる人を見るのがこんなに幸せだなんて知らなかった。

「はい、おかわり。おれが焼くからどんどん食べて」

 モモチが皿に載せてくれる。受け取りながら、俺はモモチをじっと見つめた。
 肩をすくめ、何? と心地悪そうにするモモチ。
 俺は彼に伝えた。

「ありがとうモモチ」
「……なんのお礼かな」
「あたしのこと気遣って、休ませてくれたことと、ここに連れてきてくれたこと。……みんなで食べるごはんって、美味しいな」

 へへっ、と笑い声が出る。俺は、女らしい笑い方なんて知らない。俺はただ心から溢れた喜びを、笑い声にしてこぼすだけだ。
 その場にいた『青鮫団』たちが、みんな揃って赤面した。モモチまでもが口元を抑え、低いうめき声を漏らす。

「その、笑顔は禁止だ……」

 えっ、なに、今笑っちゃダメなところだった? 眉をたらした俺の肩を、モモチは軽くたたく。視線をそらしたまま、彼は言った。

「なんか、ごめん」
「へっ? 何の話」
「……さっき、先輩たちとの間に乱入したの。無理やり引っ張り出した……」
「ああ、それは、あたしを休ませるためだろ?」

 そうじゃなくて、とモモチ。

「もちろんそれもあったけど。……純粋に、邪魔した」
「邪魔って?」

 聞き返しても、モモチはムーとかだからーとか呻くばかりで、話してくれない。周りの『青鮫団』も訝しむなか、モモチはとうとう黙り、背中を向けてしまった。

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