鱶澤くんのトランス!

とびらの

助けてシノブ


「どうしようなにこれお母さん助けて……」

 携帯電話に向かって、俺は泣きついていた。電波の向こうで、母は状況を一問一答で把握していく。そしてウームと唸っていた。

 母は、俺と違って生粋のラトキア星人――民族みんなが雌雄同体で、性別が変動する国の生まれ育ちだ。地球で生まれ、母と妹しか同族のいない俺よりはるかにものを知っているはず。
 どうしたことだ、これは。これから俺はどうしたらいいんだ。

「お母さぁん……」

 母は、とにかく落ち着いて、と言い聞かしてきた。

『一度は男に戻ったの? それとも昨日からずっと女のままってこと?』
「……わ、わかんないっ……あ、あたしっ、ベッドで、すぐ寝ちゃって。自分の身体、見れなくてっ……」
『なんだかはっきりしないわねえ。ワタル、昨日あんた何時に寝たのよ』
「わかんない。けど、いつものどくんっていうのが来た。あれが十二時ちょうどなら、そのあとすぐ寝たはず……」
『携帯の音は入れてた? あのね、母ちゃんはしごとが終わってから、心配になって電話をしたんだよ』
「え……いや、気づかなかった」
『じゃああとで不在着信の履歴みてごらん。たしか十一時過ぎのはずよ。着信に気づかなかったならもう寝てたんじゃないの』

 ……そんなはずは……だって、俺は、いつも。

 これまでずっと、第四土曜日の夜十二時、すなわち日曜日の零時に、変身トランスしてきた。あの鼓動、感覚は、間違いなくソレだ。俺はてっきり、そのとき男に戻ったと思ってた。

 しかしあれは……変身してなかった? それとも十一時前という、変則的な時刻に変身したのか。

 きっと、前者だ。だって今の俺は女だもの。十二時をはるかにすぎ、朝になっているのにだ。だったら昨夜からずっとそのままと考えた方が自然だろう。

「どうしよっ……お母さん。あたし……このまま男に戻れなかったらどうしよう?」

 涙混じりの訴えに、母親はしばらく、ウーンと唸る。そして存外、あっけらかんと返事をした。

『そうねえ。まずは病院ね』

「び、びょういん?」

『うん、霞ヶ浦本駅の裏通りに、地球潜入中の宇宙人御用達の病院があるの。ラトキア星人以外もいっぱい出入りしてるところ』

「……えっ?」

『そこで診断書をかいてもらうのよ。まあちょっとイヤな病名みたいなのついちゃうけど、それだけこらえたら意外とあっさり戸籍も名前も変えられるわ。結婚だって出来るしね』

「ちょ」

『心配いらないわ。私もそうしたし、地球人でも、性別変更したひと結構多いんだって。ああでも高校はねえ……色々難しいわよね。転校するか、通信かなにか――まあ、もうじき卒業だしなんとでも――』


「――ちょっ――と、待てよ! 俺は男だ! 女のまま生きてくつもりないから!!」

 俺は怒鳴った。

 本気でぞっとしての絶叫だったが、母はけらけらと笑い声をあげる。

『じょーだんよ冗談。わかってるって!」
「ば、ばばあっ……!」
『あんたが変に深刻ぶってるから、おっかしくって。――あのね、そんなに心配しなくてイイから。本来、ラトキア人の性別変異はそういうものなの。周期的といっても個人差があるし、緩やかに変わって、何日も続く。きっかり月に一日だけパッと変わってきっちり二十四時間で元通り、っていう、元々のあんたのほうがおかしいの』
「……でも……今までそうだったのに、急に……」
『そんなもんなんだって。地球人の生理てのも、不安定で、栄養状態とか生活とか精神メンタルとかで簡単に狂うらしいわよ?』

 それは……聞いたことはあるけど。
 黙り込んだ俺に、母親は優しく諭した。

『難しく考えすぎ。あんたは根が真面目すぎるのよ。そのキッチリした雌体化周期もそのせいかもね」
「……そうかな……」
『そういうとこ、お父さんにそっくりねえ。ま、そんなに気負わないで。大丈夫、ほっとけばそのうち戻るから。いいじゃないの、途中で入れ替わりなんて小細工必要なくなったんだから。引き続き、旅行を楽しんでいらっしゃい』
「……でも……いつまた男に戻るか……」
『男性服は持ってきてるのよね? 前兆が来たらすぐ逃げ出せるように、大きくて見通しのいい施設は入らない方がいいかもね』

 俺は頷いた。たぶん、そういう所には行かないと思う。ひとの多いところにはすぐそばに建物があり、走って五分以内にトイレ、少なくとも物陰がある。着替えが間に合わなくても、ここは夏の海水浴場だ。裸でも腰タオルだけ巻いとけば、その下に水着があると信じてもらえるだろう。『青鮫団』の連中も、女が突然もよおしたと言えば引き留めやしない。

 まあ、いける、かな。うん……。

 俺は母に礼を言い、電話を切った。そこで初めて、不在着信の表示と時計を見る。午前十時三十分。まるまる十二時間くらい寝ていたわけで、疲労はすっかり取れていた。

 おなかすいたな……。朝ご飯は、食べ逃してしまっただろうか。

 とりあえず部屋を出ようとして、ふと、思い出す。俺、女物の着替えがない。

 女であるのは一日限定の予定だったからな。ワタル用がXLサイズのフルセットに靴まであるから、リュックはソレでいっぱいだった。

 しまった、念のために着替え持っておけばよかったなあ。幸い下着だけは風呂上り用に替えがあったが、それだけだ。汗もかいたし昨日と同じ服なのバレバレだし。いやあの『青鮫団』の野郎どもがそんなことに気がつくとは思えないしどうでもいいんだけど……たぶん、モモチはわかる。口に出しはしないだろうけど……不潔な女の子だと、思われるかなぁ……。

 むう、と俺は唸った。とりあえず男物の服を全部、並べて見る。ズボンはウエストも丈も絶対無理だけど、上は着れなくもないか。三枚あったトップスの中で、なんとなく可愛げのあるものをかぶってみる。黒とモスグリーンの横縞Tシャツだ。

 鏡に映して見ると……おっ、悪くないんじゃないかな。だぼゆるシャツに白のタイトスカートがしっくりくる。ちょっと腰のところを横で縛ってみたりして。あっいいじゃん。華奢な首や肩が際立つね。

 あとはボサ髪を整えて……むぅ、横髪が決まらないな。このちょっとハネてるのが許せない。ウィッグを被るためのヘアピンは地味で真っ黒だし、どこかで可愛いの売ってないかな。むき出しの胸元デコルテもちょっと寂しい。安物でいいから、ペンダントかなにか……土産物屋あたりにあるかもしれない。 

 その時、ベッドに置いていた携帯電話が鳴った。妹、シノブと表示されている。

「――もしもし?」
『お兄ちゃん? わーほんとに女の声だ。お母さんから聞いたよ。女になっちゃったんだって?』

 むっ。俺は声を低くした。

「ちがう。雌体化が長引いただけだ。ちゃんと男に戻る」
『あっそうなの、残念。これからは姉妹で恋話コイバナが出来るかと思ったのに』
「ばっ、ばかいうなよ!」
『何怒ってんのよ。だって、そうなんでしょ?』

 シノブは言った。何が、と追及する俺に、あっさりと。


『ラトキア星人は雌雄同体。恋をした相手に合わせ、その人とつがいになれるよう、己の性別を変異させる――周期的な変化は、より優れたパートナーと出会うため、可能性を広げるためにすぎないのよ。このヒトってのが見つかれば、変異は止まる』

「……そ……それが、なんなんだよ。俺は……」

『恋をしたんでしょ、お兄ちゃん。友達だか行きずりの旅行者だか知らないけどさ。この旅で何かがあって、その人に好かれたくて、抱いて欲しくて――それで、お兄ちゃんは女の子になったのよ』

 間違いないわ、と確信を込めるシノブ。俺はあんぐりと口を開け、ひたすらに絶句していた。


『なにも恥じることじゃないし、悪いことでもないわ。わたしも一度女の子を好きになって、男になりかけたことあったしね。結局それはダメになって、今の彼と出会ったんだけど。
 ……こういうのは、運命の分かれ道。寿命までの、ルートの選択でしかないと思う。
 お兄ちゃんが、男として生きたいなら、戻りやすくなる方法をアドバイスするけど……
 流れに身を任せちゃうのもいいんじゃない?
 なにがどうなったって、お兄ちゃんは、お兄ちゃん。
 どんな道を通ったって、お兄ちゃんの人生だよ』


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