鱶澤くんのトランス!

とびらの

あーんでシギャー

 ぱりっとほどよく焼き目のついた、タチウオの塩焼き。茸をふんだんにつかったお吸い物、趣向を凝らした小鉢料理。一人ずつ置かれたミニコンロのすき焼きから、牛肉のいい匂い。

「おおおうまそーっ!」
「はらへったあああ」

 歓声を上げて食事にかかる『青鮫団』。

 ……たしかに、タダ飯とは思えないくらい豪勢だし、美味しそうだけど……俺は食欲がなかった。
 汁ばかり吸ってる俺に、隣の席から、モモチが心配そうに覗き込んでくる。

「……どうしたの。そんなに疲れた?」
「いや……それもだけど」

 主に精神ダメージ、それもお前のせいでな!

 ……ということは、もちろん口には出せない。
 漬け物をのせたごはんに箸だけのせたまま、俺は言った。

「あたし、小魚が苦手でさ。味は好きなんだけど骨がいっぱいあるだろ。口の中でシギャーッてなるから嫌い」
「しぎゃーってなんだよ。語彙力低っ」

 吹き出すモモチ。別にボケたつもりではなかったのだが、彼のツボにはまったらしい。しばらくクックッと悶絶してから、

「好き嫌いしてるから、そんなにちんまりしてるんだよ。いやおれもヒトのこと言えるほどデッカくないけどさ。牛乳嫌いだし」

 と、笑いながら言う。

 ……どうも、俺はこの、モモチの口調が、慣れない。 
 タメ口なのはしょうがない。「あたし」はモモチと同じ、高校二年生なのだ。俺相手と変わらぬ敬語で話す方がおかしいだろう。
 しかし同じ二年の『青鮫団』に対してより、崩れているような気がするのだ。
 女相手だと、キャラが変わる男っているよな。俺も最初はそれだと思って、モモチに軽く引いたりしてた。

 しかし、

「じゃあ魚はおれにちょうだい。肉やるよ。実はおれ魚派」

 と、いうモモチの口調はナチュラルで、昨日今日に言葉使いを変えただけとは思えない。
 ――おそらくは、これがモモチの。そしてモモチにとってアユム――いやシノブは、それだけ長いつきあいで、気心の知れた仲なのだ。
 俺のすき焼き鍋に、ひょいひょいと肉を移住させていくモモチ。
 そして嬉しそうに、焼き魚を見下ろす端正な横顔――甘く垂れた目に対し、鼻筋や口元はしっかりと男性的だ。

 ……男、である。そして、シノブは女。
 ……二人とも、そんなにあちこちで異性トモダチを作るようなキャラに思えない。普通、他校の異性トモダチってなかなか作れないものだと思う。中学からの進学で縁が切れたり、再会してもなんか気まずくなるもんじゃないかな。
 家族ぐるみの付き合い、親戚とかすごく近所に住んでるとか……それか、付き合ってる、でないと。

 …………シノブに彼氏が出来たのは、高校に入ってからだというのは知っている。
 けど、その相手のこと、出会いのことは何も知らない。
 ……シノブのとこは共学だし、勝手に同級生だと思い込んでたが……

 もしかして……もしかする?

 トントン、と肩の辺りを、指先でノックされた。
 モモチだ。彼は箸を持ち上げ、俺の顔の前に近づけて、

「はい、あーん」

 ……。…………。………………!!!!

 えっ。こ、これ……。
 えっ。だってこれって、あれだろ。いわゆるアーンだろ。
 知ってるぞ。幼児が親にされるやつ。じゃなくて、バカップルがやるやつ。

 えっ。そ、そうなの? やっぱりそうなのっ?
 モモチよ。お前、「あたし」の彼氏だったのかよ!

 ていうか人前なんだけど!
 『青鮫団』の連中も一緒に飯くってるしお前の親戚も居るし、めちゃめちゃ公衆の面前なんだけど!!
 でも、これがモモチとシノブの日常なら、拒否するのは不自然になるだろう。「どうしたの、いつもならエズくまで深く食らいついてくるのに……さてはおまえ、シノブじゃないな!?」とか言われたらどうしよう?

 ニコニコしているモモチ。
 俺は赤くなったり青くなったり、顔面をなんかもうわけわからんことにしながら、震える唇を開いた。目をつむって、エイヤッとぱくり。モモチの箸を咥えたまま、奥歯でモグモグ噛んでいく。味も何にもわからん!

「おっ? なになにおまえらラブラブなのかよ」
「えーなに、アーンやってんの、うはははは」

 ドッと盛り上がる男子高校生。ああ結局注目されるのかよ。つかおまえらもそんなに騒ぐなよ。いいだろ別に、ラブラブカップルが仲良くアーンしあって何が悪い。みっともないは見とうもない? だったら見るなバカヤロー!

 口の中のものを、ごくんと飲み込む。食事をしているだけなのに、フウフウ息が上がってる俺。ちなみにまだ、モモチの箸を咥えたままである。彼もその位置のまま、きょとん、と目を丸くしていた。

「……なんで食べるんだよ」
「む、ふひ(なに)?」
「それ、小アジの南蛮漬け。小魚が嫌いっていうから。冗談だったのに……」

 俺はひっくり返って悶絶した。

 なんだそれ! なんだよそれ!!
 あああ口の中がシギャーってなってるぅもぉおおおモモチがあーんっていうから!!!

 俺の口から抜いた箸を、モモチは見つめて嘆息した。

「あーあ好物食われた。うわ箸に歯形ついてる。おじさーん、新しい箸ください」

 こ、こいつっ……!!
 というか、ほんとに、どっちなんだよ。
 お前は俺の彼氏なのか、そうじゃないのか。

「はいはい新しい箸。どうしたの落としたの」

 と、言いながら、持ってきたのは女将さんだった。ちらっとモモチを見て、不器用なウインク。そして俺の方に向き直り、ホホホと笑った。

「ごめんなさいねえ、アユムちゃん。おばちゃんったらテンション上がっちゃって。お部屋は直してきたからね。朝に電話をもらったときにね、たいちゃんが彼女連れてくるんだ! ってつい……」
「おばちゃん」

 モモチがたしなめる。
 あらごめんなさいねえと女将は言うが、全然反省していない。甥っ子の威圧は全スルーして、長い話が始まった。

「この子は昔からとってもモテたのよ。顔もいいし頭もいいでしょ。バレンタインには家の前まで女の子が来たんだって」
「うそ、おおげさ、まぎらわしい。モテたのは小学校低学年まで。バレンタインはカゼで休んで、プリント届けてくれただけ」

 モモチの言葉はやはり無視。
 女将はさも、あなたはこの話を聞きたいでしょうと言いたげにして。

「ナヨッとして見えるけど頼もしいし。姉夫婦はここ数年外国暮らしだから、大型連休はうちで預かってたんだけどね。よく手伝ってくれるのよぉ。今は男の人だって家事育児やれたほうがいいでしょ、この子はアタリよぉ。アユムちゃん、いいの捕まえたわねっ」
「おばちゃん! もう、何言ってんだよ」

 ……ここまで来ると俺も、察しはつく。

 まず……やはり、モモチはシノブの彼氏だったんだ。

 この女将はそれを知っており……この旅行は、二人の婚前旅行と誤解した。親の目を盗むため、『青鮫団』をていよく利用したというわけだ。そしていらん気を利かせたんだろう。二つ並んだ枕を思い出す――あの部屋は俺とモモチ、ふたりきりの相部屋になっていたのだ。モモチ、「団長に知れたら殺される」とか言ってたし。

 別にうちの親も俺も、シノブの恋愛に口出しなんかしないけどな。そりゃよほどのクズ野郎なら殴ってでも妹を保護するだろうけど、相手がモモチなら別に、文句はない。妹は性格クソだけど大丈夫かって、逆に気を使うくらいだ。

 でもまあ、逢い引きに、他人を巻き込むのはどうかと思うよ。色気より食い気な『青鮫団』だって、のぞきに来る輩がいるかもしれん。

 もしもシノブが、そういうことをしてたなら、軽蔑する。
 やっぱりこういうのは秘め事っていうか……結婚するまで純潔でとは言わないが、もうちょっと、恥じらいを持つべきじゃなかろうか。

 ――シノブが「女」になったとき、俺は先を越された悔しさや、うらやましさよりも、軽い嫌悪感と気恥ずかしさを覚えていた。
 なんか苦手なんだよ。こういうの。俺も人並みに、欲求や好奇心くらいあるけどよ……誰がドコまでいったとかナニをしたとか、そういう話は生々しくて、だめだ。

 チラっと、モモチの方を見る。
 叔母に向かって「今すぐ立ち去れ」オーラをビシバシ出しながら、無言で食事を続けていた。ふと、視線が合う。彼は苦笑いで、「ゴメンネ」のメッセージを発信した。

 ……なんか、その顔が妙に、男っぽくて、甘くて。
 これが、恋人を見るモモチの顔なのだと思うと、体温が上がった。

 俺はシノブではない。俺自身が性別変化トランスセクシャルしただけで、シノブの身体に憑依したり、精神が入れ替わったわけじゃないからのだから。

 でもモモチの中では、俺はシノブであり、恋人で……抱いた女、なんだな……。

「うっ――うわああっ!」

 そう思ったとたん、俺はのけぞって絶叫した。じっとしてられず、ものすごい勢いで食事をかっ込む。肉も野菜も小魚も、モモチにあげた分まで食い尽くし、そしてそのままひっくり返った。

「げふぅっ」

 この身体の胃はちいさいのだ。いつもなら平気な量とあなどって、食べ過ぎた。

「あ、アユムちゃん!? 大丈夫!?」
「なにやってんの……」

 ドン引きしている女将とモモチ。
 その騒動に、『青鮫団』達もげらげら笑っていた。

 ああもうダメだ、いろいろ考えるだけ馬鹿をやらかす。
 ――よし、今日はもう寝よう! さっさと部屋に引きこもって、そのまま深夜零時を迎え、男の身体に戻っちまおう!
 そしたら二人の仲を知らないフリしていられるし、モモチも他人行儀な敬語に戻る。

 俺はこんな遠くまでドギマギラブコメしに来たんじゃないぞ。ウサギだ。ウサギを愛でに来たんだ。
 もう夜だからウサギさんもきっと寝ているだろーし、本格的にモフるのは明日でいい。

「ごちそうさまでしたっ! あたし寝る!!」

 ぱんっ! と手を合わせて、立ち上がる。

 まだ七時だぞーという『青鮫団』のヤジは無視。
 奴らと絡めば絡むだけ、うっかりボロを出す確率があがる。今夜はもう誰とも口をきかないぞと心に決めて、俺は宴会場を出て、廊下を進んだ。

「――アユムちゃん」

 階段の手前で、背中を叩かれた。 

「……ま、またモモチ……!」

 もう勘弁してくれ! 俺けっこう早足できたつもりだったのにアッサリ追いついてるしなんなんだよもう。ていうか近いよ。顔近いよ! お前チビじゃなかったのかよ、なんでちょっと屈んでるんだよ。俺より背が高いってこと、俺に教えるなバカヤロー!

 じりじりと、後ろに逃げる。背中が壁に張り付いた。
 モモチはわずかに身をかがめ、俺を見下ろし、苦笑い。
 人差し指を立て、シッ、と沈黙を促す――そして、囁いた。

「……あとで、部屋に行く。眠らないで、待ってて」

「え」

「おれ、ごはんのあと片付け手伝わなきゃならないんだ。でも九時過ぎにはきっと行く。『青鮫団』には内緒な。……楽しませてあげるよ」

「え」

 え。
 え。
 ええっ…………?

 細められたモモチの目――琥珀色の球体に、俺の姿が映りこんでいた。
 不格好な浴衣に包まれた、華奢な身体を縮こまらせて、顔を真っ赤にしている少女。

 それは身長百八十六センチ、静岡最強といわれた男の姿ではない――

 ただただ、ラブコメ展開にドギマギしている、純情乙女がいるだけだった。

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