鱶澤くんのトランス!

とびらの

アユムとたいちゃんとフランソワ

「……ええと、そうなの? 本当? どういうこと?」
「ただの書き間違えだろ。なにヘンな所で妙なボケかましてんだか」
「でもさっき、確かに、アタシの名前はアユムだって。それに二度も間違えるなんて……」
「はあ?」

 再び、宿帳を凝視するモモチ。
 俺は慌てて、彼らの間に割り込んだ。モモチから宿帳を奪い取り、女将さんに突きつけながら絶叫する。

「あ、ああああのっ! あたし、あたし実はシノブて言うんだけどもアユムってアダナなんです! むしろアユムのほうがもうすでにあたしなんです!!」

「……へ?」
「は?」
「だからそのっ――あたし、シノブって名前が嫌いで。ほらなんか、地味じゃないですか?もっと明るい名前がいいなってずっと思ってて――」

 と、いう言い訳は、スラスラと口から出てきた。
 ……実はコレ、シノブ本人が以前に言っていた台詞である。公言もしており、トモダチには「しぃちゃん」と呼ばせているのだ。俺は意地でも呼んでやらねーけど。
 俺の言い訳を、数秒、ぽかんと聞いていた叔母と甥。
 彼らは同時に、破顔した。

「なるほど、そういうことね! わかる、わかる。わたしにもそういう時期が合ったわぁ」
「おれもわかる……かな。太一って簡単すぎるというか。もうちょっと強そうな名前がよかったって。それで通名を作るのは、どうかと思うけど」
「あらぁ、けっこうあることよ。おばさんが女学生だったときも、友達同士でクリスティーヌ、なあにフランソワ、なんてやってたし。お客さんでも、好きなタレントとかアニメのキャラとか名乗るひと、年に何回かはアルアルよぉ」
「それとはちょっと違う気もするけど……ところでおばちゃんはクリスティーヌとフランソワ、どっちだったの?」
「フランソワよ」

 どうでもいいことを聞くなよモモチ。誰得だよ。
 ゲンナリする俺に、モモチは穏やかに微笑み、頷いた。

「そういえば、前に言ってたね。自分の名前は気に入らないって」
「……え……」
「確かに今日の君は、アユムのほうが似合っているような気がするよ。サバサバキャラは『青鮫団』への配慮なのかなと思ってたけど」

 えっ?
 …………ちょ、ちょっと、待て。なんだって。
 今コイツ、なんて言った。

「男言葉も意外と馴染んでるし。夏休み限定のキャラ変更、いい感じに楽しめてるみたいだね」

 モモチは再び、俺の荷物を持ち上げた。ふう、と小さく息を吐く。

「おれも、サクッと風呂いってくるかな。入り口まで案内するよ、荷物はどうする? シノブちゃん――いや、アユムちゃん?」

「え。え、え、ええと……えっと」

 混乱している俺を置いて、さっさと歩き始めるモモチ。俺はとりあえず、黙ってあとについていった。何人か団員が合流し、ペンションの最奥あたりまで進んでいく。
 一度は連中といっしょに、男湯の暖簾をくぐっていったのはお約束。
 追い出され、俺はとなりの女湯に一人、入っていく。

 そう、女湯に一人。……一人だからな。ほら、貸し切りだから。このペンションの客は『青鮫団』しかいないわけだからして。
 ……俺はなんにもワルイコトなんかしていない。ぶくぶく。

 本来、客を呼ぶ名物である露天風呂は改装中。内風呂は質素で、昔ながらの銭湯風だった。温泉旅行にさほど興味の無い俺にはこれで十分。ちょっと浅めの湯船に鼻まで埋めて、俺はぶくぶく泡を作っていた。
 ……たとえひとりぼっちでも、女湯に入るのはちょっと、気が引けた。だがそんなことはどうでもいい。たとえ美女が数人いようとも、そんな気分にならなかっただろう。
 それくらい、俺は困惑していた。

 やばい。
 しまった。
 大誤算。

 先にシノブに確認しておくべきだった。かっこつけず正直に、旅行メンバー全員の名を挙げて、知ってるやつがいないかって、ちゃんと聞いておくべきだったんだ。

 俺は『青鮫団』の連中を、シノブに会わせたことはない。あいつは中学も私立の進学校だし、接点なんてないと思ってた。
 だけどあの狭い田舎町だ。出会う可能性はゼロじゃない。
 俺とは無関係の場所、機会で、彼らが出会っていたとしても……不思議ではない。

 ……モモチは……シノブの知り合いだったんだ。

 ウィッグを外し、肩にかかる髪は、赤色。
 俺は湯の中に顔面を埋めた。


 風呂場には、着替え用の浴衣が用意されていた。
 ……着方がよくわからないけど、なんとなく前を合わせて帯で縛っておけばいいだろう。
 再びウィッグをつけ、汚れた服はリュックに詰めて、浴衣姿で受付に戻る。旦那さんだろうか、中年男がペコリと頭を下げてきた。俺もペコリと一礼。
 女房とおなじく、にこにこしながら、男は言った。

「お疲れ様。夕ご飯、宴会場のほうに用意があるよぉ。たんとおあがりなよぉ」
「あ……先に、荷物だけ、部屋に置いていいかな」
「ああー。部屋ね。あなたの部屋は、二階の角、五号室だよぉ。いちばん広くていい部屋なんだよぉ。鍵はもう開いてるよぉ」

 ……鍵が開いてる?
 よくわからんが、ペンションってそういうものなのかな。どうも、と再び礼をして階段を上がる。

 長風呂のおかげで、足はずいぶん軽くなっていた。ぺたぺた、スリッパを鳴らしながら階段を上がっていく。
 二階の角……一番奥の部屋だな。
 扉を開く。直後、怒鳴り声が俺を出迎えた。

「なんでだよっ!!」
「いっ!?」

 思わず飛び上がる。だがその怒声は、俺に向けられたものではなかった。先に中にいた二人――モモチと女将さんが、言い争っている。といっても、モモチだけが声を張り上げていたのだが。

「た、たいちゃん、だからごめんって」
「シャレになんないから。ちゃんと説明しなかったおれも悪いけどさあ」
「ごめんごめん、だって突然、女の子連れて行くって言うんだもの。おばちゃん嬉しくなっちゃって」
「勘弁してよもう。なんとかしないと……団長にバレたら殺される」
「……あのぅ?」

 俺の呼びかけに、モモチはビクウッと縦に跳ねた。

「あ、シノ……じゃなくて、アユムちゃん。ごめんちょっとした手違いで、君の部屋がまだ用意出来てなくて」
「え、そうなの? でもさっきおじさんが」
「荷物はそれだけだね、ここにおいとくね。よしご飯を食べよう。宴会場は一階だ。おなかすいただろう」
「どっちかというと、五分でもベッドに寝転がりたいな。そんなに汚れてるの?」

 ひょいと覗き込んでみる。ん? きれいに掃除されてる気がするけど。別に、部屋もふつうだし。変わったところと言えばベッドが大きく、枕がふたつ並んでいるくらいで――再び首を傾げたところで、強引に部屋から追い出された。後ろ手に扉を閉め、立ちふさがるモモチ。
 息を乱し、赤面している――なに?

「モモチ、どうした。この部屋が何か……」
「なんでもない。いいからごはん、ごはん」

 俺を角まで追い出すと、モモチは叔母を振り返り、なにやら含みのある言葉を投げた。

「寝る時間までになんとかしといてよね」

 はいはい、と女将さんの返事。その声はこころなしか、残念そうだった。

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