元勇者との生活
告解
私が風邪をこじらせてから三日目。
存外に長引いた熱はようやく収まりつつあった。
「……体調はどうだ、クラリッサ」
「……も、もうだいじょうぶ、だと思います……」
「昨日そう言ってから夜中に熱がぶり返したからな……」
「……こ、今度こそは、だいじょうぶです。たぶん……」
ぐっすりと深く眠り、目が覚めればすでに夜。
服はもう汗でぐっしょり濡れていた。
「取りあえず、どうする。先に着替えるか」
「……は、はい。そうさせてもらえると……」
「着替えとタオルはそこだ。……済んだら言ってくれ」
アシュレイさんは私の枕元に置いてあったそれらを指差して後ろを向く。
彼は背を向けたまま台所の鍋を手に取り、暖炉の火にかけ始める。
――見るつもりはない、という断固とした意志を感じる背中だった。
ことことと鍋が煮える音を聞きながら身体の汗を拭き、手っ取り早く着替えを済ませる。
私は脱いだ服を洗濯カゴに放り込もうと立ち上がりかけ、
「……服はその辺に放っておけ。俺がやっておく」
「……なんでわかったんですか……」
「気配だ」
機先を制するように言われ、しぶしぶベッドに寝転がる。
脱ぎ散らかしたような格好になるのは少し恥ずかしいが仕方ない。
「……もうだいじょうぶ、です」と言ってぼんやりとまどろむ。まだ頭の中に微熱が残っているような気がした。
アシュレイさんは私をちらっと振り返って言う。
「……食欲の方はどうだ。昨日からほとんど食べていないだろう」
「お腹は……空いているような、気がします。食欲も普通に……」
――きゅるるるるる。
私が言いさしたその時、部屋の空気をぶち壊しにするような間の抜けた音が響き渡った。
私の腹の虫だった。
アシュレイさんは再び背を向ける。男の人にしては少し細い肩がちいさく揺れている。
「……アシュレイさん」
「……どうした」
「笑ってないですか」
「全くそんなことはない」
そう言うアシュレイさんの声はかすかに震えていた。
もう少し上手く隠してくれたっていいのに。いや、どのみち私が恥ずかしいことに全く変わりはなかった。
アシュレイさんは笑いを噛み殺すような間の後、私を振り返って言う。
「……積もる話もあるだろうが、まずは飯にしよう。おまえほど上手くはできんが」
「い、いえ……そんな。ありがとうございます……」
「礼を言われることじゃない。……おまえがやってくれていたことだ」
積もる話、といえばひとつしか無いだろう。
私は思わず身をこわばらせる。アシュレイさんはいつもより少し和らいだ表情を浮かべていた。
アシュレイさんは煮えた麦粥の味見をしてから鍋を下ろし、テーブルの上にどんと置く。
用意されているお椀はひとつ。
あれ、と思ったのも束の間のこと。
アシュレイさんはお椀に半分くらいの麦粥をよそって匙を持ち、私のベッド脇に腰を下ろした。
「……アシュレイ、さん……?」
「どうした」
アシュレイさんは匙ですくった麦粥に息を吹いて軽く冷ます。
そして当たり前のように私の口元に差し出した。
「……じ、自分で食べます!!」
「こぼしたら面倒だろうが」
「……行儀が悪いです……」
「わかった。味見だけしてくれ」
「……わかりました」
私はちいさく口を開け、差し出された匙をそっと咥えた。
口の中で溶けそうなくらい煮られた麦から染み出す鳥の出汁。青ねぎと生姜の風味をかすかに感じ、塩がしっかりと効いていて美味しい。
「……おいしい、です」
「……それなら良かった」
私はもそもそとベッドから這い出してお椀を受け取る。アシュレイさんも自分のお椀を取り出して盛り付けていく。
私は改めて食前の祈りを捧げてから麦粥に手を付けた。
「……アシュレイさん、自分でできるのになんでやってなかったんです……?」
「……自分のためだとやる気にならん」
アシュレイさんはそう言って食べ始める。
その言葉が意味するところは、どこか……自傷にも近いように感じた。
思えばアシュレイさんの飲酒癖もそれに近いものがある。導眠剤代わりというのも嘘では無いだろうけれど、自堕落な生活と合わせて考えればまた別の意味合いを帯びてくるだろう。
「……アシュレイさん」
「どうした」
「……私は、アシュレイさんと離れたいとは、思っていないです」
「…………あれを見た後でもか」
私はアシュレイさんをじっと見つめる。
アシュレイさんはふと顔を上げ、青く冴え冴えとした双眸を私の方に向けた。
「忘れたわけでは、ないだろうな」
「……忘れてないです。……全て、覚えています」
アシュレイさんが私の前で何をしたか。
私のために、何をしたか。
流れるような手際だった。
一片の躊躇いすら見せず、私が目を離す間もなく、六人もの人間を殺害した。
彼らが存在したという痕跡すらも抹消し――跡形もなくこの世から消し去った。
アシュレイさんはゆっくりと匙を進め、言葉をひとつひとつ口にする。
その表情に悲しみの色はない。
強いていうならばそれは、諦観。
「俺がしていた生業は、つまるところが殺生だ。……悪いことで稼いだお金じゃないか、と言っていたな」
「……はい」
「俺は、敵を殺した。山ほど殺した。殺した相手にひとりいくらの値札が付いていたわけじゃあない。だが、とにかく数え切れないほどの敵を殺した――結果としてどこかの誰かさんが得をした。で、俺はその誰かさんのおこぼれに与った……と、そういうわけだ」
その声に感情の色はない。
アシュレイさんがわざわざ自虐的な物言いをしていることは明らかだった。でも、そこにきっと嘘はない。
私はこくりと頷き、アシュレイさんの言葉に耳を傾ける。
「そうだ。俺はおまえには言えなかった。誰かを殺して得た金だ、とはな」
「……殺しなら、私もやったことがあります」
「……なに?」
「鶏をさばきました」
驚愕に目を見開いたアシュレイさんがガクッと頭を落とす。
「そ……それも、何羽もです」私が言い足すとアシュレイさんの頭がさらに下がった。
「それは食うためだろう」
「……じゃあ、アシュレイさんの殺しは、何のためにもならないことだったんですか?」
「……そりゃ屁理屈だ。殺したのが何であろうが、何かのためだったと言い張れるだろう」
「でも、私とアシュレイさんにそこまで大きな違いがあるとは思えません」
「……食は人の生存に欠かざるものだ。そのための必要悪と殺しを一緒くたにすることはできん」
「うぐ……」
難しい話のせいで頭痛を覚える。ただでさえ熱があるのに頭から煙が出そうだった。
私はお椀の中の麦粥を掻き込み、咀嚼しながら必死に考える。
こくん、と全て飲み込んでから私は言った。
「……あまり考えるな、と言ったのはアシュレイさんです」
「……なに?」
「〝よほどの大人物でも無ければ他人のことまで背負い切れん〟とも。……でも、アシュレイさんは……何もかもを背負い込んで、潰されているように、見えます」
「――――……ッ……」
アシュレイさんは食事の手を止め、ゆっくりと匙を置く。
鋭い目付きはにわかに丸く見開かれ、私をじっと見つめている。
「……そうだ。俺は、何もかもを背負いこめるような器じゃあない、小物だ」
「……そ、そこまでは言ってないですが」
「慰めはいい。……だが、何かもを忘れて、全てを放り出して生きることは……俺には、できない」
アシュレイさんの言葉は告解にも似ている。
それはそうだろう、と思った。
もしアシュレイさんが自侭に生きる人であったなら、あの日、私を助けたりなんかしなかっただろう。
過去の罪業を忘れられないまま生きる、そんな不器用な人だからこそ、私を見捨てられなかったのだ。
あの日、アシュレイさんはどうして私を助けてくれたのか。
その答えは――気づいてしまえば、こんなにも単純な話。
「アシュレイさんは……優しいんですね」
「優しい? ……俺はただ、度を越して臆病なだけだ。化け物と、そう呼ばれるのが怖かっただけだ」
「……でも、アシュレイさんは、私を助けてくれました」
「……ッ」
私はアシュレイさんをじっと見つめる。海のように深く、蒼い瞳を覗きこむ。
そして、心のままを口にした。
「私は……アシュレイさんと、一緒に暮らしたいです」
アシュレイさんは私の言葉を聞いてちいさくため息をつき、のっそりと立ち上がった。
私のすぐそばまで歩み寄り、屈み込み、私の膝裏と背中に手を回す。
「――って、ちょ、アシュレイさッ……んんんっ!?」
次の瞬間、私の身体は床から大きく離れていた。
アシュレイさんの腕にやすやすと抱き上げられ、ベッドの上まで運ばれる。
そのままアシュレイさんは私をゆっくりとシーツの上に下ろした。
「……な、なんです……?」
アシュレイさんの瞳が私の目を覗きこむように見つめる。
唇が――吐息が重なり合いそうな至近距離。
口元はあっさり離れ、耳元近くでアシュレイさんの声が聞こえた。
「その言葉は……元気になってからもう一度言ってくれ」
「……信じられませんか……?」
「……大事なことだ。弱っている時の気分に任せて決めるもんじゃない」
「……一時の感情じゃないです」
きっとその時、私はひどく拗ねた顔をしていたのだろう。
アシュレイさんは驚いたように目を丸くする。
「……アシュレイさんに言うまでに、たくさん考えたことです。……今一時の感情なんかじゃ、ありません」
私はそうはっきりと口にする。
アシュレイさんはそれを聞いて目を瞑り、私からそっと離れて言った。
「……おまえの気持ちは、わかった。ちゃんと覚えておく」
「……アシュレイ、さん」
その表情に、私を子ども扱いする時のような気配はない。
私の答えを真剣に受け止めてくれたと知れる面差し。
「追い出したりはしない、と言ったのは俺だからな。……だから、今は休め」
「……わかり、ました」
自然と口元に笑みがほころんでしまう。
アシュレイさんは私の髪をくしゃりと撫で、かすかに微笑み、私の身体に羽毛布団をかぶせた。
「おやすみ。クラリッサ」
「……はい。おやすみなさい、アシュレイさん」
目を閉じる。
昼にもさんざん寝たはずなのに、私はあっさりとまどろみに沈んでいく。
――アシュレイさんと話して胸のつかえが取れたおかげだろうか。
意識を手放すその瞬間、大きな手が私の頭を優しく撫でたような気がした。
存外に長引いた熱はようやく収まりつつあった。
「……体調はどうだ、クラリッサ」
「……も、もうだいじょうぶ、だと思います……」
「昨日そう言ってから夜中に熱がぶり返したからな……」
「……こ、今度こそは、だいじょうぶです。たぶん……」
ぐっすりと深く眠り、目が覚めればすでに夜。
服はもう汗でぐっしょり濡れていた。
「取りあえず、どうする。先に着替えるか」
「……は、はい。そうさせてもらえると……」
「着替えとタオルはそこだ。……済んだら言ってくれ」
アシュレイさんは私の枕元に置いてあったそれらを指差して後ろを向く。
彼は背を向けたまま台所の鍋を手に取り、暖炉の火にかけ始める。
――見るつもりはない、という断固とした意志を感じる背中だった。
ことことと鍋が煮える音を聞きながら身体の汗を拭き、手っ取り早く着替えを済ませる。
私は脱いだ服を洗濯カゴに放り込もうと立ち上がりかけ、
「……服はその辺に放っておけ。俺がやっておく」
「……なんでわかったんですか……」
「気配だ」
機先を制するように言われ、しぶしぶベッドに寝転がる。
脱ぎ散らかしたような格好になるのは少し恥ずかしいが仕方ない。
「……もうだいじょうぶ、です」と言ってぼんやりとまどろむ。まだ頭の中に微熱が残っているような気がした。
アシュレイさんは私をちらっと振り返って言う。
「……食欲の方はどうだ。昨日からほとんど食べていないだろう」
「お腹は……空いているような、気がします。食欲も普通に……」
――きゅるるるるる。
私が言いさしたその時、部屋の空気をぶち壊しにするような間の抜けた音が響き渡った。
私の腹の虫だった。
アシュレイさんは再び背を向ける。男の人にしては少し細い肩がちいさく揺れている。
「……アシュレイさん」
「……どうした」
「笑ってないですか」
「全くそんなことはない」
そう言うアシュレイさんの声はかすかに震えていた。
もう少し上手く隠してくれたっていいのに。いや、どのみち私が恥ずかしいことに全く変わりはなかった。
アシュレイさんは笑いを噛み殺すような間の後、私を振り返って言う。
「……積もる話もあるだろうが、まずは飯にしよう。おまえほど上手くはできんが」
「い、いえ……そんな。ありがとうございます……」
「礼を言われることじゃない。……おまえがやってくれていたことだ」
積もる話、といえばひとつしか無いだろう。
私は思わず身をこわばらせる。アシュレイさんはいつもより少し和らいだ表情を浮かべていた。
アシュレイさんは煮えた麦粥の味見をしてから鍋を下ろし、テーブルの上にどんと置く。
用意されているお椀はひとつ。
あれ、と思ったのも束の間のこと。
アシュレイさんはお椀に半分くらいの麦粥をよそって匙を持ち、私のベッド脇に腰を下ろした。
「……アシュレイ、さん……?」
「どうした」
アシュレイさんは匙ですくった麦粥に息を吹いて軽く冷ます。
そして当たり前のように私の口元に差し出した。
「……じ、自分で食べます!!」
「こぼしたら面倒だろうが」
「……行儀が悪いです……」
「わかった。味見だけしてくれ」
「……わかりました」
私はちいさく口を開け、差し出された匙をそっと咥えた。
口の中で溶けそうなくらい煮られた麦から染み出す鳥の出汁。青ねぎと生姜の風味をかすかに感じ、塩がしっかりと効いていて美味しい。
「……おいしい、です」
「……それなら良かった」
私はもそもそとベッドから這い出してお椀を受け取る。アシュレイさんも自分のお椀を取り出して盛り付けていく。
私は改めて食前の祈りを捧げてから麦粥に手を付けた。
「……アシュレイさん、自分でできるのになんでやってなかったんです……?」
「……自分のためだとやる気にならん」
アシュレイさんはそう言って食べ始める。
その言葉が意味するところは、どこか……自傷にも近いように感じた。
思えばアシュレイさんの飲酒癖もそれに近いものがある。導眠剤代わりというのも嘘では無いだろうけれど、自堕落な生活と合わせて考えればまた別の意味合いを帯びてくるだろう。
「……アシュレイさん」
「どうした」
「……私は、アシュレイさんと離れたいとは、思っていないです」
「…………あれを見た後でもか」
私はアシュレイさんをじっと見つめる。
アシュレイさんはふと顔を上げ、青く冴え冴えとした双眸を私の方に向けた。
「忘れたわけでは、ないだろうな」
「……忘れてないです。……全て、覚えています」
アシュレイさんが私の前で何をしたか。
私のために、何をしたか。
流れるような手際だった。
一片の躊躇いすら見せず、私が目を離す間もなく、六人もの人間を殺害した。
彼らが存在したという痕跡すらも抹消し――跡形もなくこの世から消し去った。
アシュレイさんはゆっくりと匙を進め、言葉をひとつひとつ口にする。
その表情に悲しみの色はない。
強いていうならばそれは、諦観。
「俺がしていた生業は、つまるところが殺生だ。……悪いことで稼いだお金じゃないか、と言っていたな」
「……はい」
「俺は、敵を殺した。山ほど殺した。殺した相手にひとりいくらの値札が付いていたわけじゃあない。だが、とにかく数え切れないほどの敵を殺した――結果としてどこかの誰かさんが得をした。で、俺はその誰かさんのおこぼれに与った……と、そういうわけだ」
その声に感情の色はない。
アシュレイさんがわざわざ自虐的な物言いをしていることは明らかだった。でも、そこにきっと嘘はない。
私はこくりと頷き、アシュレイさんの言葉に耳を傾ける。
「そうだ。俺はおまえには言えなかった。誰かを殺して得た金だ、とはな」
「……殺しなら、私もやったことがあります」
「……なに?」
「鶏をさばきました」
驚愕に目を見開いたアシュレイさんがガクッと頭を落とす。
「そ……それも、何羽もです」私が言い足すとアシュレイさんの頭がさらに下がった。
「それは食うためだろう」
「……じゃあ、アシュレイさんの殺しは、何のためにもならないことだったんですか?」
「……そりゃ屁理屈だ。殺したのが何であろうが、何かのためだったと言い張れるだろう」
「でも、私とアシュレイさんにそこまで大きな違いがあるとは思えません」
「……食は人の生存に欠かざるものだ。そのための必要悪と殺しを一緒くたにすることはできん」
「うぐ……」
難しい話のせいで頭痛を覚える。ただでさえ熱があるのに頭から煙が出そうだった。
私はお椀の中の麦粥を掻き込み、咀嚼しながら必死に考える。
こくん、と全て飲み込んでから私は言った。
「……あまり考えるな、と言ったのはアシュレイさんです」
「……なに?」
「〝よほどの大人物でも無ければ他人のことまで背負い切れん〟とも。……でも、アシュレイさんは……何もかもを背負い込んで、潰されているように、見えます」
「――――……ッ……」
アシュレイさんは食事の手を止め、ゆっくりと匙を置く。
鋭い目付きはにわかに丸く見開かれ、私をじっと見つめている。
「……そうだ。俺は、何もかもを背負いこめるような器じゃあない、小物だ」
「……そ、そこまでは言ってないですが」
「慰めはいい。……だが、何かもを忘れて、全てを放り出して生きることは……俺には、できない」
アシュレイさんの言葉は告解にも似ている。
それはそうだろう、と思った。
もしアシュレイさんが自侭に生きる人であったなら、あの日、私を助けたりなんかしなかっただろう。
過去の罪業を忘れられないまま生きる、そんな不器用な人だからこそ、私を見捨てられなかったのだ。
あの日、アシュレイさんはどうして私を助けてくれたのか。
その答えは――気づいてしまえば、こんなにも単純な話。
「アシュレイさんは……優しいんですね」
「優しい? ……俺はただ、度を越して臆病なだけだ。化け物と、そう呼ばれるのが怖かっただけだ」
「……でも、アシュレイさんは、私を助けてくれました」
「……ッ」
私はアシュレイさんをじっと見つめる。海のように深く、蒼い瞳を覗きこむ。
そして、心のままを口にした。
「私は……アシュレイさんと、一緒に暮らしたいです」
アシュレイさんは私の言葉を聞いてちいさくため息をつき、のっそりと立ち上がった。
私のすぐそばまで歩み寄り、屈み込み、私の膝裏と背中に手を回す。
「――って、ちょ、アシュレイさッ……んんんっ!?」
次の瞬間、私の身体は床から大きく離れていた。
アシュレイさんの腕にやすやすと抱き上げられ、ベッドの上まで運ばれる。
そのままアシュレイさんは私をゆっくりとシーツの上に下ろした。
「……な、なんです……?」
アシュレイさんの瞳が私の目を覗きこむように見つめる。
唇が――吐息が重なり合いそうな至近距離。
口元はあっさり離れ、耳元近くでアシュレイさんの声が聞こえた。
「その言葉は……元気になってからもう一度言ってくれ」
「……信じられませんか……?」
「……大事なことだ。弱っている時の気分に任せて決めるもんじゃない」
「……一時の感情じゃないです」
きっとその時、私はひどく拗ねた顔をしていたのだろう。
アシュレイさんは驚いたように目を丸くする。
「……アシュレイさんに言うまでに、たくさん考えたことです。……今一時の感情なんかじゃ、ありません」
私はそうはっきりと口にする。
アシュレイさんはそれを聞いて目を瞑り、私からそっと離れて言った。
「……おまえの気持ちは、わかった。ちゃんと覚えておく」
「……アシュレイ、さん」
その表情に、私を子ども扱いする時のような気配はない。
私の答えを真剣に受け止めてくれたと知れる面差し。
「追い出したりはしない、と言ったのは俺だからな。……だから、今は休め」
「……わかり、ました」
自然と口元に笑みがほころんでしまう。
アシュレイさんは私の髪をくしゃりと撫で、かすかに微笑み、私の身体に羽毛布団をかぶせた。
「おやすみ。クラリッサ」
「……はい。おやすみなさい、アシュレイさん」
目を閉じる。
昼にもさんざん寝たはずなのに、私はあっさりとまどろみに沈んでいく。
――アシュレイさんと話して胸のつかえが取れたおかげだろうか。
意識を手放すその瞬間、大きな手が私の頭を優しく撫でたような気がした。
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