元勇者との生活

きー子

出会い

「今宵はおまえがカルロ様の閨番をするのだ。良いな?」

 一軒の豪邸に私を連れてきたご主人様は、ひとりの男を紹介した。
 男は精悍な顔立ちの偉丈夫だった。
 身長は私より三尺90cmも高そうで、身体付きは極めて逞しい。
 彼の左右には、色香に満ちた女性がこれ見よがしに侍らされている。

「…………はい」

 私は男の顔をまともに見れなかった。
 彼は葉巻を吹かしながら刺すような鋭い眼で私を見下ろす。

「……ほう。これはなかなかの器量良しではないか」
「へへ、そうでしょう首領ドン。この娘はうちでも一番の器量良しでして……」
「……処女おとめの方はどうだ?」
「ええ、もちろん万事つつがなく」
「奴隷にしておくには勿体無いほどだな」
「ありがたいお言葉! では、いつごろうかがわせます?」
「晩に寄越せ。酌をさせたい気分だ」
「ははっ、ご随意に!」

 ご主人様は彼に平身低頭する。
 男……カルロ・アルファーノは、この街一番の実力者なのだと以前聞いたことがある。
 衛兵所は彼の言いなりで、市長さえ逆らえないのだと。

 彼の屋敷を出たあと、ご主人様は暗い物陰で私の肩をきつく掴んだ。

「良いか、クラリッサ。カルロ様には絶対に失礼が無いようにしろ。俺の出世がかかっているんだ」
「……はい」
「もしものことがあれば……いつものような仕置きでは済まさんぞ。わかっているな?」
「…………はい」
「本当にわかっているのか!!」
「っ!」

 ご主人様の手のひらが私の頬をぶつ。
 私はそのまま地面に倒れ込んでしまう。
 上品に見えるように、と着させられた白いワンピースが地面と擦れる。ぶたれた頬がじんじんと熱を帯びている。

「……顔に傷は付けられんからこれくらいにしておいてやる。いいか、わかったな?」
「……はい。ご指導ありがとうございます、ご主人様……」

 殴られた時は必ずそう言うようにしていた。
 そうしたら、少なくともさらに打たれることはないから。

「……ふん。立て、一度戻るぞ」

 私は膝小僧の土を払って立ち上がる。
 まだ痛みがわずかに残っている。
 目の奥からこみ上げる熱いものをぐっと噛み殺す。
 泣いているとまた殴られる、ということは経験からわかりきっていた。

「早く来い」
「…………はい」

 ご主人様にぐっと腕を掴まれ、私は早足に歩き出す。
 ――見上げた空は、一雨来そうな灰色だった。

 *

 農村の末娘に生まれ、五歳くらいの時に売られて約十年――私はずっとこうだった。
 その十年くらいの間に、魔王はどこかの勇者様に討伐されたという。
 でも、私の生活は何も変わりない。
 魔王は討たれ、私は奴隷のままだった。
 勇者と魔王の物語なんて、私にはどこか遠い世界のお伽噺でしかなかった。

 そして今晩、私は身売りを強いられる。
 一度切りで済むならまだしも良い。
 でも、そうでないとしたら?
 あるいは今夜、あの男に壊されない保証なんてなにもない。

 だから。
 だから私は、逃げ出した。

 *

「はっ、はぁっ、はっ、はっ……!!」

 私はあの男の家から港近くの入り組んだ道に逃げ込んだ。
 薄手のワンピースに海辺の夜風が冷たい。突っ掛けるだけのサンダルは走りにくくて仕方がない。

「必ず見つけ出せ!!」
「いいか、必ずだ!! これはカルロ様のご意向だぞ!!」
「奴隷ども、もしお前たちが見つけ出せたら報償をやる!! いいな!!」

 遠くから凄まじい怒号が聞こえてくる。
 私は必死で走りながら、もう身体中が、お腹が、肺が痛くてしかたがなかった。

 もっと、身体を鍛えておくべきだった。
 荷運びや煮炊きの仕事なんかはしていたけれど、私の身体はあまり強くなかった。

 遠くから石畳を叩く足音がいくつも聞こえてくる。
 その音はたちまち私の方まで近付いてくる。

 ともすれば足を止めてしまいそうになる。
 どこか隠れる場所。
 そう思って周囲を見渡しても、お粗末な物陰くらいしか見つからない。
 せめて少しでも人が多そうな方向に向かう。
 夜の港近くには屋台の酒場が軒を連ねていたはず。
 あの辺りなら――――

「いた!! 見つけたぞ!!」

 びくっ、と肩が跳ねる。
 後ろを振り返れば、部分鎧を身に着けた衛兵が遠くから私を指差していた。

「捕まえろ!! 逃がすな!!」
「手柄は俺のもんだ!!」
「抜け駆けさせねえぞ!!」

 声から逃れるように必死に足を動かす。
 身体はとっくに限界を超えていた。

「はぁっ、はぁ、はっ、はっ、はっ、はっ……!!」

 息が苦しい。お腹が痛い。もう前がほとんど見えない。
 入り組んだ道の角をいくつも曲がる。
 途中で分かれ道を経るも、追いかけてくる人は全然減った気がしなかった。

「はぁ、は、はっ――……っ!?」

 そして、いくつめかの曲がり角を進んだ時、私は誰かにぶつかってしまった。
 尻もちを突いてしまいながらも私は目の前にいる人を見上げる。

「…………ぁ?」

 その男の人は……端的に言えば、酔っぱらいだった。
 痩せていて、顔が赤い。銀色の髪は肩に届くか届かないかくらいの長さ。
 不機嫌そうな生気のない表情で、顎には無精髭、陰りのある青い瞳が私を見下ろしている。
 一見でのうらぶれた印象とは裏腹に顔付きは整っていて、年齢も若いように見えた。

「……っ、ぁ、ごめんな、さ……」
「おい」

 彼の腕が私を強引に抱き寄せる。男の人の力強さ、掌の暖かさが伝わってくる。
 もしかしてこの人も、私を追いかけて――――
 そう思った次の瞬間、彼は私の耳元に囁きかけた。

「声を出すな。静かにしてろ」
「……え? わ、ひゃっ!?」

 彼はそう言うやいなや、たまたまそばにあった樽の蓋を開け、私の身体を無理やり中に詰め込んだ。
 中はかなり狭かったが、折りたたまれた私の身体はなんとか樽の中に収まった。

 私は真っ暗な樽の中で口を押さえて必死に息を殺す。外に息遣いが漏れないことをひたすら祈る。

「おい、おまえ。若い女を見なかったか」

 その時、すぐ近くから誰かの声がした。
 私は心臓の動悸を押し殺すように胸元をぎゅっと抱きしめる。

「……若い女?」
「あぁ。髪は長めの黒で……そこそこの器量良しだ。身長は五尺150cmってところか」
「……いや、知らねぇな」
「本当か? こっちから声がしたはずだが……」
「知らねえっつってんだろ。んなことより酒くれよ。小銭が無くなっちまったんだ」
「……ちっ、酔っぱらいか。使えねえ」

 ぺっ、とつばを吐く音がして、足音が遠ざかっていく。
 遠くから聞こえる雑踏。怒号。話し声。
 私はほっと息を吐く間もなく、樽の中でぎゅっと身を縮こまらせ、ただ時が過ぎるのを待っていた。
 そして十分か、三十分か、一時間か――あるいはもっともっと長く思える時間が経ったあと。

「……もう出ていいぞ」

 さっきの男の人の声。
 私はおそるおそる、頭の上の蓋をずらして顔を出す。
 辺りにもはや人影は見当たらない。酔っぱらいさんがひとりいるだけ――と思いきゃ、彼の表情から酔いはすっかり消えていた。

「何やらかした、おまえ」
「……逃げ出した、の」

 彼は私の顔を覗きこむようにまじまじと見て、得心げに頷く。
 ――刃物のように鋭く、氷のように怜悧な印象を感じさせる青い瞳。

「奴隷か」
「……」

 こくり、と頷く。

「探知師が出てきたら場所はすぐに割れるぞ。身寄りはあるのか」
「……ううん」
「頼るあてもねえのに逃げてきたのか……いや、あてがあるわきゃねえか……そうだな」
「……殺されると、思ったから」
「誰に」
「……カルロ・アルファーノ」

 私のつぶやきに、男の人はぴくりと肩を跳ねさせる。

「なるほど。……道理で血相変えて探し回ってるわけだ」
「……」

 もう言葉もない。
 行くあてなんて無いが、とにかく逃げられる場所まで逃げよう。
 私は樽から這い出て、硬い石床にゆっくりと足を下ろす。

「……わかった。来い」
「…………え?」
「金はある。奴隷印もなんとかする。……子どもひとりくらいは何とかなるだろ」
「……え、でも……」
「……嫌ならいい。早く決めろ、また見つかったら面倒なことになる」

 ……私は迷う。
 この男の人は信用に足るだろうか。私を殴らないだろうか。少なくとも私を助けてくれたことは間違いがない。
 生気のない雰囲気は鳴りを潜め、眼差しははっきりと私を見ている。……曖昧だった目的を見定めたような。

「……行く。行かせて、ください」
「わかった。……これかぶってろ」
「……っ、わ」

 彼が腰に結んでいた上着を頭から被せられる。
 あまり良い匂いではなかった。男の人の臭い、そしてかすかに染み付いたお酒の臭い。
 けれど、見つからないようにするためには背に腹は変えられない。

「下向いて、俺の手を離すな。良いな」
「あの……あなたの、お名前は……?」
「…………アシュレイだ。おまえは」
「……クラリッサ、です」
「いい名前だ。……急ぐぞ」

 差し出された男の手を見つめる。
 その手が信じるに値するか、私には判断しようもない――――けれど、私はその手を掴んだ。
 初めて、私を助けてくれた人の手を。

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コメント

  • しょこた

    とても面白いですね(*^^*)ノベルバ始めて初めて読んだ作品ですがとても面白いです!

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  • ノベルバユーザー

    初めまして、ノベルバで初めて読ませて頂いた作品です!とても面白いです。続きが気になるので、次のお話に行きますね!

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