リワールド・フロンティア-最弱にして最強の支援術式使い〈エンハンサー〉-

国広仙戯

●23 厳しい優しさ、残酷な優しさ、甘い厳しさ

 





 エイジャから〝本番〟なるゲームの基本ルールが送られてきたのは、日がすっかり落ち、浮遊群島が深い夜の闇に包まれてからのことだった。

 その頃、僕とハヌ、そしてロゼさんとフリムを合わせた『BVJ(ブルリッシュ・ヴァイオレット・ジョーカーズ)』の四人は、エイジャが手配した――否、こちらから要望を送って【手配させた】宿泊施設を、今宵の拠点(ベース)として確保しているところだった。

 全員、いい感じに疲労していたのは言うまでもない。

 なにせあれから、僕達はすっかり現状を忘れたかのごとく遊び耽っていたのだから。

 極限状態におけるストレス解消行為というものには、どうやら魔物が棲んでいるらしい。

 海水浴に砂遊び、ビーチバレーもどきのボール遊びなどなど。わずか半日ではあるけれど、僕達は思いつく限りのレジャーを全力で満喫してしまった。

 その耽溺っぷりには我ながら吃驚である。

 特にハヌが熱望していたイルカの浮き袋などは、僕が後方に位置取り、そのまま〈ドリルブレイク〉を発動させることによって可能となる『疑似水上スキー』なる遊び方で大いに楽しんでしまった。まぁ、ハヌが大はしゃぎで喜んでくれたので、自分の特技が術式制御でよかったな、としみじみ思ったものだけれど。

 ちなみに昼食は、浜辺にあった無人の『海の家』で済ませた。

 そして夜は、エイジャに用意させたBBQ(バーベキュー)セットを使って、『蒼き紅炎の騎士団ノーブル・プロミネンス・ナイツ』のメンバーも交えた小さなパーティーが開かれた。

 無論、先述の事情もあるので、僕達『BVJ』は彼らから近すぎず遠すぎずの距離を取ってのことだったけれど。

 ささやかな宴が終わると、僕達は浜辺で解散し、各々の宿泊場所へと移動した。

 僕達は四人しかいないので、小さなコテージ。

 大人数の『NPK』には大き目のロッジが割り当てられた。

 そんな風に昼間のレジャーを満喫した僕達が、心地よい疲労にまったりし始めたタイミングで、エイジャからのルール説明は届いたのである。

 カレルさんの言っていた通り、基本ルールが判明したからには打ち合わせをする必要がある。ルール内容を精査し、考察し、おかしな裏がないか熟慮する――細かい確認などを含めると、するべきことは枚挙に暇がない。

 だが、そうとわかっていても、僕は割り当てられた二階の寝室のベッドに蹲り、動けずにいた。

 落ち込んでいたのである。

 それもひどく深く、意気消沈していたのである。

 グッタリと。

 そこへ、寝る前におやすみの挨拶でもしようと思ったのか、ハヌが寝室までやってきて僕の暗い顔を発見した。

「……ほ? どうした、ラト? 何故、肩を落としておるのじゃ?」

 これまたエイジャからレンタルした寝間着を身に纏ったハヌは、ダブルサイズのベッドへよいしょと乗り上がり、四つん這いで近付いてくる。

 余談だがこのコテージには寝室が二つあって、そのどちらにもダブルベッドが二つずつ置かれている。無論、男女で寝室を分けて僕一人が一室、女性陣三人がもう一室という割り当てだ。もちろん僕一人だけで広い部屋を使うのは不公平かもしれないが、クラスタメンバーは家族同然とは言え、一応はみんな年頃の男女なのである。ここはちゃんと節度を以て部屋を分けるべきだろう――いや、絶対に分けるべきだ。むしろ僕が率先してそう主張し、滅多に使わないリーダー権限を行使してゴリ押しさせてもらった。そうでもしなければフリムあたりが強引に『平等に二人で一室説』を押し通しかねなかったからである。そうなった場合、ハヌならともかく、ロゼさんやフリムと同じベッドで眠る羽目になったら、僕の疲れが解消するどころか倍増しになってしまうところだ。

「ほれ、黙っておっては何もわからぬじゃろ。一体何があったのじゃ? 妾に話してみよ」

 ベッドの上で丸くなっていた僕に近付いたハヌは、ぽんぽん、と軽く頭を撫で叩き、優しく問いかけてくれる。

「ハヌ……」

 僕はゆっくりと面を上げ、彼女の顔を見返す。そこには、本気で僕を心配してくれている蒼と金の瞳がある。

 口を開きかけて、ちょっとだけ迷った。

 事情を話せば、多分ハヌにも怒られるか、たしなめられるかのどちらかだ。けれど、全ての原因は僕自身にある。

 ――ああそうだ、これも報いだ。どうせなら、受けるべき罰は全て受けてしまおう。

「――実はね……」

 僕は語る。どうしてこんなに気落ちしているのかを。





 それはつい先刻のことだ。

 夜の海辺からコテージへと移り、着替えやらシャワーやらを済ませた後、一階のリビングで起こった出来事である。

 出し抜けにフリムが手を差し出し、ニッコリと微笑んだ。

「ほら、ハルト。いつもの奴」

 自前のではなくエイジャからレンタルした寝間着――紫色のパジャマ――を着たフリムは、お風呂上がりで頭に白いバスタオルを巻いた状態なので、パッと見は別人のようにも見える。

「――あ……」

 いつもの奴、というのは僕の〝SEAL〟に自動蓄積されている戦闘ログを指しているのだが、その要求を受けた途端、僕は石像のごとく硬直してしまった。

 フリムが手を差し出したまま小首を傾げ、

「――? なによ、どうかした?」

「い、いや……」

 おかしな反応をする僕に、怪訝な顔を見せる。武具作製士(クラフター)であるフリムに戦闘ログを渡すのは、エクスプロールが終わった後にいつもやっている恒例行事なのだが、流石に今回ばかりはバツが悪い。

 戦闘ログを渡すということは、即ちフリムとロゼさんと別行動をしている間に行った戦いの全記録を見られるということだ。

 喧嘩別れしたハヌを助けるために〝アブソリュート・スクエア〟を使ったのはもちろんのこと、ハウエルとの戦いでものすごい無茶をしたことまでバレてしまうのである。

「え、えっと、その……」

 思わず目が泳ぎ、僕は挙動不審になった。

 戦闘ログを渡す前に事情を説明して謝るべきか、それとも先にログを渡してから土下座するべきか、迷ったせいである。

 だけど、狼狽えてしまった時点で僕は詰んでいたのだ。フリムの両目がすぐさまジト目へと変化し、声音が低くなる。

「なんか怪しいわね……アンタ、もしかしなくても何かヤバイことしたでしょ?」

「ぎくっ」

 あまりにも的確な推察に、思わず声が出てしまった。さもありなん。フリムは僕との付き合いが人一倍長い。多少の誤魔化しなど、それこそ焼け石に水だった。

「なぁにしたのよ? お姉ちゃん怒んないから素直に言いなさい」

 両手を腰に当て前傾姿勢をとり、フリムは威嚇モードに入る。僕を斜め下から睨め付けるその姿は、どう見ても穏当ではない。

「も、もう声からして怒ってると思うんだけど……」

「とっとと言わなきゃもっと怒るつってんのよ」

「やっぱり怒ること前提じゃないか……!」

 相変わらずの理不尽な物言いには抗議したくなるけど、今回ばかりはそれも悪手である。もう既に僕が悪いことは確定済みなのだ。こうなればせめて、後に待つであろう大爆発を少しでも小さくしたいところであった。

「……わかったよ、いま戦闘ログ渡すから……」

 僕は観念して、フリムに右手を差し出した。同時に〝SEAL〟を励起させ、皮膚上にディープパープルの輝紋を浮かび上がらせる。

「ん」

 曖昧な相槌を打って、フリムが僕の手を握る。彼女の〝SEAL〟も励起して、風呂上がりの肌の上をピュアパープルの光線が駆け抜け、幾何学模様を描いた。

 接触回線でデータのやりとりを行う。

 戦闘ログの譲渡はものの数秒で終了し、僕らはどちらからともなく互いの手を離した。

「オッケー、受け取ったわ。じゃあ確認するわよ」

 フリムが僕にも見えるARスクリーンを空中に展開し、戦闘ログの参照に入った。僕ほどではないが、フリムもなかなかのマルチタスク能力を持っている。複数のARスクリーンを同時に広げ、スクロールしては内容を洗っていく。

「ふんふん、なるほど、なるほど……って、あっ! アンタまた〝使った〟わね?」

「う、うん……ええと、それはね……」

 フリムが戦闘ログを読み込むのに合わせて、僕はその時の状況を口頭で説明していく。〝SEAL〟が自動的に溜め込むログの種類はいくつかあるけれど、それはあくまで『〝SEAL〟から見た主観のデータ』でしかない。そのため、どうしても完璧なものにはなり得ず、全てのログを参照しても周囲の細かい状況までは拾えないのだ。

 詳細を話すのはあまりにも恥ずかしいので、ハヌと口喧嘩してしまったことは伏せて、まず〝アブソリュート・スクエア〟を使った状況を解説する。

「……ま、緊急事態だったって言うなら仕方ないけど……」

 ハヌが危うく大虎に喰われるところだったのだ、ということで渋々納得してくれるフリム。

「でも、マジで気を付けなさいよ? アンタまた、次いつ倒れるかわかったもんじゃないんだから」

 僕の健康状態における認識は、珍しいことにハヌもロゼさんも、そしてフリムですらほぼ同じだ。性格のまるで違う三人なのに、そこだけは揃えたかのように一致している。

 ――それだけ僕が心配かけている、ってことなんだろうなぁ……

 などと内心で申し訳なく思いつつ、僕はログの解説を進めていく。

 全体の流れは既にハヌからある程度聞いていたらしく、フリムは特に僕の話を遮ることなく聞き続けてくれた。

 だけど、そう――地下空間『女王の間』で行ったハウエルとの戦いにだけは、最初から眉をしかめてしまう。

「……ちょっとコレどういうこと? なんでアンタ支援術式を使ってないわけ?」

 スクロールするログを前に、解せぬ、と言わんばかりに顔を顰めるフリム。

 さぁ、ここからだ。ここからが問題なのだ。

 ここからの説明の仕方によって、彼女の怒りの燃え具合は変わる。上手くいけばさっきみたいな軽いお叱りで済むだろうし、逆に、下手を打てば目も当てられない状態に――

「えっと、実は……」

 慎重に言葉を選びつつ、僕はフリムに説明する。

 まず、ヤザエモン・キッドという男によってハヌが攫われてしまったこと。その身の安全を保障するために、支援術式の封印を条件にされたこと。当然のごとく業腹だったが、それを呑むしかなかったこと。結果、支援術式を一切使用せずに戦うしかなかったこと。

「…………」

 出来るだけ穏便に伝わるよう努力したつもりだったけど、結局は無駄な努力だったのかもしれない。ログを読み進めるフリムは次第に口を開かなくなり、やがて片手で口元を覆うと、すっかり押し黙ってしまった。

 そろそろ、である。

 そろそろ戦闘ログが、ハウエルとの決着のあたりに差し掛かる頃だ。

 けれど僕はその瞬間を、導火線についた火を見守るかのように待つしかない。

 そして。

 とうとう問題の箇所に辿り着いたフリムの反応は、しかし僕の想像を超えるものだった。

「……ちょ……ちょっと、待ってよ……なによ、これ……」

 掠れて、微かに震える声。それは今にも崩れ落ちそうな――フリムにはとても似合わない――ひどく弱弱しい声音だった。

 顔を上げた彼女は、まるで怪物でも見るような瞳を僕に向け、囁くように問う。

「……ねぇ、ハルト……アンタ、何したの……? 〝アキレウス〟の温度ログが、ど、どう考えてもおかしいんだけど……コレ、なにかのまちがい、よね……?」

 吐き気を堪えるように搾り出された言葉は、僕に心臓を鷲掴みされるかのごとき衝撃を与えた。

「――――」

 僕は、認識が甘かったのかもしれない。

 否、間違いなく甘かったのだろう。

 あのフリムをして、『何かの間違いではないのか』と口にするほどの――それほどのことを、僕はやっていたのだから。

 自動的に保存されるログに間違いなどあろうはずがないし、僕に改竄できようはずもない。

 フリムだってそれぐらいわかっているはずだ。

 なのに、その上で『間違いではないのか』と聞くということは、それほどまでにあり得ないデータを目にしたわけで、同時に『間違いであって欲しい』という思いの発露であったに違いないのだ。

 地雷を踏む覚悟はしていたつもりだった。

 だけど、落とし穴に落ちるなんて予想は全くしていなかった。

「……そ、その、それは……」

 舌が鉛になったかのように重い。

 実を言うと、その辺りの詳しい話はハヌにもしていなかったりする。たった一言『全身大火傷』というワードを口にしてしまっただけで、あんなにも怯えた顔を見せられたのだ。よもや『火山のマグマの中に飛び込んだ挙げ句、火口まで突き抜けた』だなんて、とても言えるものではなかった。

 でも、ここまで来たらフリムには言わねばなるまい。

「……相手の装甲が、その、硬すぎて……普通に戦ってたら、絶対に勝てないって思ったから……」

「……勝てないって、思ったから……?」

 活発なフリムらしくもない、オドオドとした聞き返し。どことなく、この先を聞きたいようで聞きたくないような、相反する感情が交じっているように見える。

 僕はゆっくり息を吸うと、意を決して告白した。

「……相手のパワードスーツの温度調節機能が、オーバーロードしていると思って、その……敵と一緒に……マグマの中に、突っ込んで……」

「……マグマの、中に……」

 もはや呟くようにオウム返しにするフリム。

「その、地下空間だった、から……火山の火口まで、一気に突き抜けて……」

 どうにか勝利したんだけど、とまでは流石に言えなかった。

 とても言える雰囲気ではなかった。

 見る見るうちにフリムの顔が色を失っていく。血の気が引いて、どんどん蒼ざめていく従姉妹に、僕は大いに慌てた。

「い、いやあのっ――ぼ、僕は信じてたからっ! フリムがリメイクした〝アキレウス〟だしっ! モード〈ステュクス〉だってほらっ、ロムニックの時に大活躍だったしっ! だからフリムが改良してくれた戦闘ジャケットなら絶対にアイツの装甲服(パワードスーツ)にも勝てるって思って、えっとあのっ、ほ、ほらっ! 実際に僕はこうして――ッッ!?」

 一生懸命に捲し立てている途中で、僕は思いっきり息を呑む。

 そのまま呼吸が止まった。

 涙。

 顔面を蒼白に染めたフリムの両目から、つーっ、と涙の雫が流れ落ちていたのだ。

「……………………ウソ……」

 どこか呆然とした表情のまま、フリムの唇が短く言葉を吐く。

「――フ……リ、ム……?」

 僕の方こそ、嘘だ、と心の中で思ったが、それは言葉にはならなかった。

 とても久しぶりに見る、フリムの涙だった。

 目の当たりにした瞬間、胸の真ん中に深々とナイフが突き刺さったかのような衝撃を受け、二の句が継げなくなる。

 信じられない。

 あの勝気なフリムが、僕の前で涙を流している――その光景が、どうしても現実のものとは思えなかった。

 僕は何か幻でも見ているのではなかろうか――そんな可能性を考えてしまうぐらい、彼女が人前で泣くというのは有り得ない事態だったのだ。

 固まる僕の前で、すっ、とフリムの手が上がり、ターバンのごとく頭に巻き付けていたバスタオルを掴んだ。無造作に引っ張り、一気に剥ぎ取る。純白の布と漆黒の髪が躍りながら解け、どこか芸術的に宙に広がった。

 そんなことをして何になるのか、と思っていたところ、フリムは剥ぎ取ったバスタオルを高く掲げると、そのまま床に勢いよく叩き付けた。

「……………………アンタねぇ……!」

 俯き、黒い髪が簾のように垂れ下がった向こう側から、怒気に燃える声が発される。

 どうやら今回、フリムの激情は時間差で噴火するものだったらしい。彼女の内部で、急激に感情の内圧が高まっていくのがわかる。

 そこからのフリムの行動は素早かった。組手中のロゼさんかと思うほど俊敏に間合いを詰め、僕の胸倉を両手で掴んで引き寄せ、密着することでこちらの動きを殺す。

 キスされるのかと思うほど間近に、フリムの顔が迫った。

「――アンタは……アンタって子は、ほんとに……!!」

「――――。」

 怒り狂った鬼神がごとき形相を予想していた僕の目の前にあったのは、しかし――幼子のように泣きじゃくる、フリムのか弱い面容だった。

 まるで怒ってなどいない。ただただ、悲しんでいる顔。

 それが、衝撃の槍となって僕の心臓を貫いた。

 呼吸が止まる。

「――ほんとに、バカ、なんだから……ッ!」

 目と鼻の先まで顔を近付け、ボロボロと涙を流すフリムは、絞り出すようにそう言った。荒ぶる感情が喉を潰しているらしく、今にも消えてしまいそうなほど、掠れた声で。

「――~ッ……!」

 そのまま俯き、僕の胸に額を預け、しばしの間、嗚咽だけを繰り返す。ひうっ、ひうっ、と肩を震わせて泣くフリムの姿を見るのは、一体何年ぶりだろうか。小さい頃は、フリムだって僕に負けず劣らず結構な泣き虫だったのだ。それが、一体いつ頃からだろう。今のように勝ち気で、強気で、強引で、人前じゃ涙を決して見せないような女性になってしまったのは。

「……フリム……」

 痛感する。

 今、彼女をここまで泣かせているのは、他でもないこの僕なのだと。

 でも、こんなことを言ってはいけないのだろうけど――理由がよくわからない。

 正直に言って、フリムが泣くほどのことをした自覚がないのだ。

 てっきり怒られるものだと思っていた。最悪、一発や二発ぐらい殴られるぐらいの覚悟はしていた。

 けれどこれは――これは、あまりにも予想外過ぎる。

 フリムが泣くだなんて、夢にも思わなかった。

「……えっと、その……ご、ごめ」

 んなさい、と謝ろうとした瞬間だった。

 フリムの両手が、ドンッ、と勢いよく僕を突き飛ばした。

「わっ……!?」

 突然の不意打ちに堪らず体勢を崩し、僕は尻餅をつく。

「――適当に謝ろうとしてんじゃないわよこのおバカッッッ!!!」

 頭上から稲妻がごとき怒鳴り声が落ちてきた。僕は思わず、ビクッ、と体を震わせてしまう。

 見上げると、そこには今度こそ怒りの形相を浮かべたフリムがいた。ただし、紫の両眼から流れる大粒の涙はそのままに。

「…………」

 適当に謝るな、という言葉があまりにも深く胸に突き刺さり、僕は絶句する。図星を指されるにも程があった。そう、僕は彼女の涙の理由を理解していない。なんとなく悪いことをした気がしたから、謝罪しようと思ったのだ。でもそれは、フリムに対する侮辱だったのかもしれない。

 鋭い衣擦れの音を立ててフリムが踵を返し、ドスドスと床を踏みならしながら立ち去って行こうとする。向かうのは、コテージの玄関。外へ出て行くつもりだ。

 僕は慌てて立ち上がり、幼馴染みの背中に手を伸ばして、

「ま、待ってフリ――」

「うっさいついてくんなバカッッッ!!!」

 怒声に張り飛ばされた。

 剃刀みたいに鋭い声音に込められた、あまりにも明確な『拒絶』の色に、僕の体は意思に反して凍り付いた。

 追いかけてきたら本気で張っ倒す――そんな感情がありありと伝わってきた。見栄でもハッタリでもなく、背中を追いかけて行ったら、フリムは間違いなく本気で僕をぶん殴るだろう。それがわかってしまった。

 僕が石像のように止まっている間にも、フリムは早足で歩み去っていく。

 ――で、でも、こんな状態で放っておくわけには……!

 エイジャの用意する〝本番〟だって近いのだ。このままフリムとの間に微妙な空気を残したままでは、いざという時に致命的なことにもなりかねない。何とか、どうにかして話し合って、仲直りしないと――!

 と、再起動しかけた僕の背中に、

「お待ちください、ラグさん」

「――!」

 静かな声がかけられ、僕は再び硬直した。

 誰何の必要なんてなかった。声の主はロゼさんに決まっていた。

 視線の先で、フリムがコテージのドアを乱暴に開いて外へと飛び出して行く。バン! と凄まじい勢いで木製の扉が叩き閉められた。

「…………」

 僕がゆっくり背後を振り返ると、そこには隠れもせず二階へと続く階段の脇に立つ、ロゼさんの姿があった。

 明るい緑色をした、僕やフリムのものと同じデザインのパジャマに身を包んではいるが、元々のプロポーションが違うのでまるで別物に見える。

 音も立てずにこちらへ歩み寄ってきたロゼさんは、軽く頭を下げた。下ろしたアッシュグレイの髪がカーテンのように表情を隠す。

「申し訳ありません。盗み聞きするつもりはなかったのですが、こうしてここに立っていても気付いてもらえなかったものですから」

 まったく気付かなかった。

 立ち聞きなんて趣味の悪いことをするロゼさんでは当然ない。正々堂々と階段から降りてきただろうに、背中を向けていた僕どころか、フリムでさえも彼女の接近に気が付かなかったのである。

「――差し出口とは重々承知しておりますが、ラグさん。フリムさんを追いかけるのは止めておくべきです」

 予想外の事態が立て続けに起こって声も出せずにいる僕に、面を上げたロゼさんは、そうはっきりと言い切った。

 琥珀色の瞳が、じっと僕を見つめている。

「……で、でも……」

「お気持ちはお察しします。ですが、フリムさんの気持ちも察してあげてください」

「さ、察してあげてください、と言われても……」

 その肝心なフリムの気持ちが、さっぱりわからないのだ。

 けれど、それを口にするのは憚られて、僕は沈黙してしまう。

「……何故、フリムさんが泣いていたのかがわからない……ということですか?」

 ややの間を置いて、ロゼさんが最短距離で核心へと触れてきた。見事と言うべきか、何と言うべきか。僕がどういった方面に疎いのか、もはや付き合いがそう長くもないロゼさんにすら看破されてしまっているらしい。

 ロゼさんの問いに、僕は頷くしかない。

「……はい……きっと怒れられる……とは思っていたんですけど……」

「そうですね。話を聞く限り、相当な無茶をしたようですから」

「うっ……」

 恬淡なロゼさんの言葉が、鋭角に胸へと突き刺さる。

 そこは、以前にもロゼさんに釘を刺された個所でもあった。

「私も驚きました。いくらフリムさんの作った全身鎧を着用しているとはいえ、マグマの中に飛び込むとは」

「う、ううっ……」

 冷静に、僕の口から聞いた事実だけを並べるロゼさん。そう、僕が自供したことを繰り返しているだけなのに、何故か氷の針のごとく言の葉が突き刺さる。責めるような勢いもないのに、ものすごく責められている気がするのだから不思議だ。僕の罪悪感のなせる業だろうか。

「……本当に、フリムさんの涙の理由がわかりませんか?」

 念押しするように、ロゼさんは同じ問いを繰り返した。とぼけているのではなく、本当に理解できていないのか――と。

 その確認に、僕は頭に重石を載せられたかのごとく首肯した。胸の中が情けなさで一杯になる。

「……はい……」

 するとロゼさんは僅かに視線を横に逸らし、そっ、と息を吐いたようだった。

「……まったく、あなたという人は」

 先程のフリムの『アンタって子は』という同じニュアンスのことを言われて、思わず委縮する。ロゼさんまでこう言うということは、フリムの涙のわけは常人ならすぐにわかることなのだろうか。自分の愚かさが余計に惨めになってくる。

 次の瞬間、ふわり、と甘い匂いに包まれた――かと思ったら、ロゼさんに頭を抱きしめられていた。むにゅう、と柔らかいクッションのようなものに顔が埋まっていく。

「……えっ?」

「本当に、あなたという人は……」

 馬鹿な人、という言葉が聞こえた気がするけれど、それは幻聴だったのかもしれない。

「ロ、ロゼ、さん……っ!?」

 いきなり頭部を抱きかかえられて、わけもわからず声が上擦る。急すぎる展開に、目が回りそうな気分だ。

 お風呂上がりの香り、柔らかな肌、布地越しに伝わる体温。今、僕の全神経がロゼさんへと集中している。心臓の鼓動が高鳴り、呼吸が浅くなっていくのが自分でもわかった。

「あ、あの……!?」

 恥ずかしさや照れがあった。けれど、ロゼさんの優しい抱擁にはどこか有無を言わせぬ迫力があって、僕はそれに抗うことが出来なかった。

「ラグさん。わからないのであれば、教えて差し上げます。フリムさんの想いを」

 そう言ったロゼさんは、ただし、といったん間を置き、

「私の推測でよければ、ですが」

 何故か僕の頭を穏やかに撫で始めた。とても格闘士(ピュージリスト)とは思えないほど柔らかな掌が、僕の髪の毛の流れに沿って何度も往復する。

「え、えっと……?」

 ――あれ? もしかして、この体勢のままで?

 などと疑問に思う僕の声は無視されて、やはりロゼさんは僕を抱きしめたまま話を始めた。

「フリムさんの涙の理由は、おそらく〝恐怖〟です」

「――っ!?」

 突如として飛び出した剣呑な単語に、僕は状況を忘れるほど驚愕した。

「きょ、恐怖……!?」

 まるで予想外の理由に、僕は戦慄する。

「そ、それってどういう……!?」

 意味ですか、という疑念に、ロゼさんはあくまでも優しく僕の頭を撫でながら、答えてくれる。

「ラグさん、あなたはフリムさんにこう言いましたね。フリムさんのリメイクしてくれた戦闘ジャケットだから、必ず勝てると信じていた――と」

「は、はい……」

「それこそが、フリムさんが恐怖を感じた部分でしょう」

「えっ……?」

 意味がわからない。何故、何がどうなってそうなるのか、さっぱり理解が出来ない。

 武具作製士(クラフター)であるフリムが手にかけたものを信じる――そうすることで喜ばれこそすれ、恐怖を感じられるだなんて、夢にも思わなかった。

「ど、どうして……?」

 ここまで言っても僕が理解しないであろうことを予想していたのだろう。ロゼさんはあらかじめ用意していた台本を読み上げるように、説明を続けた。

「全幅の信頼というものは確かに暖かく、尊く、そして素晴らしいものだと私も思います。ですが、時にはそれが重荷になることもあるでしょう」

 それは、何となくだけどわかる。他人からの期待というのは、されると嬉しいものだ。だけど、度が過ぎると枷になることもある。僕につけられた〝勇者ベオウルフ〟や〝雷神(インドラ)〟といった異名もその一種だ。巨大すぎる名声は、僕にとっては重圧になることも多々ある。

「ラグさんはフリムさんの武具作製士(クラフター)としての才能を信じて、危険な賭けに出ました。その結果、戦いに勝利し、ここにいます。ですが、そうでなかった場合はどうなると思いますか?」

「ど、どうなる、って……」

 それは無論、僕か、僕の纏った〈ステュクス〉がマグマの熱に耐え切れず、ハウエルもろとも死を迎えていた結末だ。いや、一歩間違えれば実際にそうなっていたのは間違いない。あれは本当にギリギリの勝負だったのだから。

「そう、ラグさんは死んでいました。何故、マグマの中へ突っ込むことになったのかはわかりませんが、それが究極の選択だったことはわかります。そして、ラグさんがフリムさんを信じていたからこそ、その道を選択したであろうことも」

 ですが、とロゼさんは言の葉を翻す。

「もしラグさんが死んでいた場合、フリムさんにとっての【事実】はこうなるのです。〝自分の作った防具の性能が不十分だったせいで、大切な弟分が死んだ〟――と」

「……っ!」

 そんな。そんな馬鹿な。

「そ、そんなわけ……!」

「ない、とラグさんは仰るのでしょう。ですが、実際にはそういうことになります。いえ、より正確に言えば、【フリムさんは絶対にそう感じる】はずです」

 静かな自信をもって断言するロゼさんに、僕は反論の言葉を持たなかった。

 そうかもしれない――と思ってしまったのだ。

 フリムなら、そんな風に感じるかもしれない、と。

「全ては、自分の技術が絶対であるとラグさんに信じさせてしまった罪、と。そして、ラグさんの信頼に応えるだけのものを作れなかった己が未熟、と。フリムさんはラグさんの死の責任を、そう解釈していたはずです。ああ見えて、責任感の強い方ですから」

 多分、否、間違いなくそうだろう。ロゼさんの言う通りだ。フリムは一見不真面目そうに見えるけど、実は根っこの部分ではひどく生真面目な人間なのだ。その頑固一徹さは、ある意味では職人らしいと言えば職人らしいのだけど。

「当然ラグさんからすれば、自分の判断が間違っていた、元々の実力差があったのだから仕方ない、といった理屈もあるはずです。ですがそれと同じぐらい、フリムさんにはフリムさんの【流儀】というものがあります」

 畢竟、お前は自分本位でしかものを考えられない愚か者だ――そう言われている気がしたし、実際にそうだと思った。

「一歩間違えれば、ラグさんが死んでいた……それほどまでに自分の腕が信頼されていることを知らなかった……自分のリメイクした戦闘ジャケットのせいで、ラグさんに無茶な戦い方をさせてしまった……色々と思うところもあったことでしょう。実際、結果としてはラグさんは勝利し、生きて再会することが出来ました。ですが、それはあくまで結果論です」

 僕の頭を抱きしめるロゼさんの腕に、かすかに力が籠った。

「我々のエクスプロールはこれからも続きます。ラグさんはきっと、これからも綱渡りのような戦いを続けていくのでしょう。止めても無駄なのは、もはやわかりきっていることですから。となれば、これからもラグさんの命の行方は、フリムさんの武具作製士(クラフター)としての腕に左右されることになります。特に今回のような一髪千鈞を引く戦いにおいては、ほんのわずかな違い、ほんのわずかな差が勝敗を分けます。それは武具の性能である時もあれば、普段の鍛錬の積み重ねである時もあるでしょう」

 鍛錬、という単語のあたりから微かにロゼさんの声に震えが混じり始めた。

「……ええ、私にはフリムさんの気持ちが痛いほどわかります。心底ゾッとしたことでしょう。背筋に怖気が走ったことでしょう。些細な手抜かりが、あなたの命を左右することになっていたと知ったのですから」

 今更ながらに気付く。本来、ロゼさんはこんなに饒舌な人ではない。口調こそ淡々として聞こえるが、その実、彼女の内部では感情の嵐が巻き起こっているのだ。

 だから、普段は端的にしか喋らないロゼさんが、こんなにも言葉を紡いでいるに違いない。

「私もそうです。格闘戦において、まだまだ私はラグさんに教え足りないことがあります。その遺漏がもし、結果としてあなたの命を奪うことに繋がったのなら……っ……」

 それ以上は言葉にならなかったらしい。中途半端なところで舌を止めたロゼさんは、僕を抱きしめる力を一層強めた。もはや呼吸が苦しくなるほどに。

 ――ロゼさんもまた、フリムと同じ〝恐怖〟を感じているのかもしれない。自分の力不足が原因で僕が死んだときのことを想像して、この瞬間、僕には及びもつかない畏怖を覚えているのかもしれない。

「…………」

 ようやく、僕は理解した。フリムの涙の理由を。ロゼさんが、追いかけてはいけないと僕に告げた意味を。

 己の度し難さに吐き気がする。

 ちょっと無茶したことを怒られる……? 馬鹿を抜かせ。フリムは片手間で僕の武装をメンテナンスしていたわけではない。従姉妹だからという成り行きで、祖父の戦闘ジャケットをリメイクして、新たな機能を盛り込んだくれたわけでもない。

 僕の為だ。

 何もかも、僕の為だったじゃないか。

 彼女自身の為、武具作製士(クラフター)としての修行の為という側面はあるだろう。だけど、それを圧してなお、僕の為をこそ思って、フリムは黒玄や白虎をチューンナップし、愛用の戦闘ジャケットをカスタマイズしてくれたに決まってるじゃないか。

 僕は馬鹿だ。

 フリムと再会した時に言われていたはずなのに。



『正義漢も結構よ。英雄的行動も素晴らしいわ。でもね、それで死んじゃったら元も子もないのよ?』



『武器だったら修理も出来るし、何だったら新しいのに交換することだって出来るわ。でも、アンタの体と命は世界に一つしかないのよ? 修理も交換も出来ないの』



『人助けもいいわよ。善行もいいわよ。……けど、もっと自分を大切にしなさいよ。アンタにだって、いなくなったら悲しむ人間はちゃんといるのよ? だから、無茶しすぎはダメ。絶対にダメ。いい? わかった?』



『アタシ達クラフターは、武具だったらいくらでも用意できるし、何度だって修理できる。でも、使い手は作れないの。武器と使い手、どっちが大事かって言ったら断然後者よ。だから、武器を壊すだけならともかく、アンタみたいに自分自身を犠牲にするような戦い方なんて言語道断だわ。お師匠様だって同じこと言うわよ』



 頭の中に、かつてのフリムの台詞が何度もリフレインする。

 言いつけを破ったとか、そういうレベルの話じゃない。

 僕はフリムの手に、自分の命を預けている自覚すらなかった。彼女はちゃんと覚悟を持って、僕の命を背負おうとしてくれていたのに。肝心の僕に、その意識がまるでなかったのだ。

 自分の命は、自分一人のものだと勝手に思い込んでいた。

 そんなわけがなかったのに。

 そんなの大きな間違いだ。

 僕の命は、人生は、多くの人の手によって支えられている。

 僕はとっくに〝ぼっちハンサー〟ではなくなっていたのだ。

 僕が無謀なことをした挙句に命を落とせば、それ即ち、僕やその武装を鍛えたロゼさんやフリムの手落ちにもなる。

 言い換えれば――【ロゼさんやフリムのせいで死んだ】、ともなるのだ。

「……僕は……」

 浅はかだった。自分のことばっかりで、他人のことなんてまるで考えていなかった。例え裏切るにしても、無自覚なのと、覚悟をもってそうするのとでは大違いだ。

 僕は支えてくれる人達のことなどまるで考えずに、その期待を裏切っていた――極めつけの大罪人だった。

「……ラグさん、私との約束は憶えておられますか?」

 呼吸を整え、ロゼさんが僕に問う。胸の奥がズキリと痛んだ。

「……はい……」

 か細い声で僕は肯定する。

 覚えている。かつてミドガルズオルムとの戦いの後、昏倒した僕を見舞ってくれたロゼさんは、今のように僕を抱きしめ、こう言ったのだ。



『あなたが死ねば私も死にます。次に捨て身になる時は、どうか【私を殺すつもり】でおやりなさい。――いいですね?』



 とても真剣な顔と声で告げられた言葉に、僕はノーとは言えず、気圧されるようにして頷いた。

 けれど、実際はどうだっただろうか。僕はマグマの中にハウエルを道連れにする瞬間、この約束を思い出しただろうか。

 答えは否だ。あの時は、目の前の勝ち負けしか考えていなかった。ハウエルを打倒し、ハヌを救うことしか考えていなかった。

 情けない。

 なんと短絡的で、なんと浅薄なことか。

 適当に謝ろうとするな――そうフリムが怒鳴ったのも当然だ。そもそもからして謝って済む問題ではないし、謝罪するという行為そのものが、彼女らへの侮辱に等しい。

 だから、僕は今もロゼさんに謝れない。謝ってはいけない。

 約束を破ってごめんなさい――などと、口が裂けても言ってはいけなかった。

「…………」

 他に言うべき言葉もなく沈黙していると、やがて僕の頭部を抱くロゼさんの腕の力が少し弱まった。

「……どうやら、わかっていただけたようで何よりです」

 わずかな反応から、僕の内心を見て取ったらしい。戦いにおいて敵の動きを先読みするロゼさんだからこそ、出来る芸当かもしれないけれど。

 ロゼさんは再び、優しい手つきで僕の頭を撫でる。

「……どうして……?」

 我知らず、疑問が口をついて出ていた。

 どうしてもわからないことがあったのだ。

「……どうして……ロゼさんは、僕に優しくしてくれるんですか……?」

 本当なら、ロゼさんだってフリムのように怒って然るべきだ。よくも約束を破ったな、と僕をなじってもいいはずだ。

「……どうして、フリムみたいに、僕を怒らないんですか……?」

 さっきのフリムみたいに怒鳴ったり、何かに八つ当たりしたり――は流石にロゼさんらしくないから無理かもしれないが、怒りを示す方法なんて他にいくらでもある。

 それなのに、怒るどころかロゼさんは僕をこうして抱きしめ、慈しむように頭を撫でてくれる。その理由がまるでわからない。

 ふっ、とロゼさんの口から短い吐息が漏れた。それは呆れの溜息なのか、それとも――

「わかりませんか?」

 平坦な声に感情の色はなく、彼女の中にあるものは怒りとも、悲しみともとれる。どちらかもしれないし、どちらでもないかもしれない。

「……はい……」

 僕は素直に降参した。多分、どれだけ時間をかけてもわからないだろうから。

「……実を言うと、本当のところは言えません。それを口にするのは、少しばかり以上に気恥ずかしいものですから」

「え……?」

 てっきり答えを教えてもらえるだろうと思っていた僕は、意外な返答に目を瞬かせる。

「ですが、ラグさんが納得してくださりそうな答えなら持っています。それでもよければ、聞きますか?」

「は、はい……」

 さっきの〝本当のところ〟も相当気になるけど、ひとまず答えがもらえるのなら否やはない。気後れしつつ頷いた僕に、ロゼさんはひどく柔らかな声音で、こう言った。

「今のラグさんなら、怒られるよりも、優しくされた方がお辛いでしょう? ですから、私はこうしてあなたに優しくしています」

「……!!」

 そう言いながら優しく頭を撫でるロゼさんの手に、僕は頭の中を直接殴られたような気がした。

 一瞬、思考が真っ白になる。

 甘かった。

 ロゼさんの優しさは、ただの優しさではなく、一周回った上での優しさだったのだ。

 そして、彼女の言葉は、どうしようもなく正鵠を得ていた。

 そう、僕は今、怒られることを望んでいる。さっきだってフリムに頬を張られたりして、真っ正面から怒りをぶつけられた方が、どれだけマシだったかと思う。

 怒られて、叱られて、しょげて、謝って――そういったルーティンを経ることで、許しを得たり、罪悪感を帳消しにしたいと、心のどこかで思っていたのだ。

 だから、困る。

 こんな風に優しくされると、罪悪感の行き場所がなくなって、どうすればいいのかわからなくて……本当に困る。

「フリムさんと違って今の私は、怒られたがりの人に怒ってあげられるほど、優しくはなれませんから」

 囁くようなロゼさんの声が、心の奥に突き刺さる。

 残酷な優しさ――今のロゼさんがしているのは、つまりそういうことだった。

 今の僕には、怒る価値すらない――そう言われている気さえした。

「…………」

 甘くてひどい仕打ちに無言で打ちひしがれていると、不意にロゼさんが腕をほどき、僕から離れた。

 僕は顔を上げ、ロゼさんの仮面のような無表情を見る。

「フリムさんのことは私にお任せください。行先にはあてがありますので。今から追いかけます」

「――ロゼさん……」

「勘違いなさらないでください、ラグさん」

 二の句が継げないでいる僕に、ロゼさんは。

 両眼を弓形に反らし、ふっ、と口角を持ち上げて。

 そう――とても悲しげに【微笑んで】……

「フリムさんを慰めに行くのではありません。――私も、一緒にあちらで泣いてきます」

 聖母のように暖かな微笑を浮かべたロゼさんは、静かにそう言い置くと、僕の右脇を抜けて立ち去って行った。

 離れていく足音が全くしないのが、いかにもロゼさんだった。

 やがて、コテージの扉が開く音が聞こえ、ゆっくり、静かに閉まった。

 静寂。

 誰もいなくなったリビングに、僕は一人ぽつんと残されて。

「…………」

 全身に圧し掛かる膨大な罪悪感に、声もなく、ただ立ち尽くしていた。





「……というわけなんだ……」

「……ふむ」

 ベッドの上で丸くなったまま最後までことのあらましを語った僕に、ハヌは無感動な相槌を一つ。

 僕の左隣で、僕とまったく同じ三角座りで丸まっていたハヌは、僕の方へ顔を向けつつも、自らの膝小僧に柔らかい頬を載せ、

「なるほどのう……それで、こうして一人で落ち込んでいた、というわけじゃな」

「うん……」

 先刻のことを語り終えた僕は、再び亀のごとく頭を懐に突っ込み、身を縮込ませる。

 いっそこのまま消えてしまいたい――なんて思うのはいつぶりだろうか。

 ハヌと出会う以前は、集会所に通ってもやっぱりパーティーを組めず、ソロでエクスプロールに出掛けては寂しく部屋に戻り、一人ぼっちでベッドの上で丸くなって『僕は一体何してるんだろう……』なんて落ち込んでいたっけ。

 でも今は、あの時以上の鬱な気分が僕を支配している。

「ねぇ、ハヌ……」

「ん? どうした、ラト。今にも死にそうな声をしておるぞ」

 くぐもった声でハヌに話しかけると、若干心配そうな言葉をかけられた。僕は気にせず、そのまま思ったことを口にする。

「……フリムの泣き顔も辛かったんだけど……すごく辛かったんだけど……ロゼさんの浮かべた笑顔が……あの笑顔が本当にキツかったというか、何というか……」

「うむ」

 今にも泣いてしまいそうな僕に、ある意味容赦のないハヌの相槌が打たれる。

 そう、久々に見るフリムの涙にも相当堪えたけど、それ以上に衝撃的だったのが【ロゼさんの笑顔】である。

 普段、ロゼさんが笑うことはまずない。皆無と言っても過言ではない。それほど珍しい表情なのだ、あれは。

 最後に明確な笑顔――というか微笑を見たのは確か、ロゼさんが僕達の仲間になってくれた時のことだったと記憶している。ロゼさんはいつだって美人だけど、あの時ばかりはいつもの数百倍は美しかったように思う。

 そういう意味では、ロゼさんの笑顔はとても素晴らしいものだ。

 けれど。

「……こんなことで、ロゼさんの笑顔を見ることになるだなんて……」

 改めて、悔恨の情が怒濤のごとく押し寄せる。

 あれは多分、わざと笑ったわけではあるまい。きっとフリムみたいに、込み上げる涙を堪えようとして、結果として微笑という形をとってしまっただけなのだと思う。悲しいときや辛いときほど何故か笑えてしまうのは、僕にも経験があるからよくわかる。

 出来ればロゼさんの笑顔はたくさん見たいと思っていたし、それが幸せそうなものなら本当に文句なしなのだけど――あんなに悲しい笑顔を、よりにもよって僕自身がさせてしまうだなんて。

「――あー、あー、あー、あああああああああああ……!」

「お、おおっ? ど、どうしたのじゃラト? 突然、地獄の亡者のような声を出しおって……?」

 どうにも居たたまれなくなって謎の呻き声を上げ始めた僕に、ハヌがびっくりして甘引きする。本当にもう、己の情けなさに心が軋み、言語野からまともな言葉が出てこなかったのだ。

「あああああああああああ……」

 もはやこの気分は言葉にならない。ストレートに怒られるのではなく、泣かれたり、無理な笑顔を浮かべられたりするのは、本当に辛い。辛すぎる。適当に喉を震わせて声でも出しておかなければ、到底この重い気分には耐えられそうになかった。

「――まったく……あの二人であればラトを覿面に叱ってくれるものと思うておったが、これは予想以上じゃったの……」

 不意に後頭部に何か柔らかいものが当てられたかと思ったら、それはハヌの小さな掌だった。いつの間やら僕に手を伸ばして頭をなでなでしてくれていたハヌは、はふぅ、と深い溜息を吐く。

「……まぁ、仕方あるまい。ラトのしたことは擁護できぬ。あれほど言いつけておったというのに、またぞろ破ったのじゃからな」

「……うん……」

 まったくハヌの言う通りだ。全面的に僕が悪い。

「じゃが」

 僕がさらに落ち込み度を増した瞬間、ハヌが声音を変えて否定語を放った。

「今回ばかりは、妾もおぬしを責められぬ。なにせ妾のためにラトは体を張ってくれたのじゃからな。……無論、溶岩の中に飛び込んだというのは、流石に聞いた瞬間は肝が凍り付くかと思うたが……」

「……う、うん……」

 呆れの色を隠せないハヌの言葉に、僕は気後れしつつ同意する。

 今更だけど、自分でもそう思う。いくら何でも煮え滾るマグマの中に飛び込み、火口まで突き抜けるなんて無茶が過ぎると。

 だが冷静になった今となっても、他に方法はなかったと言い切れる。

 あの時、あの瞬間、ハウエルに勝つ為には賭けに出るしかなかった。それは確かなのだ。

 だから、フリムにしてもロゼさんにしても、ハヌにしても『他にやりようがあったはずだ』とは言わないし、僕を馬鹿にしたりもしていない。みんな、そこのところはわかってくれているのだと思う。

 だからと言って、その賭けの内容が危険過ぎたこともまた変わらないのだけど。

「――じゃが、何にせよラトは生きておる。見事勝利を掴み、ここにおるのじゃ。結果だけを見れば重畳の至りではないか。言いつけを破って死にかけたのはよくないが、戦士としてのおぬしは決して間違っておらぬ。故にそう気を落とすでない。元気を出せ、ラト」

「ハヌ……」

 ポンポンと僕の頭を軽く叩いたハヌは、どうやら僕を慰めてくれているらしい。

 戦士として間違っていない――胸を張って『我こそは歴戦の勇士なり』と言えるわけではないけど、ハヌのその言葉は、戦いの中に生きるエクスプローラーとしてはとても嬉しいものだった。

「――それにの、ラト。おぬしは思い違いをしておるぞ」

「……え? お、思い違い……?」

 聞き捨てならない言葉に、思わず顔を上げてしまう。視線を向けると、そこにはいつものように、くふ、と笑うハヌの顔。僕が頭を上げたことで撫でる手を引っ込めた彼女は、悟った風に言う。

「そうじゃ。おぬしはロゼやフリムの考えておることを勘違いしておる」

「そ、それって、どういう……?」

 ハヌの言わんとしているところがわからず、僕は聞き返してしまう。ただでさえ僕は彼女達の気持ちを理解できていなかったというのに、この上さらに思い違いをしているとあっては大問題だ。

「ラト、おぬしはあの二人が〝無茶をしたラトに対して怒っている〟と思っているのであろう?」

 質問に対し、僕はちょっとだけ考えてから頷く。

「え、あ……う、うん……え? まって? 違うの? そうじゃないの?」

 それでは、そもそもの大前提が崩れてしまう。僕に対してでなければ、一体誰にフリムは泣くほどの激情を、ロゼさんはいっそ優しくなるほどの哀惜を抱いたというのか。

 ハヌは神妙に首肯する。

「さよう。あやつらが腹を立てておるのは――忸怩たる思いをしておるのは、ラトではなく……【あやつら自身】じゃよ」

「あの二人、自身……?」

 不思議なことを言い出したハヌに小首を傾げると、ハヌはすっくとベッドの上で立ち上がった。そのまま僕の前に回り、再び膝をついて向かい合う。

 見つめているだけで魅入られそうな、蒼と金のヘテロクロミアが目の前にくる。

 ちっちゃな両手が、いつものように僕の頬を左右から挟み込んだ。お風呂上がりの体温が肌に伝わり、シャンプーのいい匂いが鼻孔を刺激する。

「わからぬか? ならば思い出してみよ。今のあやつらは、いつぞやのラトと同じじゃ。おぬしはシグロス何某(なにがし)と戦った際、無辜(むこ)の市井(しせい)の者達を守れなかったと、己は役立たずだったと――そう悔やんでいたのを覚えておるか?」

 ハヌの声は、僕の深いところにある琴線を、これ以上ない正確さで爪弾いた。

「あ……」

 覚えている。まるで昨日のことのように、その記憶は僕の中に焼き付いている。

 忘れようにも忘れられない『ヴォルクリング・サーカス事件』――ロゼさんと出会うきっかけになった出来事。

 あの時、全ての戦いが終わった後、僕は自らの無力さにむせび泣いた。どうしてもっと上手くやれなかったのか。どうしてもっと助けられなかったのか。どうして自分はこんなにも【足りていない】のか――と。

 そんな僕を、かつてのハヌはこう言った。

 ――『強欲』、だと。

「ロゼとフリムとて同様じゃ。力不足であったと……己は【もっとできたはず】じゃったと、そう悔いておる。それが腹立たしいやら、うら悲しいやらで、荒ぶっておるのじゃよ」

「…………」

 ハヌのその説明は、まるでパズルのピースが嵌まるように胃の腑に落ちた。

 なるほど、と言う他ない。

「何と言いつけようがラトが無茶をしでかすことなど、あやつらなら百も承知のはずじゃ。その上で、今回は危ういところでラトの命が失われるところじゃった……そのことに衝撃を受けたのであろう。またラトの無謀な行動が、己の予想を超えていたことにも驚愕したはずじゃ」

 ハヌは目を伏せて金目銀目を隠すと、はぁ、と呆れの溜息を吐く。

「実際、妾も同じじゃからな。まったく……おぬしはいつもそうじゃ。毎度のように想像の斜め上をいく無茶をしよって。目の前で血を流して倒れられる方の身にもなってみよ。どれだけ心胆が寒くなることか」

「……うん……」

 ハヌのぼやきに、僕はしみじみと頷く。実際には血を流したわけじゃないけど、似たような経験をつい午前中に味わったばっかりなのだ。

 ハヌがヤザエモンの手によって連れ攫われた時、体中の血管に冷水が注ぎ込まれたのかと思った。また、再会するまでの間にどんなひどい目に遭っているのかと想像すると、全身から血の気が引いて眩暈(めまい)を覚えたほどだ。

「故に、じゃ。勘違いするでないぞ、ラト。あやつらの憤りの向かう先はおぬしではない。あやつら自身じゃ。つまり、そのことをラトが気に病んでも、意味などないということじゃ」

「そ、そうは言っても……」

 結局のところ、原因は僕なのだ。僕が無茶なことさえしなければ、フリムもロゼさんも、そのような葛藤を抱くこともなかったのである。

「じゃーかーらー、思い違いをするのではない、と言っておる」

「ふぎゅっ……!?」

 抗弁しようとした僕のほっぺたを、ハヌの両手が挟みつぶした。ひょっとこみたいな顔になった僕は、言いかけた言葉が空いた唇から飛び出し、空中分解して霧散してしまう。

 ずい、とハヌの顔が間近に迫った。真剣な金銀妖瞳(ヘテロクロミア)から放たれる視線が、まっすぐ僕の目を射抜く

「ラト、反省はするべきじゃが、【後悔】だけはするでない。後になってから過ぎたことを言っても始まらぬ。むしろ、申し訳なく思う方があやつらに無礼であろう。おぬしはよう頑張った。最善を尽くした。それは妾だけでなく、ロゼにもフリムにもわかっておるのじゃ」

「…………」

 変な形で口封じされている僕は、体勢的に頷くことも首を振ることもできない。ただ、目を見開いてハヌの顔を見返すことしかできない僕に、ハヌはこう続けた。

「じゃからの、ラト。謝るな。落ち込むな。顔を上げよ。胸を張れ。――確かに、妾らはおぬしに『無茶をするな』と言おう。『危ないことをするな』とも言おう。じゃがそれは、おぬしの自由な行動を制限するものではない。わかるか?」

 無茶をしてはいけない、危ないこともしてはいけない――なのに、胸を張って好きにしろ、とハヌは言う。

「――……?」

 一見して矛盾しか感じない言い渡しに、僕は頭が混乱する。パチパチと目を瞬かせる僕に、ハヌは噛んで含めるように言葉を紡いだ。

「はっきり言うぞ、ラト。おぬしが危ない目にあうのは、おぬしが〝弱い〟からじゃ。おぬしが強ければ、並大抵なことでは命を落とすようなことはないはず。そうであろう?」

「――……!」

 グサリ、どころか、ズドン、ときた。

 ハヌだからこそ、僕の心の弱点を的確に把握していたのかもしれない。そして、そこを敢えて指摘するのまた、彼女がハヌだからだろう。

「――――」

 わかっている。ハヌが言っている〝弱い〟というのは、相対的な話だ。決して僕を馬鹿にしているわけでも、侮蔑しているわけでもない。

 逆算の話である。戦いの中で危ない目に遭うということは、つまり〝強くない〟ということだ。〝強くない〟ということは、〝弱い〟ということだ。ハヌはその話をしているのだ。

「無茶をしたければ、無理を通したければ、強くなれ。降りかかる危険を全てはねのけてみせよ。それができるだけの力をつけよ。それこそが――妾らがおぬしに求めることじゃよ、ラト」

 強くなれ――それはかつて、僕がハヌに抱きついて泣き声を上げた時にも言われた言葉だ。



『ならばの、ラト。おぬしは強くなれ』



『三分だけでなく、いついかなる時も最強の男になるのじゃ。それこそ、あの剣嬢ヴィリーをも超える世界一の剣士にの。さすれば、おぬしの支援術式は文字通り千人力――まさしく世界最強の剣士が千人おるに等しいじゃろ? そうなれば守れぬものなど何もない。おぬしの望みは全て叶う。どうじゃ、単純明快であろう?』



 ハヌはあの時と同じ言葉を繰り返す。

「今よりも、もっともっと強くなれ。おぬしがやりたいことを貫く力を持て。さすれば、おぬしの願いも、妾らの願いも共に叶えられよう」

 やることを止めはしない。

 だけど、危ない真似はするな。

 それは即ち、【何もかもが危なくならないぐらい強くなれ】――と。

 死線を越えるような戦いを演じるのではなく、誰が相手でも楽に勝てるぐらいの力を持て――と。

 そういう意味だったのだ。

「おそらくじゃが、フリムやロゼらの求めるところも同じであろう。あやつらもラトが萎縮することなど望んではおらぬ。むしろ、さらに【伸びる】ことを期待しておるのじゃ。だというのに、肝心のおぬしが一人で丸まって気落ちしておっては、本末転倒ではないか」

 ハヌが両手の力を弱め、くふ、と笑う。今度は僕の頬を優しくさすりながら、

「じゃからの、ラト。おぬしが考えるべきは、償いや購(あがな)いではない。それどころか、おぬしはあの二人にもっと要求するべきなのじゃ。もっと己を強くしてくれと。もっと頑丈な武器を、鎧を寄越せとな。強欲なおぬしらしく、素直に求めればよいのじゃ」

 危ない目に合わない為には自粛するしかないと、勝手に思い込んでいた。

 だけど、それはただの思い込みでしかなかった。

 もっとわがままになっていい――ハヌはそう言う。

 どうせ力を欲しているのだから、遠慮することなどない。僕の望みを叶えるためには、強くなるためには、結局はフリムやロゼさんの力が不可欠なのだから――と。

「それがあやつらの仕事なのじゃからな。おぬしはとっくにあやつらに甘えておる。ならば、どうせ甘えるのじゃ、とことん甘え尽くせばよい。ロゼもフリムも、それが本望であろうよ」

 何ということだろう。

 目が覚めたような思いだった。

 ハヌの言う通り、僕は盛大な思い違いをしていた。

 思い返せば僕は、これまであの二人に堂々と要求したことがあっただろうか。もっと強い武器を作ってくれ、とか。もっとすごい技を教えてくれ、とか。

 そんな短絡的なお願いはかっこ悪いと、頭のどこかで思っていた。してはいけないと、最初から選択肢から外していた。いくら仲間や従姉妹でもあっても、そういった要求は遠慮するべきだと考えていたから。

 でも――

 もし僕が遠慮した結果、僕自身が死んでしまったら、あの二人はより大きな後悔を得る羽目になるかもしれない。

 それは――僕が望むことの、全く逆の結果である。

 想いとはまるで正反対のことをしていた――そのことに気付くのは、頭の上に雷が落ちてきたかのような衝撃だった。

「……ごめん……僕、全然わかってなかった……」

 謝るなとは言われたけど、謝らずにはいられなかった。

「ハヌの気持ちも……ロゼさんやフリムの想いも……全然、理解できてなかった……」

 声が震える。目頭が熱くなる。悔し涙が止まらない。

 己の鈍感さが、情けなくてしかたなかった。

「……ッ……僕、ぼくは……っ……!」

「よい。妾らも言葉が足りんかった」

 あの時のように泣き出した僕を、ハヌが腕を広げ、胸元へ誘った。そのまま包み込むように、抱きしめてくれる。

 そういえば、先程のロゼさんもこんな風にしてくれたっけ。

 そうだ。みんな、僕を責めたいわけじゃない。僕の身を案じてくれているだけだ。だから、こんなにも優しくしてくれるのだ。

 何が怒られた方がマシだ。何が殴られることを覚悟していただ。

 全然、まったく、これっぽっちも、彼女達の気持ちがわかっていなかったじゃないか。

 そんなことをされたって、僕の気が済むだけだ。フリムもロゼさんも、全然気が晴れやしないのだ。だからフリムは僕を殴らずに去って行ったし、ロゼさんは敢えて僕を優しく抱擁していったんだ。

 勘違いも甚だしい。するべきことがまるきり違う。

 そう――ハヌの言った通り、僕がするべきなのは、大きな危険を小さくさせるほど、強くなること。その為に、もっともっと積極的な行動を起こすことだったのだ。

 それなのに――

 僕の手は自然と持ち上がり、ハヌの細い体を掻き抱いていた。

「……ごめん……ごめんね……! ぼく、もっとがんばるから……っ……! みんなをしんぱいさせないぐらい、もっとつよくなるから……っ……!」

「うむ、うむ。期待しておるぞ」

 小さな子供をあやすように、ぽんぽん、とハヌの手が僕の頭を優しく叩いてくれる。

 傍から見れば、どちらが子供かわからない状態だろうけれど、余人にはわかるまい。

 僕とハヌは友達。どちらも対等な関係なのだ。

 だから今は、今だけは、僕はハヌに甘える。

 後でちゃんと立ち直って、次からはもっと強い男になるから――そう胸に誓いながら。

 小さなハヌは、だけどとても広く深い心で、涙が収まるまでずっと、僕の頭を優しく撫で続けてくれた。






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