公爵令嬢は結婚したくない!

なつめ猫

過去の亡霊




「――え?」

 思わず呟いてしまう。
 唐突のことに私は思考が一瞬、停止してしまっていた。

「わ、私にでございますか?」
「そうだ。ここでは詳しくは聞かない。だが――、分っているな?」
「――な、何のことでしょうか? 私には見覚えなど一切……」
「詳細は後程聞く。エリンを連れていけ」

 スペンサーの命令に、女性騎士がすかさずエリンの腕を捻り上げて拘束する。
 それを見て、さすがの私も何が起きたのか分からないこともあり――、

「スペンサー様」
「ティア……」

 彼が、困った素振りを見せる。
 ただ、それは一瞬だけで……。

「ティア。これからは、大勢の他国の王家や諸侯との夜会があるから……」
「お待ちください。エリンが何かしたのですか?」

 私には、どうしてエリンが連れて行かれるのか理解が出来ない。
 それに彼女は私専属の侍女であり、主人である私が守るのが筋で――。
 彼は小さく溜息をつく。
 そんなに、話せない内容なの?

「彼女――、エリンに関して罪があるのかと言えば、それはカモミールのお香を使ったことだ」
「カモミールの?」

 何を言っているのだろう。
 カモミールは、香草として広く昔から使われていて身体にはいいはず。

「そうだ。精神に作用する薬ゆえに妊婦に使った場合には堕胎の可能性すらある。そういう物なのだ」
「――え?」

 私は思わず妊娠しているお腹に手を当てながら顔から血の毛が引いていく。

「……う、嘘でしょう? 何かの……、何かの間違いよね? エリン」

 女性騎士に組み伏せられているエリンに向かって話しかける。

「奥様、私は何も知らなくて……」
「知らない訳がないだろう? 侍女であるのなら最低限の知識や作法は身に付けているはずだ」
「――で、ですが……」
「もうよい、連れていけ」
「お待ちください!」

 エリンを連れて行こうとする騎士の手からエリンを取り戻し背中に隠しながら女性騎士達と、スペンサーと相対する。

「エリンは私の侍女です。彼女が知らないというのでしたら、それは本当に知らないと思います。それに、知っていたら妊婦に悪い香草を使う訳がありません」
「ティア! 離れるんだ!」
「離れません!」

 私は両手を広げたまま、エリンを背中に庇うようにして唇を開く。

「彼女は、白亜邸の時から私の身の回りをずっとしてくれていました。そんな彼女が嘘をつくとは私には思えません。ですから――」
「ティア! その事について今から調べるんだ! すぐにエリンを此方に引き渡しなさい!」
「嫌です! 私は彼女を信じて……い……ま…………え?」

 一瞬、何が起きたのか分からなかった。
 身体の――背中の一部が突然、熱を持って――、そして……遅れて鈍痛が体中に響くと同時に喉元に何かが這い上がってくる。
 思わず咳をした。
 手で口元を覆ったとこで白い手袋が真っ赤に染まっていることに気が付き――、
 身体が揺れて――、体中から力が抜けて膝から崩れ落ちる。
 絨毯の上に倒れる。
 その時に、エリンの姿が見えたけど……、そこに居たのはエリンではあったけれど、表情は別人のようで――、口元は歪んでいて笑みを堪えているように見えたのは気のせいだったと思いたい。
 
「ティア!」

 彼の私の名前を呼ぶ声が聞こえてくる。
 急速に遠ざかる意識の中――、エリンの声がやけに鮮明に耳が捉えた。

「アナタが悪いのよ。ユウティーシア、私のことを忘れたなんて言わせないわよ……」

 何を言っているのかと思ってしまう。
 必死に考えようとするけど、闇が私の意識を呑み込んでいく。

「やはり! この者を――、アンネローゼを……」

 そして私は意識を失った。


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