迷探偵シャーロットの難事件

夙多史

CASE4-1 捕われの迷探偵

 しとしと降り続ける雨の音と、テレビの音声だけが聞こえる物静かな朝だった。
 三日前まではこれが日常だったのだが、なんとなく久々に感じてしまう。そのくらい、目の前で遠慮なく朝食を食べていたそいつの存在は大きかったらしい。

 今朝は、シャーロット・ホームズがいないのだ。

 もう聞き込みをする必要がなくなったためかもしれないが、偵秀の母親の料理をいたく気に入っていた彼女なら今日も図々しく上がり込んで来ているかと思っていた。
 スマートフォンの画面の電源を入れる。特に連絡はない。
 昨日の疲れが溜まっていてまだ寝ているのかもしれない。それならそれで、偵秀はこの静かな休日を満喫できるというものだ。朝食を終えたら即売会で買った推理小説をじっくり読み耽ることにしよう。
 そう考えながら鯵の開きに大根おろしをつけていると――

「シュウちゃん、ポストにこんなものが入っていたけど、なにかわかる? シュウちゃん宛てみたいだけど」

 少し困惑した様子の母親が、『それ』を持ってリビングに入ってきた。

「――なっ!?」

 偵秀は母親の持っていた『それ』を見て瞠目する。箸が手から零れてテーブルを転がるが、いちいち気にしていられるほどの余裕は一瞬で吹き飛んでしまった。

 一つは雨に濡れた封筒。
 そしてもう一つは――刃物でズタズタに切り裂かれた、痛々しい魔装探偵ミスティの限定フィギュアだった。

《門田木市で発生した少女誘拐事件の続報です。一昨日の深夜、坂下津市内の路地裏で葛本容疑者を発見した警察官が殴り倒されていたことが判明しました。警察官は頭を強く打ちつけられており、意識不明の重体で市内の病院に運ばれました。葛本容疑者は警察官から手錠や拳銃などを奪い、現在も逃走中です》

 テレビから流れて来るニュースの音声がやけに鮮明に聞こえた。
 坂下津市と門田木市は目と鼻の先だ。嫌な予感に変な汗が滲み出てきた偵秀は、母親から封筒とフィギュアを受け取って検分する。
 フィギュアには足の部分に達筆な文字で『シャーロット・ホームズ』と書かれていた。ご丁寧にそこだけは傷つけられていない。間違いなく、昨日の同人誌即売会の宝探しゲームでシャーロットが受け取った景品だった。

 次に封筒の中身を取り出す。
 入っていた手紙は、雨水で文字が滲んでいたがなんとか読めた。


【金髪の娘は預かった。〝太陽の製粉所〟まで一人で来い。このことは警察にはもちろん、誰にも伝えるな。さもなくば娘の命はないと思え】

「……」

 嫌な予感は的中した。

 シャーロット・ホームズが誘拐されたのだ。

「まさか……」

 そう思ってシャーロットの携帯に電話をかける。しかし、電源が切れているのか壊れているのか、無機質な音声が流れるだけで繋がることはなかった。

「シュウちゃん、もしかしてシャロちゃんになにか……?」

 母親が心配そうに覗き込んできたので、偵秀は手紙を握り潰してから無意識に荒くなっていた呼吸を整える。

「いや、大丈夫だ。なんでもない」

 誰にも伝えてはならない。それは当然、母親にもだ。どこで誘拐犯が偵秀を見張っているかわからない以上、迂闊な行動は取れない。些細なことが引き金となってシャーロットの命に関わるかもしれないのだから。
 誰にも頼れない。
 だが、なぜ自分なのか? どうして彼女なのか?
 文面から身代金目当てではないことは明白だ。狙いは偵秀自身。どう考えても罠である。行けばなにをされるかわかったものではない。
 行くべきではない。わざわざ誘いに乗るなど馬鹿のすることだ。シャーロットとは単に貸し借りの関係だ。偵秀が命を賭してまで助けに行く必要がどこにある?

『わたしはご先祖様に憧れています。小説でしかお会いできていませんが、ご先祖様のようなカッコイイ探偵になりたいって小さい頃からずっと思っていました』

 夢を語るシャーロットの笑顔がフラッシュバックする。
 関係ない。他人の夢だ。

『えへへ、ミスティちゃんの限定フィギュア貰っちゃいました♪ これは一生の宝物にします!』

 謎解き宝探しゲームの景品を貰った時の笑顔だ。
 その一生の宝物が、一日と経たずに滅多切りにされてしまった。

『テーシュウがいなければ課題をここまで進めることはできませんでした。だからやっぱり、今、ありがとうって言わせてください』

 昨日の去り際に、偵秀に向けられた感謝の笑顔。
 もう少しで最初の課題をクリアできるところまで来ている。彼女は夢に一歩近づこうとしている。
 それを、ここで摘み取られていいのか?
 自分がなにもしなかったことで、もしくは指示に従わず余計なことをしてしまったせいで、彼女が死んでしまってもいいのか?
 その後で、安穏といつも通りの生活を送ることができるのか?

「……ないな」

 偵秀が動かなければ、彼女は救えない。
 ならば、選択肢は初めから一つだ。
 畜生、と心の中で悪態をつく。

「ちょっと行ってくる」

 偵秀は手紙をポケットに突っ込むと、自室から念のため財布だけ掴み取って家を飛び出した。自転車に跨って雨の中を全力で走る。
 指示された〝太陽の製粉所〟という場所へ行く前に、一つだけ確認しておきたいことがあった。

 シャーロット・ホームズが、本当に誘拐されているのかどうかだ。

 彼女が滞在しているホテルの入口に自転車を乗り捨て、偵秀はホテル内へと駆け込んだ。ロビーを横切って真っ直ぐフロントへと向かう。

「すみません、このホテルにシャーロット・ホームズという外国人の少女が泊まっているはずですが、取り次いでいただけないでしょうか?」
「えっ!? も、杜家偵秀!? は、はい、わかりました。あの可愛らしいお客様ですね。少々お待ちください」

 ホテルの女性スタッフが幸い偵秀の顔を知っている人で助かった。こちらの身分を調べられることなくすぐに部屋に連絡してもらえた。
 だが電話には誰も出なかったようで、次に女性スタッフはフロントのパソコンを操作し始めた。外出記録を調べてくれているようだ。

「申し訳ありません。どうも昨日の朝にお出かけになられた切り、お戻りになっていないようです」
「……そうですか。ありがとうございます」

 昨日は一度も戻っていない。つまり、偵秀と分かれた直後に誘拐されたということだ。せめてホテルまで送ってやればよかったと後悔してももう遅い。

「あの、お客様になにかあったのでしょうか?」
「いえ、恐らく友人の家にでも泊まっているのでしょう。そちらをあたってみます」

 女性スタッフには適当に誤魔化しを入れ、偵秀は踵を返してホテルを後にした。

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