ひとりよがりの勇者

Haseyan

第四話 死無き軍勢

 遥か彼方にまで続くような巨大な平野。それを埋め尽くすものと聞かれたら、どう答えるだろうか。草と答えるかもしれない。植物と答えるかもしれない。或いは大自然と言ってもいいだろう。
 だが、少なくとも単語が違うだけで、同じ意味合いの返答が返ってくるはずだ。なら今はどうなのか。もちろん、わざわざ聞くぐらいなら、そんなありきたりな答えでは無い。

 ──その答えは、大量の人間だ。

「テュール隊長。見えてきましたよ」

「ああ、分かってる」

 数万人規模の人間が一斉に北上する中、その一角にもテュールの姿はあった。つまり彼らは王国軍。連邦に必殺の一撃を与えるために派遣された、大軍勢の姿がこれだった。
 最早歩くだけで大地が揺れるかと思うほどの数の暴力。如何に人間が大自然からしてみればちっぽけな存在であろうとも、さすがにこれだけの数であれば影響を与えるというものだ。

「既に向こうの迎撃準備は出来ているみたいだな」

 僅かに目を細めて、豆粒のような都市を凝視する。あれが今回の目標である連邦の城塞都市。誇張抜きにこの大陸の中でも防衛に関しては最強の部類に位置する大都市だ。しかし、それは同時に連邦側が、それほどまでにあの土地を重要視していると言うことでもある。
 これだけの戦力を投入してでも攻め落とすが価値が大いにあった。

「さすが『勇者』です。俺には点にしか見えないですけれど。というか、迎撃準備するにしても早すぎでは」

「普通に進めばまだまだ遠いが、『勇者』が本気で移動すれば数分で付く距離だ。あり得ないと分かっていても警戒しているんだろう」

 納得したように兵士は頷く。『勇者』と言えど、ただ体が異常なまでに頑丈なだけで頭を吹き飛ばされれば命を絶つことになるし、心臓を射抜かれようと、血を流し過ぎても同じだ。

 仮に単騎で奇襲をかけたところで混乱している間は好きに動けるだろうが、やがて統率を取り戻した軍を相手に数の暴力で押し切られる。唯一の例外が周囲に生き物がいればいるほど強くなっていくエリアスと、交戦拒否能力に特化しているオスカル程度。
 それでも過去に連邦の作戦で『魔神』抜きにエリアスが殺されかけたこともあり、決して安全とは言えない。戦略兵器ともてはやされても、結局のところ根本的には人間には違いないのだ。

「それでも、私たちの責任は大きい」

 だが、それだけで『勇者』の価値が、重要性が落ちるわけではない。いっそのこと膨大な魔力を生かして移動砲台にでもなれば、それだけでも十分に戦果を上げられるだろう。最もそんな宝の持ち腐れになどなるつもりは無い。

「できることは多いはずだ。罪無き人々に安泰を……そのために私はこの力を」

 今まで気づかなかったことが奇妙であるほどに、『勇者』の力は大きい。本当に得体の知れないこれは、もしかしたら今にもテュール自身に牙を剥くかもしれない。
 今後どうなるか分からないのだ。それでも、この力がテュールの元にある限り、少しでも不幸を減らせるように扱わなければならない。例え自分自身のものでなくても、それが力を持った人間の義務である。

 軽く瞳を閉じるテュールに、決戦の地は着実に近づいていた。




 ☆ ☆ ☆ ☆




 ──王国軍総勢五万以上。

 それほどの軍勢が今、巨大な城塞都市に包囲網を敷いていた。東西南北に位置するそれぞれの門。南を王国軍の主力部隊三万人、その背後に参謀の集まる本陣と遊撃部隊を連れた『勇者』ハンナが。西を『勇者』テュールとその直属の部隊百人が。東には同じく“予言者”の『勇者』が二万の部隊を率いて出入りを封じている。

 数に酷い偏りがあるが、これが最善だ。これまでの経験上、“彼”の相手をすることになるテュールの元に、生身の兵士は足手まといにしかならないのだから。

「本陣の設営も完了したみたいです」

「ああ、こちらもすぐに動ける。いつ開戦してもおかしくない」

 王国軍が包囲した都市は連邦の入り口とも言える平原に鎮座する、巨大な城塞都市である。連邦は海と巨大な山脈に囲まれており、大規模な軍が外の国へと移動できる土地はこの一点のみ。故に王国にとっても連邦にとっても、この都市は非常に重要な意味合いを持つ場所だった。
 それを証明するかのように、目の前の街は小さな国一つを収めるのではないかと言わんばかりの規模を誇り、城壁は王都顔負けの高さを持っている。その壁の上をヒューマンとは違う種族、魔族が完全武装で待ち構えていた。

「しかし、意外でしたね。俺はてっきり手前の平地で連邦は仕掛けてくると思ったのですが」

 テュールの直属の部下の一人が城壁を見上げながら呟く。確かに、重要拠点を完全包囲している現状は、連邦の急所に刃を突きつけていることに違いない。そこまで追い詰められるぐらいなら、逆に打って出るのもまた一つの選択だ。

「普通ならそうでも、あの都市は特別だ。軍事用に計画的に築かれ、内部の食糧生産だけで数年は戦えるような造りになっている。補給線はこちらの方が遠い分、持久戦に持ち込まれれば向こうの勝利になってしまうさ」

 そして王国軍が撤退すれば、すぐにでも連邦軍は背を叩きに来るだろう。それで逆襲に殲滅されては、王国は一気に攻め落とされる。戦争の勝利に王手をかけているのは、何も王国だけでは無い。
 この戦場での勝者が、十年に渡った戦争を制すると言っても過言では無かった。

 だが、今回ばかりは目の前の戦場にばかり目を向けているわけにはいかない。

「見張りの二個小隊、北門を目視できる場所に……いや、一個小隊で構わない。雇われの冒険者の見張りに一個小隊が向かえ。それと“予言者”殿の所にもだ。両者ともに少しでも怪しい行動があったらすぐに報告してくれ」

「冒険者と“予言者”の『勇者』様にですか……?」

「理由は聞くな。それと決して、仲間だと思って油断しないように」

 語気を強めるティールに首をかしげながらも部下は頷く。エリアスの話を聞いてから、何もかもが敵に見えて仕方がない。教会が王国と連邦を裏から破滅へと誘導していることは眉唾物だが、あまりに心当たりが多すぎた。
 それこそ、直属の部下である彼らぐらいしか信用できない。

 ──或いは、エリアスの言葉が全て嘘で、何かを企んでいるのは彼女の可能性もあるが。

「それでも、ひねくれものだったはずの後輩があんな目をしていた。嘘じゃないと、思いたい」

 目付きも在り方も、体さえも半年の間に見違えるような姿だった。何もかもがどうでも良くなって、自殺紛いの特攻を繰り返すわけでも無い。ただ真っ直ぐに己が為すべきことを、為したいことに向かって突き進む。先日再会したエリアスはそのような目をしていた。
 信じたいと、自然に思わせられる瞳だったのだ。

「……そろそろお前たちは下がっていてくれ。今回は確実に、“奴”が来る」

「そうですね。悔しいですが我々は足手まといにしかなりませんから、伝令と斥候に徹します。どうか、ご武運を」

 一斉に頭を下げ、背後に控えていた少数の部隊が撤退していく。たった一人、テュールを残して。先ほど『勇者』と言えど人間には違いないと考えていたはずなのに、直後にこの有り様だ。
 しかし、これが正解なのだから仕方がない。それに先ほど、単独でも軍を相手に飛び込める『勇者』と『魔神』にエリアスとオスカルを上げたが、あれは正確には間違いである。

 その二人はあくまで奇襲を仕掛けた場合の話なのだ。しかし、テュールととある一人の『魔神』は違う。

 ──たった一人で、真正面から軍隊を殲滅することさえ可能な存在なのだ。

「そうだろう? 吸血鬼」

 問いかけるように言葉を零す。そんなテュールが見つめる先、城塞都市の西門前に一人の魔族がいつの間にか降り立っていた。
 おかしな話だろう。いくらまだそれなりの距離があるとはいえ、地平を覆うほどに広がる王国軍にたった一人で向かい合っているのだ。それはよっぽどの大馬鹿者か、自殺志願者か。そうでなくては、単騎で戦える自信があることに他ならない。

 金髪と立派な髭を揺らし、しわの増え始めた顔に獰猛な笑みを浮かべた男は確かに、視線でテュールを捉えていた。そしてどう言う訳か、大きく息を吸い込んで、

「『勇者』よ! 聞こえるか!?」

「は……?」

 膨大な声量の叫び声が大地に轟いた。間に広がる距離も何のことやら、当たり前のようにテュールの元にまで届いた声に困惑を隠し切れない。向かって右側に展開されつつあった南門の本陣からも、ざわめきが起きている。

「ワシらに開戦の合図など必要無いッ! 相容れない種族同士である限り、産声が戦争の始まりじゃ!」

 声の主と相対するのはこれが初めてではない。だが、声を聞くこと自体は経験が無かった。戦況の運び方からして、活動的な人物であることは容易に想像できたが、まさかこんなことまでするとは。

「更に貴様との決着も未だ付いておらぬ! どうせワシらの戦場は独立している故、さっさと始めるぞ!」

「え、いや、落ち着け。どうせハッタリだ。今このタイミングで突出したところで……」

「ヴァンパイア一族・現当主アイザック・ツェッペリアが参るっ!」

 まさか。そう思った時には既に変化は始まっていた。男の立つ周辺、西門の辺りから赤黒い煙が空へと昇っていく。雲一つ無い晴天を穢すような、気味の悪い煙だ。そして、異形が現れる。
 それは煙の発生原だった物。既に命を失い空っぽの器となった人間。端的に言えば死体だ。腐敗し始めているものまであるその亡者たちから煙は立ち上り続け──動き出す。

「今飛び出したら集中攻撃を受けるのを理解していないのか……!?」

 一つ、また一つ。否、一人、また一人と命を失ったはずの肉体が再び自力で立ち上がり始めていた。どこに隠していたのか、西門の前を大量の死体たちが並んでいく。どんどん、どんどん、数は増え続けていて。
 一が二に。二が四に。四が八に。気が付いた時にはテュールの目の前に異形の軍勢が広がっていた。

 ──その数、ざっと見て五千近くか。

「さっさと構えろ『勇者』! さもなくば……」

 一見、無秩序に見える死の軍勢が一歩前へ進む。少しずつ意味のある配置へ、確かな軍隊としての動きを見せていく。

「貴様の首、今すぐ貰い受けるぞ!」

 腐り落ちた足とは思えぬ速度で異形たちが駆け出す。たった一人のテュールに向けて、『魔神』が率いる屍の兵たちが肉薄した。

「ファンタジー」の人気作品

コメント

コメントを書く