ひとりよがりの勇者

Haseyan

第三話 苦労人の勇者

「──こんばんは。こうして直接お話しするのはお久しぶりね」

 とある砦のすぐ傍。兵士たちが歩き回る王国軍の野営地の中を歩いていたテュールは、背後よりかかった女性の声に足を止めていた。
 その言葉通りに久しく聞いていなかった声。どこか艶めかしいその声色の持ち主に当たりを付けて、大きなため息を一つ零す。それから意を決したように振り返って、

「本当にお久しぶり」

「顔が近い。止めてくれ」

 正しく目と鼻の先にあった美しい女性の顔に、疲れたような表情を隠しもせずに差し向けた。さすがに女性を無理やり押しのけるのはどうかと思い、数歩下がって距離を取る。そんなテュールの釣れない反応に女性は酷く不満げな様子だ。

「そんな顔をされても困る。そうやって男を弄ぶ癖はまだ治らないのか?」

「良いじゃない。結構、可愛い反応をしてくれる子は多いのよ」

 手元を隠しながら笑う姿は正しく絶世の美女に他ならない。着物と呼ばれる東の獣人族が発祥の服を身に着け、長い茶色の髪を団子状に纏めた二十代半ばほどの女性。これから戦場に向かう軍の野営地にはそぐわない姿だが、周囲を歩く兵士たちは特に疑問を挟むことは無かった。
 それほどまでに彼女は軍人の間で、否、大陸中で有名な人物の一人。つまりは、

「“道化師”の『勇者』ハンナ。少しは自分の立場を慎んでみてはどうかな?」

 四人の『勇者』の一人ということだ。言ってしまえば同僚でもある訳だが、どうにもテュールには彼女のことを好きにはなれなかった。きっとそれは彼女が他者に向ける瞳が原因だろう。
 こうして意味も無くテュールをからかっている時も、他の誰かであっても、常に冷たい炎を灯しているのだ。少しでも油断すれば何もかも焼き尽くしてしまいそうな、その青い瞳がテュールには恐ろしくて仕方がなかった。
 故にテュールは彼女と会話するとき、ある程度距離を取る。それ以上はテュールの反射では何かあったときに反応しきれない。

「そう警戒されては困るのけれど……まあ、いいわ。話がしたいのよ。少し場所を……」

「場所は変えない。周囲にいるのは皆、味方だ。それは私が保障するからここで話してくれ」

「……ほんと、信用無いわね」

 先ほどとは逆にハンナがため息を付く番だ。それでもどこか壁を感じさせるテュールに参ったように両手を上げた。

「分かった、分かったわよ。それでね……“予言者”についてよ」

「──。どうして彼の名前が突然出てくるんだ?」

 先日のエリアスとの密会が脳裏を過る。“予言者”に気を付けろ。エリアスから受け取った教会が関わっているという情報を元に、警告したのはテュール自身だ。
 ほんの少し。ほんの少しだけ、心のさざ波が零れてしまうが無表情は貫いた。せいぜい瞳の奥が揺れた、その程度だろう。

「その様子だと、あなたも気づいているのかしら?」

「……っ。君も何か知っているのか?」

 なのに、ハンナにはそれを隠し切れなかった。どこか妖艶で怪しげな笑みで口元を小さく飾る姿は、確かにテュールの動揺を捉えている。

「知っている、と言うほどでは無いわ。ただちょっとだけ、おかしな姿を見てね」

「おかしな姿?」

「ええ」

 思わず言葉をそのままに聞き返す。明確な返答は来ず、焦らすようにハンナは空に浮かぶ満月を見つめ出した。異国の装束を身に着け、月へ静かに楽しむ美女。とても絵になる光景ではある。
 だが、そんなこと今のテュールにはどうでもいいのだ。

「ハンナ。“予言者”のおかしな姿とは……」

「──彼の直属の部下が何人か、東に抜けていくのを見たわ。本陣への伝令でも無いし、一体どこへ向かっているのでしょうね」

 眉を潜めるテュール。“予言者”がいるのは王国軍の東側だ。確かに本陣へ連絡を取るなら東へ伝令を送る必要は無いだろう。だが、何も本陣以外にも伝令を送る先はある。例えば王都などだ。
 それなら馬の乗り換えなどで東へ迂回しながら、都市を経由していく可能性は捨て切れないが、

「そんなわけがあるか」

 あまりにも楽観し過ぎている。これではただの思考の放棄だ。第一、このタイミングで全体の指揮を取る本陣では無く、王都へ連絡を取る必要性がどこにある。
 東、東だ。ここは連邦との国境付近。東へ向かった先にある都市など限られている。一つ一つ頭の中の地図でその場所を確かめていき、

「クリフォード教会の聖地……!」

「ええ、“予言者”のおじいちゃんが熱心に信仰してる聖都の方向よ」

 王国と連邦を南北に隔てているのが山脈地帯。そして王国と獣人たちの故郷である自由都市国家群を隔てるのが樹海地帯だ。その二つの国境とも言える過酷な土地が交差する地点、つまりは王国領の北東の端にクリフォード教会の総本山の聖都は存在した。
 それなり以上の規模を誇る教会の膝元とだけあって、王国領でありながら聖都は一種の独立国家に近い状況になっている。

 仮に“予言者”の部下が向かったのが独自の権威を持つ聖都なら。“予言者”が聖都と秘密裏に連絡を取っているとすれば。

「……君はどう見る?」

「あら、信じてくれるのかしら?」

「おちょくるんじゃない。鵜呑みにはしないが、何から何まで否定していては会話にならない。ひとまずは事実だと仮定してだ」

 ハンナの言葉が誤っているとしたら、それは彼女が嘘を付いている場合だけだ。勘違いという線はあり得ない。“道化師”の能力であれば情報収集は容易なのだから。
 それにハンナを避けているのはあくまで個人的な話であり、客観的に見れば彼女は王国のために働いてくれている善良な軍人だ。彼女の経歴がどうであれ、『勇者』として王国軍に入団してから特に問題行動などは無い。
 むしろ問題を起こしていた『勇者』などエリアスぐらいのものだった。一定以上の信憑性はあるだろう。あくまで個人的な心情を抑えればの話だが。

「どう、かしらね。隠密の魔法まで使って私で無ければ気づかないような隠しっぷりだったから、やましい気持ちはあるんでしょうね」

「我々に隠してまで……やはり教会と何かを企んで……」

「じゃあ、ちゃんと伝えたわよ」

「な、話はまだっ」

 言葉を短く残し、ハンナが背を向けた。突然の行動に慌てて腕を伸ばすが、肩を捉えたはずの右手は嘘のようにハンナをすり抜けてしまう。やられた。そう思った時には既に手遅れだ。

「私のこと、嫌いなんでしょう? 仕事だからって我慢する必要は無いわよ」

「仕事だからではない! 私は王国と国民のために……」

「そういうの嫌いじゃないけれど、元冒険者の私には理解出来ないわね。愛国心ってやつは」

 あとは止めるまでも無かった。テュールの前でハンナの姿が大気に溶けるように消えていく。何時からか、或いは最初からは知らないが、テュールが話していたのはハンナの幻覚──彼女の能力だったのだ。
 先ほどの彼女が幻だったとしても、遠隔で言葉を選んでいたのは本人に違いない。いわば物理的には存在しない分身のようなものである。だから今の会話はまでもがテュールの思い込みと言う訳ではない。ないのだが、狐に化かされたような気分は払拭し切れなかった。

「全くどうして『勇者』は変わり者ばっかりなのだか」

 どっと疲れが湧いてくる。人柄は良いが今回の件から信用できなくなった“予言者”。苦手意識を拭いきれない“道化師”。そもそも会話を受け付けてくれなかった“狂戦士”。
 上司からは文句ばかり言われ、人員も物資も消耗し続けた現場は火の車。心休まる場はどこにもあらず。今日も胃の痛みを戦う“軍王”の背中は苦労人のそれであり、

 ──それでも瞳は、真実を見極めようとぎらついていた。

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