ひとりよがりの勇者

Haseyan

第十三話 心を蝕む夢の終わり

「ダメだ。ずっと廊下を徘徊してる。少しでも動けば見つかるな」

 咄嗟に逃げ込んだ部屋の一つ。様々な小道具が乱雑に床を転がる部屋の壁際に耳を澄ませるレオンはいた。ドアの向こう側、廊下の気配を目を閉じて探り、苦々しい表情と共に顔を上げる。

「だけど、ソラとエリアスの嬢ちゃんが孤立しちまってけっこう時間が経ってるぞ。ずっと引きこもってるわけにはいかないと俺様は思うな」

「ああ。だから強行突破するしかない。その前に……」

 ブライアンの言葉に同意を示し、視線は流れるように彼の巨体の隣へ。そこにいるのはどこか弱々しさを感じる銀髪のエルフ。未だ涙の痕が強く残るセレナに他ならない。レオンとブライアンに視線を集中させられても、彼女は顔を上げず。ただ地面をジッと見つめて唇を震えさせるだけだ。

「強行突破ですね。ええ、大丈夫です。本当にごめんなさい。もう失敗しないので、今すぐにでも……」

「どこが大丈夫なんだ!? 何があったんだ? いつもの君らしくない」

 それだというのに、口では健在を主張してくるのだから余計に質が悪かった。どう見てもセレナは平静を保てていない。指先や膝、唇など体中が恐怖に震え、今にもその場で崩れ落ちてしまいそうだ。
 セレナは悪夢から覚めてなどいなかった。ただボロボロに腐食した心の表面を覆っただけで、癒えてなどいなかったのだ。

「何でも、ありませんから……。ただ少しだけ昔の事を、夢で見ただけです」

「その昔のことを言ってるんだ。俺も、俺がずっと逃げ続けてきたことをあの夢に見せられた。セレナもそうなんだろう? ならそれで心を乱されても悪くなんて……」

「悪いんです! レオンさんも、エリアスさんでさえ! 悪夢を見てもそれを否定できた! それを夢の世界だと拒絶できたのに……なら私もできないといけない!」

 冷静沈着なセレナらしからぬ怒号に、レオンとブライアンはそれを遮ることさえできない。誰にも遮られないセレナの叫びは部屋中に響く。

「お二人に出来たのなら、私にだってできます……。私はもう、失敗できないんですから。一人でもできるはずの私が、皆さんの力を借りてるんですから」

「…………」

 今度こそ顔を上げ、真っ直ぐにレオンの顔を睨み付ける。その翠色の瞳はどこまでも真っ直ぐで正義感に満ち溢れた信念に染まっていて。

 ──それはどこまでも濁っていた。

 その信念は何も間違えていないのに。彼女は確かに多くを犠牲にする教会の野望を止めるべく戦っているのに。どこかで致命的に間違えているのだ。
 友との約束をはき違え復讐に走ったエリアスとも。正義では無く身勝手で世界を救おうとするレオンとも。どちらとも違う。今まではそれに気づけないでいた。だが確かに今のセレナを覗けば、その信念に歪みがあることは明白だった。

「おい! あのからくりたち、こっちに来てるぞ!」

「迎え撃つしかない……セレナ、あまり無茶はしないで……おいセレナ!」

「大丈夫、私に失敗は無い。私は失敗しない。決して、そんなこと」

 機械兵が部屋の中に雪崩れ込んでくる。侵入者の命を奪うべく部屋を満たしていく鉄の兵士を前にしても、セレナはうわ言のように呟き続けていた。




 ☆ ☆ ☆ ☆




 ──夢を見た。

 それはあの人の、ただ一人の愛しい人との記憶。それの終わりの記憶。正に悪夢と呼ぶにふさわしくて、だがセレナの大きな部分を占める信念の根源だ。
 最初は願いだった。次は義務だった。今では使命になった。閉じた世界で、ひたすらに真理への探究を強制され、時間さえ忘れて流れていく日々。この時ばかりは自分の種族を恨んだ。
 長い寿命は時に苦痛にしかならない。生涯に比べて短い時間でも、その暗闇が少しでも明るくなるわけではない。寿命は違うエルフとヒューマンでも、十年以上に渡る孤独は等しく心を蝕んでいく。

 だからこそ、そこから救い出してくれた彼は大好きだった。ずっと昔から大好きだったのに、もっと好きになれた。彼と一緒にいられたらもう他のことはどうでも良かった。彼の言葉を信じ、彼と共に歩き、彼と終わりを共にしたくて。

 ──だからこそ、彼の最期の言葉はセレナにとって呪いだった。




 ☆ ☆ ☆ ☆




 セレナは大陸北東の大森林で生を授かったエルフだ。エルフ族の大半が住まう共和国の田舎という訳でも都会と言う訳でもない。やや大きい程度の凡庸な都市で誕生した。
 そんな普通の街で生まれたセレナという少女は、同じくどこにでもいる狩人の父とエルフでは珍しくない魔法が得意な母との間に生まれた、これまた凡庸な少女だった。だが一つだけ普通でないことも存在する。

 ある日、ヒューマンの行商人が街を訪れた。ヒューマンの住まう王国とエルフの住まう共和国との国境には過酷な密林地帯が支配している。その魔獣と魔物の領域は小規模な軍隊でもない限り、被害無く突破は難しいため国家間の通行はほとんど無いに等しいのだ。
 そのためヒューマンの行商人たちはどの家庭でも食事の場で話されるほどの話題となり、もちろん幼かったセレナも興味本位で行商人を尋ねた。そしてそこにあった初めて見る奇妙な道具たち。古代帝国の発掘品が、幼いセレナの心を鷲掴みにした。

「これはな、昔の凄い国が残した道具なんだ」

 正体不明。用途不明。故に価値も不明。謎だらけの道具の数々に心が躍るのを止められなかったのは今でも覚えている。そしてその時に決めたのだ。将来は研究者になりその不明を暴いて見せると。
 幼いながらに彼女の決意は固かった。最初は子供の冗談だと思っていた両親も、本を読み様々な知識を集め日々成長していくセレナを応援してくれる。一人娘だったことも影響しているのだろう。両親は最大限、セレナの夢を後押ししてくれた。

 そして無事にセレナは共和国外れにある研究機関へと就職を果たす。夢の成就にセレナは寝る間も惜しんで古代の探求に没頭した。毎日のように増える古代帝国の発掘品。相変わらず意味不明な道具ばかりでも、それを解明する力が成長したセレナにはある。

 そんな忙しいながらも幸せな生活の中。ある転機が訪れた。セレナの能力を認められ、実際に古代の遺跡への探索チームに加えられたのだ。遺跡の探索には危険が多く付きまとう。だが、その分外部に持ち運べない巨大な施設などの調査が行える。
 既に魔法使いとしても高い実力を備えていたセレナは悠々と探索に同行し──そしてまんまと罠にかかった。転移装置によって出口の無い空間に飛ばされたのだ。

 薄暗い空間と黒金に光る床と壁。自慢の魔法ではビクともせず、食料も持っていなかったセレナは恐怖に狂いそうになった。後から聞くとそれはたった数時間の軟禁だったそうだが、時の流れから分断された小部屋の中では当時のセレナに分かるはずもない。

「怖かったぁ……怖かったぁ……」

「ほら、知らない男にそんな抱き着いちゃダメだぞー?」

 そんなセレナを助け出してくれたのは、探索チームの護衛に派遣されていたクリフォード教会神殿騎士の一人。名前をオリバー。

 エルフ族の青年であり、後にセレナの恋人となる騎士だった。


 死の恐怖に怯えていたところを救い出され、挙句の果てに初対面の異性の胸を大量の涙で濡らしてしまう。だが、そんなセレナを情けないと罵ることも無く、優しく頭を撫でてくれた青年を。女性であるセレナが意識しない訳も無かった。
 だがしかし、これまで夢のために勉強ばかりしてきたのがその頃のセレナである。自分のそれが恋愛感情だと気づいたことさえ、数か月後の二度目の遺跡探索の時だ。

「あの、凄いんですよ! こんな建物の近くに鳥の巣が出来ていて……」

「ははは、それは珍しいな」

 ただ異性と話すだけなのに、たどたどしくなってしまう言葉。不思議そうにしながらもいつまでも会話に付き合ってくれるオリバーにセレナはさらに惹かれていった。


 思いを告げる勇気も無く、文通と時々仕事で派遣された際に会話する程度の関係が続いていたある日。セレナの転勤が決まることになった。セレナの見つけ出した資料と道具、『宝玉』と呼ばれる無限の可能性を秘めた技術の宝石の解明を命じられたのだ。
 しかし、それはオリバーと直接出会える機会が激減することを意味する。故に欠片ほどにしか無かった勇気をどうにかかき集め、加えてたっぷり数時間かけて、どうにか気持ちを告げて。

「俺も好きだったよ」

 オリバーが微笑みと共に手を握ってくれたのは今でも鮮明に覚えていた。

 その時のセレナは幸せの絶頂だった。夢を叶え、初恋の人物と結ばれ、そして出世も決まった。直接話せる機会が少なくなってしまったのだけが、唯一の心残りだっただろう。

 ──しかし、それは同時に地獄の始まりだった。


 転勤先はクリフォード教会直轄の新たな研究所で、職場の環境は劣悪の一言に尽きた。職員を労働力として見ても、人間として見ていないのである。半軟禁状態で休みも無く働かされ、上から指示される仕事は積み重なっていくばかり。いくら好きで就いた仕事でも限度があった。

 そして、遂に一人の職員が脱走し──殺された。それからだ。さらに環境が悪化していったのは。ついには過労死まで出始める研究所。『宝玉』の解明は中々進まず、スポンサーである枢機卿からは暴力まで振るわれるようになった。

 だが反抗すればお説教と言う名の監禁。辞表は死刑志願と同一。脱走は即刻処刑。過労死で、或いは脱走に失敗して。次々と命を落としていく同僚たち。機密保持と称されオリバーとの文通も許されず、何時しか心を失って研究を続ける毎日。

 夢を歪められた。愛しい人とは文字でさえやり取りができない。幸せの何もかもを奪われ、薄暗い部屋で気が付いたらひとりぼっち。辛かった。寂しかった。だが、涙は枯れてしまっていた。

 でも信じていた。あの日と同じように。あの遺跡から助け出してくれたあの日のように、オリバーがいつか孤独から救い出してくれるのだと。
 根拠のない確信。それほどまでの信頼をオリバーに抱いていて。それは現実となる。

 十年前のあの日、その研究所を神殿騎士の一個小隊が襲撃したのだ。

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