ひとりよがりの勇者

Haseyan

第十話 少女たちの迷い

「随分とお早い帰還だーねっ。何かあったのかい?」

「……お前、よく平気な面を晒せるな」

 エレベーターが止まり、ドアが開かれる。たった二度の利用ではとても見慣れない古代の技術。しかし、それよりも一同の意識は軽薄な声で迎えてくれた幽霊へと向いていた。ソラの膝の上で尚も悪夢にうなされ続けるセレナをレオンが背負っている間に、エレベーターから飛び出したエリアスは幽霊の正面へ躍り出る。

「エレベーターの中だ。幻術系の罠が仕掛けてやがった。ここは元はお前の家だろ。どうして予め伝えなかったんだ?」

「エレベーターに罠だって? そんなはずは……少なくとも僕は……」

「知らなかったとは言わせねえぞ!」

 エリアスの、甲高い少女の怒鳴り声。しかしそこに含まれる怒りは本物であり、幽霊が僅かにたじろいだ。その隙を見逃すエリアスでは無い。素早く短杖を引き抜き、首元へ突きつける。いくら相手が物理的な肉体を持たないとはいえ、魔法ならきっと通用するだろう。事実、幽霊の表情は見るからに恐怖に歪んでいた。

「ちょ、ちょっと待ってくれよ。本当に知らなかったって」

「はっ。ここは自分の家みたいなものだとか言っておいて今更なんだ? 自分の住処の構造さえ分からねえのか?」

「エリィ! 止めてよ。問い質すにしてもやり方が……」

 背後から躊躇いがちに声をかけられて。舌打ち一つを残すと短杖をホルスターへ仕舞いこんだ。苛立ちを隠すように二人から顔を背け、胸の下で腕を組む。

「……確かにやり過ぎた。謝る気は無いけどな」

 やはり心がささくれ立っているのだろうか。例えそれが幻、エリアスを惑わすために作られた夢の世界の虚像だとしても、キールに純粋な悪意をぶつけられる体験は二度としたくない。
 何よりも、キールはもう死んだのだ。エリアスに大事なものを与えて、エリアスに殺された。その事実は変わらない。変わらないのなら、彼はもう静かに休まなくてはいけない。あのような幻などに囚われずに。

 自然と溢れてしまった思考を頭を振ることで追い出す。大きく深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。今度は気持ちが沈んでいくのが自分でも分かるのが腹立たしい。本当に、あの精神攻撃は一部の人間にとって脅威だ。特にエリアスのような過去を持つ人間は──

「…………」

 視線がレオンと、彼に背負われるセレナへ。レオンに関してはやはり、という気持ちが強かった。時々エリアスに同情するような言葉遣いで、鏡を見るような眼をすることがあるから。まるで自分の過去をエリアス越しに省みるような、そんな眼つきを時々していたからだ。
 だが、セレナは違う。常に冷静で、誰よりも賢く、魔法に精通し、豊富な知識を持つ彼女が。このように悪夢にうなされて子供のように泣きじゃくるなんて、想像もできなかった。今は少しは落ち着いたようだが、レオンの肩越しに見える銀髪のエルフの目元には痛々しいほどの泣き痕が残っている。

「幽霊さん。話は後にして、どこか安全な部屋は無いのか? セレナをどこかで寝かせてやらないと」

「ごめん、無いよ。見ての通り、この場所は洞窟と研究所を繋ぐエレベーターへの通路。それと簡易的な待合室だけだからね。そこもドアは当の昔に壊れて、部屋なんてとても呼べないよ」

「……そうか。じゃあ、ソラ。とりあえず分厚い布が何枚かあっただろう? それを隅っこに引いておいてくれ」

 レオンの指示を受けてソラが荷物から布を素早く引いていく。レオンだって同じ精神攻撃を受けていたはずなのに、あまりに普段通りの態度にエリアスは驚くしかできない。彼の過去に何があったのか。それは知らない。だが、過去のトラウマを見せつけられて、平静でいられるなんて。

「さて、幽霊さん。話をさせてもらおうか」

 しかし、それは只の思い違いだ。一見、普段通りに見えるレオンの態度と言動。それもよく見ればどこか覇気が無く抑揚に欠けている。何よりその赤い瞳にほんのわずかな苛立ちを。レオンの滅多に見せない怒りを覗かせていれば。内心で彼も平静でいられていないのは自明の理だった。

「いやいや、本当にエレベーターにまで仕掛けがあったなんて知らなかったんだよ! 僕は何も悪くなーい……ってノリじゃダメ?」

「俺様は嫌いじゃないが、他は許してくれなさそうだな」

 ブライアンの言葉を肯定するように、エリアス、レオンそしてソラの三人の無言の視線が幽霊に突き刺さる。ソラはどう言う訳か無事だったようだが、それでもセレナを心配する気持ちは痛いほど伝わってきていた。ソラだってふざけた態度をこの場に持ち込むことには否定的だ。

「……エレベーターにまで侵入者対策の罠があったのは本当に知らなかったよ。確かにここは僕の生前の仕事場であり寝床だったけど、所詮は平の研究者。下っ端さ。警備システムとかに精通しているわけじゃない」

「その割には自信満々で話したけど、それは?」

「いやだって、昔の僕を知らなかったんだから僕がここの長でーすって言ってもバレな……おーけー。その杖を降ろしてくれ。魔法だったら『半精霊』の僕でも消えちゃうから! やめ、やめて!」

 雷の収束した短杖を向けると、即座に幽霊は降伏するように両手を上げる。生前の彼はそれほど高い役職では無かったようだが、この反応を見ていると嫌でも痛感させられた。こんな愉快で、無意識の内に神経を逆なでる天才に、研究職など向いているわけがない。

「じゃあさ。結局幽霊さんが知ってる役立つことって、何があるの?」

「警備システムの大雑把な機能と、後はクリアランス最低レベルの登録情報……ここで一番使えない鍵ってことだね。それぐらい?」

「ぜんっぜん、役立たないじゃん!」

 ソラに絶叫に幽霊は苦笑を返すだけ。つられてエリアスも大きなため息が溢れてしまった。

「ならどうしてそんな姿になってまで生き続けてるんだよ……さっさと死んどけよ」

「僕がこうなったのは事故だからね。とある実験の最中にこの研究所の職員は皆殺しにされた。僕はその時開発中だったとある装置の前で力尽きて……目が覚めたらこの体だよ」

「最初はこの遺跡の管理人か何かだと思ってたんだけどな。つまりただの死にぞこないか」

 自虐的に浮かべた笑みが答えなのだろう。その返答を見て取って今度こそ脱力する。だが、元々遺跡漁りに助力など無いはずなのだ。偶然見つけた助けが、ただ無くなっただけ。最初からいなかったものにすればそれで良い。
 ならばこの話はここでお終い。それよりももっと大事な、そして致命的な事柄に眼を向けなければならないだろう。

「ひとまず順番に見張りをしつつ休もう。セレナが目を覚ますまで迂闊に行動もできないからな」

「ここまでの洞窟は一本道だし、外に繋がってる穴も海一直線だから魔物とかは入っては……」

「いや、それでもさ。洞窟のどこかに、伏兵・・でも居たらたまったものじゃない。幽霊さんもこの場から動かないで欲しい」

「……分かったよ。久しぶりの話し相手に、僕もこれ以上嫌われたくない」

 暗に信用していないとレオンに告げられ、さすがの幽霊は悲しげに頷く。その様子を見てブライアンは無言で立ち去り洞窟の方面へ。恐らくは見張りへ向かったのだろう。
 セレナは相変わらず夢の世界へ縛られ、美しい顔を苦しげに歪めていた。肉体的な不調は調べた限り見つかっていない。目を覚まさないのは精神的な干渉を受けているからであって、すぐさま致命的なことにもならないだろう。だが、エリアスの技量では外部からその魔力による干渉を弾くこともできなかった。

「エリィ、ちょっと手伝って。セレナも心配だけど……」

「待つしか、無いか」

 英気を養うべく食事の準備を始める。今できることはエリアスに任された簡単な作業をこなすこと。それだけだった。




 ☆ ☆ ☆ ☆




 それから数刻の時が過ぎる。かつて待合室だったらしい空間で、寝袋の中に入り込んでいたエリアスは天井を見上げていた。

「……寝れない」

 浅くなら眠ることができている。だが、体の疲れが取れたと思うほど眠る前に、自然と目が覚めてしまうのだ。体が意思に反して睡眠を拒絶するように。あの夢の続きを拒絶しようと勝手に覚醒へと導かれてしまっている。

「ったく、俺も結局弱いな」

 悪夢の続きを見たくない。そんな子供のような理由で眠れなくなってしまう自分に情けない笑みがこぼれた。そうだ、エリアスは弱い。それはレオンたちと出会ってから、何度も何度も痛感させられている。

『勇者』の力を失い、性別が反転してしまっただけで剣を振るえなくなる小さな体も。一人では過去の出来事一つさえ振り払えない心も。どちらもあまりに弱すぎる。
 ようやく時が進み始めても。ほとんど止まり続けた十年分だけ、エリアスの成長は遅れていた。あの故郷を焼かれた子供から、エリアスはほとんど変われていない。最も、その分をこれから取り返せばいいとも思えるようになってきてはいたが。

「あれ、もしかしてエリィも起きてる?」

 ふと隣から小さな疑問の声が聞こえてそちらへ顔を向ければ、寝袋から頭だけを出したソラと視線が絡んだ。その距離が思っていたよりも近く、つい目線を逸らす。その姿にソラが苦笑してくる気配を感じ、誤魔化すように天井へ再び視線を移した。

「どうした、休んどかねえと持たないぞ」

「それはお互い様じゃない? ……ちょっと考え事をね」

 続いて何かを躊躇うような気配にエリアスは押し黙る。きっとそれはソラの判断に任せるべきなのだろうから。それに気づいたのかどうか。再びソラの言葉が静かに紡がれる。

「実はね。セレナがああなるのは初めてじゃないの」

「初めてじゃない……?」

「うん。あたしがセレナと初めて会ったのは森の中なの。びっくりしたよね。魔獣とかがうようよしてる森の中に、泣きじゃくるエルフが居たら」

 思わず聞き返してしまうエリアスに、ソラは続けた。

「意識もはっきりして無くて、当時ソロの冒険者だったあたしはセレナを街まで連れて帰ったの。ただずっと泣いて、“ひとりにしないで”。“この嘘つき”って、それしか言わないんだから困ったよ。でも見捨てることもできなくてしばらく面倒を見てた」

 それは今のセレナがうなされながら口にしている言葉と同じものだ。驚きの表情を浮かべるエリアスをソラは一瞥する。

「でもある日、仕事を終わらせて帰ってきたらこれまたびっくり。何にもなかったみたいに元気になってて、迷惑をかけてごめんなさいって。その後は今と同じしっかりした女の人にしか見えなくて……結局、行く当ても無いって言うから一緒に冒険者業をやることになったの。それがあたしとセレナの初めまして」

「……じゃあ、その泣いてた原因はなんだ? それが今もセレナの見てる悪夢なんじゃ……」

「それが一回も話してくれてないんだ。ただ、ね」

 そこで一度区切り。どこか遠くを見るような眼つきを浮かべて。そしてその瞳を未だうなされるセレナに向ける。どこか憂いを込めた、それでいて寂しそうな瞳でセレナを見つめて。

「泣き止んだのは心の整理がついたからなんかじゃない。あれはただ悲しみを心の中にしまっただけ。きっとセレナは、心の中で泣き続けてたの……それを解消してあげられなかったのはあたしの弱さのせいかな」

「そんなことは……」

「あるよ。だってあたし馬鹿だもん。戦争を止めたいとか、元研究員だったなんて話もレオンとブライアンの二人と合流してから初めて話してくれたんだよ? あたしなんかじゃ……空っぽのあたしなんかじゃ、セレナが全部を話せるほど頼れる存在にはなれなかったの」

 寂しげな、そしてどこか己への恥の混じった物言いに、エリアスはかける言葉が見つからない。口にするのは気恥ずかしいが、エリアスはソラには尊敬するべき場所があると思っている。
 この少女の体になってから分かった。セレナのように魔法使いとしてならともかく、ソラのように生粋の剣士として戦うには、女性という壁はあまりにも高い。鍛えても筋肉は付きにくく、小さな体格では間合いも小さい。だがソラは確かに剣士として、レオンやブライアンと肩を並べるほどの実力を持っていた。

 それは並大抵の努力では済まされない。こつこつと毎日、めげずに努力し続けてようやく得られる力だ。少なくともエリアスが剣を捨てる理由になる程度には険しい道だ。その道を確かに登り切っても尚、ソラが弱いなんてそんなこと。

「ほら、もうそろそろ見張りの交代……ってレオンとブライアン、二人ともいなくない?」

 エリアスの返答を遮るようにソラが告げた。言われて慌てて起き上がり、男性陣二人の姿を探すが確かに寝袋だけを残していなくなっている。

「おかしいな。俺の前はブライアンの順番だから、レオンは寝てるはずじゃ……」

「ごめん、ちょっと野暮用があって」

 もしや何かあったのか。ソラと顔を見合わせた時、やや離れた場所からレオンの声が聞こえ反射的に顔を上げた。そこにいるのは金髪の優男。それ以外にあり得ない。

「何かあるなら先に言ってよね?」

「それは本当に申し訳ない。次からはそうするよ」

 冗談交じりのソラの言葉にレオンは両手を合わせ、ついでに頭を下げる。その様子は先ほどまでと違い、どこか肩の荷が下りているようだった。正確にはあのエレベーターで悪夢を見せつけられる前の状態に、いつも通りのレオンに戻ったようで。

「エリアス、悪いけど早くブライアンと交代して上げてくれ。あいつも疲れてるだろうから」

「あ、ああ。そうだな。悪い、すぐに行く」

 急いで寝袋から外に飛び出て、洞窟との出入り口に向かう。ブライアンと見張りを入れ替わりながら、何故か先ほどのソラの言葉が頭の中で反響し続けていた。

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品