ひとりよがりの勇者

Haseyan

第九話 過去との遭遇

 一面に続くうす暗い空間に、エリアスは佇んでいた。先ほどまでエレベータと呼ばれる古代の遺跡の個室に入っていたはずなのに、一体いつからこのような空間に移動していたのか。何故か重たい頭では思考もまとまらない。

「レオン、ソラ……? セレナ! ブライアンでもいい! 誰かいないのか?」

 仲間たちの名前を大声で呼んでみても、虚しくだだっ広い空間に響くだけ。辺りを見渡しても壁や天井は見当たらず、暗い空間がひたすらに続いているようにしか見えなかった。本当に、一人ぼっち。仲間どころか人っ子一人いやしない。

「どうなってんだよ……クソッタレ、何か手がかりは……」

「──あぁ、ひでえな。ほんとにひどい。どうしてそこで俺の名前を呼んでくれねえんだよ……?」

「──っ!?」

 突如として背後から鼓膜を刺激されて、エリアスは反射的に振り返る。ついさっきまで誰もいなかったはずの場所。そこにいたのは赤い髪を持ち悲しげに俯く一人の少年だった。フラフラと脱力した両腕を垂らしながら、顔を見せず不気味な少年は怨念のような呟きを続ける。

「あんなに一緒に肩を並べたってのに。みんなで助け合ったのに。どうして俺の名前を出してくれねえんだ……?」

「気味が悪いぞ、お前。誰か知らねえけどまずは顔を見せたらどうだ?」

「……ああ、そうだな。じゃあこれで、思い出すのか?」

 ゆっくりと少年の顔が上げられる。ホルスターの短杖の感触を確認し、臨戦態勢を整えながら徐々に明らかになる顔を凝視する。目、鼻そして口と。少しずつ正体が明らかになって、

「え、な、なん……で……?」

「やっと思い出したか?」

 燃えるような赤い髪。負の感情に満たされた瞳は一瞬気づかなかったが、忘れるはずがない。忘れてはいけない赤い瞳だ。笑えば太陽のように眩しくて、それが真っ暗闇だったかつての生活を照らしてくれたのを思い出せる。
 心を失いかけていたエリアスに光を与え、そして唐突に消えてしまった希望。エリアスにとって『勇者』時代の唯一の良心であり、絶望の象徴でもある少年。その名前は一つしかない。

「キール……なのか……?」

「そうに決まってるだろ。俺意外に誰がいるってんだ。お前が仲間を求めて、出てくるやつが」

 嘗ての、そして死んだはずの“仲間”。キールがこちらに冷たい視線を送りつけていた。だが、常に笑みを絶やさなかったあの時のキールと、目の前の彼は似ても似つかない。ひたすらに暗い感情だけをその瞳に宿している。

「もう一度聞くぞ。どうして俺の名前を呼んでくれなかった? どうして俺を頼ってくれなかった? 俺はあんなに、お前を救ったってのに」

「いやだって……お前はもう、十分俺に……キールを忘れたわけじゃ……」

「だったらあの墓の前の言葉は何だってんだ!?」

 キールが怒声を上げ、思わず体が怯んでしまう。状況を、まるで理解できない。どうして、あんなに優しかったキールがこんなことを。

「その口調だって昔からずいぶんと変わったな? あんなに弱気な男だったくせに俺のマネか。なあ、そうだろ。今のお前を形作ってたのは俺だ。キールだ! 最期に魔族への恨みを植え付け直したのも、それでもどこかで優しい心を失わかったのも、そんなお前を全部俺が作った!!」

「確かに、そうだけど……でも、俺はお前を……」

 止めてくれ。その声で、優しかったキールの声で罵倒しないでくれ。勝手に心臓の鼓動が早まる。足ががくがくと震え、今では細く白くなってしまった少女のそれは容易く膝を折る。そのまま地面を見つめ、視界にキールを収めないようにした。
 だが、いつの間にかすぐ傍にまで寄っていたキールに、長い髪を掴まれ持ち上げられる。無理やり視線を合わせられた。怖くて逸らそうとしたのに、それをしたら余計にキールに攻められる予感がして、釘付けになってしまう。

「なのに。俺たちとの誓いを破るって? ずいぶんと薄情になっちまったんだな。まあ、大量殺人犯なら当たり前か」

「ちが……う……」

 確かにエリアスは多くの魔族を殺してきた。戦争を理由に、復讐だと自分に言い聞かせ、関係ない魔族を殺してきた。例えそれまでの境遇に同情の余地があろうと、それは言い逃れの出来ない罪だ。エリアスという存在にいつまでも繋がり続ける咎人の楔だ。
 憎悪に塗れた視線が突き刺さる。体がどこまでも冷たい。頭の中はすっかり真っ白で、ほとんど・・・・の仕事を放棄していた。しかしその時、唐突にキールの表情が明るい物へ転じて、

「けど、な。誰にだって間違いはある。それを正すのが仲間の役目だ。そうだろ?」

「キール……お前……」

「だから、一緒に来い。部隊のみんなもいる。今度こそみんなで戦いなんて忘れて、ただの友達として一緒に過ごそうぜ」

 乱暴に髪を掴んでいた手が開かれ、代わりにポンと頭に優しく乗せられる。視線の先に居るのは、今度こそ間違いない。あの地獄の日々に、僅かにだが差し込んだ光。それに違いない。

「でも今俺が居なくなったら、レオンたちは……」

「どうでもいいだろ。仲間は俺たちだけで十分だ」

 反対の手が差し出される。それを取れば、かつて夢見た平穏な暮らしを得られるのだろうか。誰も死なず、何も奪われず、何も奪わない。そんな平和な世界にいけるのであれば。そこにキールたちが居るのなら、ゆっくりとエリアスの小さな手が伸ばされて、

「さあ、来いよエリアス。今度こそ、あの時の約束を……」

「やっぱり、お前……」

「どうした?」

「──お前、誰だよ?」

 手の平から雷撃が放たれる。キールの眼が驚きに見開かれ、咄嗟に飛び退くが右肩を貫通した。感電し数歩離れた位置で膝を折るキール。苦しげなその姿は、何度見てもエリアスの昔の仲間だ。それを自ら傷つけるのは心が痛んで、だからこそ目の前の少年に腹が立って仕方がない。

「エリアス、ひどいじゃねえか。どうして俺にこうげ……」

「黙れッ! 黙れ黙れ、黙りやがれっ!!」

 今度はホルスターから引き抜いた短杖を媒介に。威力の増した雷撃が少年の足を貫いた。下半身までダメージを負い、遂に前めりに倒れる。それでもどうにか顔だけを上げて、ひどく悲しげな表情でエリアスに視線を向けていた。

「俺はお前の仲間だろ……?」

「お前がマネしたやつはな。だけどな……」

 ムカついて、苛立ちを抑えきれなくて、心が憤怒に満たされて仕方がない。だから最高に凶悪な笑みで地面に倒れる少年を見下してやった。大きく息を吸い込み、考えもまとまらないうちに一気に吐き出す。

「キールが人の気持ちを、大事にしてるものを踏み躙るようなことを言う訳がねえんだよ! 誰よりも優しくて、俺みたいな屑まで救おうとするあのお人好しが、自分を忘れられたくらいで怒るかよ。むしろ、前を向くことに喜ぶほどの馬鹿だ、あいつは!」

 誰よりも周りを優先し、自分を後回しにして、そんな病的にまで優しかったキールと、目の前で憎悪を囁く少年とでは。あまりに違いすぎる。見た目だけを似せた別人。それ以外に何があるというのだ。

「てめえか俺みたいな屑じゃねえんだよ、あの馬鹿野郎は!」

「──そうか、貴様には通用するかと思ったんだが」

 最後に杖を突きつけて、少年が突如として声色を変えた。無表情の不気味な雰囲気を漂わせ、倒れたままにエリアスを見つめる。

「ようやく正体を現しやがったか」

「それには僅かに語弊がある。ここは只の夢の中だ。現実の我は別の場所にいる」

「夢の中……? 魔法か何かで精神に干渉されたのか。いつの間に……」

 エレベータに乗り込んで、恐らくは動き出したタイミングだろう。確かにあの時、意識が薄れていくのを感じた。そう考えれば全て辻褄がある。だが、どうやって抜け出せばいいのだろうか。ひとまず目の前の少年から聞き出してやろうかと、ゆっくりと歩み寄る。

「案ずるな。貴様が見破った以上、すぐにこの精神世界は崩壊する」

「へ、そうかよ」

 言葉通り、徐々に世界にヒビが入り光に満たされていくのを確認すると、肩から力を抜く。本当に散々な目に合った。何よりもレオンたちと出会う前のエリアスがこの罠にハマっていたら。そう考えるとゾッとする。
 きっとあの時のエリアスだったら、目の前の少年に違和感を持ちつつも、それが本物のキールだと自身に思い込ませていたかもしれない。そうしたらこの暗闇の世界から抜け出せなかった。

「貴様が脱出できたのは意外だ。だが」

 世界が崩れていく。エリアスの意識が現実へと戻される。そんな光景の中で、少年が悪意に染まった笑みを浮かべて、

「貴様の仲間とやらはどうかな?」

 そこで夢は途絶えた。




 ☆ ☆ ☆ ☆




「……ぃ! エリィ! 良かった目が覚めたの!?」

 現実へと意識が舞い戻り、最初に耳にしたのは必至なソラの呼びかけと、高速で響く発破音だった。慌てて身を起こし、僅かに痛む頭を振るとすぐさま立ち上がる。

「悪い、今どういう状況だ?」

「エレベータが地下に到着してから、みんな気絶しちゃって……。あたしとブライアンは無事だったんだけど、機械兵が殺到してきたの。丁度レオンはすぐに目を覚まして、ブライアンと一緒に足止めをしてるけど……」

「分かった! 俺も加勢してくる!」

 体は若干重たいが文句を言っている場合ではない。ホルスターから短杖を引き抜いて、ふと足元に銀色の絹が見えた。その先にあるのは、もちろん髪の持ち主であるセレナに他ならず、その顔を見て絶句する。
 普段は冷静沈着で常に全体を見渡す頭脳明晰なセレナが、大粒の涙を流して縮こまっていた。

「ごめんなさい、ごめんなさい……。だからいやぁ……ひとりはいやぁ……」

「……全然目が覚める様子も無くてね。セレナはあたしが守るからエリィは」

「ああ、分かってるけど……」

 セレナもエリアスと同じように、夢の中に閉じ込められているのだろうか。そうだとしたら一体どれほど凶悪な世界を見せられているのか。気になりはするが、今のエリアスの仕事は予測では無い。後ろ髪を引っ張られる思いでエレベータの個室から飛び出した。

 人がどうにかすれ違えるかどうか。その程度の狭い通路に行き止まりにエレベータは存在しており、その前をレオンとブライアンが阻むように立ち塞がっていた。二人の背中に遮られて、通路の向こう側はよく見えない。だが、何かの発破音が聞こえた瞬間、

「ぐっ……!」

「ブライアン! もういい下がれ!」

 巨漢のドワーフが苦悶の声を上げて、左肩から血が吹き出る。両手で構える大鎚を衝撃で取り落としそうになって、それでもブライアンは手放そうとしない。理由はすぐにわかる。その大鎚を盾に、あり得ない速度で迫りくる何かを弾き返しているのだ。
 だが、とても全身を覆いきれるわけが無く。全身に痛々しい傷が見る見るうちに増えていく。これが例のライフルと呼ばれていた武器なのか。エリアスでさえ目で追うことが不可能な飛び道具。それを理解すると、すぐにエリアスは詠唱を始めた。

「──その盾は要塞の如く『防壁』!」

「エリアスの嬢ちゃんか……助かったぞ……!」

 通路にふたを閉めるように半透明の壁が生まれ、ライフルの攻撃を受け止め始める。容赦ない高速での発破音と共に衝撃で『防壁』にヒビが入っていった。その様子に驚いた声でブライアンが振り返って、彼の巨漢から力が抜けると崩れ落ちていく。

「ぐぉ……力が入らん」

「無茶しすぎだ! エリアス、まだ盾は持つか?」

「もう一分ぐらいはな! それ以上は厳しいぞ!」

「十分だ。撤退するから魔法を維持したまま下がってくれ」

 レオンが肩を貸し、真っ先にブライアンがエレベータへ戻っていった。彼らが背後へ行ったのを確認してから、エリアスも集中を切らさぬよう細心の注意を払いつつ後退していく。そんな中、ふと半透明の壁越しに敵の姿を観察してみた。
 通路の曲がり角からこちらへ攻撃をする人影は一見すれば全身鎧に身を包んだ兵士、に見えなくもない。だが、それにしてはあまりに手足が細く長い。その上、四人いる兵士全員の体格などの姿形が全く同じであり、それが人ならざるものであることはすぐに判別できた。

 そして奇妙な点はもう一つ、こちらに構えられている黒い武器だ。細長い筒に取っ手などを取り付けたもの、に見えるがあまりに複雑すぎてエリアスには把握しきれない。ただ理解できることは、その武器の先端が小さく火を噴くたびに、凶悪な速度で『防壁』に硬質な何かが放たれていること。それだけだった。

 先ほど話に聞いていたライフルと言う武器なのだろうが、現物を見て見るとあまりに凶悪の一言に尽きる。だが、対処法が無いわけではない。要はあの先端が向けられた方向さえ、立ち止まらなければ済む話なのだ。
 それに魔法で十分に守り切れるのなら、五人で連携すれば打倒すること自体は不可能ではない。そんな思考も背後から聞こえたレオンの声に断ち切られた。

「エリアス! 早く乗り込め!」

「お、おう。悪い」

 盾を発現したままエレベータへ再び足を踏み入れて、レオンがボタンを操作するとゆっくりとドアが閉まった。そのまま個室が上昇していくのを感じて、そこでようやく息を付く。見ればレオンはブライアンの応急処置を。ソラは続けてセレナの看病を行っていた。
 何か手伝えることは、と頭をよぎったが未だ治癒魔法を習得していないエリアスにできることは何も無く。大人しくその場に座り込んだ。

「幻術の術式とかは、もう無いな?」

「俺が見た感じな。とは言っても、行きで気づけなかったんだから、今も分からないだけかもしれねえ」

 あとでセレナに本格的に調べてもらわなくては、地下に向かう手段がこのエレベータ一本なのだから安心して探索もできやしない。だが、セレナは相変わらず、ソラの膝の上で目を覚ます様子はない。赤子に退行してしまったかのように、眠りながら泣きじゃくるだけだ。

「……なあ、レオンも気絶してたんだろ?」

「そうだけど……それがどうした?」

「いや、どんな夢を見てたのかってな」

 その言葉にレオンは珍しく押し黙った。セレナとエリアスを。交互に見つめてから、躊躇いがちに何度か口を開閉して。そして、

「昔のことを、少し。はっきり言って最悪な気分だよ。エリアスは?」

「キールの、昔死んだ仲間との約束だ。まあ、見た目だけを似せた偽物だったし、ぶっ飛ばしてやったけどな」

 それは、ただ己を鼓舞する意味で発した強がりだった。あれがエリアスを惑わすために生み出された幻像だと分かっていても。彼に罵倒される経験は酷く心を荒れさせていた。だからこその強がり。しかし、そんなエリアスの言葉にレオンは驚いたように目を見開いた。

「そうか……エリアスは強いな」

「……そうとは、思えねえけどな」

「少なくとも、あれ・・と直面できない俺よりかはよっぽど強いさ」

 それきり返す言葉も見当たらず。レオンはブライアンの手当てを続け、やることの無いエリアスはセレナの横顔を見つめた。苦悩に満ちた、見たことの無いセレナの泣き顔。そんな表情を見つめて、

「セレナも、ひどい夢を見てるのか」

 その言葉に、返答はなく。エレベータが上昇しきるまで終始無言のまま、短い時間が過ぎていった。

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