ひとりよがりの勇者

Haseyan

第十八話 暗躍者の痕跡

 拳と拳がぶつかり合う衝撃波が、洞窟を揺るがしていく。とても生身が耐え切れないような破壊を、生身では無い二人は拳に込めて叩きつけ合う。

 悪魔と猛獣の殺し合い。眼前で起きている戦いを言い表すなら、そう口にするのが適切かもしれない。それほどにまでにレオンとジャックの力は人間離れしていた。

「がぁぁ──!」

 喉が裂けることも厭わず、雄たけびを上げるレオンの拳が放たれる。当初は手にしていた槍も既にまともに扱えず背負われていた。戦いの興奮と禁忌を犯した副作用。二つの悪影響によって、洗練された技量などどこにも見当たらなくなっている。

 故に今のレオンは正に悪魔だ。ただひたすらに破壊を叩き付け、敵対するものを滅ぼそうとするだけの知性無き悪魔だ。

「ぐっ!?」

 しかし、失った技量を補って余るほどの身体能力がそこにはあった。鋼鉄並みの防御を誇るジャックでさえ、その一撃は回避せざるを得ず──隙だらけの動きは反撃を一切考慮していない。
 顔面目掛けて放たれた右ストレートをジャックはしゃがむことで回避。そのままレオンの懐へ体勢の低いままに入り込み、立ち上がる際の膝のバネを利用された一撃が顎を捉えた。

「ごぁ──」

 レオンの顎が割れ、血をまき散らしながら上空へと打ち上げられる。声にならない悲鳴を上げるレオンに追撃しようとジャックが落下地点で再び拳を構えて──爛々と輝く紅の瞳と眼が合った。
 歴戦のジャックの背筋へ、冷たいものが走る。だが、今更後には引けない。迷いを振り切るように腕を振るって、

「グシャアァァァア!!」

「なっ──」

 ジャックの拳へ合わせるようにレオンの踵落としが炸裂した。空中での驚異的な姿勢制御による賜物だ。その反動を利用して、さらに後方に一回転したレオンが逆襲へと動く。
 爪を突き立て長剣で斬り下ろすように、両手を勢いよく振り下ろす。重力によって体が落下するのも合わさり、疾風の如き速度で放たれた短い複数の斬撃がジャックを確かに捉えた。

「──っ!」

 ジャックの首元を貫き、胸の辺りまで十本の細い切り傷が刻み込まれる。着地と同時に引き戻した腕で止めに心臓を貫こうとして、それはジャックが正面蹴りと共に飛びずさったことで失敗に終わった。

「……ますます化け物染みてるな」

 もはや呆れの色さえ混じったため息がジャックから漏れる。
 ジャックの視線の先には片足がひしゃげ地面へ身を倒すレオンの姿があった。レオンが放つ超人的な力とジャックの強固な肉体とのせめぎ合いに、レオンの自身が耐え切れなかったのだろう。
 一見すれば激しい殺し合いにも終止符が打たれたであろう光景だ。しかし、その予想は目の前で裏切られる。

 バキバキと骨が変形する耳障りな音が静かに響き、レオンの足が不自然に揺れる。まるで映像が巻き戻されるように、その足は急速に元の姿を取り戻しつつあった。僅か十秒足らずの出来事であり、上げられたレオンの顔にも血が付着しているだけで怪我一つ見当たらない。
 圧倒的な再生能力。それがレオンの無茶苦茶な戦いを支えていた。

「グぁ……はぁ……」

「だが、そろそろ限界か? 自滅なんて興ざめだぞ」

 細められた目でレオンを見据えながら、ジャックは予想を口にした。それは完全に図星だ。表面上は元の健康体を取り戻したレオンだが、苦しげに息を繰り返している姿からはとても快調とは言えない。
 むしろ物理的な怪我が存在しないだけで、体力的、精神的には多大な負担を強いられていた。人体の限界を超えた膂力と機動性によって骨身は悲鳴を上げ、常に狂気に呑まれる理性はすぐにでも闇へと押し流されそうになる。

 それでも。この程度の苦痛に根を上げることは許されない。
 体がボロボロになるまで酷使されても、膝を折ってはいけない。ジャックを倒さなくてはエリアスを助けることはできないからだ。
 どれだけの破壊衝動に襲われようと、自分を見失ってはいけない。それがこの禁忌に手を出した者の責任だからだ。

 それにジャックもここまでの攻防でただでは済んでいない。自慢だったはずの強固な防御を誇る肉体には多くの傷が刻み込まれており、最も新しい首のものなど一歩間違えれば致命傷に繋がっていたものだって存在していた。
 それが本当に致命傷になっていないのは、ジャックが持つ長年積み重ねられてきた経験値によるものか。どこまで踏み込めば命に危機に瀕し、どこまでなら無事でいられるのか。その咄嗟の判断力が凄まじい。

「────」

「そうか。こい」

 言葉を紡ぐ余裕さえないレオンは、闘気と殺意をぶつけることで戦闘の継続を表明。その様子にジャックは獰猛な笑みを浮かべることで答えて見せた。
 わざわざこのような確認を取ったのだってお互いに理解しているから。もうじきこの戦いに終わりが訪れることを理解しているから。それに一つ、或いは二つの死体が添えられることだって理解しているからだ。

 だが、お互いに覚悟が決まっているのなら、戦士である二人に迷いは無くなった。ある意味、戦いを営みとしている同士の誠実さを見せ合い、二人が改めて向き合う。
 型など存在しない本能だけの拳を。我流で鍛え上げてきた拳を。それぞれに向け合って、

「はぁぁァ──」

 遠吠え一つ、踏み込み一つ。レオンの足元が爆発したかのように砕け、急速にジャック目掛けて加速する。その速度に上乗せするように拳が振るわれ、迎え撃つジャックのそれと真正面から衝突。
 レオンの腕が耐え切れずに折れ曲がり、即座に再生する。ジャックの拳から出血が起き、骨が砕ける音が鈍く響く。

 そのまま足を止めることなく、お互いの背へ回り込むように回転しながら。時には距離を一度置き、再び接近するなど立ち位置を目まぐるしく変えつつ拳をぶつけ合う。
 レオンの腕が再生する一瞬の隙を縫うようにジャックの拳が心臓を狙い、どうにか体捌きで死を免れたレオンの蹴りがジャックの顔面を叩き潰そうと放たれる。
 敢えてそれを額で受け止め、脳の揺れにふらつきながらもジャックは獰猛に笑った。再生中のレオンの右腕は数秒間使い物にならない。頭突きによって右足首から下も歩行が困難なレベルで破壊された。

 迎撃に使えるのは左腕一つだけ。片足だけではまともな移動もできず、体重を乗せられない一撃には脅威などほとんど存在しない。さすがの再生能力だって、即死してしまえば意味は無いだろう。
 恐らくはそう算段を付けての行動。つまりジャックはこの一撃で決めに掛かってきている。本能が即座に、理性が遅れてそれを認識し、全力で回避運動へと移行した。

 右足の破損で膝を付いたレオンの顔面へ、ジャックの右の拳が肉薄する。体をそのまま地面へ投げ出すことでそれをやり過ごす。直後、腹部への激しい衝撃に内臓が大きく揺るがされた。
 わき腹に突き刺さったジャックの鋭い蹴りに肺の空気が、胃の内容物が逆流し、激しくむせ返る。内臓がいくつか潰れたのを口から溢れ出る鮮血が伝えてくる。
 理性も狂気も差し置いてそちらに意識が向いてしまい、続いて左足に激痛が走った。見なくても分かる。左の膝をやられた。再生が追い付かない。身動きが取れないマズイ。

「おらぁ!」

 開かれたジャックの指が、倒れるレオンの頭部目掛けて一直線に振り下ろされた。極度に硬化された五本の指はそれぞれが鉄板さえ撃ち抜く必殺の弾丸だ。一つでも受ければ、頭蓋に穴を開けられ死は免れない。

 その致命的な一撃、五撃を前にレオンは身動きができなかった。咄嗟に右腕をかざし手のひらを掲げて──激痛に悲鳴を上げる。
 右手を貫通しながら押し込み、顔面のすぐそこにまで迫った五撃に冷や汗が止まらない。

「これで終いだぁ──」

 そして、左手による二発目の五撃が放たれる。死が目前にまで迫る。レオンの頭蓋を粉砕しようと、五つの弾丸と化した指が迫ってくる。
 極限状態の集中力で、その光景の時間がレオンの瞳の中で間延びされて、

「悪いケど……」

 ギリギリで左腕が再生しきる。すぐさま背中の柄を、触り慣れた得物の手に取り、降り注ぐ破壊を迎え撃つ。

「俺が槍使いだっテ忘れちゃイないか?」

 ごり、と岩が砕けるような響き、何かが落ちる不快な音がそれに続く。唖然としたジャックへ、左手首を槍に貫かれその先を喪失したジャックへ、直後に再生を終わらせた足で一気に立ち上がり、踏み込んだ。

「クソっ……」

 右手を貫通した指ごとジャックの左手を掴み、自由を許さない。力を入れること、ジャックが暴れることで右手を内側から抉られる激痛が走るが、それを無理やりに押さえつける。
 左手一本で構えた槍を、そのまま真正面へ突き出して、

 ──ジャックの胸を槍が貫通した。

 最期まで警戒を解かないレオンと、自らの胸を見下ろすジャック。両者動かずに十数秒の時間が流れる。あまりにも長い数秒を乗り越え、ジャックが笑みを、獰猛な戦士の笑みでは無く、自嘲気な笑みを浮かべた。

「こいつは致命傷、か」

「言い残すこトは?」

 レオンが槍を引き抜けば、ジャックの命は断たれるだろう。せめてもの慈悲を示すレオンへ、ジャックは弱々しく視線を合わせた。出来の悪い子供を叱るような、そんな不思議な感情がその瞳に渦巻いていて、レオンが怪訝そうに眉を潜める。

「伝えることならいくつか。俺たちがやったことは王国に喧嘩を売ることじゃない。とある連中をおびき寄せるためだ。こうやってな」

「……!? ま、待て。それってどういう……」

 とある連中、に心当たりがあり過ぎる。というより十中八九レオンたちのことだ。

「クリフォード教会アドネス・グレムリン枢機卿。俺の依頼主だ。詳しくは知らないが因縁深いんだろう? 気を付けろ。あいつらの影響力は王国にも、連邦にも広がってる」

「……貴重な情報に感謝する」

「それともう一つなんだが」

 そろそろ時間が押している。止めを刺そうと覚悟を決めたレオンの前で、ジャックが思い出したかのように声を上げた。その様子を黙って見つめるレオン。ジャックは意地の悪い子供のような表情を浮かべる。

「“父上”は大変ご立腹だぞ。親孝行は大切にな」

「余計なお世話だ……!」

 槍が、勢いよく引き抜かれる。胸の穴と口から大量の鮮血を吐き出しながらジャックが倒れる。それでも、絶命はしていなかった。苦しげにうめき声を上げるジャックの首筋へ、再び槍を振り上げて、

「本当に余計なお世話だよ。俺があの人をそう呼ぶ権利は、もう無いんだから」

 肉と骨を貫く音が、静かに響き渡った。




 ☆ ☆ ☆ ☆




「エリィ! どこにいるの!?」

 天然の洞窟、にしては簡易的なイスやテーブルなど生活感あふれる空間。そのような場所を、ソラは仲間へ呼びかけながら駆け回っていた。
 ここは盗賊団の潜伏地のど真ん中だ。下手に存在を主張することは危険。しかし、その心配は今回に限って杞憂に終わる。

 何故ならそこら中に絶命した魔族の死体が転がっているのだから。警戒すべき敵が、到着した時には既に死んでいたのだ。初めは自力で脱出したエリアスが暴れ回ったのではないかと希望的観測を浮かべていたのだが、彼女の姿だってどこにもない。
 もしかしたら死体の中に紛れているのでは。そんな絶望的な考えが過り、それをソラの脳は認められない。

「どこ、どこ……!」

 手分けして捜索するためにブライアンとセレナは隣にいない。そのため、焦燥に駆られるソラを落ち着かせる仲間は存在しない。
 エリアスが連れていかれたことに、ソラは重たく責任を感じていた。無愛想で、でもちょっかいをかけたら反応をしてくれる少女が。人間なんて誰も信じられないと態度で示していた少女が。よりによってソラを庇って重傷を負った。

 それはエリアスが本心ではソラたちのことを大切に思ってくれたことの表れだ。仲間なんていらないと公言していたエリアスが、心のどこかでは温もりを欲していたのだ。
 それがはっきりと分かったのに。それなのに、ソラなかまのせいで命を落としては元の子も無い。救われなさすぎる。そんなこと、絶対に認めたくない。

「ソラさん! ソラさん! いますか!?」

「こっちにいるよ! エリィは見つかったの!?」

 曲がり角からセレナが姿を現した。希望を込めてセレナへと食って掛かり、彼女が首を横に振ったことで肩を落とす。

「ですが、手がかりは見つけました」

 続く言葉にソラは顔を勢いよく振りあげて、振り返ったセレナの背中を追う。駆け足で洞窟を移動し、やがてブライアンの姿が視界に映った。
 彼は強面の顔をさらに怪訝そうに歪め、中々に凶悪な形相を作り上げている。そんなブライアンの見つめる先、何やら巨大な穴に目が移りソラもそれを覗き込んで、

「何これ……」

 それは巨大な横穴だった。それも地上にまで一直線に続く横穴。それだけならまだ良い。自然にできたものだと理解できなくもない。

「明らかに人工的なだな!」

 しかし、その穴があまりに綺麗すぎた。一切の歪みなく人が歩ける程度の角度で真っ直ぐに貫かれ、さらに穴の壁があまりに滑らか過ぎる。職人が作り上げた大理石の家具のように。

「……これはまだ出来てすぐのものです。『宝玉』の魔力を感じますから」

「え、うそでしょ……? あの教会が関わってるの?」

「恐らくは。元から奇妙な点は多かったですからね。ですが、お相手は間抜けなようで」

 驚愕の声を上げるソラの前で、セレナがにやりと笑みを浮かべる。セレナにしては珍しい好戦的な笑み。ソラとブライアンに見られる中、セレナは穴の奥を見据えて、

「ある程度は隠蔽しているみたいですが、目の前にサンプルがあれば関係ないですよ。『宝玉』の持ち主、補足しました。恐らくそこにエリアスさんもいるかと」

 勝ち誇ったかのように言ってのけた。その言葉にブライアンも獰猛な笑みを浮かべ、ソラはこの後の激戦の予感に覚悟を決め直す。
 王国をも巻き込んだ事件の終わりが近づく。それぞれの思惑と偶然が合わさり、誰にも想定されていなかった終わりが目前に迫っていた。

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