ひとりよがりの勇者

Haseyan

第十九話 『勇者』の信念

 ぐらり、ぐらりと世界が揺れている。本能が今すぐに眼を覚ませと訴えている。どうしてだ。何か大事なことをやらなくてはならないのだ。
 それなら何かとは何だろうか。思い出さなくてはいけない。エリアスから光を奪った男が瞼に浮かぶ。とても抑えきれない激情が心を支配する。

「ジャックゥぅぅぅ──!!」

「起きて早々何なのよ!?」

 意識がはっきりとした瞬間に、エリアスは飛び起きると魔力を込めた拳を振りかざした。反射的に目の前にいた人影へ殴り掛かって、空中で不可視の障壁に衝突することで失敗に終わる。
 我に返り、目の前で怒りを露わにする人物を良く観察してみれば、それはジャックと共にいた赤髪の女性だった。

「ジャックは、あの野郎はどこに行った!? 今すぐ俺の前に連れてこい!!」

「何であたしがそんなことする必要があるのよ! 大体、今の自分の立場分かってるの?」

 すぐさま女性の胸倉を掴むと問い詰め、直後冷や汗と共に口をつぐむ。肌に感じる魔力の気配。それに気が付き、周囲へ視線を巡らせてみれば、

「あんた一人ぐらい、いつでも殺せるのよ」

 大量の魔力の奔流が、今にも破裂しそうにエリアスを牽制していた。燃え盛る業火が、鋭い風の刃が、凍てつく冷気が、帯電する雷が、隆起した地面が。それぞれがエリアスへ飛びかかろうと顕現する。
 それら一つ一つに膨大な魔力が込められていて、一つでも直撃したら肉体が消し飛ぶだろう。エリアスの直感が最大限の警報と共にそう告げていた。

「とは言っても、あたしだってそこまで非情じゃないわ」

 女性が手をひらりと払えば、夢だったかのように魔法が消え去る。静かに警戒を向け続けるエリアスへ、女性は苦笑を浮かべると、右の人差し指を突き立てた。

「あたしの名前はジェシカ。それじゃあ取引しましょう。あたしたちにはあんたが必要で、あんたの願いもあたしたちなら叶えられる。悪くないでしょ? “狂戦士”の『勇者』エリアス君」

「──ッ!?」

「あははは! 面白い顔するわね!」

 ジェシカの言葉にエリアスは絶句するほか無かった。今のエリアスは元の姿とは似ても似つかない。人間兵器とまで言われた圧倒的強さを失い、性別は反転。弱々しい少女の肉体へと堕とされた。
 自分が『勇者』だと主張したところで、誰も信じるわけがない。それなのに、目の前の女性はエリアスの正体を言い当てた。何の迷いも無く確信と共に。

「あたしも最初は半信半疑だったんだけどね。あんたが怒り任せに『魔力掌握』を使ってなければ気づかなかったわ。まあ、想定外の幸運ってやつよ」

「……待て。状況を整理させろ。まずここはどこだ?」

 いきなり情報量が増えすぎてエリアスの脳では処理がまるで追い付いていない。ひとまずあちらから攻撃を仕掛けてこないと判断すると、ジェシカから視線を外し、辺りを見渡した。
 視界に飛び込んでくるのはごつごつとした岩場。高低差が激しく遠目には崖らしきものが見える山岳地帯だ。足元へ視線を向けてみれば、何やら長方形の石板が独りでに動いている。否、この奇妙な気配は、

「何だこいつ……魔獣?」

「あんたを運ぶために切り取った岩に魔力を注入して創ったの」

 記憶にも新しいロック・ゴーレムだった。最もそのサイズはとても小さく、小柄なエリアスを上に乗せられる程度しかない。綺麗な長方形の石板に、無理やり六つの石の足を取り付けたかのような歪な姿をしていた。
 そして何より、人を見ても襲ってくる気配が一切見られない。僅かにその場で身動ぎするだけだ。

「これが『宝玉』の力よ。これさえあれば、見ての通り疑似的な命さえ自由に生み出せる。素晴らしいでしょう」

「命を生み出すなんて……そんなこと本当に」

「実際にできてるじゃない」

 その通りなのだが、とても信じられない。『勇者』であったときのエリアスだって、せいぜい天候を支配する程度が限界だった。生命を生み出すなど夢のまた夢だ。信じられない思いで目の前の魔獣を見つめ、ふとジェシカが指を鳴らすと、僅かに痙攣し崩れ落ちてしまう。
 石板の部分から足の代わりだった岩が外れ、コロコロと転がっていく。恐る恐る石板に触れてみて、

「死んでる、のか」

「あんたが起きた時点で用済みだからね」

 それは魔獣では無く、もはやただの加工された岩だった。

「ここは例の洞窟から北に少し移動した山岳地帯よ。あんたには協力してもらうから連行させてもらったわ」

「俺が断ったらどうするつもりだ?」

「断るはず無いわ。あんたを願いの根本に関わることなんだから」

 自信ありげなジェシカの前に、エリアスも得体の知れない恐怖を押し込み佇む。せめて気持ちだけでも互角でいるべきだ。そのままゆっくりと開かれた口から、ジェシカの言葉を待って、

「──『勇者』の力を元に戻してあげる。あんたの魔族への復讐だって邪魔しない。ジャックだって後で呼び出してあげるわ。今まで通りの、戦場での生活を過ごしてもらえればそれで構わない」

「力を、戻せるのか……。けど、てめえらに何のメリットがあって……」

「来るべき日のためにあんたが必要なの。この世界を支配して、あたしたちは人類の頂点に立つ。それに少しだけ協力してもらうだけ。あんたの願いだって……そうね。計画が完遂したら見せしめに魔族を滅ぼしてもいいわ。ほら、お互いに利害が一致しているでしょ?」

 あまりにもスケールが大きすぎて想像できない。だが、目の前で魔獣を創り出して見せたジェシカが『勇者』の力を元に戻すと言えば、それには十分すぎる信憑性が存在した。
 口の中が酷く乾く。これまで手掛かりさえ無かった力を取り戻す方法が今、目の前にある。

「何を迷う必要があるの? あんたの祈願を、無条件に叶えてあげようっていうのに。あたしが信用できないのかもしれないけどね。何の情報も寄越してくれないやつらと一緒にいるよりも、あたしの方がよっぽど役に立つわ」

 それはレオンたちのことだろうか。そうだ。確かに彼らは情報を寄越すと言いつつ、一度もエリアスの目的へ有益なことをしていない。エリアスの信念のためには、レオンたちは役立たずなのだ。
 しかし、それでもレオンたちと一緒にいた時間は、それを否定することは。

「大体、あんたがジャックに捕まったのだって猫耳女を庇ったからでしょ? 手助けどころか足を引っ張ってるだけじゃない。所詮、仲間だなんてそんなもの」

「やめろ……」

 ジェシカの言葉がゆっくりと胸の隙間に流れ込んでくる。たった一か月だけの生活を全て否定していく。

「でもあたしは仲間なんて温いものじゃない。協力者よ。お互いの利益があっているから協力して、利用し合い、用済みになったら容赦無く殺す。そんなビジネスパートナー。ただの足手まといとは違う」

「黙れ……!」

 エリアスの中でどす黒い何かが反応し、ジェシカの手を取る様に主張してくる。エリアス自身が、レオンたちとの関係を踏みにじる。
 何故だ。ジェシカの手を取ることが、エリアスの信念を、復讐を達成させる最も近い道だというのに。あんな“役立たず”なんて放っておけば良いのに。

 ──何故、ここまで胸が苦しいのだ。

「俺は、俺は……」

 決して、つまらなくは無かった。何年も忘れてしまっていた人の温もりに触れて、エリアスを一人の人間としてみてくれて嬉しかった。例えそれがエリアスの正体に気づいていないだけだったとしても、それでも良かった。
 だが、エリアスの信念に優しさなどいらない。あってはならない。結局、エリアスは暗がりの人間だ。彼らのように真っ当な生き方など許されていない。だから、だから──

「『風穿』!」

「ちっ!?」

 遠くから聞き慣れ始めていた詠唱と、傍から激しい舌打ちが鼓膜を揺さぶる。ジェシカの目の前に魔力が収束し、不可視の盾となり不可視の風の一撃を受け止める。
 衝撃で砂煙が巻き上がり、視界が塞がられた。ゆっくりと晴れていく視界の中、震える瞳で一点を見つめて、

「なんでこいつらが……ジャックは何をやってるのよ!?」

「助けに来たぞ、エリアス!」

 槍を構えるレオンを先頭に四人の冒険者たちが姿を現す。“仲間”が、或いは“足手まとい”が、エリアスへと手を差し伸ばしていた。




 ☆ ☆ ☆ ☆




 最初に胸を満たしたのはやっぱりか、という納得だった。優しすぎる彼らはきっと見捨てることはしない。だからこの展開だって心のどこかで予測し、確信していた。ほんの少しだけ安心した。
 どれだけ迷惑をかけようと、彼らはエリアスを見捨てない。未だにエリアスを仲間だと言ってくれている。

 だが、否、だからこそ次の湧いてきた感情は、怒りだった。

「どうして、どうして助けに来たんだ……!?」

 もう少しで迷いを振り切ることができたはずなのに。それなのに再びレオンたちはエリアスへ躊躇いを持たせる。エリアスの信念を、妨げてくる。
 そう言った優しい言葉が、無言の気遣いが、どれだけエリアスを温かな気持ちにして、どれだけ苦しめているのか分かっていないのだ。

「どうしても何もないでしょ! でも、無事で良かったぁ……」

 五体満足で立っているエリアスを見て、ソラが心底安堵したかのように息を吐いた。心配されていたのだと、僅かに喜んでしまう自分を必死に殴り捨てる。彼らとは、もう共にいてはいけないのだから。

「あー、もう面倒ね! 予定が狂いまくってありゃしないわ! ……いや、ちょうどいいのかも。エリアス、あんたに不完全だけど力を返してあげる」

 苛立ちげに地面を踏みしめ、ジェシカが懐から何かを取り出した。淡く光を放つ半透明な手の平サイズの結晶だ。見ていると自然と吸い込まれそうになる奇妙な結晶。それをジェシカがエリアスに向けて掲げて、

「うぁ……ぁ……こいつ、は……」

「その場しのぎだから時間制限もあるし、本家と比べれば弱いけど。理論上は『勇者』のものと同じよ」

 結晶から溢れ出た光の奔流がエリアスを包み込む。それがエリアスの体へ少しずつ侵入していく謎の圧迫感にひたすら耐える。耐え続ける。

 やがてそれが終わりを告げて──力が漲っていた。全身を満たす魔力が、全能感を与えてくる。たった一か月だったというのに、懐かしささえ感じる気分だ。十年近く慣れ親しんできた力だというのに。
 この感覚は間違いない。確かにやや弱まってはいるが、『勇者』の力に違いなかった。

 求めていた力が、手掛かりさえ無かった力が、あっさりと戻ってきた。それがあまりにあっけなくて、乾いた笑みが止まらない。

「こんなに簡単に……」

「あいつらの始末、あんたがやりなさい」

「は……?」

 そして、ジェシカの言葉に空いた口が塞がらなかった。彼女の提案を理解できない。頭が、理解しようとしない。唖然とするエリアスの前でジェシカはレオンたちを指差す。

「そうやっていつまでも迷って、面倒なのよ。直接殺せば、少しは迷いも晴れるんじゃないかしら」

「いや、待て……そんなこと……」

「やらないの? 別に構わないけど、あんたの願いは叶わないわよ」

 全身から力が溢れ出してくる。今なら何でもできるだろう。きっと、一人でレオンたち全員を同時に相手できる。殺すことが、できる。
 だが、いくらエリアスの信念を叶えるからと言って、レオンたちを殺すなど考えたくも無い。確かに仲間にはなれないとは分かっていた。それでも、ただ別れを告げるだけだと思っていたのに、エリアス自身の手で殺せだと。

 そんなことできるわけが無くて、

「やれば……そうすれば、俺の願いを叶えてくれるんだな……?」

「ええ、確約するわ」

 それ以上に、エリアスの信念は重たかった。十年以上の年月をかけ、ほんの僅かな浄化しかされてこなかった感情は深い根を張っている。怒りが、悲しみが、憎しみが合わさり、どろどろに溶けた感情を消し去るには、たった一か月では足りない。

勇者エリアス』が剣を抜き放ち、少女エリアスがそれを止める。だが、信念の力は歴然としていた。

「エリアス……? 何をして……」

「…………」

 抜き放った剣を片腕で真正面に、レオンたちへ切先を向ける。手が剣を落としそうになるほど震える。視界がグラグラと揺れて、吐き気がする。
 息は荒くなり、せっかく戻ってきた『勇者』の力があるにもかかわらず、体が自由に動かせない。

「エリィ! 何やってるの!?」

「こっちに来い! 脅されてるなら、俺様がどうにかしてやるから安心しろ!!」

「エリアスさん」

 未だエリアスが仲間だと信じて疑わない、ソラたちの声が聞こえる。返す言葉が見つからなくて、無言で時間が過ぎていくうちに彼女らの視線に疑惑が混じるようになっていた。
 目の前の現実をようやく読み取り、それを信じられない様子で。まるで裏切られたかのように悲しい表情を浮かべて。

 止めろ。そんな顔をこっちに向けるな。仕方ないのだ、最初からエリアスは目的を果たしてらお別れだと、そう言っていたのだから。ただ、その別れに余計なものが混ざってしまっただけなのだ。

「聞いておきたいんだけど、ジャックはどうしたの?」

「……あの男ならもう死んだ。俺が、殺したさ」

「ジャックを、殺した……?」

 ジェシカの質問にレオンが答え、そのやり取りに唖然とする。ジャックが、死んだ。エリアスが誰よりも殺したかったジャックが。キールたちが死ぬ原因を作ったジャックが、死んだ。
 その事実は胸にストンと落ちてきて──途端に手の震えが止まった。
「ああ、そうか。俺が殺すよりも、先に殺したのか……」

 ジャックだけは、彼だけはエリアス自身の手で止めを刺したかった。それなのに、もうジャックはこの世にいない。復讐のチャンスは永遠に失われた。
 それはどうしてだ。エリアスが、弱かったからだ。三度もジャックと対面したのに、撤退を許し、敗北して、無防備に泣き叫ぶことしかできなかったからだ。

 エリアスに力があれば、逃がすことは無かった。エリアスが『勇者』であれば、負けることなど無かった。エリアスの信念がもっと強固であれば、一方的に拷問を受けることなど無かった。

 全部、エリアスが弱かったからだ。エリアスが強ければ、いずれかのタイミングで復讐を果たせたはずなのに。

「俺は『勇者』じゃないといけねえ……。俺の目的のためには力が必要だ……。何を犠牲にしてでも、悪魔に魂を売ってでも……!」

「エリアス! 今すぐ剣を仕舞ってくれ。俺たちは君と戦いたくなんかない! 俺たちは君を助けるために……」

「てめえらに無くても、俺にはあるんだ!!」

 迷いを振り切るために虚空を切り裂き、再び切先をレオンへ向ける。エリアスの目的のために、レオンたちを殺さなくてはいけない。所詮、一か月だけの仲。相手が魔族では無いだけで、何度も何度も繰り返してきた虐殺をまた再開するだけだ。

「俺が、これまで何人殺してきたのか、知ってるか……? 何百、何千でも足りねえ……何万単位の魔族だ。戦争を理由にして、毎日殺してきた」

 振り返る地獄の日々。仲間を失い、怒りのままに剣を振るってきた。その度に血しぶきが舞い、虚しさだけが怒りを少しだけ鎮めてきた。

「けど、本当は分かってるんだ……。俺が殺してきた魔族は俺の復讐には関係ない。ただの自己満足だって。それでも、俺は続けてきた……」

 意味の無いことだと、否、関係ない人間を不幸にするだけのことだと分かっていた。それでも、悲しみに耐えるためには怒りで覆い隠すしかなかった。怒りを抑えるために、虚しさで心を満たすしかなかった。

「今さら殺す人数が四人増えようと関係ねえ。今さら、今さら……もう、後戻りはできねえんだ!!」

 エリアスの身勝手で何人も殺してきた。許されざる大罪を犯してきた。それを今にやって止めたところで、地獄行きは免れない。当の昔に引き返すラインは踏み越えてしまったのだ。
 もう今更、まともな人生は許されていないのだ。

「俺は『勇者』! “狂戦士”エリアス。俺の邪魔をするな、俺に関わるな、俺に優しくするな……! てめえらを殺して、俺は力を取り戻す……」

「エリィやめて!」

 必死に声を荒げるソラを無視し、魔力が爆発する。仮初の力が吹き荒れ、エリアスを包み込む。圧倒的な気迫、圧倒的な魔力。
 生身の人間では耐え切れないはずの力をその身に収めた存在。それこそが『勇者』だ。それこそがこの世界の呪われた存在だ。

「それが俺の信念だァ!」

 膨大な魔力を纏った『勇者』がレオン目掛けて飛び込む。歪んだ信念を持った『勇者』が、かつての仲間に向けて遠吠えを上げた。

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