ひとりよがりの勇者

Haseyan

第二話 縛り付ける記憶

 ──炎に飲み込まれる集落に一人の少年がいた。

 人々の暮らしを糧に燃え続ける業火にも構わず、少年はその場に座り込み泣き続ける。民家の崩れる音さえも乗り越え、少年の泣き声は響き渡る。

 だが、それを耳にする者はどこにもいない。既に集落の他の住民は野に屍を晒しているか、炎の糧となり灰と化している。それを聞くことができるのは──夢としてこの世界を認識するエリアスだけだった。

 ──やめ、ろ……違うんだ……! こんなもん見せるなよ!

 聞くことはできても、所詮これは夢だ。肉体を持たないエリアスがどれだけ叫んでも、瞼の無い視界を閉じることはできない。どれだけ拒絶しようとしても、首の無い顔を背けることはできない。

 ただひたすらにかつての地獄を再び脳裏へ焼き直されるだけだ。

「なんで、なんで……俺たちが何したっていうんだよ。母さんを、父さんを、みんなを返してくれよっ……!!」

 悲痛な少年の叫び声は空しくこの世界の誰にも届くことは無い。当たり前の願いが成就されることさえも、少年には許されていなかった。
 やがて業火が少年を囲い込みそのまま飲み込んでいく。己の運命を受け入れ、炎の中に消えていく少年。その口元を最後に一瞬だけ覗かせて、

「──この悲劇を繰り返すな。そのために、俺たちの信念を果たせ」

 記憶に無いはずの、冷たい言葉が紡がれた。


 直後、視界が炎に覆われ、晴れた時には別の風景が広がっていた。だが、その中心で少年が、僅かに成長した少年が泣き叫んでいることは変わらない。
 ただし、業火の代わりに血の海が広がっていることだけは大きな違いだったが。バラバラにされた多くの戦士たちの死体が転がる中、少年は一つの死骸を抱きかかえながら涙を流し続ける。

「また、なのか……俺がいけないのか……? 俺のせいでみんな死んでいくのか……?」

 故郷を滅ぼされ、心を許し始めた仲間を破壊され、少年は自問する。震える手で腕の中の死骸に大粒の涙を零しながら、自分自身を問い質す。

 ──違うっ! 俺のせいじゃねえ……! 俺のせいじゃ、俺は、何も!

 届かないとは分かっている。それでもこの夢の世界へ、叫ばずにはいられなかった。
 自分は悪くないのだと。全ての原因は他にあるのだと。逃避に近い否定の言葉を投げかけ続けて、

「そうだ、違う。悪いのは全部あいつらだ。あの屑どものはずなんだ」

 まるでエリアスの言葉が届いたかのように少年が呟き、音にならない言葉を詰まらせる。
 先ほどまでの泣き声が嘘のように、少年は腕の中の大切な人物を地面へ落として立ち上がった。

「悪いのは、あの穢れた種族だ。俺たちは何も悪くない、悪いわけがない」

 その瞳は既に涙は無く乾いていて、ただただ深い闇だけが広がっていた。

「地獄を胸に、憎悪しろ。心に刻み込んで、根絶やしにしろ。それが俺たちの存在意義、俺たちの信念だ」

 ──何を言って……?

 抑揚の無い声で、何かに取り憑かれたかのように冷たい声を紡ぎ続ける。その底無しの瞳が、この世界には存在しないはずのエリアスを捉えた。

「仲間なんていらない。どうせみんないなくなる。その代わりに、俺たちには一人で何でもできる力がある」

 青髪と碧眼の少年と確かに目線が絡み合い、その顔が嘲笑うかのように大きく歪む。その姿にエリアスは恐怖さえも覚えていた。

「復讐こそが俺たちの本懐だ。それをおめおめ忘れるなよ」

 世界が暗闇に沈んでいく。徐々に浸食するかのように視界を黒く染めていく。エリアスに、ただただ暗い感情を残して崩れていく。僅かに視界の中心に残った世界までもが潰されていって、























「──絶対に忘れるなよ?」「──絶対に忘れないでくれよ?」
「──絶対に忘れないで頂戴?」「──絶対に忘れるんじゃないぞ?」


「ああぁぁぁああぁぁああっ──!?」

 目の前に血塗れの人影が大量に現れ、エリアスは絶叫と共に飛び起きる。普段から背負っている剣を引き抜こうと手を回し、宙を切ると今度は震える手で拳を作った。
 それから数秒の間、臨戦態勢で構えていたが自分がベッドの上におり、寝巻姿であることを認識すると、脱力してその場に座り込んだ。エリアスの小さな体がベッドの弾力に僅かに跳ねる。

「夢、か……」

 呼吸が止まっていたことに、体が酸欠を訴えたことでようやく気が付くと、肩で大きく空気を吸い込む。全身を不快な汗が濡らしていることに気が付くが、それを拭う余裕さえない。
 心臓は今も尚、悪夢の残滓を引きずって激しい鼓動を止めようとしないし、体の震えも収まる気配を見せなかった。

「……え。ねえ、おーいってば!」

「──っ! なんだ、猫耳か」

 呼吸を整えていると、突如ベッドの縁から少女の声が聞こえ、思わず体をビクつかせる。怯えた視線をそちらへ向ければ、猫耳が特徴的な少女、ソラが心配げにエリアスの顔を覗き込んでいた。

「急に叫んで、顔色も真っ青だけど大丈夫にゃの?」

「あ、ああ。大丈夫だ。すぐに着替える」

 未だまともに動こうとしない体に鞭を打って、ベッドから降りる。そのまま荷物を漁って着替えを取り出そうとして──その腕をソラに背後から掴まれた。

「な、なんだよ? 早く放せ」

「気が付いてにゃいの?」

 空いている左手でソラが壁に張り付いている時計を指差す。釣られて視線をそちらに運んでいき、驚きを顔に浮かべた。
 時計の針は二時半を指し示していた。

「まだ夜……なのか」

「あたしはエリィの悲鳴で起こされただけだよ。本当にどうしたの?」

 心配げに首をかしげるソラ。まるで働かない頭でどう返せば良いか、エリアスは言葉を捻り出す。

 ──親しく接するなよ。それ以上は、失った時に痛みを増やすだけだ。

「黙れッ!!」

 黒い影が馴れ馴れしくエリアスの首へ腕を回す。反射的に振り向き右腕を振るうが、拳は虚空を貫くだけだった。
 息も絶え絶えに影がいたはずの場所を睨み付けるが、そこには何もいない。黒い人影も、全部エリアスの思い込みでしかない。
 それでも、確かにエリアスには聞こえたのだ。憎悪に塗れた声が。

 ──『勇者』として、本来の姿で囁く青年の声が。

「ねえ、本当に大丈夫!?」

「…………」

 こんな幻覚を見るとは、どうしてしまったのだろうか。自問を繰り返し、そこで一つの言葉が浮かび上がった。

『あなたにはまともに戦う力はありません。今すぐにでも剣を置いてもらいたい』

 それはエリアスの存在意義を、エリアス自身を否定する言葉だ。だが、心のどこかでそれを受け入れても良いと思ってしまっていたのも、また事実だった。
 たった一か月。それでも十年ぶりに過ごした他者との暮らしはとても暖かくて。気恥ずかしくて言葉にできなくても、楽しいことは否定できなくて。手放し難いと感じてしまって。

 だが、エリアスの中の闇は許さなかった。ぬるま湯に浸かって本来の目的を忘れることを許さなかった。

「もう一回寝る」

 気が付いた時にはソラを突き放し、彼女に背中を向けていた。

「何かあったなら聞くよ? ……セレナだって昨日のことは」

「んなことは分かってんだよ。ああ、分かってる」

 顔を隠すようにベッドへ潜り込み、腕を顔の前に持っていく。剣を振る力などあるはずがない、白くて細い弱々しい腕だ。
 酷使されて少しずつ自らの魔力に犯された腕は、本来のきめ細かな肌の魅力を半減させている。それだけに留まらず、今の戦い方を続ければ、いずれ機能を失うまでに至るだろう。

 それでも尚、剣を振り続けたいならば、力と元の体を取り戻すしかない。だが、それはソラたちとの別れと同義。この温もりを捨てることと裏表なのだ。

「母さん、父さん、キール。俺はどうしたらいいんだよ……?」

 小さく呟かれた疑問は誰の耳にも届かなかった。

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