ひとりよがりの勇者

Haseyan

幕間2 暗躍するそれぞれ信念

 柔らかな赤い絨毯の上を歩きながら、その男性は額に手を当てると大きなため息を付いていた。
 身長は百八十を超える長身。やや黒色に寄った深い青色の髪。未だ四十には届いていないはずの年齢なのに、眉間に寄ったしわがそれ以上の年齢だと錯覚させてくる。
 そして人の良さそうな雰囲気を漂わせるその人物が、ため息を吐くのを見ていれば──苦労しているのだな、と本人からしてみれば余計なお世話な同情が自然と出てきてしまった。

 全くもって憂鬱で仕方がないとばかりに、男性は嫌々ながらも足を進める。視線の奥、正面にあるドアが目的地である会議室だ。
 そのドアノブに手を掛けて、一度呼吸を整えると覚悟を決めてゆっくりと開け放つ。途端、部屋の内側からいくつもの鋭い眼光が男性へと集中した。

「遅いぞ、テュール。貴様は毎度毎度、会議の時間を覚えることすらできないのか?」

「申し訳ありません。私も急行しているのですが、如何せん道のりが険しく」

 早速飛んでくる嫌味に対して、男性──テュールは必死にその表情を無表情の仮面の下に押し込みながら、小さく頭を下げる。

「貴様に険しい道など存在しないだろう。そろそろ別の言い訳を考えてこい」

 それでも尚、文句を吐き出し続ける上官に殺意すら湧いてきそうになる。テュールが移動してきた距離は王国を縦に横断するほどの道のりだ。

 あの上官がテュールを何だと思っているのかは知らないが、四日前に召集をかけられ、現場の火急の仕事を終わらせてから急行するのがどれだけ大変なことなのか。
 それをたった一時間ほどの遅刻で済ませているのだから、大目に見てもらいたい。

「彼もわざわざ現場から来てくれているんだ。そのぐらい許してやろうじゃないか。時間も押しているし、席に座ってくれ」

「では、失礼します」

 別の上官、既に初老を超え始めている男性の助け舟に感謝しつつ、一言断りを入れるとテーブルの一番端の空席に腰を下ろす。
 総勢十二名。これで全ての席が埋まった形だ。その様子に初老の男性は満足げに頷き、早速本題へと切り込んでいった。

「それで現場の人間に聞かせてもらうが……“狂戦士”の『勇者』エリアス君の行方について、調査はどうなっているんだい?」

「作戦通り敵の二個師団への強襲に派遣。『魔神』オスカルをおびき寄せ、撃退したところまでは確認できたのですが……それから本陣への帰路の最中に突然行方を眩ませています。その地点に多くの血痕と、巨大な魔術の反応が残っていたため、何者かと接敵したのは間違いないかと」

「まさかだが、『勇者』が連れ去られたのか?」

 もしやと呟かれた言葉に一同が騒然とする。『勇者』とは人の身でありながら戦略兵器として扱われるほどの人間だ。それが戦いに敗北、ましてや連れ去られるなどあってはならない。

「『魔神』オスカルが味方を置いて追撃するとは思えん。だが、他の『魔神』は別の戦場で『勇者』とぶつかり合っているはずだ。『魔神』以外に『勇者』を打倒する者など……」

 答えなど、ここでは見つかるはずが無かった。今手元にある情報が限られすぎているのだ。ただ一つ、今は王国の重要な戦力を失ってしまった。それしか分からない。

「それよりどうするのだ!? 『勇者』を一人失ったのは大きすぎる! 仮に魔族へそれが伝わってなかったとしても、これからの戦いは厳しいものになる」

「ならば、今すぐ和睦を結ぶべきです!」

 話題が変わるのを素早く察知して、テュールは力強く主張して見せた。その姿に一瞬唖然とする一同だったが、すぐに我に返ったかのように声を張り上げる。

「貴様ほどの男が臆したか! この戦いはどちらかが倒れるまで終わらない!!」

「どちらかが倒れるだけならまだいいでしょう! ですが、このままでは双方消耗が大きすぎて共倒れです。いくら沈静化の傾向にあるとはいえ、既に十年間に及ぶ戦争だ。大都市の人間ならまだしも、辺境の国民は限界に近い!」

 エリアスには申し訳ないが、戦争を止めるきっかけにはちょうど良い機会だ。ここで全力を尽くさなければ王国の歴史に終止符を打つことになってしまう。その原因となった者として、歴史に悪名を連ねるのはまっぴらごめん。
 そして、それ以上に国民への負担はこれ以上増やしたくない。国民の生活を守る、それこそがテュールの信念だ。

 その必死の気持ちが伝わったのか、一部の人間は思考を巡らせ黙り込む。せめて一人、高位の人間が味方してくれれば。そう願い、冷や汗が流れるのを自覚していると、

「済まないが、テュール。この戦争はもはや終わらせられないだろう」

 そう静かに発したのは、先ほどテュールへ助け舟を出した初老の男性だった。これまでの印象から、穏健な人物と思っていただけに驚きを隠しきれない。

「戦争とは、本来政治の一環。しかし、この戦争は違う。我々ヒューマンが魔族を。奴ら魔族がヒューマンを。それぞれの存在自体が許せないからこそ、起きた戦争だ。政治的目的を満たせた時点で戦う理由を失うただの戦争とはわけが違う」

「し、しかし……この戦争のきっかけは領土権を争うもので……」

「きっかけはどうであれ、今は違うのだ。国民だってそれを望んでいるではないか」

 嘘だ。少なくともテュールが普段いる国境沿いの地域では、戦争で男手を失い貧困に苦しむ村はいくらでもある。その状態で戦争を望むなど、あり得るはずがない。

「とにかく、和睦など問題外だ。次の作戦も、ほとんど変更は無く進めるべきだろう」

「なっ……!? 『勇者』を一人失った状態でそんなこと……」

「当初は防衛を担当する予定だった“道化師”を攻勢に回す。“狂戦士”が代わりに防衛を担当するということにした、と偽の情報を流すのだ。幸い魔族側に情報が流れているとは思えない。嘘だとバレる可能性は高いが……確証を得られない魔族もリスクが高い行動は取れないだろう。今回の作戦が終わるぐらいは時間を稼げるはずだ」

 筋の通った説明に賛同する声も多く上がる。それに反論するタイミングも見失ってしまい、テュールは黙り込むしかなかった。
 ふと、テュールと初老の男性の瞳が交差する。その金色の瞳が怪しく輝いて、

「君も作戦の核の一つだ。期待しているぞ。“軍王”の『勇者』テュール」

 テュールの二つ名を呼ぶその声から、妙な不気味さを感じたのはきっと勘違いでは無かった。



 ☆ ☆ ☆ ☆




 広大な平原を一人の男性が横断していた。白いものが混じり出した髪をオールバックにまとめた初老の男性──先日、エリアスを襲撃した老人だ。

 ゆっくりとだが足を進めていた彼は、前触れなくその場で佇んだかと思うと──手を銃の形に変え、凝縮した魔力を遥か遠くへ放つ。不可視の弾丸は何者に邪魔されることも無く平原を飛来していき──一羽のカラスに着弾するとその小さな肉体を消し飛ばしてしまった。

「……ようやく動き出したか。あるいはただの見張りか」

 誰に対してでも無く呟くと、懐から水晶玉を取り出す。その水晶玉に男性が魔力を込め、淡く青色に光を放ち出した。

「聞こえるか、マスター」

『ああ、聞こえているよ。何あったのか?』

 男性が水晶玉に語りかけると、別の老人の声がどこからともなく響いてくる。それを聞き、通信が繋がっていることを確信した男性はさらに続けていく。

「予想通り青年らに協力しているのは“やつ”だ。今後、暗号文以外での通信は今後控える必要があるだろう。それともう一つだが、向こう側にも大きな動きがある」

『……ずいぶんとタイミングが悪い。ちなみに聞くけど、その戦いでいくつまで取れる?』

「二つは回収して見せよう。……ただ、過激派にも同じ数だけ持っていかれる可能性が高い」

 水晶玉越しに、老人が考え込むような雰囲気を感じる。それが少しの間続き、数秒ほどして、

『結局は奪い合いになるか……。君には負担ばかりかけることになるね』

「これは私の望みでもある。気にするな、マスター。……これ以上は危険だ。切らせてもらう」

 水晶玉への魔力の供給を止め、光を失ったそれを懐へしまい直す。それから先ほどカラスを撃ち殺した方角へ向き直った男性は、感慨深げに息を付いた。

「今回も、まるで変わらない状況か。一つ違うのはやつが友好的でないことだけ。そう考えれば前回よりも悪化しているな」

 今度こそ誰にも聞かれない言葉を零していき、それから自らの左胸に拳を当てる。

「今回こそ、だ。今回こそ破滅は避けねばならない。それが私の使命。創造主への恩義。前回のような失態は、決してしない」

 どこか遠くを見るような眼つきを、その無表情の顔に貼り付けた。

「──例え何を犠牲にしようとも。それが私の信念だ。……なあ、貴様はどうなんだ?」

 返答の無い問いかけを投げつけ、自嘲気味に苦笑した男性は再び足を動かし始める。その後姿には、言いようのない迫力を漂わせていた。




 ☆ ☆ ☆ ☆




「だーかーらっ! これ以上近づいても無駄だから待機してるって言ってるじゃん!?」

 また別の平原で。岩に背を預ける一人の少女が、水晶玉に向けて喚き散らしていた。年齢は二十歳前後。赤い髪の毛をサイドテールに結び、外出用とは思えない露出度の高い服装に身を包んだ若い少女だった。

『無駄とは何だ、無駄とは!? 貴様に与えた任務は完遂してもらわないと困るのだぞ!』

 その少女に対して、水晶玉から放たれる声もまた、ヒステリックなものだ。お互いに好き勝手に騒いでいるだけの様子ではまるで会話が成立しているようには思えない。
 そのことに気づいているか、いないのか。しばらく騒がしいやり取りを繰り返した後で、ようやく落ち着いた声で少女が切り出した。

「そんなに慌てないでよ。あたしだってちゃーんと準備はしてますからね」

『ほほう……その内容は?』

「傍受されてるかもしれないのに、話すわけないでしょ!」

 その少女の叫びに、結局は大騒ぎする羽目になる二人だった。

「大体、そっちが“アカシックレコード”をロストして無ければ、もっとスムーズに事が進んだんですよ! それであたしが苦労してるんだからちょっと黙ってて!!」

『貴様っ……上司に向かって舐めた口を……!』

「事実でしょう!!」

 そう言い切ると、少女は返答を待つことも無くさっさと魔力の供給を止めてしまう。それを腰のポーチの中へしまっておいて、大きくため息を付いた。

「本当だったら、こんな面倒な仕事なんてまっぴらごめんなのよ。……報酬が凄くなかったら絶対に受けないんだから」

 岩から背を外し、その場で立ち上がると南の方向を見つめる。熱い太陽の日差しに晒されながら、腕を胸の下で組んで、

「さーてっ。あたしの出世のために、一仕事やりましょうか」

 その欲望をはらんだ少女の瞳は、濁ると同時にぎらついているように思えた。

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