ひとりよがりの勇者
第十四話 孤独への救い
マンダリヤ森林に魔獣の咆哮と、森の破壊音、人間たちの叫び声が轟いていた。
「セレナは無理しない範囲で牽制! ソラは少し先行して回り込んでいるゴーレムがいないか調べてくれ! ブライアンは俺とエリアスの援護を頼む!」
誰もが初動に遅れる中、レオンだけは迅速に指示を飛ばしていた。それを聞き我に返った仲間たちが行動を始めるのを確認してから、レオンは頭を押さえたまま座り込むエリアスの元へ向かう。
背負っていた荷物を前に回して、空席となった背中にエリアスを強制的に乗せた。
「降ろせ、自分の足で走れる……!」
「今は甘えてろ! そんなフラフラで何言ってるんだ!?」
これではまるでエリアスが足手まといだ。プライドから降ろすように要求するが、レオンは聞く耳を持たずに走り出す。
元より足場の悪い森の中を全力で駆け抜けるのはかなり難しい。それを強行突破しようとするのだから、レオンの背中は乗り心地最悪だ。言葉を発することさえ困難である。
故に、警告することができない。背後にいる異形のウッド・ゴーレムの硬質な枝が高速で弾丸のように飛来してくる光景を。
「『暴風』」
レオンとエリアスの串刺しが完成するより前に、下からすくい上げるような風が巻き起こる。弾丸代わりだった枝が空中でバランスを崩して落下、それを見届けるとセレナは指を振るってさらに風向きを操作した。
ゴーレムたちに向かい風となるように、文字通り『暴風』が巻き起こり、ゴーレムたちが次々と倒れていく。
「やはり“変異種”は重すぎますね……この程度の魔法ではまるで動じません」
しかし、効果が及んだのは群れの先頭付近にいるゴーレムだけだ。倒れた巨体が後続のゴーレムたちを妨害しているが、それは大した成果を上げていないし本命の“変異種”はビクともしない。
あの怪物をどうにかするのは、もっと時間を掛けて大きな魔力を練り込まなければならないだろう。
「俺様が直接殴ってもいいが……帰り道がなさそうだな! そもそもあいつはどっから来たんだ!?」
「魔獣は魔力を糧に活動している生物です。大規模な魔法を感じれば即座に集まってきますよ。恐らくはエリアスさんの最初に放った電撃が原因だと思うのですが……」
「それにしたって限度が無いか? 数もそうだしこんな王都近辺で“変異種”が発生するなんて、ありえないと思うんだけど、な!」
風が止んだことで第二波の枝が足元を撃ち抜き、レオンが飛び跳ねて回避する。
「結局、俺が全部悪いのかよ……!」
彼らが嘘を付く必要も無い。つまり、今の状況は全てエリアスが原因ということだ。まさか魔法に反応して魔獣が集まってくるなんて習性、知らなかった。
そう言い訳することはできる。だが、最もらしい理由で自尊心を護るやり方など、エリアス自身が許さない。一人で全てうまくできるはずなのだ。そうでなくてはいけないのだ。
──失敗の清算も一人でやって見せる。
「エリアス、何やって──っ!?」
「見てろよ……俺は『勇者』だ。あんな魔獣程度いくら集まっていようと敵じゃねえ……!」
背中で暴れるエリアスをレオンが思わず取り落とす。怪我をしている右腕から地面へと落下し、苦悶の声を上げながらも、エリアスは立ち上がった。
しかし、彼女の勝機はどう判断しても皆無だ。右腕を痛めているのも、魔力の消耗で意識が朦朧としているのも、万全の状態でさえあのゴーレムの群れはエリアスの手に余ることも、全てレオンたちは理解していた。
「ちょっと回り道だけど、こっちにはあまりゴーレムはいないみたい……エリィ!?」
脱出路を探していたソラが合流し、エリアスの無謀な行いに眼を見開く。慌てて制止するために各々が手を伸ばすが、空しくも宙を掴むだけで終わった。
誰の制止も受けなかったエリアスは彼らを無視し、ゴーレムの群れに真っ向から勝負を仕掛ける。
その数や、十、二十では済まないほどだが鈍重な動きがゴーレムの欠点だ。“変異種”の枝の弾丸さえ気を付ければ、全ての攻撃を回避しきることは不可能ではない。
問題はあれら全てを破壊しきる攻撃手段だ。ゴーレムの硬質な肉体は剣による物理的な手段では歯が立たない。よって既に消耗の激しい魔力を手段として選択するほか無かった。
「うおぉぉぉ!!」
魔力の枯渇は最悪しても構わない。ヒューマンは他の種族と違って魔力を枯渇しても命を落とすことは無いはずだ。
断定できないのは、『勇者』が魔力を使い切ることはあり得ないため経験が無いから。後遺症などが存在するかどうかも知らないが、存在したとしても今のエリアスはその程度で止まらない。
揺れる視界と痛む体を、戦闘の高揚感が麻酔となって抑え込んでいく。
森を駆け抜けて、雄たけびを上げて、剣を振り上げて、世界が真っ暗になる。今見えるのは襲い掛かるゴーレムの群れと弱々しい体となけなしの魔力。
それだけが自分の荷物だと信じて疑わず、それだけで全てを解決しようと画策する。
──背後のレオンたちなど彼女の世界には存在しなかった。
真っ先に狙うのは“変異種”のウッド・ゴーレムだ。他のゴーレムを凌駕し、あまつさえ飛び道具まで扱う奴さえどうにかしてしまえば、後はゆっくり残党を狩れば良い。だからこそ、余力のあるうちに仕留めて見せる。
「──っ!!」
正面から飛来する枝の弾道を素早く見切り、即座に体を逃がす。固い地面に枝が深く突き刺さるのを一瞥し、“変異種”の根本へスライディング。高速で足元を通り過ぎ“変異種”の背後へ回り込むが、もちろんそこはゴーレムによる包囲網となっている。
間抜けにも魔獣への群れのど真ん中に飛び込んだ人間へ、ゴーレムたちが容赦するはずが無かった。それぞれが好き勝手に腕代わりの枝を、岩を振り上げて、
「馬鹿がッ!!」
エリアスへ届く前にゴーレムたちが同士討ちを始めた。特にロック・ゴーレムの一撃を受けたウッド・ゴーレムは悲惨で、その体をクの字に歪め倒れてしまっている。
彼らにはそんなつもりは毛頭なかったのだろうが、ここは森の中の狭い空間。いくら周辺の木々が薙ぎ倒されているとはいえ、巨体を誇るゴーレムが複数同時に暴れまわる場所などありはしない。
さらに言えば、ゴーレムたちの五感は非常に鈍いようで、周囲の同族をどこまで認識しているのかも怪しかった。そのような状況でバラバラに攻撃を始めれば──周囲のゴーレムと攻撃が競合し合うのも当然だ。
「ここがてめえの墓場だ……! 上等かましたツケを払ってもらうぜっ!」
おかげで半数近くのゴーレムはその場で横倒しか、一部は活動を停止した。巨体が防波堤代わりとなり、しばらくは後続のゴーレムを抑えられるだろう。近くに残っているのはウッド・ゴーレムが二体とロック・ゴーレムが一体、そして“変異種”だ。
恐らくは聞こえていないであろう宣戦布告を剣と共に突きつけ、その切っ先がぶれないように必死に耐える。痛む腕と魔力の使いすぎによる体の不調は悪化する一方で、改善する兆しなど全く見えない。
このような無茶をしているのだから当然と言えば当然なのだが、この少女の体が忌々しくて仕方がなかった。
「うおぉぉ!!」
それを吹っ切る様にエリアスは“変異種”目掛けて一気に駆け出す。先ほどのように回り込むためでは無く、今度こそやつを破壊することを目的としてだ。
方向転換を終えていた“変異種”はエリアスの接近に気づくと枝の弾丸を放ってくるが、連射の利かないそれが身軽なエリアスに当たる訳が無い。この時ばかりは今の小柄な体に感謝した。
弾丸による攻撃が無意味だと理解したのか、枝の射出が止まると今度は足の役目を果たしている根でエリアスを吹き飛ばそうと行動を始めてきた。
当たれば即座に行動不能に持ち込まれるほどの威力だが、大した射程も速度も無い一撃も先ほどの弾丸と同じで、
「ちっ──!?」
一体どういう原理なのか、元はただの樹木であったはずの体が鞭のように伸縮しながらエリアスへ迫る。それが都合六本ほど。体を支えるために残りの根は地面を掴んでいるのは幸運だろうが、六本だけでも回避しづらい根は十分に脅威だ。
直線の動きでの接近を素直に諦め、“変異種”の周囲を回りながら隙を伺う。足元を薙ぎ払う一撃を回避、直後に追従する上半身を狙う根の上を前転の要領でやり過ごし、頭上より振り落とされる一撃を横に転がって難を逃れた。
激しい攻撃の嵐だが、根の可動範囲には一つ一つに限界が存在する。元はただの樹木だったのだから当たり前だ。それを考慮し、全神経を集中し、一つ一つの動きを注視して、
「ここだぁ!!」
ほんの一瞬。瞬間的に表れた活路へ迷わず身を放り込む。振るわれた直後の二本はすぐには襲ってこない。残りは三本だがそのうち二本はお互いの位置が競合してうまく攻撃に移れていなかった。
つまり、意識するべきはたったの一本。その一撃も軽く跳躍することで躱し、そのままの勢いで“変異種”の幹へと迫った。
「見ろっ! こんなんになっちまっても俺は一人で……」
エリアスの眼は“変異種”の体内に存在する“魔核”を確かに捕らえている。そして目標は目と鼻の先であり、後は左手に集中した魔力を解き放てば終わりだ。
勝利の確信を歪んだ笑みで表現し、跳躍の勢いそのままに前進し続けて、
──すぐ近くに毒々しい果実が降ってくるのが視界の端に映った。
微妙に魔力を纏ったそれは“変異種”の枝に生っていた果実か。きっと暴れた勢いで落下してしまったのだろう。そんなこと今は気にしている余裕など無いし、必要も無い。
──本当にそうなのか?
一度は見切りをつけた果実へ、直感が最大限の警告を鳴り響かせる。それに長年の経験から即座に体は従った。迷わず後ろ、果実から距離を取る様に下がろうと試みて、
「うぉっなんだ!?」
しかし、悲しくも時すでに遅し。果実が内側から弾け飛んだかと思うと、霧状になった果汁が周囲の空間を支配する。エリアスもその範囲から逃れることもできず──直後に猛烈な吐き気を感じ、口に左手を当てると膝を折った。
それだけに留まらず、全身から冷や汗が噴き出し、焦点がうまく合わせられない。保持できないと判断した剣を咄嗟に鞘へ納めて、暇になった右手で頭を押さえる。
明らかにおかしい。体調不良程度では説明できないほどの変調が全身を支配していた。まともに動かせない頭をどうにか上げてみれば、周囲をゴーレムが取り囲んでおり──
「ギョワアアァァァァァ!!」
“変異種”の高らかな咆哮と共に、一斉にそれぞれの破壊が振り下ろされた。
☆ ☆ ☆ ☆
「馬鹿野郎……!!」
エリアスが無謀な特攻を決行したとき、レオンたちはゴーレムの包囲網の外側から救出の機会を窺っていた。幸いにも巨体を誇るゴーレムたちは自由に身動きが取れず、思っている以上にエリアスへ直接襲い掛かれる数は少ない。
だが、それでも単独での脱出は困難だろう。確かに彼女の力があれば“変異種”を狩ることは可能かもしれない。それでも、その後に生存できなければ意味が無いのだ。
「おりゃあぁぁぁ!!」
ブライアンがその中の一匹を叩き潰している間、彼に牙を剥こうとする別のゴーレムを牽制する。こうやって少しずつ頭数を減らしていっても良いが、時間があまりに掛かりすぎるだろう。
「セレナも魔法で……」
「申し訳ないのですが、今ここで魔法を放つと一斉にこちらに来る可能性が高いです。私たちまで包囲されたら、それこそ詰みですよ?」
冷静に状況を判断され、レオンは歯噛みすることしかできない。エリアスに自ら離脱する意思が見えない以上、彼女を無理やり引き戻す役割が必要だ。
エリアスに大部分の注意が集まっている今ならともかく、レオンたちまで巻き込まれた乱戦になれば、救出どころか全員の命が危ない。
パーティーのまとめ役として、その選択肢は最終手段でしかなかった。
「ここだぁ!!」
その時、エリアスの雄たけびがレオンたちの鼓膜を揺さぶる。目の前のゴーレムの攻撃を捌き、ブライアンが止めを刺したのを確認すると、そちらへ視線を向けた。
そこには左手に黄色い魔力を収束させ、“変異種”に最後の一撃を放とうと突撃するエリアスの姿があり、
──上空から禍々しい果実が落ちてくるのを見て、考えるよりも先にレオンは駆け出した。
「レオン!? 待って……!」
「あれは絶対にまずいんだ! ソラたちはここで待っていてくれ!!」
エリアスが先ほどやって見せたように、ゴーレムの合間を縫って突き進む。そうしながらレオンは腰の携帯ポーチの中に手を突っ込むと、緑色のラベルが張られた小さな容器を取り出した。
その手のひらに収まる程度の容器の蓋を乱雑に開け放つと、中身の液体を一気に飲み下す。全身の血の巡りが加速したかのように、目の前が真っ赤になる。周囲の化け物どもを薙ぎ倒したい衝動に駆られ──それを理性で無理やりに押し込めた。
そして、膝を折り項垂れるエリアスの元へたどり着く。周囲の空気中には、未だ果実から散布された果汁の霧が漂っていたが、レオンに何ら影響を及ぼすことは無い。
「ギョワアアァァァァァ!!」
“変異種”が奇声を上げ、周囲のゴーレムが一斉にその枝や岩などを叩きつけてくる。あくまで冷静にエリアスを左腕だけで抱え上げると、ゴーレムたちの攻撃を瞬時に見切る。
“変異種”の根元に移動して、ここならレオンに届く破壊は“変異種”とロック・ゴーレム一体だけだ。そして、一度エリアスを優しく手放すと両腕で槍を保持して、
「少しはッ……黙っていろ!!」
あろうことか、ゴーレム二体分の重量を受け止めて見せた。驚く知能があるのかどうか分からないが、ゴーレムたちが動揺したかのように数秒の間動きを止める。その間にエリアスを再度抱き上げると、全力でソラたちの元へ足を進めた。
腕の中の少女は既に意識を失いかけているようであり、その顔色は真っ青を通り越して真っ白だ。
暴れたことが原因なのか、先ほどの果実が原因なのか。服越しに感じる柔らかな肌からは異常なほどの熱を感じる。
これらの症状は間違いなく、即効性の魔法毒にやられたものに相違無い。恐らく、というより確実にあの果実から放たれたのだろう。それをエリアスはまともに受けてしまった。
しかし、魔法毒は即効性こそあれど戦闘不能に追い込むことに特化していることが多く、すぐに治療すれば命に別状は無いはずだ。
「それが問題か……」
「レオン! どうにか突破できないのか!?」
大量のゴーレム越しにソラたちの声が響いてくる。残念ながらエリアスを抱えた状態でこの数を捌き切るのは無謀もいいところだ。“奥の手”を使えば不可能ではないが、あまりにリスクが高すぎる。
それこそ、腕の中のエリアスが巻き込み命を奪いかねない。選択肢としては論外過ぎた。
しかし、それ以外にソラたちと合流する手段が咄嗟に見当たらない。背後からは“変異種”が追い縋ってきている。一発逆転の案を出すには時間が限られすぎている。
数秒の思考、そして迷い。それを振り切るように肺に大量の空気を送り込んで、
「俺たちは別に道から逃げ出す! 落ち着いてから森の入り口で合流しよう!!」
「っ……。了解です! ご武運を」
単独行動の危険性を思い浮かべセレナは一瞬押し黙るが、すぐにそれが最善だと判断したのだろう。一言だけ残すと、目の前のウッド・ゴーレムに風の魔法で穴が開かれた。
「ごめん、だけど助かるッ!」
魔獣は魔力に吸い寄せられる習性を持っている。退路の確保できているセレナたちが少しでも引き付けてくれようとしているのだ。仲間たちの気遣いに感謝し、後ほど言葉で直接伝えるためにもうまく生き延びなければならない。
ゴーレムたちを少しでも引き離すべく、ひたすらに走る。振り下ろされる巨大な質量を避ける。ひたすらに、走り続けて、
──断崖から足を踏み外しそうになり、慌てて数歩下がった。
「くそっ……。こっちの子が可愛いのは分かるけど、少し節度を持ってくれないか……ってな」
そのまま背後へ振り返ってみれば、ゴーレムたちが大集合だ。熱心な追っかけたちにレオンは戯言をぶつけてみる。それを足掛かりに冷静さを保つよう心がけるが、ゴーレムたちの包囲に隙間は見当たらない。
まさか崖の存在に気づかないとは、あまりの間抜けさに自嘲気味に笑みを浮かべる。だが、そうしても救いが天から授けられることなど無かった。只々、絶望的な現実だけを突きつけられる。
「ははは……最悪だ。エリアス、後でたっぷり文句を聞いてもらうからな。──久しぶりの二本目。下手なことにならないでくれよ……!!」
腕の中のエリアスを一瞥してから再びポーチの中をまさぐると、先ほどと同じような容器、今度はオレンジ色のラベルが張られた容器を取り出した。そのあとの動作も全く同じである。
中身を一気に飲み下して──ここからだけは違った。
血液が沸騰したかのように熱く、全身を駆け巡り思考が真っ赤に染まっていく。右腕には力が、左腕には魔力が収束し、全能感がレオンを支配し始めていた。
続いて湧き上がるのは激しい破壊衝動。何でもよい。見渡すかぎりにいる樹木でも、そこらの岩でも、魔獣でも。何なら腕の中のヒューマンの少女でも。
この力を満足いくまで振るって何もかもを塵と化して──
「頭ヲ冷ヤせ……落ち着ケ……!!」
今にも掻き消えそうな理性の最後の力を振り絞って、肉体の制御を取り戻したレオンは、迷わず崖から身を投げ出した。
腕の中の少女を、怪我をさせないように強く、壊れないように優しく、抱きしめる。重力によって内臓が揺さぶられる不快な感覚を引きずりながら、レオンとエリアスも崖の底に飲み込まれていった。
「セレナは無理しない範囲で牽制! ソラは少し先行して回り込んでいるゴーレムがいないか調べてくれ! ブライアンは俺とエリアスの援護を頼む!」
誰もが初動に遅れる中、レオンだけは迅速に指示を飛ばしていた。それを聞き我に返った仲間たちが行動を始めるのを確認してから、レオンは頭を押さえたまま座り込むエリアスの元へ向かう。
背負っていた荷物を前に回して、空席となった背中にエリアスを強制的に乗せた。
「降ろせ、自分の足で走れる……!」
「今は甘えてろ! そんなフラフラで何言ってるんだ!?」
これではまるでエリアスが足手まといだ。プライドから降ろすように要求するが、レオンは聞く耳を持たずに走り出す。
元より足場の悪い森の中を全力で駆け抜けるのはかなり難しい。それを強行突破しようとするのだから、レオンの背中は乗り心地最悪だ。言葉を発することさえ困難である。
故に、警告することができない。背後にいる異形のウッド・ゴーレムの硬質な枝が高速で弾丸のように飛来してくる光景を。
「『暴風』」
レオンとエリアスの串刺しが完成するより前に、下からすくい上げるような風が巻き起こる。弾丸代わりだった枝が空中でバランスを崩して落下、それを見届けるとセレナは指を振るってさらに風向きを操作した。
ゴーレムたちに向かい風となるように、文字通り『暴風』が巻き起こり、ゴーレムたちが次々と倒れていく。
「やはり“変異種”は重すぎますね……この程度の魔法ではまるで動じません」
しかし、効果が及んだのは群れの先頭付近にいるゴーレムだけだ。倒れた巨体が後続のゴーレムたちを妨害しているが、それは大した成果を上げていないし本命の“変異種”はビクともしない。
あの怪物をどうにかするのは、もっと時間を掛けて大きな魔力を練り込まなければならないだろう。
「俺様が直接殴ってもいいが……帰り道がなさそうだな! そもそもあいつはどっから来たんだ!?」
「魔獣は魔力を糧に活動している生物です。大規模な魔法を感じれば即座に集まってきますよ。恐らくはエリアスさんの最初に放った電撃が原因だと思うのですが……」
「それにしたって限度が無いか? 数もそうだしこんな王都近辺で“変異種”が発生するなんて、ありえないと思うんだけど、な!」
風が止んだことで第二波の枝が足元を撃ち抜き、レオンが飛び跳ねて回避する。
「結局、俺が全部悪いのかよ……!」
彼らが嘘を付く必要も無い。つまり、今の状況は全てエリアスが原因ということだ。まさか魔法に反応して魔獣が集まってくるなんて習性、知らなかった。
そう言い訳することはできる。だが、最もらしい理由で自尊心を護るやり方など、エリアス自身が許さない。一人で全てうまくできるはずなのだ。そうでなくてはいけないのだ。
──失敗の清算も一人でやって見せる。
「エリアス、何やって──っ!?」
「見てろよ……俺は『勇者』だ。あんな魔獣程度いくら集まっていようと敵じゃねえ……!」
背中で暴れるエリアスをレオンが思わず取り落とす。怪我をしている右腕から地面へと落下し、苦悶の声を上げながらも、エリアスは立ち上がった。
しかし、彼女の勝機はどう判断しても皆無だ。右腕を痛めているのも、魔力の消耗で意識が朦朧としているのも、万全の状態でさえあのゴーレムの群れはエリアスの手に余ることも、全てレオンたちは理解していた。
「ちょっと回り道だけど、こっちにはあまりゴーレムはいないみたい……エリィ!?」
脱出路を探していたソラが合流し、エリアスの無謀な行いに眼を見開く。慌てて制止するために各々が手を伸ばすが、空しくも宙を掴むだけで終わった。
誰の制止も受けなかったエリアスは彼らを無視し、ゴーレムの群れに真っ向から勝負を仕掛ける。
その数や、十、二十では済まないほどだが鈍重な動きがゴーレムの欠点だ。“変異種”の枝の弾丸さえ気を付ければ、全ての攻撃を回避しきることは不可能ではない。
問題はあれら全てを破壊しきる攻撃手段だ。ゴーレムの硬質な肉体は剣による物理的な手段では歯が立たない。よって既に消耗の激しい魔力を手段として選択するほか無かった。
「うおぉぉぉ!!」
魔力の枯渇は最悪しても構わない。ヒューマンは他の種族と違って魔力を枯渇しても命を落とすことは無いはずだ。
断定できないのは、『勇者』が魔力を使い切ることはあり得ないため経験が無いから。後遺症などが存在するかどうかも知らないが、存在したとしても今のエリアスはその程度で止まらない。
揺れる視界と痛む体を、戦闘の高揚感が麻酔となって抑え込んでいく。
森を駆け抜けて、雄たけびを上げて、剣を振り上げて、世界が真っ暗になる。今見えるのは襲い掛かるゴーレムの群れと弱々しい体となけなしの魔力。
それだけが自分の荷物だと信じて疑わず、それだけで全てを解決しようと画策する。
──背後のレオンたちなど彼女の世界には存在しなかった。
真っ先に狙うのは“変異種”のウッド・ゴーレムだ。他のゴーレムを凌駕し、あまつさえ飛び道具まで扱う奴さえどうにかしてしまえば、後はゆっくり残党を狩れば良い。だからこそ、余力のあるうちに仕留めて見せる。
「──っ!!」
正面から飛来する枝の弾道を素早く見切り、即座に体を逃がす。固い地面に枝が深く突き刺さるのを一瞥し、“変異種”の根本へスライディング。高速で足元を通り過ぎ“変異種”の背後へ回り込むが、もちろんそこはゴーレムによる包囲網となっている。
間抜けにも魔獣への群れのど真ん中に飛び込んだ人間へ、ゴーレムたちが容赦するはずが無かった。それぞれが好き勝手に腕代わりの枝を、岩を振り上げて、
「馬鹿がッ!!」
エリアスへ届く前にゴーレムたちが同士討ちを始めた。特にロック・ゴーレムの一撃を受けたウッド・ゴーレムは悲惨で、その体をクの字に歪め倒れてしまっている。
彼らにはそんなつもりは毛頭なかったのだろうが、ここは森の中の狭い空間。いくら周辺の木々が薙ぎ倒されているとはいえ、巨体を誇るゴーレムが複数同時に暴れまわる場所などありはしない。
さらに言えば、ゴーレムたちの五感は非常に鈍いようで、周囲の同族をどこまで認識しているのかも怪しかった。そのような状況でバラバラに攻撃を始めれば──周囲のゴーレムと攻撃が競合し合うのも当然だ。
「ここがてめえの墓場だ……! 上等かましたツケを払ってもらうぜっ!」
おかげで半数近くのゴーレムはその場で横倒しか、一部は活動を停止した。巨体が防波堤代わりとなり、しばらくは後続のゴーレムを抑えられるだろう。近くに残っているのはウッド・ゴーレムが二体とロック・ゴーレムが一体、そして“変異種”だ。
恐らくは聞こえていないであろう宣戦布告を剣と共に突きつけ、その切っ先がぶれないように必死に耐える。痛む腕と魔力の使いすぎによる体の不調は悪化する一方で、改善する兆しなど全く見えない。
このような無茶をしているのだから当然と言えば当然なのだが、この少女の体が忌々しくて仕方がなかった。
「うおぉぉ!!」
それを吹っ切る様にエリアスは“変異種”目掛けて一気に駆け出す。先ほどのように回り込むためでは無く、今度こそやつを破壊することを目的としてだ。
方向転換を終えていた“変異種”はエリアスの接近に気づくと枝の弾丸を放ってくるが、連射の利かないそれが身軽なエリアスに当たる訳が無い。この時ばかりは今の小柄な体に感謝した。
弾丸による攻撃が無意味だと理解したのか、枝の射出が止まると今度は足の役目を果たしている根でエリアスを吹き飛ばそうと行動を始めてきた。
当たれば即座に行動不能に持ち込まれるほどの威力だが、大した射程も速度も無い一撃も先ほどの弾丸と同じで、
「ちっ──!?」
一体どういう原理なのか、元はただの樹木であったはずの体が鞭のように伸縮しながらエリアスへ迫る。それが都合六本ほど。体を支えるために残りの根は地面を掴んでいるのは幸運だろうが、六本だけでも回避しづらい根は十分に脅威だ。
直線の動きでの接近を素直に諦め、“変異種”の周囲を回りながら隙を伺う。足元を薙ぎ払う一撃を回避、直後に追従する上半身を狙う根の上を前転の要領でやり過ごし、頭上より振り落とされる一撃を横に転がって難を逃れた。
激しい攻撃の嵐だが、根の可動範囲には一つ一つに限界が存在する。元はただの樹木だったのだから当たり前だ。それを考慮し、全神経を集中し、一つ一つの動きを注視して、
「ここだぁ!!」
ほんの一瞬。瞬間的に表れた活路へ迷わず身を放り込む。振るわれた直後の二本はすぐには襲ってこない。残りは三本だがそのうち二本はお互いの位置が競合してうまく攻撃に移れていなかった。
つまり、意識するべきはたったの一本。その一撃も軽く跳躍することで躱し、そのままの勢いで“変異種”の幹へと迫った。
「見ろっ! こんなんになっちまっても俺は一人で……」
エリアスの眼は“変異種”の体内に存在する“魔核”を確かに捕らえている。そして目標は目と鼻の先であり、後は左手に集中した魔力を解き放てば終わりだ。
勝利の確信を歪んだ笑みで表現し、跳躍の勢いそのままに前進し続けて、
──すぐ近くに毒々しい果実が降ってくるのが視界の端に映った。
微妙に魔力を纏ったそれは“変異種”の枝に生っていた果実か。きっと暴れた勢いで落下してしまったのだろう。そんなこと今は気にしている余裕など無いし、必要も無い。
──本当にそうなのか?
一度は見切りをつけた果実へ、直感が最大限の警告を鳴り響かせる。それに長年の経験から即座に体は従った。迷わず後ろ、果実から距離を取る様に下がろうと試みて、
「うぉっなんだ!?」
しかし、悲しくも時すでに遅し。果実が内側から弾け飛んだかと思うと、霧状になった果汁が周囲の空間を支配する。エリアスもその範囲から逃れることもできず──直後に猛烈な吐き気を感じ、口に左手を当てると膝を折った。
それだけに留まらず、全身から冷や汗が噴き出し、焦点がうまく合わせられない。保持できないと判断した剣を咄嗟に鞘へ納めて、暇になった右手で頭を押さえる。
明らかにおかしい。体調不良程度では説明できないほどの変調が全身を支配していた。まともに動かせない頭をどうにか上げてみれば、周囲をゴーレムが取り囲んでおり──
「ギョワアアァァァァァ!!」
“変異種”の高らかな咆哮と共に、一斉にそれぞれの破壊が振り下ろされた。
☆ ☆ ☆ ☆
「馬鹿野郎……!!」
エリアスが無謀な特攻を決行したとき、レオンたちはゴーレムの包囲網の外側から救出の機会を窺っていた。幸いにも巨体を誇るゴーレムたちは自由に身動きが取れず、思っている以上にエリアスへ直接襲い掛かれる数は少ない。
だが、それでも単独での脱出は困難だろう。確かに彼女の力があれば“変異種”を狩ることは可能かもしれない。それでも、その後に生存できなければ意味が無いのだ。
「おりゃあぁぁぁ!!」
ブライアンがその中の一匹を叩き潰している間、彼に牙を剥こうとする別のゴーレムを牽制する。こうやって少しずつ頭数を減らしていっても良いが、時間があまりに掛かりすぎるだろう。
「セレナも魔法で……」
「申し訳ないのですが、今ここで魔法を放つと一斉にこちらに来る可能性が高いです。私たちまで包囲されたら、それこそ詰みですよ?」
冷静に状況を判断され、レオンは歯噛みすることしかできない。エリアスに自ら離脱する意思が見えない以上、彼女を無理やり引き戻す役割が必要だ。
エリアスに大部分の注意が集まっている今ならともかく、レオンたちまで巻き込まれた乱戦になれば、救出どころか全員の命が危ない。
パーティーのまとめ役として、その選択肢は最終手段でしかなかった。
「ここだぁ!!」
その時、エリアスの雄たけびがレオンたちの鼓膜を揺さぶる。目の前のゴーレムの攻撃を捌き、ブライアンが止めを刺したのを確認すると、そちらへ視線を向けた。
そこには左手に黄色い魔力を収束させ、“変異種”に最後の一撃を放とうと突撃するエリアスの姿があり、
──上空から禍々しい果実が落ちてくるのを見て、考えるよりも先にレオンは駆け出した。
「レオン!? 待って……!」
「あれは絶対にまずいんだ! ソラたちはここで待っていてくれ!!」
エリアスが先ほどやって見せたように、ゴーレムの合間を縫って突き進む。そうしながらレオンは腰の携帯ポーチの中に手を突っ込むと、緑色のラベルが張られた小さな容器を取り出した。
その手のひらに収まる程度の容器の蓋を乱雑に開け放つと、中身の液体を一気に飲み下す。全身の血の巡りが加速したかのように、目の前が真っ赤になる。周囲の化け物どもを薙ぎ倒したい衝動に駆られ──それを理性で無理やりに押し込めた。
そして、膝を折り項垂れるエリアスの元へたどり着く。周囲の空気中には、未だ果実から散布された果汁の霧が漂っていたが、レオンに何ら影響を及ぼすことは無い。
「ギョワアアァァァァァ!!」
“変異種”が奇声を上げ、周囲のゴーレムが一斉にその枝や岩などを叩きつけてくる。あくまで冷静にエリアスを左腕だけで抱え上げると、ゴーレムたちの攻撃を瞬時に見切る。
“変異種”の根元に移動して、ここならレオンに届く破壊は“変異種”とロック・ゴーレム一体だけだ。そして、一度エリアスを優しく手放すと両腕で槍を保持して、
「少しはッ……黙っていろ!!」
あろうことか、ゴーレム二体分の重量を受け止めて見せた。驚く知能があるのかどうか分からないが、ゴーレムたちが動揺したかのように数秒の間動きを止める。その間にエリアスを再度抱き上げると、全力でソラたちの元へ足を進めた。
腕の中の少女は既に意識を失いかけているようであり、その顔色は真っ青を通り越して真っ白だ。
暴れたことが原因なのか、先ほどの果実が原因なのか。服越しに感じる柔らかな肌からは異常なほどの熱を感じる。
これらの症状は間違いなく、即効性の魔法毒にやられたものに相違無い。恐らく、というより確実にあの果実から放たれたのだろう。それをエリアスはまともに受けてしまった。
しかし、魔法毒は即効性こそあれど戦闘不能に追い込むことに特化していることが多く、すぐに治療すれば命に別状は無いはずだ。
「それが問題か……」
「レオン! どうにか突破できないのか!?」
大量のゴーレム越しにソラたちの声が響いてくる。残念ながらエリアスを抱えた状態でこの数を捌き切るのは無謀もいいところだ。“奥の手”を使えば不可能ではないが、あまりにリスクが高すぎる。
それこそ、腕の中のエリアスが巻き込み命を奪いかねない。選択肢としては論外過ぎた。
しかし、それ以外にソラたちと合流する手段が咄嗟に見当たらない。背後からは“変異種”が追い縋ってきている。一発逆転の案を出すには時間が限られすぎている。
数秒の思考、そして迷い。それを振り切るように肺に大量の空気を送り込んで、
「俺たちは別に道から逃げ出す! 落ち着いてから森の入り口で合流しよう!!」
「っ……。了解です! ご武運を」
単独行動の危険性を思い浮かべセレナは一瞬押し黙るが、すぐにそれが最善だと判断したのだろう。一言だけ残すと、目の前のウッド・ゴーレムに風の魔法で穴が開かれた。
「ごめん、だけど助かるッ!」
魔獣は魔力に吸い寄せられる習性を持っている。退路の確保できているセレナたちが少しでも引き付けてくれようとしているのだ。仲間たちの気遣いに感謝し、後ほど言葉で直接伝えるためにもうまく生き延びなければならない。
ゴーレムたちを少しでも引き離すべく、ひたすらに走る。振り下ろされる巨大な質量を避ける。ひたすらに、走り続けて、
──断崖から足を踏み外しそうになり、慌てて数歩下がった。
「くそっ……。こっちの子が可愛いのは分かるけど、少し節度を持ってくれないか……ってな」
そのまま背後へ振り返ってみれば、ゴーレムたちが大集合だ。熱心な追っかけたちにレオンは戯言をぶつけてみる。それを足掛かりに冷静さを保つよう心がけるが、ゴーレムたちの包囲に隙間は見当たらない。
まさか崖の存在に気づかないとは、あまりの間抜けさに自嘲気味に笑みを浮かべる。だが、そうしても救いが天から授けられることなど無かった。只々、絶望的な現実だけを突きつけられる。
「ははは……最悪だ。エリアス、後でたっぷり文句を聞いてもらうからな。──久しぶりの二本目。下手なことにならないでくれよ……!!」
腕の中のエリアスを一瞥してから再びポーチの中をまさぐると、先ほどと同じような容器、今度はオレンジ色のラベルが張られた容器を取り出した。そのあとの動作も全く同じである。
中身を一気に飲み下して──ここからだけは違った。
血液が沸騰したかのように熱く、全身を駆け巡り思考が真っ赤に染まっていく。右腕には力が、左腕には魔力が収束し、全能感がレオンを支配し始めていた。
続いて湧き上がるのは激しい破壊衝動。何でもよい。見渡すかぎりにいる樹木でも、そこらの岩でも、魔獣でも。何なら腕の中のヒューマンの少女でも。
この力を満足いくまで振るって何もかもを塵と化して──
「頭ヲ冷ヤせ……落ち着ケ……!!」
今にも掻き消えそうな理性の最後の力を振り絞って、肉体の制御を取り戻したレオンは、迷わず崖から身を投げ出した。
腕の中の少女を、怪我をさせないように強く、壊れないように優しく、抱きしめる。重力によって内臓が揺さぶられる不快な感覚を引きずりながら、レオンとエリアスも崖の底に飲み込まれていった。
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