剣豪幼女と十三の呪い

きー子

一九/にせもの


 領主城館は高い壁に囲われ、要塞としての役割を果たしていた。イルドゥが入り口の衛兵に足止めされているのが見えたが、彼は程なくして要塞内に通された。

「いけそうだの。……頼めるか?」
「ん」

 クラリーネは頷くと同時、銀色の球体を無数の〝妖精〟に変換して壁に打ち込んだ。
 衝突部を基点にして銀板がいくつも伸び、壁のてっぺんまで駆け上がれる段差を形成する。

 カイネとクラリーネはともに階段を駆け上がり、壁の頂から領主城館を見下ろす。目指すべきは一階奥から通じるという地下牢だが、入り口から侵入しては見張りに引っかかる危険性が高い。
 だが、最短距離でいち早く迫るにはそれが最善であろう。

「イルドゥ殿の後に続く。……止まるでないぞ?」
「見取り図が合ってたらね」
「まずはセルヴァ殿が生きておることを祈らねばな――生きておらねば楽は楽だが」
「シャロンが泣くよ」
「それは……勘弁願いたいところであるな」
「でしょう」

 あの娘の涙を見ることになればどれほどの罪悪感にさいなまれるか。例え自分のせいではないと仮定しても、あまり考えたくないことだった。
 ふたりは高所に身を伏せたまま、領主城館の入り口を観測し続け――

「いま」

 イルドゥが衛兵ふたりの合間を抜けたあと、カイネとクラリーネはどちらともなく壁の内側に飛び降りた。
 着地して即座に駆け出す。入り口の衛兵たちがあっけにとられたように動きを止める。ふたりは止めどなく加速する。

 カイネは無言のまま〝黒月〟を抜き払い、クラリーネの〝妖精式〟は人形兵を千々に切り刻んだ。
 風を切って少女の周囲を旋回する無数の薄刃と化した白銀の〝妖精〟は、吹き荒れる暴風雨にも等しい。
 カイネはすかさず入口の扉を蹴り開ける。ふたりして一瞬も歩みを止めることなく押し入り、少しの間を置いて人形兵が駆けつける。幽体投射筒を構える隙をついてカイネは駆け寄り、すれ違いざまに斬り捨てる。バラバラと残骸が散らばった後を通り過ぎてふたりは奥へ奥へと進む。

「間取りは情報通りのようじゃの」
「奥の警備が堅い――ということは、まだ生きてそう」
「かもしれんな」

 廊下を巡回する人形兵を、各部屋の入口を守る人形兵を造作もなく斬り捨てていく。
 相手がアースワーズ家に仕えるものとなればまた別だが、人形ばかりとなれば遠慮も呵責も必要なかった。

 それにしても妙なのは、城館内の守備兵すらことごとく人形であったということか。
 人と寸分変わらない姿形をした人形を作り上げるとなれば相応以上の手間がかかるだろう。人間を雇うほうがいっそ安上がりであろうに、生者が一切見当たらないのはもはや偏執的ですらある。

 廊下を突き進んだ果てに石造りの階段を目の当たりにする。左右の壁にろうそくが立てかけられた、地下に繋がる階段だ。
 地下に通じる道は他にひとつも無いという。カイネは前方を、クラリーネは後方を警戒しながら段差を駆け下りていき――

「――――おや、侵入者でありますな?」

 ふと、聞き覚えのある声を耳にした。
 はつらつとした少女の声音が地下の広間に反響する。
 広間内部にくまなく灯りが配されており、薄暗くとも視界の確保に差し支えはない。

 カイネはそれを見た。クラリーネも前を振り返った。

「……なにを考えておるか。悪趣味な」
「侵入者は排除するであります」

 シャロン・アースワーズの似姿――わざわざそれをセルヴァ・グロワーズの看守に扱おうとは、人形遣いの腐り果てた性根の一端がうかがえよう。
 地下室内にセルヴァの姿は見当たらないが、床面にいくつかの落とし戸が見える。おそらくその下に人質を閉じ込めているのだろう。

 シャロンを模した人形は流れるように槍を抜き、穂先を掲げた。
 カイネは眉をひそめてぽつりと言う。

「おれがやる。クラリーネ、おまえさんはセルヴァ殿をさが――」

 瞬間、カイネのちいさな顔のすぐ横を白銀の殻が通り過ぎていった。
 ほんの掌大にも満たない極小の外殻――攻性呪働甲冑〝妖精式〟の展開。その数はカイネが知覚しただけでもゆうに一〇〇を上回る。

「しんにゅ――はい――でありま――――」
「その顔でさえずるな」

 無数の〝妖精〟――魔力を帯びた白銀の端末がシャロンの似姿に食らいかかる。妖精は宙を駆け巡りながら光の線を引いて人形をずたずたに切り刻み、四方八方から白い光の光条を斉射する。人形の躯体はたちまち穴だらけになり、元の形を失う。

 光の雨が止んだとき、人形はもはや自立することもできずに倒れ込んだ。シャロン・アースワーズを連想させるものは影も形も無くなっていた。白銀の端末はそれぞれに弧を描きながら一点に収束し、銀色の球体へと回帰する。

「……クラリーネ」
「はい」
「ちと、派手にやりすぎだ」
「つい……」
「また似たような人形に出くわすかもしれん。冷静にな」
「その時は、もっとうまくやる」

 カイネはそっとクラリーネを振り返った。彼女は怒りを露わにするでもなく、淡々とした無表情で人形の残債を見下ろしていた。
 カイネは改めて地下室の落とし戸に目を向ける。

「……ここかの」
「なにも聞こえなかったけど」
「ふるえだ」

 確かに声はしなかった。ただ、落とし戸から漏れる空気のゆらぎがかすかに伝わったような気がしたのだ。
 カイネは落とし戸に手をかけて思い切り引っ張る。扉ががたがたと揺れるが、開かない。
 心なしか、地下穴の向こう側から伝わる震えが強まったような感覚。

「……鍵か」
「はしごもいりそう」

 この手の地下穴ははしごか、縄でもなければ絶対に出ることはできない。
 すまんなこんなことに使うて――と、カイネは心の中で愛刀に一言わびてから黒月の切っ先を突き立てる。
 鍵は呆気なく壊れた。片手で落とし戸を引き、地下穴を覗き込む。

「セルヴァ・グロワーズ殿はおられるか。ヴィクセン王立魔術学院より救出に参った」
「……なにものだ……」

 穴の底から掠れきった声がした。饐えたような臭いが地下室にまで届く。
 カイネは壁に立てかけてあったろうそくの火をひったくってかざす。
 視界の先にいたのは、角ばった面立ちのやつれ果てた男だった。年の頃は四十かそれよりも老けており、豊かなブラウンの髪に白髪が混じっている。口周りには伸びっぱなしの無精髭が蓄えられ、お世辞にも褒められた風采ではない。
 カイネはその痛ましい姿に瞳をすがめ、言った。

「魔術学院客員教授、カイネ・ベルンハルトと申すものだ。今すぐに――」
「ま……またか。またなのかね、ソニア。どれだけ私を弄べば気が済むというのだ?」

 男はろうそくのちいさな火でさえもまぶしいように目を背け、顔の前に腕をかざす。
 長い間閉じ込められていたせいで暗闇に慣れてしまったのか。彼の言葉の意味は掴みかねたが、どうやら人形ではないのは確からしい。

「……セルヴァ殿に違いないかの?」
「……ま、まさか……本物かね。本当に、本物の、カイネ・ベルンハルト殿なのかね?」
「クラリーネ。はしごを」
「ん」

 疑心暗鬼に陥るような尋問や恫喝を繰り返されたのであろう、とカイネは推測する。そのような相手には、百の言葉を尽くすよりも真っ先に助けの手を差し伸べるべきだ。
 銀の球体が落とし戸の端にぴたりとくっついてはしごを伸ばす。等間隔の足場が男のすぐそばに降りていく。

「登れるかの。難しいならば手を貸すが」
「……す、すまない。私の、身体では」
「相分かった」

 男の頬はこけ、腕は骨と皮のようにやせ細っている。食料や水も本当に最小限度しか与えられていなかったのだろう。これならば生きているだけ、正気を保っているだけでも行幸というものだ。
 カイネは地下穴に飛び降りる。ひどいにおいがした。かつて慣れ親しんだ戦場のにおいとよく似ている。

「ほれ、下から支えよう。遠慮せず縒っかかるがよい」
「……ほ、本当なのだね。あなたが……あなたが、カイネ殿なのだな……なんという……まだ、ほんの子どもではあるまいか……」
「こいつは訳ありというやつでの、見た目通りの齢はしておらんよ。……シャロン殿が貴殿の身を案じておられた。セルヴァ・グロワーズ殿に違いないな?」
「そ、その通りだ……私が……おぉ、神に感謝を……シャロンは、シャロン様は無事でいらっしゃるのですな……」
「うむ。……慎重にの、踏み外すでないぞ?」

 男――セルヴァがはしごに手をかけるのを下から支え、地下穴を登りきるまで押し上げる。クラリーネも上から手を差し伸べてセルヴァの痩身を引っ張り上げる。
 痩せ衰えても元は騎士。少し時間はかかったが、カイネともども地下穴からの脱出に無事成功した。

「水だ。全て飲んでくれて構わぬ」
「……か、かたじけない……」

 カイネが水筒を差し出すと、セルヴァは水をゆっくりと口に含みながら全身に染み渡らせていった。
 渇きに苦しんでいる状態であってさえ冷静でいられるのは賞賛に値しよう。
 カイネは固形の携帯食料も手渡しつつ、セルヴァの容態を観察する。

「……あまりゆっくりもしておれんな。まずはここを出たいところだが……」
「……なるべく体力は温存するよう努めていた。歩くのに支障はないはずだ……」
「座って」

 その時、クラリーネの使役する銀の球体が新たな形態を取った。
 それを端的に表すならば、蜘蛛のような脚がついた白銀の椅子とでも言うべきか。八本もの脚があるのは階段などの段差を駆け抜けるための仕掛けであろう。

「……ま、真にかたじけない。何からなにまで……おぉ、しかし、なんという魔術か……きみのような少女が……」
「クラリーネ・ルーンシュタット。……力は尽くす。シャロンの大事な人だから」
「……そうか、きみはシャロンと親しくしてくれているのだね。世話をかけてはいまいだろうか……」
「世話になったのは私のほう」

 クラリーネは端的に言った――顔を隠すように目を伏せながら。
 カイネはちらとふたりに目配せする。

「では、ゆこうか」

 クラリーネもセルヴァもともに頷き、不意にがしゃんっと金属の塊を叩きつけたような音が地下室に反響した。
 一堂は咄嗟に音がした方――上り階段へと向き直り、カイネとクラリーネはセルヴァをかばうように前に出る。

「……灯りを持とう」
「すまぬが、たのむ」

 セルヴァの提案をありがたく受け入れ、けたたましい音を立てたものの正体を見極める。
 それは首だった。人形の生首。
 大きく目を見開いたまま物言わぬイルドゥ・エンディラスの生首。

「仕留め損ないおったか」
「……ど、どういうことかね? あれはやつの人形――」
「学院に潜入した人形の中に、こちらに協力するものがいた。私たちはそこから情報を得た。人形遣いを奇襲する手はずでもあった――」

 そして失敗した。
 セルヴァはクラリーネの言葉を呑み込みかねる様子であったが、そうとでも解釈しなければ説明がつかない状況であることは確かである。
 三人が黙りこくった直後、足音がした。こつこつと石造りの階段を踏み鳴らす音。その他にもいくつもの足音。

「ちょこざいな真似をしてくれましたわね。この私の人形をたぶらかすなんて……学院とやらにも、あんがいやり手の魔術師がいるのかしら?」

 怜悧な声が聞こえたあと、暗闇の向こうから金髪の女がゆっくりとその姿を現す。
 シャロンとの血のつながりをかすかに感じさせる女であった。ふわりとした質感の金髪ロールに、真紅が鮮やかなドレス。唇にはくっきりと紅が引かれ、切れ長の瞳が鋭くカイネらを見つめている。

 シャロンを一回りほど大人びさせた風貌で、しかし似ても似つかないのはその目だった。人を人とも思わないような酷薄な眼差しは、到底シャロンに真似できるものではない。

「ソニアかッ……」

 セルヴァのうめき。目の色にかすかな恐れが宿る。
 カイネは瞳を眇め、彼女の周囲に目を配る。

「……そういうおまえさんはうかつであるな。なにも総大将直々に出張ってくることもなかろうに」
「もしかしたらと思ってね。あなたをお目にかかれるのではないかと思いましたのよ――お噂はかねがねうかがっておりますわ、カイネ・ベルンハルト殿。私は当代アースワーズの主、ソニア・アースワーズと申しますわ」
「……出向いてきたのもろくな目的ではなさそうだの」

 カイネの存在を予見して、知った上での行動とはまさか思いもすまい。
 彼女――ソニアの周囲には幽体投射筒を構えた人形がいくつも控えていた。その筒先はすでに構えられ、セルヴァを重点的に狙っている。

「この地下はすでに包囲されておりましてよ、いくらあなたでもそこの足手まといを守り抜くのは難しいと思いますけれど……」

 カイネは答えずにセルヴァとクラリーネを一瞥した。おれがやりあっている間に、隙あらばおまえさんらだけで脱出せよ。
 クラリーネはこくりと頷き、人形兵の動向を慎重にうかがう。

「ただひとつ、実際にそうする前に、確かめたいことがありますのよ」
「……なに?」

 カイネは眉をひそめる。ソニアは得意気にほほえみ、ぱちんと指先を弾いた。
 一体の人形が、こつこつと音を立てて階段を降りてくる。
 ひとりの男を模したらしいその人形は片手に剣を、もう片方の手に輪切りにされた人形の胴体を抱えていた。

 それはイルドゥの首から切り離された胴体に相違ない。では、その男こそがイルドゥを返り討ちにした張本人なのか。

 その男は無言のまま胴体を放り投げ、イルドゥの首に折り重ねた。がしゃんとけたたましい音が地下室内に響き渡る。

「どうかしら、カイネ殿。……この男に見覚えはないかしらねぇ?」
「ぴんと来ん」
「……わからないなら、わかるようにしてあげるわぁ」

 男はソニアの前に歩み出て、灯火のもとに姿を晒す。
 それは年の頃五十かそこらの精悍な男であった。身体はどちらかと言えば小柄だが、目だけは炯々と鋭い。髪はほとんど白髪であり、肌は古木のように渇きつつもしなやかだ。片手に持つのは細身の両刃剣で、彼はカイネに相対しながら手慣れた調子で両手に構え直した。

 その構えでようやくカイネは察した。
 察せざるにはいられなかった。

「……まさか……いや、おまえさん、本気かえ……?」
「気づいたようねぇ。……ふふふ、あなたに関わりのある呪物を手に入れるのはさすがに骨が折れたわよ?」

 護国の英雄カイネ・ベルンハルト――――
 それはまさに、五十年戦争において現役だった頃のカイネの似姿であった。

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