剣豪幼女と十三の呪い

きー子

二十/別離

 クラリーネのことばが喚び起こした反応は劇的だった。
 クラストは頭を軽く押さえながらもゆっくりと身を起こしてクライヴに向き直る。

「――馬鹿な!? なぜ、なぜだ!? 何が起こっている!?」

 クライヴはふたつの信じがたい出来事に目を見開く。
 ひとつはクラリーネの宣言そのもの。
 そしてもうひとつは、クラストが自らの支配下から脱したことであった。

「どうした。いきなり治っちまったってのか?」
「……わからない。僕の頭の中に響いていた声が、すっと引いていって……僕が何かしたってわけじゃあないんだけど」

 カイネはその様子を観察しながら得心する。
 クライヴの絶対的な支配下にあったはずのクラリーネがそこから逃れた、という事象はクライヴの支配力を弱めることに通じるのだろう。
 三年間ずっと支配下にあった彼女が逃れられるのならば、クライヴに大した力はない、と。

「私はカイネ・ベルンハルトを殺せません。兄君を殺せません。我が身は剣でも、盾でも、鎧としてもあれなかった――――私は、ただの人だった」
「やめろッ! おまえは我が娘わたしのものだ!! 我が血族の末裔わたしのものなのだ!! それ以外の何かであってなるものかッ!!」
「諦めるがよい」

 その言葉をばっさりと斬り捨てる声があった。
 クライヴはカイネに視線を移す。
 憎悪を含んだ眼差しであった。

「人は誰かのものではない。例えおまえさんの土地であろうが、おまえさんの血が流れるものであろうが、そこにいる人々はそこにいる人々でしかない――おまえさんのものなどでは、断じて、ない」
「やめろッ!! 貴様などに何がわかる!! 我が土地わたしのものでなければ誰が心を割く!! 私のものを……我が領民わたしのものをどう扱ったところで何が悪いッ!!」
「父君よ」

 クラストは片眼鏡をそっと上げ、一枚の羊皮紙を突きつける。
 村代表の名前がいくつも記された連判状。

「これが証だ。民は父君の意に従うために生きているわけじゃない。僕は見捨ててくれてもいいが、どうか民は見捨てないでほしい。今一度考え直して、全てを受け入れてくれませぬか」

 クライヴはわなわなと手を震わせながらそれを受け取る。
 先ほどは見向きもしなかった紙面に目を落とし――そして、全幅の力を込めて縱橫に引き裂いた。
 千々に破り捨てられた羊皮紙が宙を舞う。

「ふざけるな!! 我が領民が……我が娘が……私のもので……私のものではないというのならば……!!」

 クライヴは鋭い視線を部屋中にくまなく走らせ、やがてクラリーネに目を留めた。
 彼は護衛の魔術師の存在を意にも介さず歩きだす。

「貴様が私のものでないならば!! 貴様の屍を葬り、我が血族の墓標に名を刻む他にはない!!」
「…………父君」

 クラリーネは声を震わせる。
 まさにこうなることを恐れていたようだった。
 あるいは、こうなることを薄々察して道具に徹していたのかもしれない。

 カイネは妖刀・黒月の柄に手をかけ、

「カイネ殿。僕がやる」
「おれの手はもうずいぶん汚れておる。なにもおまえさんが手を汚さぬでも」
「カイネ殿の言いたいことはわかる。でも、僕がやらなきゃいけないと思う」
「……左様か」

 クラストの言葉に従い手を下ろした。
 クラストはクライヴとクラリーネの間に割って入る。クライヴの行く手を阻むように。

「…………兄君」
「すまなかった、クラリーネ。僕のせいで辛い思いをさせてしまった」
「そんな、こと――」
「後のことは、僕に任せてくれていい。いやな思い出のある場所に留まることはない」

 クラストは懐の杖を抜いてクライヴに向ける。
 それはもはや人の言葉を発していない。
 彼はさよならと一言つぶやき、詠唱した。

 この日、クライヴ・ルーンシュタットは四十五年の人生に幕を下ろした。
 後年の書には『よく土地を治めたが晩年に狂を発し、親族の手によって討たれた』とある。

 ***

「カイネ殿。この度は何から何まで、まことにありがとうございました。私どものようなものの申すことではございませんが、どうかご自愛なさいますように」
「いやなに、おれも自分の目的のためであったからな。礼を言われるようなことはしておらんよ――というか」

 カイネは手荷物を片手に村の入り口をぐるりと見渡す。
 そこには数十人という村人たちが勢揃いで見送りに来ていた。

「……ここまで盛大に見送ってくれんでもよいのだぞ?」
「我々の恩人の出立ですから!」
「気苦労というのならおれよりもクラストのほうが大きかろうさ」

 カイネは村長の言葉に思わず苦笑する。
 結局、ルーンシュタット領主の座にはクライヴ・ルーンシュタットに替わってクラスト・ルーンシュタットが就任した。
 領主の代替わりを報せるのはジョッシュの仕事である。表向きには何事もなく代替わりが済んだことになるだろう。
 森林部の〝禁域〟も無事支配下に置いたことで目下の厄介事は消えたようである。

「は……先代についてはとても残念なことですが、クラスト殿ならば安心です」
「その言葉はあやつに直接言うてやっとくれ」
「はい。ぜひそのように」

 村長、その他大勢の村人たちに盛大に見送られながらカイネは待ちぼうけていた馬車に乗り込む。
 中にはすでに先客があった。

「すまぬ。待たせてしもうた」
「ずいぶんなお見送りじゃねえか、カイネ殿。もう一晩くらい泊まってくかい?」
「やめてくれ。おれはこの身体を早いとこどうにかしたい」
「だろうな。じゃあ出るぜ、カイネ――と、嬢ちゃん。派手に揺れるからちゃんと掴まっとけよ?」

 ジョッシュは御者台から振り返り、カイネともうひとりの少女――クラリーネに言う。

「……クラリーネ」
「って呼んで構わねえのかい?」
「べつに」
「うむ。ではおれもそうしようか」
「え」
「冗談だ」
「……そう」

 むっつりとした表情で背もたれに身を委ねるクラリーネ。
 彼女は簡素な布のワンピースを着て、膝の上に銀色の球体を抱えていた。

「時に、クラリーネ殿よ」
「なに」
「その丸いのはなんだ」
「……甲冑だったもの」
「意味は?」
「落ち着く」
「左様か……」

 落ち着くのならば仕方ないとカイネはさじを投げた。
 ジョッシュは二頭立ての一角馬に指示を出して馬車を出発させる。
 クラリーネはしばし無言で森ばかりの景色を眺めていたが、ふとカイネに向けて言った。

「……ついてきて、よかったの?」
「おれが聞きたいくらいだが。よいのか、付いてきてもろうて」
「……うん」

 貴重な呪術師として魔術学院まで来てくれぬであろうか――――
 というカイネの誘いに応じ、クラリーネは馬車に乗り合わせていた。
 カイネの呪いについては「一朝一夕で解けるようなものではない」とのことだが、「解析を続ければわかることがあるかも」とも言っていた。

 クラストは大手を振ってクラリーネを送り出してくれた。
 国内最大の魔術研究機関にクラリーネを招き入れて呪術の知識を敷衍すれば、クラストの掲げていた理念にも適うということであろう。

「すまぬな。久しぶりの再会であったろうに」
「…………兄君も、気まずそうだったから」
「あー……」

 あの父親とはいえ父殺しの負い目があるということか、とカイネは納得した。

(……だからおれがやると言うたであろうに)

 それもクラストの生真面目さゆえか。
 おそらく、今改めて問い直しても同じ選択をするに違いあるまい。

「……久しぶりに、色々話せたから」
「ならば、よいのだがな」

 カイネは頷き、ふと物憂げな表情になる。
 クラストからはひとつ気がかりな話を聞かされていたのだ。

(……あやつめ。縁起でもないことを言いおって)

 ***

 クライヴ・ルーンシュタットの葬儀を済ませてから数日後。
 カイネはクラストから屋敷の書斎に招かれていた。
 その日の彼はだいぶ落ち着いた様子で、以前と変わらず気取らない話しぶりであった。

「カイネ殿、ひとつ聞きたいことがあるんだけど」
「うむ。なんだ」
「カイネ殿は確か、呪われてるって言ってたよね?」
「おうとも。……おまえさん確か、呪われてるとも気づかんかったと言っておったろう」
「お恥ずかしながらその通り。それで、そういえばどんな呪いか聞いてなかったな、って思ってね」
「……それはすまぬ。てっきり話しておったかと」
「色々ありすぎて僕も失念してたんだ。というわけで、教えてくれるかな?」
「うむ」

 カイネは素直に呪いの内実、そして呪いを受けた経緯も包み隠さず伝えた。
 するとクラストはやけに深刻そうに表情を曇らせていく。

「……無言で渋い表情をするでない。不安になるであろう」
「ご、ごめん。……でも、いや、少し変だなと思って」
「なにがだ」
「カイネ殿は……産まれたときは男で……つまり、本当は男の姿ってことだね?」
「うむ。男というか、爺さんも爺さんだがな」
「だとすると、ひとつおかしいことがあるんだ」
「……なに?」

 カイネはいぶかしげに目を細める。
 クラストは自らの片眼鏡にそっと手をかける。

「落ち着いて聞いてほしいんだけど……この眼鏡の力は以前にも言ったよね?」
「うむ。魂の形を暴き出せる、とか言うてたか――ところで、魂の形とはなんだ」

 以前はそれどころではなかったので聞き流したが、カイネは今さら気になって問う。

「そう。そこだよ」
「……?」
「魂の形とは、その人本来のあるべき姿。有り体に言うなれば肉体――非理の業で歪められていない肉体の姿を指すんだ」
「……であるから、ガストロの時は肉片を見ただけで五体備わった人間が見えおったわけか」
「その通りだよ」
「つまり――いまのクラスト殿には、おれの本来の姿が見えておるわけか」

 カイネの本来の姿とはつまり、身の丈五尺150cmにも満たない痩せた老爺である。
 だが、クラストはひどく真面目な顔で言った。

「ええと、いいかい、カイネ殿。よく落ち着いて聞いてほしい」
「かまわぬ。もったいぶるでないよ」
「……わかった。なら、率直に言わせてもらうけど――――カイネ殿の魂の形と今の姿は、寸分違わず一致してる﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅んだよ」
「――――……な、に?」

 その言葉は、今までにないほどの衝撃をカイネにもたらした。
 自分は一〇〇歳を超えた老人のはずなのに、魂の形に至るまで女児の姿をしていると言われれば、驚かないほうがどうかしている。

「ほ、本気か。おまえさん、それを本気で言うておるのか?」
「あぁ、本気だよ。なんなら鏡で見てみるかい?」
「……いや、よい。さすがに頭がおかしゅうなるかも……いや、やっぱり確かめさせてくれ。にわかには信じられぬ」
「……だいぶ動揺しているようだね。確かめるのは後にしようか」
「ぅ、うむ。そうさせとくれ」

 カイネは焦りを隠しきれないまま頷く。
 思えばどうして気づかなかったのか。クラストの片眼鏡の力と、カイネに対する反応を照らし合わせればすぐに気がついても良さそうなものである。
 まさか記憶がおかしいのか。初めから呪われてなどいないのか――しかしクラリーネはカイネが受けた呪いの原理を見極めてみせた。

「ひとまず、カイネ殿が呪いを受けたということを前提にすれば……その呪いは、魂の形まで書き換えてしまうほど強力なものということになるね」
「……相分かった。そういう可能性がある、としたら少しは話が飲み込めてきたぞ」
「なにせ開祖の呪術だからね。僕たちのような使徒でも彼女のほんの一端しか知らないんだ。充分にありえる話だよ」

 クラストはそう言って話を締めくくる。
 数分後、クラストの片眼鏡越しに見た鏡像は、齢二桁に届くかどうかという幼い少女の形をしていた――――

 ***

「……カイネさん。顔色悪いよ」
「そ、そうかの。気のせいであろうよ」
「なら、いい」

 クラリーネはふんすと鼻を鳴らして座り直す。
 馬車はたいそう揺れていたが、彼女はさほど堪えていない様子である。

「そいつぁ珍しいな。帰りの天気は荒れるかもしれんね」
「そんなに」
「余計な茶々は入れぬでよい」
「へいへい。おふたりさん、酔ったんなら早めにな」
「ん」
「わかっておるよ」

 カイネは気を取り直し、クラリーネに視線を向ける。

「おまえさん、あの魔術師どもは置いてきたのだな」
「兄君に必要」
「ちゃんと言うこと聞くのであろうな……」
「そのうち帰るって言ったから」
「ひとりふたりは連れてきてもよかったであろうに」
「……目付役を増やすこともない」
「はは。まぁしばらくは辛抱しておくれ。学院側で部屋のひとつくらい手配できるであろう」

 カイネは目を細めて薄くほほえむ。と、クラリーネはきょとんと目を丸くした。

「一緒に暮らすのでは」
「……ええと、おまえさん、そのつもりで?」
「うん」

 クラリーネは屈託なく頷いてみせる。
 カイネは神妙に眉間を指先で押さえた。

「その話は学院に着いてからにしようかの。部屋の空きがあるかどうかも知れぬ」
「どんなところ」
「……おれは部外者のようなものであるからな。最先端の研究機関にして新鋭魔術師の養成機関、とでも言えば聞こえは良かろうが」

 魔術師と呪術師では分野が違う、とはいえどもクラリーネに匹敵する魔術師はなかなかいないだろう。
 カイネの知っている生徒たちを指折り数えながら首をひねる。

「何はともあれ、おまえさんと同年代のものには事欠かぬであろうよ」
「楽しみ」
「うむ。それはよかった」

 クラリーネにしてみればここ数年は陸の孤島に隔絶されていたようなもの。
 外界に出て多くの人々と触れ合うのは良い経験になるだろう。
 無論、良いことばかりではないだろうが――

「言っとくが、それなりに長旅になるからな。クラリーネ嬢はそこんとこよろしく頼むぜ」
「わかった」

 ジョッシュに言われて素直に頷くクラリーネの姿を一瞥し、

(色々とあったが――なかなかどうして、悪くない結果ではあろう)

 と、カイネは満足げに目を瞑った。


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