剣豪幼女と十三の呪い

きー子

九/応報

 クベルはいち早く異変を察した。
 さほど広くもない部屋の中に置いていたはずの一振りが、少し目を離した隙に消失していたからだ。

 記憶違いか、別の場所に置いたのか――
 ほんの少し前の自分を疑うが、部屋の中には影も形も見当たらない。

 まさか。
 と、クベルは円盤ソーサーをともなって二層から階段を下っていく。

 初めに認識したものは異臭であった。
 地の底から立ちのぼる血なまぐさい臭いがクベルの鼻をつく。
 その次に認識したのは色だった。
 地面に、壁に、土気色の岩盤にべったりとこびりついた血の色。

 そして、
 三層から四層への階段に所狭しと転がる十数もの死体。
 彼らの屍を踏みしだくように、ひとりの少女が立っていた。

「……あなた、は……」
「きおったか」

 いたいけな面差しの少女――
 カイネ・ベルンハルトは返り血に濡れた顔をクベルに向ける。
 その表情はあまりに何の変哲もない。
 十数人もの人間を斬り捨てた感慨を感じさせるものはどこにもない。
 探していた知人を見つけたような気軽さで、カイネはクベルに目を留めた。

「……あなたは、なんなのです?」
「ちょうど、おまえさんを探しておったのだ」

 少女は何の気なく血を踏みしめ、屍を飛び越えてクベルに肉迫する。
 彼はにわかに〝杖〟――胴回りを旋廻する円盤を励起させた。

「私の、話を――」
「聞かぬ」

 ひゅん。
 と、風の音が吹き抜ける。
 血に濡れた少女のかんばせが目の前にある。
 犠牲者の血を吸い尽くしたように染みひとつない刃が振り落とされ、刹那、銀の円盤は真っ二つに断ち切られた。

「――――ッ、な!?」
「腕は、いらんな」

 ぽつり、とつぶやくとともに振り切られた刃が翻る。
 次の瞬間、跳ね飛ばされたクベルの右腕が空を舞っていた。

「あッ――――が、ぎゃッッ!?!?」
「静かにせよ」

 カイネは刀の柄尻をクベルの口に叩き込んで黙らせる。歯が数本はじけ飛ぶ。クベルの痩身がもんどり打つ。
 彼は狐のように細い目を見開き、苦痛にうめきながら顔を上げた。

「な、あ、なに……なにをッ……!!」
「おれの質問に答えろ、さもなくば死ぬぞ。引き伸ばせば引き伸ばすだけ死が近付くぞ」

 クベルに疑問を差し挟む余地は一切なかった。
 カイネの言う通り、断ち切られた腕の付け根からは刻一刻と血が溢れ続ける。
〝杖〟を失った魔術師は、あまりにも無力だった。

「な……あ、な、なにをッ、なにを聞きたいのですッ!?」
「略奪した物資を保管している場所。それと、出口に通じる道をすべて案内せよ」
「ッ……う、そ、それは……!!」
「死にたいのならそれでよい。じわりと死ぬか、それともいますぐ死ぬか」
「い、い、いえッ!! 案内……案内しますッ!!」

 クベルはひっきりなしに痙攣する身体を引きずり起こしながら言う。
 ガストロに反逆する恐怖よりも、すぐそこに迫りつつある死の恐怖が勝ったのだ。
 この娘は何者なのか、何を呼び込んでしまったのか、なぜ自分がこんな目に――――
 負の思考を堂々巡りさせる間も、彼の脚はひとりでに貯蔵庫へと動いた。

「ふむ。……おれの服もここにあるのだな?」
「う……は、はい。確か、そちらに……」
「探せ。はような」
「っ……は、はい……」

 クベルは霞みつつある頭の中の記憶を頼りにカイネの服を探し当てる。
 着衣一式を差し出すと、カイネは血濡れた裸身を隠すように着替え始めた。
 ――その間にどれだけ逃げ出そうと考えたことか!
 もっとも、その時間はクベルが逃げるにはあまりに少なすぎた。

「よし。急げよ」
「はァッ……は、はい……ッ」

 このような姿で生き延びてどうしようというのか。
 知ったことではなかった。純粋な死の恐怖がクベルの背中を押していた。
 秘密の出口に繋がる通路の隠し場所――合計三つある隠し通路をクベルは全て明らかにした。
 その間、傭兵団員とすれ違うことは一度もなかった。
 生き残りなどもう誰ひとりとして存在していないかのように。

「……ふぅむ。これで全てか?」
「は、はい。ですから、もう……」

 三層の一角――岩壁に見せかけた隠し扉の前。
 クベルは右腕の切り口を押さえながら苦痛にあえぐ。

「ほう。……では聞きたいのだが」
「な……なんです?」
「女二十人ほどを連れて逃げるにはどこからがよいと思う?」
「ッ、な……」

 その時、クベルはようやく少女の目的を理解した。
 牢屋に囚えた女たち全てをここから解放するつもりなのだ、と。
 もしそれを実行に移されでもしたら――例えこの場を生き延びようが、間違いなくガストロに処刑されるだろう。

「ば、馬鹿なッ!! そんなこと、できるわけがッ――」
「人里に近い道を教えよ、というておるだけだ。簡単な話であろう?」
「無茶苦茶だ!! どうせみんなガストロ様に殺されるッ!!」
「あぁそうだ。やつの力を聞いておかねばならんな」

 思い出した、というようにカイネはクベルのローブを引っ掴む。
 クベルは全身を震わせながら叫んだ。

「あの方は――ガストロ様は、不死身なのです!! 絶対に、誰にも殺せやしないッ!! 全て無駄なんですよ、あなたのやろうとしていることはッ!!」

 ***

「……不死身、とな?」
「ええそうです。何度帝国から追手をかけられようと、ガストロ様は決して死ぬことがなかった! 文字通りの不死身なんですよッ!!」

 カイネはいぶかしむように目を細める。
 目を剥いて絶叫するクベルは正気を逸したようにも見えるが、その言葉に嘘偽りはうかがえない。

「不死身、と呼ばれていた男ならいくらでもおったがな」

 もっとも、彼らは皆死んだ。
 生への執着はさほどないカイネが〝不死身イモータル〟に限りなく近いというのは何とも皮肉な話である。

「そうじゃあない! 本当に、本当に死ななかったんですよ、ガストロ様はッ! 何度息絶えようと、心臓の鼓動を止められようと、それでも蘇ったのですよ!!」
「……それはなんとも奇妙なことよ」

 クベルの瞳には恐怖があった。
 カイネは得心する。彼がこの期に及んでガストロへの忠誠を捨てないのはそのためか。
 死してなお蘇る相手と敵対するのは全く得策とはいえない。

「ですからッ! ですから早くッ、このような馬鹿な真似は――」
「まぁ、試してみればわかるであろう」
「……は?」
「どのみち敵に回すのは決まっておる。やつが不死身だからなんだ、女たちを囚えておるのを看過せよと?」
「それがあなた方にとっての最良の選択なのですよ!! 例え女たちを助けようが、ガストロ様はまた奪い返す! それも今より苛烈に――」
「やかましい」
「ぐげえッッ!?」

 腰の入った蹴りがクベルの脇腹に突き刺さる。彼は顔面から地面に倒れこんだ。

「率先してそれを手伝っておったおまえさんがなにを抜かす。立て」
「うううッ……!!」

 副団長、というからにはガストロの信頼を得た立場であろう。
 牢屋前での物言いからしても、女たちに手を付けていたことは容易に察せられる。
 カイネは身を起こしたクベルの背中を押して第四層へと向かう。

「ッ……な、なにを……そちらには、何もッ……!!」
「おまえさんにふさわしい死をくれてやる」
「……は? え……?」

 クベルは理解しかねるように目を白黒させる。
 血を流しすぎたか。それとも本気で思い当たらないのか。
 傷口からしたたる血流が点々と地面に染み込んでいく。

「……か、カイネさんッ!?」
「その血……!!」

 四層の牢屋まで戻ったそのとき、女たちは驚きの声を上げる。
 カイネは制服を着ていたが、白いかんばせを濡らす返り血までは隠せなかった。

「あぁ、すまぬ。案ずるでない。これはおれの血ではないのでな」
「……その、方は」
「今から片を付ける。気にせぬでくれ」

 女たちからクベルへと向けられる憎悪に近い視線。
 片腕を斬り落とされた姿を晒してなおこれなのだ。
 クベルはにわかに身をこわばらせるが、カイネは構わず背中を押し続けた。
 向かわせる先は、決まっている。

「――――ッ、まったっ!! 待てっ、待ってくださいッ!!」
「どうした。おまえさんのしたことをされるだけだろう?」
「やめ……やめてください、やめてくれッ!! どうかそれだけは……ッ!!」

 鉄格子の奥に閉ざされた極小の部屋がクベルの視線の先にある。
 人ひとりが寝転がることもできない空間には、人体の焼ける臭いがかすかに残っていた。

「そう頼まれてやめたことが、おまえさんに一度でもあったか?」
「あ、ありますッ!! ありますとも、その男は――」
「左様か。ならばその一度の慈悲を天の主に祈るがよい」

 カイネは鉄格子の戸を開け、クベルを鉄格子の奥に蹴り入れた。
 男のやつれた背中が岩盤を叩く。
 がしゃん、と音を立てて扉を閉ざす。外から閂型の鍵をかける。

「やめ……お願いしますッ、どうかそれだけは!!」
「おれは聖職者じゃない。祈りは聞かん」
「やめ……やめろ、やめてくれえぇぇッ!!」

 男に残された腕が鉄格子を揺さぶる。
 カイネは扉横の鉄輪に手をかけ、ぐいと力強く引っ張った。

 瞬間、くぼみの上下から火が噴き出す。極小の空間に炎が満ちる。
 男の痩身はすぐにも炎の蛇に取り巻かれた。

「ッッ――――ああああああぁぁぁッッ!!!」

 絶叫。
 人体が焼け、焦げつき、大気が爆ぜる臭いを間近に感じる。
 がしゃがしゃと鉄格子が引っ切り無しに揺さぶられ、そして、それもすぐに途絶えた。
 クベルが黒焦げの肉塊と化す光景を見届けてから背を向ける。
 埋葬されることなく捨て置かれた屍は永久とわに現世と冥府の狭間をさまようという。

「……カイネ、さん」
「すまぬ、余計な時間を食った。道は聞き出せたが、まだいくつかやることがある。付いてきてくれるか」

 カイネは彼女らひとりずつに目を向ける。
 二十一人の女たちにひとりとして欠けはない。
 彼女らはお互いに視線を見合わせ、息を呑み――そして、それぞれに頷きを返した。

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