剣豪幼女と十三の呪い

きー子

二十/十三番目の呪い

 カイネは地下牢への階段を降りていく。
 地下のひやりとした空気が少女の白い頬を撫でる。

「見張りはどうしておる?」
「衛兵四人を交代制で。それと、監督役を教員からひとり当たらせております」
「大人しいものだな。……このまま何事も無ければどうなる?」
「それは私の判断するところではありません。……ですが、おそらくはファビュラスと同様でしょう」

 ファビュラス・ゾーリンゲンの姿はどこにも無い。すでに裁判所へ移送された後なのだろう。

「こちらですわ。アーガスト教授、彼の様子は?」
「特に何も。目的を尋ねましたが、相変わらず反応を見せる気配はない」

 と、ある独房の前でユーレリアは足を止める。
 そこには四人の衛兵とアーガストが控えていた。

「……左様であるか」
「おぉ、カイネ殿。お怪我など無かったようでなによりだ」
「おまえさんこそ。大事なかったようで幸い――それで」

 カイネは独房に目を向ける。
 鉄格子の向こう側。蛇のような目をした深緑ローブの男――ベイリン・ラザロヴァは椅子に拘束されていた。
 両手首は手枷にはめ込まれ、例え杖を隠し持っていようとも振りかざすことすらままなるまい。

「久しゅう顔を合わせたな。ベイリン・ラザロヴァよ」

 カイネの呼びかけに、彼は細面の顔をゆっくりと起こす。

「……これはこれは、カイネ・ベルンハルト殿。まさか、まさかあなたが私と面会して下さるとは思いもよりませんでしたなぁ」
「白々しいことを。おまえさんが要求したのであろうが」
「ふ……はははっ、これは手厳しいですねぇ。私はあなたにとって、有益な情報を与えられるはずなのですがなぁ?」

 カイネはちいさく鼻を鳴らし、アーガストを一瞥する。

「こやつは何を答えた――何を答えなかった?」
「ラザロヴァ家が事件に関与していること、襲撃者のことなどはすでに自白した。……だが、貴殿に関わることについてはだんまりだ」
「左様か。……おまえさんが何を知っておる。マギサ教とはなんだ。おまえさんはマギサ教の末端構成員に過ぎぬのではあるまいか?」
「はははっ、ご冗談を。マギサ教の末端構成員など〝存在しない〟のですよ、カイネ殿。……ひとつずつお答えいたしましょう」

 やはりか、とカイネは得心する。
 アルトゥールがもたらした情報からして少数精鋭であることは予想ができた。
 ユーレリアは懐から紙を取り出し、ベイリンの口述を書き付ける。

「マギサ教とは、十二の使徒とその分派からなる集団です。曖昧な連帯を築いておりますが、一枚岩ではありませんな」
「……仲間ではない、と?」
「同志ではありますがねぇ。中には気に入らない連中もいるわけでして……こうして内情をペラペラと喋るのもやぶさかではないわけです」
「つまり、おまえさん――ラザロヴァ家とは、十二の使徒とやらに連なる一族であるわけだ」
「その通り! それも、我々の一族はあなたの存在にかねてから目を付けていたようでしてねぇ。あなたが魔術学院に封じられたと知るやいなや、ここに潜り込んだわけです。今こうして、あなたが目覚める時のためにねぇ」
「……なんと。二百年越しの計画だと?」

 カイネがユーレリアを一瞥すると、彼女はこくりと頷いた。

「……〝神殿〟にカイネ殿が封じられて以降、ラザロヴァ家の魔術師はほとんど絶えず魔術学院に籍を置いています。……アーガスト教授の報告が無ければ、とてもではありませんが疑うのは難しかったでしょう」
「いやはや、アーガスト教授にはしてやられましたよ。おかげさまで私はカイネ殿の第一発見者にもなり損なった。よほどカイネ殿を気にかけていらっしゃるようですねぇ?」
「無駄口を叩くな」

 アーガストは表情に苦渋をにじませて言う。

「おやおや、これは失礼。……ともあれ、まさか二百年も待つことになるとは考えてもいなかったでしょうがなぁ」
「それで、おまえさんがおれを狙った理由はなんだ。……先祖代々の悲願とでも?」
「その質問に答えるためには、まず、我々にとってあなたが何なのか、を説明する必要がありますねぇ」

 ベイリンは蛇のように細い眼差しをさらに細める。
 その目はひとえにカイネだけを見つめている。

「おまえさんらの開祖を殺した仇……ではない、と?」
「いえいえ、それも間違いではありません。仇討ちを考える使徒もいるでしょうがねぇ――――あなたは、〝十三番目の呪い〟を宿した貴重な検体なのですよ」
「……おれに魔術はわからん。簡潔に言え」
「ふははっ、ご安心を。学院の魔術師ですら呪術に関しては素人とさほど変わりありませんからなぁ。……いやいや、私ですら素人に毛が生えたようなものかもしれませんが」

 ベイリンの口元が裂け目のように開く。アーガストは懐の杖を強く握りしめる。

「開祖アーデルハイトは十二の呪いを残して逝った。これを継いだのが十二の使徒であり……この世に残る呪術とは、大別してたったの十二種ということですよ」
「……そんなに少ないのか?」

 カイネはアーガストに問う。
 彼は表情をこわばらせたまま声を荒げた。

「否だ。――そんなに〝多い〟はずがない。呪術について明らかなことは四つの原理原則のみ。体系化された技術など、この世に現存するわけがない! 現存するのならば、それが広まっていないのはあまりにも不自然すぎる!!」
「ふはははっ、あなたは現在の常識に囚われすぎていますねぇ、アーガスト教授! それこそは我々マギサ教が開祖アーデルハイトの偉業を受け継ぎ、守り、密かに伝え続けてきた成果なのですよ!」

 カイネはふたりの対話を耳に入れながら黙考する。
 十二使徒。十二の呪い。そして〝十三番目の呪い〟。

「つまり……おれにかけられた呪いを受け継ぐものは、存在しないということか」
「その通り。カイネ殿は実に理解がお早い!」

 ベイリンはちいさく肩を揺らし、まとわりつくような目付きでカイネを見つめる。

「十三番目の呪い〝不老不変エターニティ〟。それがあなたに施された呪いです。どうです、腕の一本や二本は吹き飛んでも無事だったのではありませんかねぇ?」
「それは知らんが」
「……なんとまぁ。当家精鋭の魔術師部隊をもってしても四肢のひとつさえ落とせぬとは、驚嘆する他ありませんなぁ」

 男の言葉が本当かどうか確かめる気にはならなかった。
 しかし、〝カイネの遺体を傷つけるあらゆる試みは失敗した〟という記録とも整合する。

「我々マギサ教にとって、あなたの肉体にはとても大きな価値があります。すでに現存しない呪術を手に入れるための貴重な鍵となり得るのですからねぇ。もし独占することが不可能であれば、消し去ってしまうことも選択肢のひとつでしょうなぁ」
「……独占?」
「そうです。あなたにかけられた呪いは、我々マギサ教が受け継ぐ呪術をいくつも掛け合わせたような……言うなれば、開祖アーデルハイトの呪術の集合体とも言うべき代物。それが表立って流出するのはあまり望ましくないのですよ」
「妙なことを言う。……ならば、なぜそんなことをおれに教える?」

 カイネはにわかに眉をひそめる。ベイリンはなおも笑みを深める。

「この程度は少し呪術に通ずるものが調べればわかること。……それに、ラザロヴァ家はもうおしまいだ。あなたの力は、私の予想をはるかに超えていたのですよ」

 ベイリンはそう言ってふと目を伏せた。

「――――〝我が意のままなる身を我が身と定め〟」

 その声を聞いたユーレリアがはっと目を見開く。

「止めなさい!! 筒、構えッ!!」
「はッ!!」

 衛兵たちは鉄格子の隙間を通すように〝筒〟をかざす。
 ベイリンに向けられた四つの銃口は即座に幽体弾を射出した。

「〝ゆえに 我が身を我が意のままとせよ〟――――」

 ベイリンが言い終えるより早く不可視の弾頭が直撃する。
 無防備な彼の細面は果実が割れるかのように弾け飛んだ。

「おまえさんら、今すぐ退けッ!!」

 瞬間、カイネが叱咤する。
 ベイリンの頭蓋の輪郭が波打つように歪み、たちまち元通りの形を取ったのだ。

「――――それに、今ここであなた方をまとめて仕留められるなら、何を話そうが同じことではありませんかねぇッ!」

 ベイリンは彼を拘束していた縄をすり抜けて立ち上がる。
 手首にはめられていた手枷がひとりでに床に落ちる。

「ば……化け物!!」

 恐慌状態に陥った衛兵たちは二度、三度と引き金を引く。
 不可視の弾頭はベイリンの身体をすり抜け、独房の壁を穿つのみに終わった。

「我が名はベイリン・ラザロヴァ。マギサ教十二使徒にして七番目の呪い〝幽体化ヴィジョナライズ〟を受け継ぐもの」

 ベイリンが腕を一振りすると、手の先に杖型の幽体アストラルが現れる。
 彼がそれをかざすやいなや、独房内に手のひら大の火の輪が生じた。

「う、あ、あ……」
「吹き散れ、〝火輪光冠〟――」

 かっ、と眩い閃光が地下牢内に拡散する。アーガストがユーレリアの前に飛び出す。
 ――――その時。

「退け、と言うたであろうがッ!!」
「ぐええッ!?」

 カイネは石床を蹴り、衛兵たちを足蹴にしてさらに加速した。
 横薙ぎの一斬が鉄格子を切り開き、返す刀で火の輪を両断する。
 火の輪――術式を構成していた幽体は大気中に拡散、発現を待たずに消滅した。

「ふ……はははっ、これは見事! 術式そのものを斬るとは、万蟲太母グレートマザーを屠っただけのことはありますねぇ!」
「おまえさんも、ここで斬らせてもらう」
「斬れますかねぇ? あなたの剣とて、あなた自身の呪いは斬れなかったのでしょう?」

 カイネは三歩5mの間合いでベイリンと対峙する。
 へたり込んでいる衛兵を一睨みすると、彼らは慌ててユーレリアのかたわらまで後退した。

「――この世に斬れぬものなどありはしない。斬れぬものがあるとするなら、それはこの世に無いものだけだ」

 カイネは断言してベイリンの姿を注視する。輪郭が波打つような彼の躯体には見覚えがあった。
 おそらく、アーデルハイト・エーデルシュタインの身体と本質は同じ。
 カイネは肩に担ぐがごとく、身の丈ほどもあろうかという一振り――妖刀・黒月を構えた。

「結構。あなたがそう仰るならば、どうぞ試して――」

 ――――ひうん。

 と、ベイリンが口を閉ざすより早く剣風が吹きすさぶ。
 斜に斬り下げる刃が駆け、後から銀の煌めきが抜けていく。

「……む」

 肉を斬ったには程遠い手応え。
 ベイリンの肩から腰にかけてが切り離され、ふたつの影に分かたれる。
 躯体の断面は黒い糸を引くようにうごめき、たちどころに再結合した。
 カイネは残心するとともに眉をひそめる。

「――ふ、ふ、はははッ! あなたは確かにッ、確かにアーデルハイト陛下を斬り伏せた御方のようだ! ……だがッ! だがしかし、我々もこの二百年間、受け継ぎし呪いに磨きをかけたのです! その剣はもはや通用しませんねぇッ!!」
「……なるほど。あやつは、斬られることを想定しておらなんだか」

 かつて一刀のもとに斬り捨てた女王とは一味違う。仮に斬られたとしても瞬時に再構成される保険付き。
 カイネはにわかに目を眇め、ふと一計を案じた。

「〝汝の身は汝の意のままにあらず――――汝の身がこの世にあるかぎり〟」

 ちいさな身体が呪言ことばとともに疾駆する。
 全速力を踏み込みに乗せ、華奢な腰をひねり、いたいけな手からしろがねの剣光が振り放たれる。
 妖刀が描いた軌跡は狙い過たずベイリンを上下に二分した。

「何度やっても同じことッ! この呪いが顕在である限り、我が身が滅びることは決して――」
「ならば、己の身体を見よ」
「――え?」

 ベイリンは言われるがまま腹部に目を落とす。
 一刀両断された躯体の断面に浮き立つ黒い泡。
 先刻は斬られた直後から再生を始めていたが――今やその兆候は皆無であった。

「……え……なっ……ひいいぃぃぃぃぃッッ!?」

 黒い断面が小刻みに振動する。躯体から分離した幽体アストラルがほうぼうに飛び散っていく。
 まるで崩壊を予兆するようなその現象は、すでに断面のみならずベイリンの身体全てを蝕みつつあった。

「……おれにもやれるのだな、呪術というやつは」
「ば……バカなッ!! こんなバカなことがッ!!」

 カイネは今の身体に変えられた時のことを回想する。
 アーデルハイトはカイネの言葉を依代にして呪いをかけた。
 ならばと考えたのだ――それと同じ方法でベイリンの呪いを無力化できるのではないか、と。

 斬れぬものはこの世になく、この世にあるものは必ず斬れる。
 誇大妄想にも等しい剣の術理は時に現実を凌駕する――その様は呪術にも酷似していた。
 ゆえに無自覚であれ、カイネ・ベルンハルトが呪術の適性を有するのは当然の帰結とも言えよう。

「我々はッ!! 我々は二百年かけて技を磨き、洗練し続けてきたのだぞッ!! それを、このような……このような、小手先の付け焼き刃で……ッ!!」
「後生大事に秘匿しておるから小手先の返し技にも対応できんのだ。さっさと世に広めておくべきであったな」

 カイネはすげなく言って血払いする。
 小刻みに揺らぐベイリンの身体は今にも弾け飛びそうだった。

「おのれッ!! おのれッ、あなたのような素人にッ!! 私のッ!! 私のッ、この私の技――――がッッ」

 カイネが音もなく納刀した刹那。
 ベイリンの躯体は粒子化して拡散、初めから何も無かったかのように雲散霧消した。
 カイネは静かに息を吐いて振り返る。

「すまん。生かしてはおけなんだ」
「…………いえ、感謝いたします。カイネ殿が止めなければ我々に、いえ、この学院全体に甚大な被害が及んでいたでしょう」
「この後は、どうする?」
「国王陛下には事の顛末の報告を。手続き上は通常通り、内々に処理させていただきますわ」
「まぁ、そんなところになるか。……相分かった」

 カイネは頷く。ユーレリア、そしてアーガストはともに畏怖の眼差しでカイネを見る。
 カイネはわずらわしげに瞳を眇め、言った。

「……すまぬが、ちと疲れた。あれこれ言われたせいで頭も追いつかん。どこかで休ませてくれんか」
「ならば、私が部屋を案内しよう。……生徒たちとは別のほうが良いかね?」

 アーガストは間髪入れずに申し出る。カイネはかすかに笑みをほころばせる。

「……あぁ、そのほうが良かろう。うっかり余計なことを喋るのはおれもごめんだ」
「ではお願いします、アーガスト教授。事後処理には私があたりますわ。……この件は生徒、それと各教授にも今のところは内密に。よろしいですね?」
「承知した」

 全員がおしなべて首肯する。
 それでこの場は解散と相成った。

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