剣豪幼女と十三の呪い

きー子

十一/鬼哭蟲蟲

「ちくしょう、数が多すぎんだろ!」
「黙って手を動かせ。何としてでも包囲を抜けるぞ」
「で、でも、これ……!」

 三人の魔術学院生徒を包囲する魔獣の群れ。
 数十にも及ぶそれらは全て昆虫族の魔獣であった。

 蟻、蜘蛛、あるいはムカデ。
 それらの体高は全て三尺以上もある。
 森に生息する他の魔獣とは明らかに異なる生態である。
 一匹ごとの強さはダイアウルフより同程度か、やや上。

 前線に立って魔獣と斬り結ぶは神経質そうな眼鏡の少年――ソーマ・ルヴィング。
 そのすぐ横では赤髪の少年――グラット・ライアンが掌大の幽体弾を連射する。

「エリナー、そっちはどうだ!?」
「……まだッ、なんとか……でも、もう……!」

 ハニーブロンドの少女は彼らふたりを振り返って言う。
 彼女はふたりの反対側から迫る魔獣の群れを結界術式によって抑えていた。

「くそっ、もう亀裂が入ったのかよ!」
「後どれだけ保つ?」

 ソーマは鋭い蜘蛛の足を捌き、頭部に幽体刃を叩き込む。
 一体仕留めるのに三十秒。その間にもさらに魔獣の群れは肉迫する。

「も、もう……あと、一分も……!」
「二分保たせてくれ。頼む」
「っ……わかった……!」

 少女は大人びた顔を悲痛に歪めて頷く。
 結界――地表から天に立ち昇る障壁の向こう側には、数十という魔獣の群れが透けて見える。
 障壁が崩壊すれば、それらはたちどころに三人へと押し寄せるだろう。

「全然減ってる気がしねェぞ、どうなってやがる!?」
「……いや、違う」
「なにがだよッ!?」
「〝気がしない〟んじゃない、〝減ってない〟んだ」
「ふざけんな! おまえ、こいつらがどっかから湧いてきてるってのかよ!」
「そうとしか考えられん!」

 降りそそぐ弾体が、幽体の刃が次々と魔獣をほふる。緑色の血をまき散らし、腹を見せるようにひっくり返る。
 後続は魔獣の屍を踏み越えて進行する。

「っ、う……だめ、もうッ……!」
「……しょうがねぇ、エリナー下がれッ!」
「で、でも、そんなことしたらッ」
「俺が結界を再展開する時間を稼ぐ!!」
「グラット、何を考えている! 前面だけでもふたりで手一杯なんだぞ、無茶だ!」
「うるせえ! 無茶でも通さねえと死ぬだろうがッ!!」

 グラットは少女を後ろに押し退け、崩れかけた障壁の前に立つ。

「……再展開まで五分は保たさないといけないのよ? 無理に決まってる」
「わかってるよ! わかってるけどやるんだよ!」
「……っ……〝分解〟ッ!」

 少女が叫んだ瞬間、天高くそびえる障壁はたちどころに消滅した。
 すぐさま押し寄せる魔獣の軍勢。
 グラットは杖先を突きつけ、不可視の幽体弾を連射する。その威力は〝筒〟を大きく上回る。
 だが、魔獣は一発では倒れなかった。中でも大型のムカデに至っては五発撃ち込んでも耐えるのだ。

 圧倒的な火力不足――物量の差。

「くそっ。こっちも、一人では……!」
「ちくしょう、なんでだッ! なんで減らねぇッ!?」
「……おねがい、たすけて、神様……だれでもッ……!」

 少女は跪き、祈る。極度の集中状態に達する。
 それこそは魔力の回復を少しでも早めるための営為。

「ッ――――あ、やべ」

 地を這うように突っ込んできたムカデをグラットの視線が追う。
 蟻の影に隠れて見逃した。致命的な撃ち漏らし。
 グラットはいっそ軽い調子でぽつりと言う。

「……死んだかも」

 ――――刹那。

「動くでないぞ」

 囁くような少女の声が耳に届く。
 ごくちいさな身体が空に翻り、銀の煌めきを閃かせ――

 ずっ。

「シギャアアアアアアアッッ!!」

 鋭い剣先がムカデの頭部を刺し貫く。
 聞くに耐えない断末魔とともに胴体が跳ね回り、そしてすぐに沈黙した。

 刀の担い手は魔獣の絶命を待たなかった。
 彼女は剣先を抜くやいなや、返す刀で次の獲物に刃を落とす。

「ピギィッ」
「ギィィィッ!」
「シァァァァッ!」

 瞬く間に両断されていく数多の魔獣。
 彼女は魔獣と魔獣の隙間を縫うがごとく歩む。通り過ぎた後に光が過ぎり、あまねく虫どもが緑色の血潮を撒き散らしていく。

 十秒と経たないうちにグラットを脅かしていた魔獣は全滅。
 少女は振り返るとともにソーマを一瞥、疾駆する。

「よう堪えたな、ソーマ」
「……あなたはッ!!」
「後はおれに任せよ。一応は引率であるからな」

 ひゅん、と銀の剣光が鞘走る。
 そのたびに一匹また一匹と魔獣が斃れ、無数の屍が積み上げられていく。

「……あ、あの人、は……?」

 少女は腰が抜けてしまったようにへたり込んだまま。助けを喜ぶ以上に畏怖を隠せないようだった。
 グラットは目を見開き、肩をわなわなと震わせる。

「……怪物だよ。正真正銘の、掛け値なしの、〝英雄ばけもの〟だ」

 彼女は――カイネ・ベルンハルトは瞬く間に魔獣の波を切り拓いていく。

 以前、自分は一体なにものに喧嘩を売ったのか。
 グラットは今さら思い知らされ、そして、いまだ命があることに心底安堵した。

 ***

「……これで一段落か」

 静寂。
 散らばった無数の屍の真ん中でカイネはネレムへと振り返る。

「幽体反応、とやらはどうだ?」
「巨大な幽体反応はいまだ残存。小規模の幽体が増幅中……」
「……産んでおるのか」

 カイネは懐紙で刀をそっと拭う。
 少女じみた可憐なかんばせはほとんど返り血を浴びていなかった。

「ときに、ソーマ」
「なッ……なんでしょう」
「いきなり畏まるでない」

 いつもとは打って変わった態度にカイネは思わず苦笑。

「……そう言われても、驚かないほうが無理です」
「要点だけ聞く。おまえさんらは二班だったな、一班はどうしておる?」
「先刻擦れ違った。一旦森を出ると」
「ふむ。……ならばそちらの心配はいらんか」

 三人の処遇をいかにするべきか。カイネは彼らに目を向け、ふとグラットと視線が合った。
 彼は思い詰めたような表情でカイネをじっと見つめている。

「……どうかしたか?」
「えっ……あー、いや、その……この間は……すまなかった。こんな時で、なんだけど」
「あァ――そのようなことは後で良い。まだ助かったとは決まっておらんぞ、気を抜くな。まずは命あっての物種よ」

 カイネは口端に笑みを乗せて言う。グラットは表情を引き締めて頷く。
 これならば心配はないだろう。
 まずは彼らをシャロンたちと合流させるべきか、あるいは――

「――カイネさん。巨大な幽体反応が接近中。魔獣の群れはこちらを包囲するように移動」
「シャロンのほうはどうだ」
「そっちは、大丈夫。ここに戦力を集中させている」
「相分かった。……やむを得ん。離れんでくれ」

 下手に退却させようとすれば危機的状況に陥りかねない。
 二班の三人とネレムは素直にカイネの指示に従った。

「……あっち」

 ネレムが指差し示す。
 直後、彼女の探知網を仰ぐまでもなく、巨大な足音が聞こえた。

「……なんだ。なんなんだ、あれは!」
「ふざけすぎてんだろ……!」
「なんで……なんで、こんなッ……!」

 三人が仰ぎ見ては絶望をあらわにする。ネレムが顔を上げたまま言葉を失う。
 そして、カイネもまた驚きを禁じえなかった。

「……なんと大きな虫けらよ」

 古木の天辺と並ぶほど巨大な魔獣にカイネは思わず嘆息する。

 身の丈はカイネの十倍以上もあるだろう。
 蟻に酷似した頭部の付け根から背中にかけて甲虫のような外殻に鎧われ、背部には畳まれた鞘翅が収まっている。
 脚はさながらムカデのごとく無数にあり、そして――

「……っ……う、あ」

 腹部から下腹部にかけて空いた無数の穴。
 そこから昆虫族の魔獣が産み落とされ、森の中を駆けずり回っていた。
 あまりにも不気味な光景。特に女子生徒ふたりには刺激が強かろう。

 カイネは沈黙を守ったまま顔を上げ、何ともつかぬ巨大な魔獣を見る――――
 否。
 巨大な魔獣の上に座しているひとりの男を視認した。

「やはりか」
「……な、なに、が……?」
「ネレム。巨大な幽体反応と言うたが――あの魔獣か、あの男か、どちらがより大きい?」
「……ッ!」

 ネレムはにわかに絶句し、そして肩の上のラッピーをそっと撫でた。

「ぁ……あの男! あの男が、一番大きい魔力源ッ!!」
「魔獣使いだな」

 カイネは得心する。
 魔獣の生態に詳しいわけではないが、虫どもはこの森と明らかにそぐわない生態だ。
 しかし、外部から持ち込まれた魔獣であるならば容易に合点がいく。

 その時だった。

「――これは驚いた。魔術学院の生徒ごときが、我が虫たちを相手に、なぜ生きている?」

 男の言葉が、巨大な魔獣の口を介して発せられる。
 彼は魔獣の外殻に足をつけてゆっくりと立ち上がった。

「ああ、何も言う必要はない。おまえたちはここで死ぬのだからな。皆殺しだ」
「……問答無用、というわけか」

 カイネは彼の姿を見上げる。
 長身痩躯の男であった。漆黒のローブに身を包み、虫の屍を絡み合わせたような黒緑の杖を手にしている。
 その口調は傲慢で、淡々としているが、端々から殺戮を愉しんでいる気配がうかがえる。
 なぜこんなことを仕出かしたのか。目的は当然あるだろうが、その目的は皆目見当もつかない。

「おまえさんら、ここを動くでないぞ」
「……か、カイネ、さん。……行くの?」
「おれが行かねばどうにもならんだろう」

 カイネは妖刀・黒月の柄に指先を絡めて魔獣使いの男を仰ぎ見る。
 彼は一同を見下ろして言った。

「我が名はファビュラス――ファビュラス・ゾーリンゲン。我が愛しき万蟲太母グレートマザーの威容、冥府の手土産に刻んで逝け」

 瞬間、森の木々が激しく鳴動した。

 ***

「父上、虫を飼いたいのです」

 ――それがファビュラス・ゾーリンゲンの起源であった。

 ファビュラスは貴族生まれの寡黙な少年だった。
 物を欲しがることなどめったにない。
 我が子の珍しい要求に、魔術師の父親は喜んで応えた。
 頑丈な虫かごをひとつ与え、「世話は自分でするように」と告げる。
 ファビュラスは大いに喜び、森から捕まえてきた一匹の蟻を飼い始めた。

 ある日、父親は違和感に気づいた。
 虫かごの中の蟻が異様に大きいのだ。
 赤ん坊の手のひらほどもあろうか。
 父親は少し不審に思い、ファビュラスの様子を使用人に監視させた。

 使用人からの報告は驚くべきものだった。
 ファビュラスは虫かごの中に何匹もの虫を投じ、お互いを食い争わせていたのだ。
 蟻、油虫、蟋蟀こおろぎ、蜘蛛、ムカデ、あるいは様々な甲虫。
 虫かごの中で虫たちはお互いに骨肉の争いを繰り広げ、そしてお互いの骸を貪っていた。
 父親は驚愕する一方でそれを止めなかった。
 これは魔術師の実験にも等しい所業である。
 彼は我が子が偉大な魔術師となることを確信する。

 果たして、彼の予感は現実となった。
 ファビュラスは魔術師ギルドに登録するやいなや、すぐに新進気鋭の魔術師として頭角を現す。
 希少価値の高い魔獣使いとしての適性を持つこともさることながら、彼の使役する魔獣は前代未聞のものだった。

 万蟲太母グレートマザー

 ファビュラスは自らが使役する魔獣をそう呼んだ。
 かつては一匹の蟻に過ぎなかったもの。
 虫かごでは到底収まりきらぬほどに肥大した昆虫族の魔獣。
 ファビュラスが魔術師として名を挙げて後もその成長は止まらない。
 まるでこの世界を虫かごとするように、あまねく存在を餌とするように、万蟲太母は肥大し続ける。

 多くの魔獣使いが四足族を好む一方、ファビュラスのそれは独自の強みを持っていた。
 すなわち、兵の大量展開。広域の包囲殲滅。
 ファビュラスが蹂躙した跡地には死体ひとつ残らない。全て虫の餌となるためだ。
 万蟲太母の体高がついに五丈15mを上回り、その及ぼす影響がひとつの地域を超えた時、ファビュラスは国家規模Aランクの魔術師に認定された。

 魔術師ギルドAランク認定魔術師――〝鬼哭蟲蟲〟ファビュラス・ゾーリンゲン。

「――――骨肉こつにく一片残さず我が虫の餌となり糧となれ、塵芥ちりあくたども」

 彼にとっては魔術学院の生徒など、万蟲太母を育てるための良い餌でしかなかった。

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