竜神姫 ~白髪赤眼のモノノフ~

スサノオ

幕間 勝ちという言葉しか知らない絶対強者



 ゼルギウス・ネアエルデス。
 アメアクダイエ大陸最大の親竜派国家にして、親竜派最大の武装国家たる倭国からアメアクダイエ大陸の監視を任される大国 アメイラル王国が誇る最強の騎士だ。
 軍事演習という名目で、アメイラル王国の最強戦力と名高い第零騎士団を含めた全騎士団と単騎で戦った際、その凄まじい錬度を誇る武術と高威力魔術の連発により常時圧倒。いかなる戦場においても常に勝利をもたらし、敗北を絶対に許さないその戦果から、『勝ちという言葉しか知らない絶対強者』の二つ名をアメイラル国王から賜ってからは、より一層武の鍛錬に励んでいた。ゼルギウスがいるからこそ、このアメアクダイエ大陸だけは嫌竜派国家が下手に動かず、他の大陸と異なり殆ど戦火に見舞れていない。王国の皆がそうだと断言出来る程の実力を持っている、だというのに、尚も鍛錬を続けるその姿に、感銘を抱く者も少なくない。決して自らの力におごる事なく、ひたむきに強くなるべく鍛錬するその姿勢は、日の本の国のモノノフと通じる物がある。その事から、転生者ではないかとさえ噂されている。

「ゼルギウス・ネアエルデス第零騎士団長、只今参上致しました」

 その漆黒の騎士は今、とある部屋へと続く豪奢な赤い扉の前で跪いていた。
 『勝ちという言葉しか知らない絶対強者』の二つ名を賜った際に受け取った漆黒の鎧と真紅色のマントを羽織っているが、しかし戦場に立っていた時とは異なり兜は被っておらず、彼の頭部を余すことなく大気に晒していた。
 兜の中に納められていたとは到底考えられない、腰程まである長く逆立った白銀の長髪は、まるで髪の毛そのものが剣なのではないかとさえ思える程獰猛かつ美しい輝きを放っている。逆立った髪の毛一本一本の毛先は鋭く尖っており、それはおおよそ人間が本来持ち合わせている物とはかけ離れていた。金色に輝く小さな刀剣で無理やり髪の毛状に纏め上げたカツラを被っている、と言われた方がまだ信憑性があるだろう。
 その髪の毛の生えどころたる顔は、彫りの深い整った顔立ちをしている。のだが、褐色に焼け焦げた肌故に、右目から左頬に向かって走る剣創が一際存在感を強調する。決して潰れている訳ではないが、それでもどうして目としての機能を果たせる程度で済んでいるのか疑問に思える程、深い傷であった。
 兜から完全に晒されたその黄金色の瞳は、まるで獲物を見つけた獅子のような獰猛な輝きを放っており、気安く話しかける事すら許されない雰囲気を醸し出していた。

「堅苦しい挨拶など要らぬ。早よう扉を開き、ワシにお前の顔を見せぬか」

 扉に阻まれてはいるものの、それでも部屋の主の野太く低いしわがれ声がゼルギウスの耳を打つ。

「はっ。それでは失礼致します」

 その声を合図に、金や宝石に彩られたクドいとさえ思える豪華な扉に手をかけ、開いた。
 大きさはゼルギウスの背を少し上回る程度でしかないのだが、かなり重量があるらしい。普通の扉を開くような気楽さでゼルギウスは扉を開いているものの、ゴゴゴッ、と重量感のある音が響き渡った。

「失礼致します」

 完全に扉を開ききった所で、ゼルギウスは部屋の主に対して二度声をかけつつ、丁寧に扉を閉めた。

「ガハハハッ、相変わらず見事なものよのう」
「…………いえ、陛下の扉を易々と開けられる程度の力が無ければ、第零騎士団、ひいてはこのアメイラル王国の全騎士団を率いる者として相応しくありません。賞賛の言葉は有り難くお受け致しますが、そのお言葉は大功を挙げた者の為に取っておいては頂けませんか?」

 完全に締め切った所で、ゼルギウスは改めて振り向いたところで主にそう告げた。
 扉だけに止まらず、部屋の中もまた眼が痛くなるような金や赤と言った煌びやかな物ばかりで、明らかな成金趣味が伺える。床にもまた豪奢な金色の模様が描かれた絨毯が敷かれ、いかに仕えている身であったとしても呆れるあまり思わず溜め息が出そうになる。それでも吐かぬのは、やはり陛下のご趣味がそうだから仕方ないと割り切れているからこそであろう。
 そして、その部屋の最奥部に仁王立ちする黄金色の玉座に、主の姿はあった。
 七色の宝石がはめ込まれた金色の王冠を頭に被り、身の丈を上回る真紅色のマントを羽織ったその姿は、まさに王として相応しい威圧感を放っている。これでゼルギウスのような筋骨隆々の大男であれば良かったのだろうが、あいにくその身体は巨大でこそあれ到底戦いに向いたものではない。どちらかと言えば真逆、ただ何もせずに豪華な食事にありついた、太った豚のようだ。
 そんな冠を被った豚を思わせる男の前に、重圧な漆黒色の鎧を身に付けた騎士団長は跪いた。その様子は、端から見ると超一流の騎士が豚に頭を垂れているかのように見え、非常に滑稽こっけいであった。

「ガハハハッ、謙虚な所も変わらずよな。お前はワシが持つ最強の『剣』にして『槍』なのだぞ?少しは驕っても罰は当たらぬと思うがのう」

 肥え太った腹を大きく仰け反らせ、髭に覆われた鼻から下が二つに別れて下品な笑い声を発する。見方によっては化け物のようにさえ見え、正直に言えばあまり好き好んで関わりたくはないだろう。

「いえ、驕ってはなりません。現に、私はかの大罪人を、みすみす取り逃してしまったのですから」

 そんな風景も見慣れているゼルギウスは、謙虚な姿勢を変えることなく、呼ばれた原因たる事柄に触れた。

「…………む。いきなり暗い話題を振るではないぞ、ゼルギウスよ。確かにわしの恩義に背いた上にワシの城を荒らしたあの小娘を取り逃したのは痛いが、さりとてお前が理由も無しに取り逃すなどあり得ん。……第七騎士団はお前を随分と馬鹿にしておったようじゃが、それとて対局を見る眼がない俗物しかおらん騎士団じゃ。別にお前が気にする事などないぞ?」

 第七騎士団の騎士が聞いたら非難の声を上げるだろう言葉を平然と口にし、なんとしてでもゼルギウスに自分を責めさせまいとする様子から鑑みるに、ゼルギウスはこのアメイラル王国国王 ヴェルザード・クロムウェルに随分恩寵おんちょうを受けているようだ。

「それで?お前が手を引いた理由について尋ねたいのじゃが」
「はっ。陛下には私の意見を包み隠すことなく全てお伝え致します」

 ゼルギウスはそう言って語り出した。

「既にお耳に入っていらっしゃるとは思いますが、私は第七騎士団にアメイラル王国に害をもたらさんと望む大罪人 グィネヴィア・アルデミハイルをアメアクダイエの魔素を出来る限り消耗させよと指示を出し、かつ偶然アメアクダイエ大樹海で屯していたゴブリンの群れと戦わせることによって、膨大な魔素の消費を後押しさせた事で、あと一歩という所まで追い詰める事に成功致しました」
「ゴブリンの群れをいち早く察知し、鉢合わせさせたその誘導戦法、実に見事じゃのう。それで、そこから先が問題があったと?」
「はい。最後は私の手で確実に仕留めようと思ったのですが、突如矢の雨が降り注いだのです。それも、第七騎士団の中でも熟練と呼べる者達ですら捌き切れぬ量であった上に、結界すらも容易に突き破って術者を地面に縫い付けるに止まらず、地面に大きなひび割れを刻み込む高威力の物でした」
「それだけ高威力となれば、ワシが作り上げたあの鎧でなければ即死していたであろうな。……まったく、これじゃから阿呆どもは」
「いえ。仮にも陛下に忠誠を誓う者達です。加えて、第零騎士団や私どものような異端者では御座いませんゆえ、そのようなお言葉は控えた方がよろしいかと」
「なに、ただの戯れじゃ。ワシもその点についてはよく理解しておる。無知な上に第零騎士団のような者達には遠く及ばぬ者達なのじゃから、先のような罵倒を本当にするつもりなど毛頭ない。じゃが、いつまでもそれではさすがにワシとしても困る。後でお前の方から教授してやっては貰えぬかのう?」
「承知致しました。私の方から後ほどキツく言っておきます。……話を戻しますが、そうして乱入してきた者は弓の名手であることに相違ないのですが、握っていた弓と矢が問題なのです」
「ルシファムルグの魔刃器だとは聞いておるが……」
「…………陛下。この報告が終わりましたら、第七騎士団全員をお借りしてもよろしいですか?」

 そう申し出るゼルギウスのこめかみに、ピキッと音を立てて青筋が立った。言葉にも怒気が滲み出ており、静かながら、しかし激しく燃え上がる烈火の如き怒りを抑え込んでいるその様子は、さながら逆鱗に触れた竜を眼前にしているようである。

「…………別に鍛え直しても構わんが、何がそんなに気に食わぬのじゃ?お前がそんなに苛立つような事柄じゃったのか?」

 そんな怒りを露わにした騎士団長に僅かに驚きながらも、別段それ以上の感情を抱く事なくヴェルザード王は問い掛ける。

「…………失礼しました。よもや、陛下に拝謁を許された身でありながら、このように取り乱してしまおうとは。出来る限り感情は押し殺すようには致しておりますが、かような醜態を晒してしまった事、心より深くお詫び致します」

 指摘された事で我に返ったゼルギウスは、跪いていた体勢からさらに頭を深く下げる事で謝罪の意を示す。
 声音にもまた、自責の念が滲み出ていた。

「いや、良い。いかにお前が最高にして最強の騎士であったとしても、人間である事に変わりはないのじゃ。感情が僅かにでも起伏せんのは、人間でも生き物でもない、ただの置物か、武器か、あるいは石ころぐらいじゃろう。お前をそこまで武器にしようとはワシも思わぬし、そうなってしまっては、ワシは悲しい。…………王という肩書きを気にすることなく、こうして二人だけの時は存分に吐き出すが良い。その方が、ワシも嬉しい」

 ヴェルザード王はそう優しくゼルギウスに声をかけた。見た目はともかくとして、こうして宥められる辺り、王としての素質は十二分に持ち合わせている事が伺える。

「はっ、承知しました。陛下がそう仰せになるのであれば、堪えきれない時が来たその時に、頼らさせて頂きます。……話を戻しますが、陛下の仰られた通り、ルシファムルグの魔刃器である事に変わりはありません。しかし、その女傑が契約した個体に問題があるのです」
「……超特級危険個体じゃったのか?」

 それまで優しげだった王の黒い瞳に、刃物の色が帯びる。
 超特級危険個体と契約出来る人間が少ないというのもあるが、そう言った個体が人間の人格や実力を認め、あまつさえ契約を交わそうなどと申し出ること自体が極めて稀だ。ましてや相手は上位竜族にすら匹敵しうる実力を誇り、かつ獰猛な事で有名なあのルシファムルグだ。通常の個体であったとしても、契約している時点でかなりの実力者かつ人格者だと判断するに有力な材料となりうる魔刃器であるというのに、超特級危険個体ともなれば殆どの人間がその姿を目の当たりにする事など無いはずだ。
 それでも、土地神として畏敬の念を込めて信仰の対象になる個体の魔刃器だ。見た目では判断出来ずとも、構成する魔素の性質や属性の多さを見抜ける眼を持ち合わせている筈の騎士団が、ゼルギウスを除いて見抜けていないという事実は見逃しがたい。
 何故ゼルギウスが第七騎士団に対して怒りを抱いていたのか、よく理解する事ができた。

「仰られた通りです。本来、風、雷の二属性しか持たない筈なのですが、その個体は氷と火を保有しておりました。いずれの属性を帯びた魔素の魔素構成対比はバランスが良く、魔素だけで見れば明らかに化け物じみております」
「…………単騎で上位竜族を討伐してみせたお前から見ても、化け物と言わしめるとは。……流石は超特級危険個体と言うべきじゃのう。となると、必然的にその使用者たる女傑はお前と同等かそれ以上の怪傑である可能性が高いのう」
「私もそう判断しました。付け加えますと、怪傑とも称せるその女は、日の本の国からの転生者で間違い御座いません」
「なに?日の本の国の転生者じゃと?」
「白髪赤眼という、日の本の国の転生者にはあまり見受けられない特徴をしていたので判断に困りましたが、倭服を着ていた所から見て間違い御座いません」
「むぅ~……転生者となれば魔素を大量に保有しておるし、日の本の国ともなれば武力のみならず知略もある。そうなると、あの超特級危険個体を征して契約を交わせるだけの実力を持っている可能性は高いのう。なるほど、それだけの危険要素があれば、お前が手を引くのも頷けるのう」
「納得して頂けて何よりです。しかしながら、私が手を引いた理由はそれだけでは御座いません。確かに超特級危険個体のルシファムルグと契約しているのは魔刃器で解出来ましたが…………」

 そこでゼルギウスはいきなり黙り込んでしまった。しかも、ヴェルザード王が見ても分かる程に、その屈強な体を振るわせている。カチャカチャと、鎧同士が擦られる事で生じる金属音が、それが幻では無いことを物語っていた。

「…………」

 ヴェルザード王は信じられなかった。
 百戦錬磨の豪傑と名高いあのゼルギウスが、最強の『剣』とも、『槍』とも称してきた男が、その身体を振るわせているのだ。跪いている関係上表情を伺う事は出来ないが、それでも怒りに混じって恐怖が滲み出ていた。
 しばらくそうやって間を空けてから、ゼルギウスはあることを口にした。

「…………恐らく、゛異世界の魔物゛と契約を交わしているものと思われます」
「なんじゃと!?」

 ヴェルザード王としても流石に声を荒げざるを得なった。同時に、何故ゼルギウスが恐怖で身体を振るわせていたのかを理解した。
 ゛異世界の魔物゛。
 その名の通り、何かしらの原因でこの世界に現れる、別世界において絶対的な力を持つ魔物の事だ。竜族やルシファムルグなど、竜族に次ぐ実力者を誇る者達が、一時的な休戦協定を結んで唯一手を組んで戦う程の相手であり、この世界に生きる者達が総出で戦わなければならない相手でもある。
 魔術を初めから体得している者が多く、しかも放つ魔術一つ一つがこの世界に存在する最上位の魔術や、禁術として封印された魔術と同等の効能と威力を誇る。それゆえ竜族を統べる龍王と対等かそれ以上の実力を誇る事もあり、滅多なことでは姿を現さない神龍王ハバムートが直々に手を下す事もある、危険な存在なのだ。
 そして、ゼルギウス・ネアエルデスという最強の騎士にとって、肥え太った王に忠誠を誓う切欠を作った張本人であり、最大の宿敵でもある。

「彼女が放った矢を全て弾き飛ばした際、僅かではありますが紛れもなく゛異世界の魔物゛が持つ、あの禍々しさと神々しさを両立させた魔素が含まれているのを感じ取れました。とは言え、日の本の国で魔物と呼ぶに相応しき物は限られております。加えて、大部分はモノノフ達によって倒されている所から鑑みるに、恐らくは彼女の守護神に近い存在です。彼女がこの世界を破滅したいなどと思わなければ、まず本来の゛異世界の魔物゛として君臨する事は無いでしょう」
「…………下手に刺激してはならぬ。そう判断したのじゃな?」

 ホッと安堵の息を吐くヴェルザード王の言葉に、ゼルギウスは頷いた。

「はい。幸いにも彼女はこの世界に来て日が浅いのは目に見えておりましたし、何より彼女がグィネヴィアを助けたのは半ば衝動的な物でした。いくつか問答を重ねた事でその確証を得ることは出来ましたし、そもそもグィネヴィア側の人間であった場合でしたら、私を含めた第七騎士団は全滅していた事でしょう。また問答を重ねた際に、グィネヴィアがもし彼女にとって害ある者と判断した場合は、彼女を連れた上でこちらに足を運んで頂くよう、口約束ではありますが結んでおります」
「仕事が早いのう。お前のような騎士があと数十人もおれば良いのじゃのう」
「……お戯れを。私は゛異世界の魔物゛とマトモな打ち合いも果たせぬ不良品です。たとえ陛下のお力で得たこの肉体と『槍』を握った上で全力で殺しに掛かったとしても、数分目の前に立っていられるか否か分からぬ雑兵に過ぎません。何よりその程度の事など、陛下に忠誠を誓っている者ならば、見当がついて当然です」
「…………お前は本当に、傲慢という単語が似合わぬものよのう。分かった、そう言う事にさせて貰おう」

 どこまでも自分を弱者であると断言するゼルギウスの謙虚さにホトホト呆れながらも、ヴェルザード王はそういう事で手を打つ事にする。

「それで、話を戻すが……日の本の国の転生者となれば、口約束であってもしっかり守るからのう。忠と義をこよなく愛する人間である以上、グィネヴィアを助けた己を見逃した事に恩を感じている筈じゃ。もしグィネヴィア側に付くことになったとしても、その際は堂々と敵対宣言をしに来るじゃろうしのう」
「いえ。敵対の可能性は低いものだと私は思います。竜族と好敵手であり友好関係にあるルシファムルグが、わざわざ嫌竜派に彼女を誘導するとは考えにくいですし、何より私の姿を確認していた以上、グィネヴィアを嫌竜派の人間として見る可能性が高いです」
「ほぉう。何故そう言い切れるのじゃ?確かにお前は強い。単騎で上位竜族、それもあの飛竜族を討伐してみせた。その功績が、何よりの証じゃ。じゃが、ルシファムルグがいかに超特級危険個体じゃだったとしても、自然に生きる者であることに変わりは無いじゃろう。確かに老練な個体ともなれば、ルシファムルグとて人語を発する事は可能じゃし、人語を解する事など容易い事じゃろう。じゃが、そんなこそこそと隠密行動を取れるような魔物ではないし、第一少しでも眼に触れたら討伐対象にされるのは奴も分かっている筈じゃ。さらに言えば、お前は上位竜族を討ち果たしてしまっておる。人の世界において言えばいくらでも口封じは出来るが、竜族と強い繋がりを持つルシファムルグの視点から見れば、お前を嫌竜派と見なしてもおかしくないのじゃぞ?」
「確かにそうです。ですが、これには私なりの考えのもとそう判断した次第です」
「お前なりの判断じゃと?それはいったい何じゃ?」

 そう問いかけたヴェルザード王に対し、ゼルギウスは、

「…………陛下。無礼を承知の上で、ではありますが一つだけお願い事をしても宜しいでしょうか?」

 と、いきなり願いを聞いて欲しいと頼み込んできた。

「無礼を承知、というのはあまり分からぬが、良かろう。無理難題でなければの話じゃが、申してみせい」

 何事かとも思ったが、こうして話の腰を折ってゼルギウスが頼み事をするのは珍しい。しかも、無礼を承知という単語を口にした時点で、明らかに騎士団関係ではなく純粋な個人の事柄だと簡単に察する事が出来た。
 何を頼むか少し楽しみにしつつ、ヴェルザード王は問い掛ける。

「私の胸中にある考え、それを汲み取っては頂けないでしょうか?正直に申し上げますと、聡明な陛下ならば容易に察せられる事柄だと思いましたので」
「……ほぉう。このワシと戯れたいと?良いじゃろう、お前にしては随分珍しい事であるからな。その遊び、付き合ってやろう」

 あろうことか頼み事が戯れだと聞いて、ヴェルザード王は笑顔を深めた。
 ヴェルザード王から言葉遊びという形でゼルギウスに戯れを誘うときは多いが、ゼルギウスから誘う事は、騎士として雇ってからは一度もなかった。命じた仕事は今回みたいに連れて出た騎士団達や、強者が現れた時の対策として退く以外は淡々とこなすし、言葉遊びにも一応は応じてくれる。だが、部下の情けなさに対する怒りはともかく、悲しみや喜びといった感情を表に出す事も少なく、ただひたすら仕事や鍛錬に励む姿は、憧れを抱かれると同時に、操り人形ようだと揶揄やゆされる事も少なくない。
 そんなゼルギウスが、こうして自らの意志で言葉遊びを振ってきたのだ。年甲斐もなく喜色満面の笑みを浮かべつつ、ヴェルザード王はルシファムルグについて知りうる知識をフル活用させる。
 ルシファムルグの頭脳は人間を遥かに上回る。それは、アメイラル王国内で唯一ルシファムルグと契約を交わしている アルベルト・デンペルトからの報告で分かり切っていた。
 不幸にも嫌竜派との戦争に巻き込まれた為に両親を亡くした、生まれて間もない幼い個体を保護したのだ。だが、それからたった一週間で人語を理解し、下級魔術の習得に精を出し始めたのだ。
 下級魔術の習得は恐らく本能的な物なのだろうが、そうだとしてもあまりに物覚えが良すぎた。魔素の扱い方は最初こそ下手であったが、アルベルトが教え始めてから一時間もしない内に大抵の低級魔術を扱えるようになってしまう始末だ。個体差が疑われる関係上、その結果を鵜呑みにするのも問題ではある。が、そうだとしても幼鳥の時点で魔術初心者が魔術の打ち合いに負けて殺される時もある以上、参考にしておいて損はない。
 とは言え、超特級危険個体もそれに当てはまるか否かは分からないし、そもそもその個体が人語を話す事が出来るか否かは、契約した本人しか分からない筈だ。そのルシファムルグを召喚して戦ったとなれば、確かに納得はいく。だが、現実はと契約した魔刃器を見ただけであり、実際にルシファムルグ自身と戦った訳ではない。何より、契約を交わす事はできたとしても、転生したばかりの人間が簡単に召喚魔術を扱えるはずが無い。

「…………っ!!なるほど。そう言う事じゃったのか。確かにそれならば、お前の言葉も頷けるのう」
「……十秒も掛からずに私の答えに辿り着いてみせるとは。流石は陛下です」

 難解のパズルのピースを完成させた時に似た快感がヴェルザード王を支配するのと、忠誠を誓っている相手でありながら謎掛けを仕掛けた騎士団長の感嘆の声が上がるのはほぼ同時だった。
 そもそも、転生して間もない人間が、魔物と契約を交わせる筈がない。憶測の域を出ないものの、ルシファムルグと契約を交わしているとなれば、あの個体が人語を喋れるのはほぼ間違いない。
 何故契約を望んだかまでは分からないものの、ある程度推測は立てられる。ゼルギウスの言葉が正しければ、転生者特有の膨大かつ上品質の魔素に加えて、゛異世界の魔物゛の力も保有しているのだ。龍王に愛されるに値する人格を持ち、契約している゛異世界の魔物゛が無害であると判断し、今代の竜神姫となって貰うべく何かしらの形で接触、案内人として契約を交わした可能性が高い。
 ゼルギウスが親竜派だと判断した理由についても、長年このアメアクダイエ大陸に人目に付くことなく生きてきた個体だとすれば説明がつく。そもそも、あの竜族は上位竜族の中でも憎悪の魔素を浴び続けてしまった為に、半ば魔族化していたのだ。いかに親竜派であったとしても、狂って暴れ回る竜に落ち着くよう促して正気に戻そうなどという慈善事業をするつもりはない。それは、同族である他の竜族であったとしても変わることがない。
 半分でも魔族に落ちているのであれば、被害の拡大を防ぐ為に殺す必要があるのだ。ゼルギウスが名を上げたあの戦いは、アメアクダイエ大陸においては知らぬ者は居ないほど有名な話だ。長年住み着いていたルシファムルグならば、名を知っていてもなんらおかしくないのだ。

「陛下、私なぞの戯れにお付き合い頂き、本当にありがとう御座います」
「ガッハッハッ、そう言うなゼルギウスよ。ワシとしてはむしろもっと戯れを申し出てくれた方が嬉しい」
「……そうですか。では、つたなくなるとは思いますが、時折戯れを申し出る事にします」
「ワシとしては、常に戯れにきて欲しいものじゃがのう。……あぁ、そうじゃ。その女傑、名を何というのじゃ?お前の事じゃ、口約束を交わした際に名を聞いたのじゃろう?」
「無論です。゛異世界の魔物゛の力を持ち、竜族から愛される人格を持っていると判断されたとなれば、竜神姫になる可能性が非常に高いです。もしなれば、間違いなく歴代最強となるであろうお方の名を、拝聴しない道理があるでしょうか。それ以前に、約束を交わす相手に名を名乗らず、名を聞かぬというは礼儀に欠けますしな」
「ガッハッハッ、それもそうじゃのう。して、その女傑の名は?」

 ゼルギウスの至極当然の言葉に大仰に頷きながら、アメイラル国王は名を問いかける。

「チカ・タツミガミ、いえ、本来の読み方であれば辰巳神千火と言うべきでしょう」
「字はどう書くのか分かるかのう?」

 この世界の文字は全て英語に近い文体なのだが、御剣龍馬のように日の本の国からの転生者が沢山いる。そう言った転生者達向けの看板などを作成したりする為、ある程度は漢字や仮名文字も浸透してきているのだ。
 無論、日の本の国に限らず幅広い人間がこの世界に転生してきている為、そう言った世界の人間向けの文字もある。が、あまりに文字が多すぎるが故に、店の看板や手配書の一枚でも相当な労力を強いられる状況にある。為に、この世界本来の文字に加えて、漢字や仮名文字を一般化させたのだ。

「いえ、流石に文字までは。いずれこちらに足を運んで貰う訳ですから、書き方までは聞かなくても良いのではと判断した次第です」
「…………そうか。少し興味があったのじゃがのう。報告はそれで終わりかのう?」
「はっ、間違い無く」
「うむ。大儀じゃった。下がるが良い」
「はっ。失礼しました」

 その一言と共にゼルギウスは立ち上がると、深々と王に頭を下げた後にマントと白銀の長髪を翻して背を向ける。
 動作の一つ一つが機械のように精巧であり、まるで騎士の仮面をかぶった執事のようにさえ見えてしまう。翻る銀髪も、紅蓮色のマントも、何もかも様になっており、同性である男であっても惚れ惚れしてしまいそうな程に堂々としていた。
 そんな相変わらずの立ち振る舞いを見せた騎士は、重圧な扉を軽々と開いて去っていった

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