竜神姫 ~白髪赤眼のモノノフ~

スサノオ

第十七章 招かねざる者



 どこか懐かしさを覚える匂いが鼻につく。
 食べ物の類でもなければ、人の営みによって起きる匂いでもない。どちらかと言えば、雨の匂いや泥の香り。そう言った自然特有の、なんとも表現しづらい、しかしどこかホッとするような良い香りだ。
 髪や肌を撫でる風は、芽吹き咲き誇る花々を連想させる温かさであり、さながら春風のよう。
 しかし今倒れている場所は服越しでもよく分かるほど草が生い茂っており、風に揺れる草が一糸纏わぬ右腕に触れる。長さ触った感触からして、かつての世界にもあった笹の葉のようだ。

「…………っ」

 たった数日しか経っていないというのに、ひどく懐かしく感じたその葉の感触で、千火は意識を覚醒する。
 当たり前のように覚醒すると同時に素早い身のこなしで即座に身構え、周囲を警戒するーーのではなく。

「…………ここはどこだ?」

 普通に立ち上がって、周囲を見渡した。
 千火が倒れていたのは左右に笹が生い茂る道の端であった。笹の草原の所々には桜が満開を迎えており、月明かりに照らされ美しく咲き誇るその姿は、目を奪われそうになる程に壮麗であった。風にさらわれて散る花びらも、笹の葉と仄かに明るい宵闇のおかげで真っ白な雪のように見え、雪月花という単語すら浮かび上がる幻想的な風景に仕上げていた。
 そんなずっと見ていたくなる風景からそっと目をそらすと、まっすぐ伸びる一本の道が目の前にある。その先には、もう拝める事が出来ないと覚悟していた鳥居の姿もがあった。月光に彩られた朱色の後ろには、深い緑に覆われた山が一つあり、頂上まで続いていると思わしき階段まである。
 こんな幻想的で美しい風景の所為もあるが、千火自身も不思議に思う程に、今いるこの場所には危険のきの字すら存在しないと言い切れる、安心感に満ちあふれていた。初めて見る光景ではあるが、やはりどこか懐かしさを感じるのは、千火にとって馴染み深い空気だからだろうか。

「リヴァイア、私はどうしてこんな所にいる?あの少女はどこにいるのだ?」

 一通り頭の中に浮かび上がった疑問を、この場に来るまでの経緯を知っているであろう水龍王に問い掛けてみる。
 が、千火に言わせれば馴染み深い世界でこそあるものの、リヴァイアにとってはまったくの未知の領域に入ったのか、あるいはかつて生きていた世界に戻ってきたからなのか、水龍王からの返事はない。

「……リヴァイア?おい、聞こえているか?」

 その後も何度か話しかけてみるが、五分程経ったところで諦める事にする。
 ついでに右腕に意識を一瞬だけ集中させてアクティビションを発動させてみる。すると、二日前までずっと苦しめてきた、あの集中した箇所の全筋肉がったような痛みが蝕んだ。どうやら、リヴァイアの補助を受けられない状況下にあるらしい。

「…………リヴァイアの声が聞こえない上に補助を受けられないとなると、痛みに堪えきれずに死んだか、あるいはそれが気絶だったとしても魔物に食われて死んで、別の世界に飛ばされたのか……いずれにしても、この場でただ考え込んでいても仕方ないか」

 少なくとも、あの鳥居の奥に階段があると言うことは、山頂に神社かお寺があるのは間違いない。遠目ではあるものの、鳥居の色合いなど見る限り廃れている様子はないし、住職や坊主がいる可能性は高そうだ。……別世界の住人だと話す気など毛頭無いが、万が一前世、つまりは元の世界に戻ったのだとすれば、怨霊だの妖怪だのと恐れられるのは火を見るよりも明らかなのだが。
 とは言え唯一の会話相手であったリヴァイアに相談する事は出来ない上に、ちょうど人気のありそうな場所があるのに他を当たるというのもおかしな話だ。……そもそも他に当てがないのだが。
 この世界が以前住んでいた世界か否か確認しなければならないのだし、もし限り無く近いものの千火の住んでいた世界とは別の世界であれば、また新たな人生を歩まねばならない。

「取りあえず、行くとするか」

 この世界をどういう風に生きるかはまだ決めていないにしても、判断材料をかき集める為に、やしろへと歩き出した。
 程よく肌を撫でる温かい風が心地よく、周囲の風景も相まって、この場に寝っ転がってのんびり眠ればどれほど心地良いだろうか。
 そんな事を考えながら、草履で地面を踏みしめてゆっくりと歩みを進める。雪の上をしばらく歩いていた所為で若干物足りなさを感じるが、それを補うように桜吹雪が降り注ぎ、風に揺られてサラサラと笹の葉がゆったりとした演奏を奏でる。まるで、千火の事を歓迎するかのように。
 そうして自然の歓迎歌に背を向け、千火は社の前に辿り着いた。

「…………それにしても、たった二、三日しか経っていないというのに、ここまでこういった風景が懐かしく感じるとはな」

 鳥居の奥に居座っていた、山頂に向けて続く石の階段を見て、千火は率直にそんな感想を漏らした。
 千火の住んでいた村から少し離れた山奥にも、このような形で神社があった。笹の葉や桜はなかったが、それでもよく鍛錬での成長祈願や豊作祈願の為に神お参りしていたのだ。……祀られていたのは豊穣を司る神 宇迦之御魂うかのみたま之神のかみと、その父にして軍神たる建早たけはや素戔嗚すさのおのみことであった事もあり、神主がかなり神話に精通していたので、鍛錬や修行の合間を縫って神話について勉強しにいったのも良い思い出である。

「……隣にあったあの寺の坊主達にも、随分世話になったものだな」

 ふと頭の中に浮かび上がった寺の坊主達の顔に、千火は思わずフッと笑いを漏らした。
 ーー時代が戦国だった為仕方なかったと言えばそれまでだがーー神社の隣にあった寺の僧侶の大部分が歴戦の武僧だったので、よく神社に立ち寄ったついでに顔を出し、薙刀が得意だった事もあってよく手合わせして貰っていたのだ。もちろんタダで許してくれた筈もなく、精神の鍛錬の一環として僧侶達との修行に付き合わされたものだ。……尼僧にそうとしての素質までも見出され、髪の毛を削がれそうになったのは未だにトラウマなのだが。

「元気にしているかな。いや、あんな陽気で元気なあの人達の心配など、杞憂も良いところか」

 薙刀や錫杖しゃくじょうを片手に容赦なく鬼の形相で分回してくるあの猛々しい姿と、修行中だというのに笑い話に興じる様を思い出し、一人でそう結論付けた千火はゆっくりと石の階段に足をかけた。石の階段特有の踏み心地が懐かしく、元の世界に戻ってきたのではと思える程だが、さりとて別世界である可能性が否めない以上決めつけるにはまだ早い。
 坊主達との思い出を頭の中で思い出しては一人顔を綻ばせながら、千火は人気のない階段を淡々と登り続ける。
 程なくして階段を登りきり、山頂に辿り着いた千火を出迎えたのは、階段の入り口にあったそれよりも一際大きく美しい輝きを放つ鳥居。そして、その奥に佇んでいた巨大な神社ーー

「これは……」

 ーーでは無く巨大な湖であった。
 リヴァイアと出会った湖の五分の一程しかないが、さざ波すら立っていない穏やかな湖面は頭上で光り輝く満月を映し出すその様は、あの湖と違った美しさに彩られていた。
 見劣りはしないものの、周囲で咲き誇る桜の美しさも相まって、千火としてはこちらの風景の方が好みであった。

「はぁ~……凄い景色だな。以前の世界でもこれだけ美しい風景は見たこと無いな……」
「ハッハッハッ、気に入って貰えたようだな、ともよ」

 風景に見とれていた千火の耳を、あの謎の若い男の声が打った。

「っ!!その声はあの時のっ!!どこにいるのだ!?」

 声の出どころを探して周囲を見渡すが、どこにもそれらしき影は見受けられない。

「そう慌てずとも良い、朋よ。水龍王の朋と魂契の儀式を完全に終えた時と同じなのだからな」
「……姿は見えずともそこにいる、と言うわけか。しかしあの時と違って、お前の声が直接耳を打っているようだが。あと知っていればの話ではあるが、何故私がこの世界にいるのだ?そもそもこの世界は、あの世界とは違う世界なのか」
「これは鋭い問いだな、ともよ。うむ、そうだな。其の方の質問に対する答えではあるが、これは双方共によく結び付いている故にまとめて話すとしよう。其の方はあの痛みで死に果てまた転生したと思っているようだが、まだ其の方は死んではおらぬ。気を失っては居るがな」
「気絶している?ならば何故私はーー」
「この世界、いや、空間と呼ぶべきかな。ともかく、ここは言わば、其の方の魂の中に存在する部屋のような物だ。其の方がこの世界に来て初めて契約を交わした水龍王のともも、未だ幼さが残るあの若い神鳥のともも、魂契の儀式で魂を其の方に流し込んだ際に部屋を作り上げている。現実世界において意識が無い時、つまりは眠っている時であったとしても、我か其の方、いずれかがこのような場を望んでいる場合はこうして引き込む事が出来るという訳だ。まあ、其の方か我、いずれかが嫌がっているのであれば、話は別ではあるがな」
「……なるほど、そう言う事か。それならばリヴァイアの声が聞こえないのも、魔素の補助を受けられないのも頷けるな」

 理由はどうであれ、この謎の声の主はリヴァイアにあまり正体を現したくないのは気絶する前の会話からして明らかだ。自身の領域にリヴァイアが関わる全ての事柄を拒絶した結果、魔術を発動したとしてもリヴァイアの補助を受ける事は出来ない上に会話も出来なくなったとなれば納得出来る。
 魔術に関しても、いくら声の主の空間であったとしても千火自身の魂の中である事に変わりはないのだ。使えてもなんらおかしくもない。ただ、一つだけ気になった事がある。

「まさかとは思うが、この場で戦う事も可能なのか?」

 正直に言えば、武人の端くれたる千火としても、契約相手と何度も手合わせして実力を推し量りたいところではある。とはいえそれを現実世界でやってしまうと、周囲に大規模な被害が出てしまうのは火を見るよりも明らかだ。
 リヴァイアが千火自身の魔素を完全に抑え込めている訳でもないし、ある程度の補助が効くにしても、広範囲をズタズタに切り裂く風の刃や、超威力を誇る斬撃を、振るう度に放つ事になる。結果として、無駄な命を摘み取ってしまう様子など、容易く想像する事が出来る。加えて、リヴァイアのようなこの世界に対して大きな影響力を持つ存在が本気を出せる筈などないだろう。仮に出せたとしても、千火以上に甚大な災厄を世界に振りまくことになるのは目に見えているし、そんな事を千火が許す筈もない。
 それでも、神と呼ぶに相応しいリヴァイア本気で刃を合わせてみたいのだ。この世界の水を司る以上、あの氷の巨槍のみならず様々な魔術を扱えるのは、魔術についての知識量から見ても容易に察せられる。鼻先にあれだけ立派な角を生やし、大太刀状のヒレだけにとどまらず大爪を備え付けられた腕を持ち、鎌のように鋭く曲がった刃持ちの突起を持つ全身があるのだ。長大とは言えども、体術もかなりのものだろう。
 そんな未だ底の見えぬ、尋常ならざる実力者との果たし合いを望むなど、正気の沙汰ではない。端からみても無謀だ蛮勇だと謗られるのは間違いないが、それでも千火の身体を流れる武人としての血は望まずにはいられなかった。

「ハッハッハッ、実に武人としての其の方らしい問いだな」

 愉快だと言わんばかりに謎の声は一頻り笑うと、

しかり、この空間では互いに全力で戦うことが出来る。ついでに言えば、魂の部屋という関係上形が定められておらぬ。ゆえに、互いが最も全力を出せる状況下を作り出した上で戦う事も可能だ。とはいえ、いかに魂の中で戦う事が出来ると言えども限度という物は存在する」

 戦うことが出来ると肯定した上で、その欠点について指摘する。

「いかに魔術や武術を全力で出せると言えども、夢幻の世界で戦うわけではない。ゆえに魔術によって消費する魔素は、現実世界においても放った量だけ消耗し、怪我こそは現実の物にならぬにしても、察しの通り痛みや疲労もそのまま残る。詰まるところ、魔物や魔族に限らず、賊のような低俗の輩から襲撃を受けたとしても、満身創痍のまま戦わされ大きく遅れを取り、挙げ句討たれる恐れもある。ゆえに、現実世界において確実に安全が保証された状況下でもなければ、全力で戦うのは自殺行為だと心得よ」
「なるほど。その言葉、肝に銘じよう」

 リヴァイアよりもクドサを感じない説明は、スッと頭の中に入ってくる。深く心に刻み込みながら、千火は頷いた。

「ところで、お前の名前を聞いても良いか?無名では私としても呼び方に困るのだが……」

 頷きつつも、謎の声に名前を問う。
 いつ契約したか定かではないものの、前世の時点から既に千火の中に居たとなれば、名前さえ聞けばどのような存在か一発で分かる筈だ。
 神主から教わっていた事もあるが、千火は日の本の国の神の名前や、神話に登場する化け物の名前全てをそらんじられる。流石に蛮国の化け物や神の知識にはないものの、さりとて蛮国に赴いた事がない以上、声の主が日の本の国以外における伝説上の存在である筈がない。

「うむ、そうだな。其の方の名はとうに知ってはおるが、契約主たる其の方が我が名を知らぬというのはいささか不公平だな。ふむ……とはいえ、未だに談判が成立しておらぬ現状で、果たして名乗って良いものか……」
「談判?一体なんのことだ?誰と何の交渉をしているというのだ?」

 半ば一人ごちるように呟いたその言葉が妙に耳に残った千火は、すぐさま問い掛ける。
 問い掛けに対し、謎の声は少し愚痴混じりで話し出した。

「いやな。其の方は転生者としてこの世界に降り立ち、尚且つ竜神姫としての素質を持つ者としてこの世界に定着する事が出来たであろう?だが、我は死して転生を果たした其の方とは異なり、引きずられる形で来てしまった。加えて、かつての世界において荒神や邪神としてまつられていたがゆえに、この世界において我は害悪、それもこの世界を崩壊させうる力を持ちし侵略者と見なされてしまってな。どうにかその偏見を解消し、我がただ其の方を守る守護神としてこの世界に定着させて貰えなければ、我は其の方の意志でこの世界に召喚される事も、この世界の住人たる水龍王のともや若き神鳥のともとも話す事も、我が全力を出して其の方を補助する事も叶わぬ。どころか、そんな我と契約してしまった其の方自身が、この世界にとって害悪として見なされてしまう可能性とて否めない状況下にあってな。ゆえに、この世界の絶対神たる神龍王のともに、我がこの世界に存在する許しを得るべく談判していると言うわけだ」
「つまり、未だこの世界の神に存在する事を許して貰えぬ状況下において名乗る事で、お前が害悪としてこの世界に存在が定着してしまう恐れがある、と言うことか」
「まったくもってその通りだ、ともよ。ある程度の手助けは出来なくはないが、あくまで我に出来る事は其の方が成せる事を代行して成すぐらいだ。不便を掛けるが、我が其の方の守護神としてこの世界に定着した暁には、存分に其の方の力となろう」
「あぁ。その時が来たら、有り難く頼らせて貰おう」

 荒神としてまつられていたという存在と、知らず知らずの内に契約してしまっていたという事実が少し痛いが、嘆いたところで事態が好転するわけでもない。それに、荒神として祀られていたとしても、神様である事実に変わりはないのだ。リヴァイアやルシファムルグよりも遥かに強大な力を有しているのは間違いない。

「うむ、存分に頼って欲しい。早く其の方の力となれるよう、なるだけ手早く談判を済ませるとしよう。…………さて、そろそろ別れの時が来たようだな」

 謎の声が少し寂しそうな声音でそう言った直後、千火の周囲を覆い尽くしていた世界全体にひびが入った。

「っ!?」

 同時に、千火の意識が徐々に社の外へと引っ張られるのを感じ取った。

「案ずるな、ともよ。其の方の意識が覚醒しているだけなのだから、流れに逆らう事なくそのままにしているが良い。なに、確かに談判を済まさなければならぬが、それは其の方の中でじっとしているだけでも話す事は出来る。また其の方が我に会いたいと望むのであれば、喜んでそれに応じよう」

 今生の別れとでも思っているのだろうか。
 必死に足を地に踏みしめて留まろうとする千火に対し、謎の声は安心させるように言葉を投げかけた。だが、それは声の主にとって思い違いも良いところであった。

「違う。別れる前に、今すぐお前に問いたい事があるのだ」

 いつでも会える事などとっくに察しがついてる。しかし、いつでも会えると言えども、そう何度も会って良いものなのか正直不安な所もあるし、何よりどうやってリヴァイア達に知られる事なく会えば良いか分からないのだ。
 声の主に、この空間に呼び出して貰うのも良いだろう。が、それらの作業中に万に一つでもへまをして、声の主の存在がリヴァイア達に知られてしまってはマズい。ましてや千火は、この世界に来てまだ間もないのだ。どんなに簡単な方法であったとしても、失敗する可能性は十二分にある。今すぐにその方法について聞きだしても良いが、万が一なかった場合聞き終わった直後に意識が覚醒させられる可能性が否めない。
 だからこそ、なるべく会いたいと望む事なく、聞ける事だけは聞いておきたいのだ。

「ほう、我に問いたい事とな?良かろう、答えられるか否かは分からぬが、申してみよ」

 声の主から許しを得た上で、千火は早速問い掛ける。

「私の腕に勝手に魔素を流し込んでリヴァイアを気絶させ、リヴァイアでも調整仕切れないような魔素を出し、『淤加美おかみ』と銘々したあの薙刀やトライデントを振るった時に暴風を起こさせたのは、お前の仕業か?」

 しばしの沈黙があった。ズル、ズル、と、千火の身体が引っ張られる音だけが嫌に響く。
 そんな妙に嫌な時間も、長くは続かなかった。

「………………半分は、残る半分は否、というのが正鵠せいこくかな。水龍王のともには気付かれずに済んでいるようではあるが、其の方の魔素はあまりに特殊かつ強大過ぎる。我が魔素ーー前世において神通力と呼ばれていた力の性質と、其の方の持つ神通力の性質が相性が良いからこそ、水龍王のともの陰に隠れて調節出来ているような物なのだ。もっとも、水龍王のともも我の補助無しでは其の方の魔素を完全に制し切れぬようではあるがな」
「それはリヴァイアから何度も聞いた。それで、なぜその様な事をした」
「気持ちは分からぬ訳でもないが、そう焦らせてくれるな。……単刀直入に言うと、だ。最初の水龍王のともとの戦においては、紛れもなく我が其の方の魔素を調整した。だが、あの大蛇との狩り、そして其の方が水龍王の朋を殴り飛ばしたあの時については、我は一切干渉してはおらん」
「…………リヴァイアとの力量の儀式で手を貸したのは、確実に私を竜神姫になって貰う為か?そして、私が殴り飛ばし、かつ大蛇狩りをした時に干渉しなかったのは、リヴァイアがどの程度私の魔素を制する事が出来るのか、リヴァイアと契約した私が自身の魔素をどれだけ制せられるのか、見定める為か?」

 相手の行動理由について思考を巡らせ、思い付いた二つの動機を口にする。

「…………ハッハッハッ、流石だな、ともよ。まったくもってその通りだ」

 謎の声は驚きと感心に満ちた声で、是と返した。
 だが、その声音もすぐに真面目な物へと変わる。

「とは言え、其の方も自覚しているであろうが、あまりに己が魔素を制せておらぬ。確かに其の方の持つ魔素の何もかもが、この世界の魔素と比較しても異質ではある。むしろ、我が魔素よりも遥かに上質かつ膨大、と言っても差し支えないくらいだな」
「…………そんなに私の魔素は異常なのか?」

 リヴァイアには何度も、それこそ耳にタコができるほど言われた単語。しかし他の、それもかつての世界で荒神として名を馳せた絶対的な存在から言われるとなると、流石に話は変わってくる。しかも、竜神姫という立場に立ったと言えども一介の武人の域を出ない千火が、神よりも上質な魔素を持っていると言われたのだ。
 私とは一体何者なのか。その疑問を胸に抱えたまま、千火は問い掛ける。……ある意味でいえば、ただの冗談の類いであって欲しいという願いも込めて。ズル、ズル、と徐々にだが確実に意識を引っ張られながら。

「其の方の疑う気持ちも分からぬ訳ではない。だが、これは事実だ。水龍王のともも其の方自身もまだ気付いておらぬようだが、本来人間である其の方が、荒神とは言え神である我よりも強大かつ莫大な魔素を持っているのは、極めて異質なのだ。其の方が本当に人間なのかと、人に化けた神ーーそれも天地開闢かいびゃくの際に降誕した別天津神ことあまつかみなのではないかとさえ思える程にな。今其の方の身体を循環している魔素は、其の方が本来持ち合わせている魔素のほんの一割程度でしかない」
「何故そうだと断言出来ーー!!くそっ!こんな時に強くなるとは一体何事だ!?」

 今までが徐々にズルズルと引っ張られていたのに対し、突然グッと一際強く後ろに引っ張られたのだ。思わず体勢を崩してしまいそうになるが、しかしそこは千火。簡単に崩される事なく、一瞬だけアクティビションを発動させた上で石床を踏み砕き、足を固定させる事で踏みとどまってみせる。それでも、この空間から引きずり上げられるのは時間の問題だ。現に、固定されていない上半身は大きく仰け反り、まるで見えない弦で引っ張られる弓のようになっている。

「そこまでして耐える必要は無かろう、ともよ。どうやら外にいる人間は早く其の方を起こしたいようだからな。問いの答えにはいつでも答えられるのだ、ここは大人しく覚醒した方が良かろう」

 ヒビが入ったガラス戸の絵のようにひび割れた絶景のなかで、荒神の声が響き渡る。が、

「この問いに答えて貰わなければ、私は気になって今起こそうとしている人間の話もマトモに聞けないだろう。だから今すぐ答えくれ」

 腹筋と太股で体勢を直立姿勢に戻しながら、その声に対し千火は断じて否と答えた。

「ハッハッハッ、強情だな。良かろう、我が答えを聞いてく覚醒するが良い」

 そんな千火の様子に荒神は笑いつつも答えた。

「答は簡単だ。我が好敵手にして親しき間柄にある神に、其の方の守護と同時に監視を頼まれてな。其の方と契約を交わしてより後は、今の今までずっと其の方の力の根元の様子を見てきたのだからな」

 また新しい疑問が浮かび上がったが、これ以上耐えるのは千火としても厳しい。素直に矛を納めた方が良さそうだ。

「なる程、分かった。また会おう、名も無き荒神よ」
「うむ。息災でな、ともよ」

 最後にそう言葉を交わし、千火は引っ掛けた足をゆっくりと引き抜いた。
 途端に抗う術を失った千火は、成されるがままに暴力的なまでに荒々しい引力によって、意識を現実世界へと引き戻されるのであった。

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品