竜神姫 ~白髪赤眼のモノノフ~

スサノオ

第十四章 死地に降り注ぐは

 

 深い緑に覆われた、アメアクダイエ大樹海。
 雪に覆われた大地と樹海の緑によって作られた絶景は、しかし跳梁跋扈する魔物や魔族によって一級の危険地帯と化している。大樹海の中を走る川もまた、水棲の魔物や魔族達が住まう領域であり、水を飲むために魔族や魔物達が集まってくる場所だ。当然安全な筈がない。

「…………はぁ……はぁ……はぁ……」

 しかし、そんな危険地帯に流れる大きな川の近くで、一人の少女は息を荒げて木にもたれ掛かっていた。
 年は十二、三歳程だろうか。肩甲骨まで伸びた長い青銀色の髪はサラサラとしており、艶やかな輝きを放つその様はまるで絹そのものだ。……土埃などで汚れていてなければ、であるが。
 よく見れば、少女が着ている白色の古ぼけたワンピースは、ところどころ穴が空いている。少女の服に穴が空いている、というとどこか卑猥ひわいな響きを感じるかもしれないが、そんな色気なんて物は一切感じさせない。文字通り、ボロ布を纏った浮浪者の方がまだマシと思えるような、酷い格好をしていた。
 もはや布としての役割を果たしているかどうかすら怪しいその服から覗く肌は、至る所に真っ黒い泥が着き、枝などで裂かれたのか傷が付いていた。ところどころ赤く腫れて膿んでいる所もあり、それが余計に彼女の痛々しさを際立だせる。
 あどけなさが深くの残る顔は、しかし今は鬼気迫る表情に歪められ、どんぐりのようにまんまるな青い瞳をせわしなく動かして周囲を見渡している。
 近くで、小鳥が羽ばたいた。飛び立った衝撃で細い木の枝が揺れ、葉が擦れる音が少女の鼓膜を刺激した。

「……ッ!!」

 緊張がピークに達した少女は、数秒の誤差も無く幼さ溢れる右手を翳し、その中心に複雑な水色の輝きを放つ巨大な魔法陣を幾つも重ね合わせたものーー積層型魔法陣を展開する。
 そこから少しの間を置くことなく撃ち出されたのは、魔法陣よりも遥かに長大な一本の氷槍だった。柄の太さや魔法陣の大きさの時点で、少女の身体をスッポリ覆い尽くせる大きさ。だというのに、螺旋状に渦巻いた細長い円錐形の穂先に至ってはリヴァイアが放った氷柱の先端よりも太く鋭い形状をしていた。
 そんな代物が、矢を遥かに越える速度で正確に揺れた木の枝をぶち抜く様は、壮観としか言いようがない。もっとも、それだけの物体がそんな速さで撃ち出されたのだ。周囲に吹き荒れる暴風もまた凄まじく、一時的に台風の暴風域を思わせる剛風が吹き荒れ、近くにあった木々をまとめてなぎ倒し、積もっていた雪を一瞬で消滅させた。
 魔法陣を使っているとは言え、無詠唱でこれだけの魔法陣を一瞬で形成した挙げ句、数秒のタイムラグも空けずに放ってみせたその実力は、この世界の中で見ても異常と言える実力を持っているのは明白だった。

「…………はぁ~。もう、脅かさないでよ……」

 その場に突発的な竜巻が起きたと言われても納得出来てしまうような場所で、少女は自分の身に危険が迫っていた訳ではないのだと悟る。だが、あれだけの魔術を放ってしまったのだ。すぐに追っ手がこちらに向かってくるのは火を見るよりも明らかだ。

「……急がなきゃ」

 呟いた少女はスッと立ち上がると、足元に二重丸だけのシンプルな、薄い白みがかった輝きを放つ魔法陣を展開させ、アクティビションを発動させる。肉体を強化させた少女は、その人間離れした跳躍力で川を飛び越えると、その勢いのままに雪を蹴散らしながら走り出した。
 まだあどけなさが残る足を覆う物は何もなく、雪よりも真っ白い、しかし傷だらけのものが剥き出しになっている。だが、魔術で足を温めているのか、あかぎれや霜焼けのような症状は見受けられない。
 とは言え、休憩していたと言うだけあって息が上がっている。アクティビションを発動させて尚これだというと、相当な疲労がのしかかっているに違いない。それでも、少女は必死に走り続ける。
 どうにかして、あの村に行かなければならないのだから。行って、村に身を潜めているあの人に伝えなければならなのだから。
 今こそ決起する時であると。完膚無きまでに叩き伏せる時が来たのだと。私利私欲の権化とも呼べる大悪魔を討ち果たす、絶好の好機が訪れていると。
 だから、こんなところで奴らに捕まる訳には行かない。足止めされる訳にはいかない。魔物達に喰われる訳にはいかない。魔族達に殺される訳にはいかない。
 少女は駆ける。魔物や魔族達が謳歌するアメアクダイエ大樹海。そこに唯一、ただ一つだけ例外として存在する、安息と平和に満ちた村を目指して。
 だが、人外の膂力を以てして大樹海を駆けていたその足は、無情にも止められてしまう。

「…………なんでこんな時に……!!」

 少女がここに来ることをあらかじめ知っていたかのように屯していた、魔族の大群によって。
 全身が炭になるまで焼き尽くされてしまったかのような真っ黒い肌をした、筋肉質の人型魔族だ。背丈は少女の胸元辺り程なのだが、ゴツゴツした隆々の筋肉がより大きく身体を見せているような気さえする。
 髪の毛のない少し大きめ頭には、高く大きな鼻に先にいくほど尖っていく耳。ついでとばかりに、獰猛そうな牙を覗かせる裂けた口が飾られている。
 鼻より少し高い位置にある双眼は、感情を読み取る事が苦手な人間であっても、憎悪や怒りといった負の感情が分かる程に込められた不気味な黄色に染まっている。出くわしてしまった少女を見つめるその輝きには、獲物を見つけた快楽殺人者のような正気など一切感じさせない危険な輝き方をしていた。
 筋肉質な身体の通り、握られた得物の殆どは背丈を越える大剣や大槌、槍などで大部分を占めている。太陽光を浴びて得物を輝かせるその様は、執行人が刃をゆっくりと振り上げたかのような絶望感すら感じられる。
 そんな、一匹でも絶望感をこれでもかと感じさせる魔族が数百頭以上、雁首揃えてこちらを見据えているのだ。

「……ゴブリンの大群なんて……ついてないわ……わたし……」

 ゴブリンと呼ばれた魔族の大群は、少女の呟きを耳にしたのだろう。裂けた口をニヤリと歪ませ、物々しい音を立てながら己が得物を構えていく。それはあたかも、『もっと絶望に満ちたその声を聞かせろ』と言わんばかりに。
 だが、呟きに反して少女の表情は気怠さを帯びており、僅かな絶望や恐怖も滲ませてはいなかった。

「悪いけど、あなた達と一緒に遊んでいる程わたしは暇じゃないの。だから……死んで?」

 その一言と共に、少女の足下を中心にゴブリンの群れの最後尾まで覆い尽くす巨大な魔法陣が展開される。先の氷槍を放ったそれに劣るものの、それでもかなり複雑だ。だというのに、燃え上がる夕日のような緋色に輝く魔法陣の上に、更に重ねるように水色に輝く魔法陣が一つ、そして少女の足元に重ねられた魔法陣をミニュアサイズにした魔法陣がもう一つ展開される。
 足元を覆い尽くす魔法陣の危険性を瞬時に理解したゴブリンの群れは、後方は魔法攻撃の範囲外から出ようと大きく後方へ飛び退こうとし、範囲から逃れられないと判断した者達は魔術の発動を阻止すべく少女に飛びかかった。だが、それよりも早く少女が展開した魔法陣が動く。否、わざとタイムラグを発生させた上で少女が発動させたのだ。
 真っ先に気が付いたのは最後尾より少し前にいたゴブリン達だ。危険性を理解するなり飛び退いたのだが……背後にある危険を確認しなかったツケを、支払わされる事になった。
 待ち構えていたのは、氷の結界。それも、内側に向かって鋭く尖った穂先が取り付けられた代物だ。それに気が付く事なく飛び退いてしまったゴブリン達は、自ら氷槍の穂先に憎悪に満ちた命を貫かれる事になった。
 だが、気が付いた残りのゴブリン達もただでは済まなかった。結界の内部は例外なく全て氷槍で覆い尽くされていたのだが、それが先のゴブリン達が氷槍に飛びかかった際に生じた僅かな衝撃で根本が折れ、氷槍が死を齎す大雨と化したのだ。大雨を避ける余裕など無いまでの大群は、各々の得物を盾にしたり打ち砕くなどして対処しようとする。しかし、大群を遥かに凌駕する数の暴力と大きさを以てして、次々と心臓や脳を貫いてゴブリンの魂を喰らってく。
 少女に襲い掛かった者達も例外ではなく、飛びかかった姿勢のまま氷槍に貫かれて死にゆく様は、まるで針で縫いつけられた昆虫の展示物のようだ。それでも難を逃れて少女に一撃を与えんと迫ったゴブリン達も、少女が発動させた氷槍結界、それも今度は外側に向けて槍の穂先が向けられた物に突っ込み、無様に命を散らしてゆく。
 それでも尚生き残った強者は、どうにかして少女が作り出した氷槍結界を突破すべく魔素を練り上げ始める。

「頃合いね」

 次々と自滅していくゴブリンの大群の様子と、魔素を練り上げだしたゴブリンを確認した少女は呟く。
 同時に、最初に展開させておきながら最後まで残り続けた魔法陣が一際美しい輝きを放ちーーまばゆい閃光を辺りに放ちながら爆発した。
 一瞬で直径二キロの範囲を焼き尽くし、四散し、灰すらも残らないまでの超高温を伴った爆風が、爆心地より数キロ先にまで吹き荒れる。蒸気すら残さずに雪を蒸発させ、爆風に晒された木々を数秒と経たずに焼滅させ、ありあまる熱は大地諸共全て焼き尽くした。
 ただ残るのは、少女を辛うじて守りきった紙切れ程の薄さしかない結界と、守られた少女。そして、爆発によって吹き飛ばされた青空から燦々《さんさん》と降り注ぐ太陽によって照らされた、黒焦げた焦土だけであった。

「……ちょっと、やりすぎちゃったかな?」
 いかにこの東の大陸 アメアクダイエ大陸の九十パーセントを占める大樹海であったとしても、これだけの規模の爆撃魔術を受ければ生態系にも大きな影響が出るかもしれない。もしかすると、今の魔術のせいで絶滅してしまった魔物もいるかもしれない。
 だが、そうだとしても少女にはどうしようもない。
 あれだけの魔族の群れに遭遇している間に、追っ手に追い付かれてはマズい。魔族に限らず、餓えた魔物達に襲われるなりして計らずとも足止めを受けている可能性もあるが、そんな物は希望観測でしかない。相手がこちらを脅威であると認識しているのは明白だ。あれだけの魔術の撃ち合いをも征せそうな大魔導士の軍勢や、魔法陣や魔術そのものを斬り捨てると同時に、振るうだけで魔術を発動出来る魔刃器持ちの騎士団。更には魔物や竜族と契約を交わした契約者すらも送り込んで来ている事実が、なによりの証拠だ。
 少女とて、それだけの軍勢を一人で相手取るには分が悪い。万全の状態であれば一人で叩き潰せなくもないが、それだけの魔素は今はもう無い。定期的に魔素を回復するための休憩も取ったりアクティビションを解除したりしていたが、これだけ派手に魔術を放ってしまえばそんな事も出来ない。何よりも今は、あの人の潜伏先を追っ手に知られる事なく、撒いて撒いて撒き抜いて、なんとか潜伏先に到着する事が最優先事項だ。

「…………急がなきゃ」

 さっきの無駄撃ちが痛いなと思いながらも、未だに水蒸気が立ち上る焦土を裸足の少女は駆ける。
 普通であれば火傷でそれどころではないのだが、そこは魔術に精通した少女。足元に水色の小さな魔法陣を展開し、火傷しなくて済むように足の裏の皮膚を極低温の冷気を纏わせる事によって難を逃れる。その証拠に、彼女の足が付いた地面だけが凍りついて真っ白になっている。
 しかし、その逃亡も長くは続かなかった。

「……!」

 即座に火属性の魔素が自分の周囲を覆い尽くすのを感じ取り、すぐさま足元に茶色に輝く魔法陣を展開させる。
 魔法陣は展開されるや否や一際美しい輝きを放ち、真っ黒い大地が目にも留まらぬ速さで少女の全身を包み込んだ。
 ここまでに掛かった時間、およそ一秒。しかしその一秒で作り上げられた土属性の結界は、新たなる爆撃魔術によってことごとく粉砕される事となった。
 少女が放ったそれと比べると少し見劣りする威力と熱量であるが、それでも一気に十回も同威力の爆撃を受ければいかに土属性の結界と言えども無事では済まない。
 だが、粉砕された土属性の結界から姿を現したのは、またしても結界。それも、今度はかなりの魔素が練り込まれているのか、同じ威力の爆撃魔術を受けて尚、溶ける事も粉砕される事もない氷の防壁だった。

「もしかして、あのゴブリンの群れはあなたの仕業?」

 少しの焦げもない透き通った氷の城壁に守られた少女は、そんな結界を砕き斬らんばかりに大剣を振り下ろした騎士に問い掛ける。
 単純な振り下ろした斬撃でしかないのだが、それでもかなりの威力が込められていたのだろう。氷の結界に深い溝を刻み込み、もう少しで完全に断ち切る一歩手前まで切り込まれていた。

「その問いに答える義務が私にあると?」

 獰猛な輝きを放つ漆黒の鎧と兜で全身を包み込んだ男は、少し年季の入った深みのある低音で一蹴すると、赤いマントを翻してすぐさま大剣を引き抜いて後方に大きく飛び退いた。
 それからコンマ一秒の間もおかずに茶色の魔法陣が展開され、すぐにそれは岩の槍となって貫こうとした。だが、事前に察知していた騎士の回避により、空間を虚しく貫くだけに終わる。
 無論、これで終わりの筈がないが。
 断続的に少女を守る氷の結界の側に茶色に輝く複数の魔法陣が展開される。先程よりも複雑なそれからは、十数本にも及ぶ岩の槍が吐き出された。
 先程虚空を貫いたそれと同様に、騎士の身長を易々と越える三角錐状の穂先が特徴的な巨大岩槍は、躊躇うことなく漆黒の騎士に向かって肉眼では到底捉えきれない速度で迫る。だが、ゴツゴツとした見るからに重苦しい鎧姿に見合わぬ素早い剣捌きで次々と岩槍を砕き斬っていく。
 その様子を見て、少女は岩槍に引き続き新たに火属性の魔素を帯びた魔法陣を虚空に十数個展開する。展開された魔法陣の中心からは、騎士二人分の直径はありそうな火球が数十個も吐き出され、岩槍と火球による弾幕を形成するが、しかし騎士はその火球すらも全て大剣一振りで切り裂いた。

「確かに無いわね。わたしはあなたの国王様から言わせれば反逆者でしかない訳だし。でも、それぐらい教えてくれたって良いじゃない。だって、わたし死ぬかもしれないのに」

 そんな騎士に、世間話でもするかのような気軽さで自らの死について口にすると、少女は足元に再び茶色に輝く魔法陣を展開する。今度のものは、岩の槍を出した魔法陣に比べるとかなり複雑かつ大きい。

「そうだと分かりきっているのであれば、無駄な抵抗などせずに大人しく殺されれば良いものを。私や他の者達も、やらなければならぬ仕事が多分に残っているのだ。お前にこれ以上時間を割いている暇などない。そして、私達がお前に負ける可能性が万に一つでも残っている以上、それについて答える訳にはいかない」

 暗に肯定とも捉えられかねない言葉を発しつつ、全ての槍を叩き斬った漆黒の騎士は、氷の結界の後ろから地鳴りとともに押し寄せる砂の大津波を見据える。
 大樹海を丸々飲み込みかねない程に、天を易々と覆い尽くす砂漠の津波を目の前しておきながら、まったく動じる事なく。漆黒の騎士は大剣を左肩に担ぐように構えつつ、腰に差されたもう一振りの大剣の柄に片手を添える。カチャッと重圧な金属同士が重なり合う音を立てながら構えそれは、紛れもなく居合いの構えであった。
 端から見れば、ただ地鳴りと共に押し寄せる砂津波に立ち向かう阿呆のようにも見えた。しかし、

「……やれ」

 騎士のその一言と共に、砂漠の大津波目掛けて爆発、雷撃、岩槍などが多数襲いかかった。
 その数たるや、先ほど少女が放った岩槍を遥かに超えたものであり、砂津波をたちどころにただの砂へと霧散させる。
 そして、結界が剥き出しになった頃合いを見計らって、騎士は大地を凄まじい脚力で蹴り飛ばした。
 大地を大きく震動させ、岩盤を地表にめくり上げるだけの破壊力を以てして得た推進力に任せて漆黒の騎士は結界と肉迫し、

「砕けよ」

 先ほどの斬撃で入れたヒビ目掛けて右肩で体当たりを仕掛ける。
 ただでさえ弱っていた亀に更なる力が込められた事で、遂に少女を守っていた結界が完全に崩壊する。
 石を投げ入れられた事で割れたガラスのように飛び散る氷の結晶を一身に浴びながら、騎士は結界の中央に立つ少目掛けてもう一振りの大剣を鞘から抜き放った。
 丁度騎士の肩幅程もありそうな幅広で、百八十はありそうな巨漢よりも少し長い長大剣による一閃。堅牢な事で知られる竜族の鱗を容易く裂き、最も難しいと言われる首切りも成し遂げた抜群の切れ味と最高の技術力が込められた斬撃は、しかし少女の細く柔らかそうな身体を断ち切る事はなかった。

「それはお疲れ様。でも、わたしだってまだまだやりたい事とが、叶えたい事がたくさんあるの。だから」

 死ぬか生き残るかが分かるその時まで、わたしはあなた達に抗うわ。

 少女は受け止めていた。
 竜族の首すらも切り落とした、剛を極めし居合いの一撃を。
 一瞬にして想像し、顕現させた眩いばかりの輝きを放つ黄金色の剣を縦に構える事によって。

「…………なるほど。上級魔術ばかり放ち、かえって此方を誘うような真似を何故するのかと疑問に思ってはいたが、自然魔素を取り込む為であったか」

 冷静に少女が成した荒技を分析し、漆黒の騎士は少女を斬る事を諦め大剣を外すと、後方へ大きく飛び退いた。
 再びコンマ一秒の誤差で魔法陣が展開され、騎士が今までいた空間を岩槍が虚しく貫く。
 ここまでは先ほどの繰り返し。しかし今度は、魔素までも感知されないように押し殺した上で支援魔術 スケールアーマーによって身を隠した大魔導師達による援護魔術が襲いかかった。
 大地を叩き割って出現した細長い触手状の岩槍が、まるで少女を取り囲むように一斉に出現。それらは放物線を描くようにして少女の頭上へと降り注ぐ。
 更に、ようやく合流したであろう契約者軍の魔刃器による特殊魔術 召喚刃による幻影魔物や竜族の攻撃が四方八方から迫り来る。
 相当な負担を強いられたからか、今まで焦土でしかなかった場所にローブを着た数百近い人間が、片手を少女に向けている姿がハッキリと見えている。少女と漆黒の騎士を囲うように現れたその軍団の中には、白銀の鎧に身を包んだ騎士達の姿も見受けられる。が、そうした者達も己の得物としている弓や、魔導師と同様の魔術で攻撃を仕掛けている。
 しかし少女は慌てる事なく、足元に再度水色の魔法陣を展開し、最初に発動した氷の結界を三重に創造する事で全て凌いでみせた。
 だが、たださえ強烈な上級魔術に加えて、幻影とは言え竜族や魔物の攻撃も加わったのだ。当然結界が無事な筈がなく、一瞬で創造した堅牢な結界の内二つは完全に崩れ、内一つが辛うじて原型を留めている状態だった。
 そんな結界の完全崩壊を目前にして、攻め手を緩める馬鹿は敵には居なかった。

「……魔導師団、契約騎士団を含む第七騎士団全員は攻撃方法を低級魔術へと移行。放つべきは矢、あるいは弾形魔術のみにせよ。アルベルト隊は支援魔術に混じってあの結界を完全に砕き、自然魔素によって作り出した魔刃器を破壊、或いは弾き飛ばせ。彼の罪人の首級は、私がこの剣を以てして跳ね飛ばす」

 先ほど抜いた大剣を鞘に納めながら、殆ど独り言のような小ささな声で、漆黒の騎士は指示を出す。すると、まるで無線機で指示を受け取ったかのように、数キロ離れた樹海から黒い影が凄まじい勢いで少女に向かっていった。

「さすがはゼルギウス騎士団長ね。この状況でアルベルト副団長を動かしてくるのは、ちょっとキツいかな」

 一気に小規模魔術へと攻撃方法を転換してきた状況を見て、たった一人で数百人分の魔術や矢を大規模魔術で打ち消して結界を守りながら、迫り来る黒き俊足の影を見て表情を歪める。
 身体付きからも分かる通り、少女はもとより剣術の使い手などではない。使えたとしても、それはただ素人が刃物を無茶苦茶に振り回すのと大差ない技術でしかない。
 しかも、なんとか結界で攻撃を凌いでいる間に自然魔素を取り込む事が出来たものの、あまりに攻撃が激しすぎる所為で取り込めたのは本来自分が持つ量の十分の一程度でしかない。その上、大部分はとっさに作り出した三重氷結界で持ってかれてしまった。今の自分に出来る最高練度のアクティビションを使っているからこそ見切った上で対応出来たものの、それでも先の斬撃を受け止めた事で腕がかなり痺れてしまった。本来ならここで治癒魔術を発動させたいところなのだが、援護攻撃への対応の所為でそれどころではない。そんな腕で剣を振るったとしても、数合打ち合っただけで弾き飛ばされるのは目に見えている。
 そうならないように魔術合戦に持ち込みたいところではあるのだが、痛いことに、アルベルト隊が動き出して早くも結界の大部分を削り取られてしまっている。なんとかアルベルト隊を結界から引き剥がしたい所ではあるが、援護攻撃も結界に当てさせずに追い払い、魔素の消耗を節約するとなると、どうしても中級の大規模魔術に頼るしかない。
 いや、そもそもアクティビションを除いてしまえば、彼女は低級魔術を使うことが出来ない。正確に言えば使えないのだ。魔法陣の構造は理解しているし、込めるべき魔素の量も分かる。だが、あまりに少女の魔素が膨大かつ特異な性質をしている所為で、低級魔術の魔法陣を描いた上で発動させても、それはワンランク上の中級魔術になってしまうのだ。
 低級魔術の魔法陣でも中級魔術を発動出来ると言うと聞こえは良いが、それはつまり魔法陣に込められる最低魔素量がそこまでしかだせない事を指し示している。
 つまり、低級魔術の魔法陣で低級魔術が発動すると言うことは、この少女の完全なる魔素の消失。すなわち死を意味する。
 勿論、少女とて魔術の使い手だ。自分の魔素量がどの程度か把握できる。だが、把握は出来ても魔術を発動させないで済む状況を作りだすのをこの騎士団が許す筈もない。
 まして、『魔導師殺し』、『万物を切り裂く黒き烈風』の二つ名で知らぬ者は居ない序列二位の最速二刀流剣士 アルベルト・デンペルト第零騎士団副団長率いるアルベルト隊が結界を崩しに掛かっているのだ。これ以上攻撃を受けて破壊されようものなら、目の前で大剣を寝かせて脇構えの構えを取っている『アメアクダイエ大陸最強』、『勝ちという言葉しか知らぬ絶対強者』と名高い騎士 ゼルギウス・ネアエルテス第零騎士団長に首を跳ね飛ばされる未来しか見えない。
 けれど、状況として言えば最悪の一言に尽きる。少しの魔術の威力を落とす事も出来なければ、自然魔素を練り込んで魔素を補給する事も出来ず、圧倒的にこちらを上回る手数で斬撃を繰り出して、放った魔術を余裕をもって避けては攻撃を再開するアルベルト隊にボロボロの結界を削られている。
 魔素が枯渇するのが先か、結界が壊れるのが先か。後者であるならば、完全なアクティビションに物を言わせてなけなしの剣術で相手出来るかもしれないが、それもまな板の上に乗せられた鯉が最後の抵抗とばかりにのたうち回る程度の、悪足掻きとも呼べないものでしかない。
 …………それでも。

(ここで踏ん張らないと……!!)

 少女は戦う。
 もしここで死に果てる事になったとしても、あの人が居る村から離れたこの場所ならば、気付かれる事はないだろう。
 あの人は聡明だ。あれだけ派手に魔術を放っておけば、自分の身が窮地に、それも半ば死が確定した死地に立たされている事など容易に察する事が出来るだろう。そうだとしても、あの人は絶対に助けに来ない。
 何故なら自分がそれを望んだから。あの人さえ生きていれば、あの大悪魔を討ち滅ぼす事が出来るのだから。そして、それを誰よりもあの人自身が理解してくれているから。
 だからこそ、あの人の行方を明かすことなく、このまま自分に注意を引き続かせよう。
 自分が死ぬ事で、あの人を悲しませてしまうのは辛いけれど、憎悪や怒りを通して決起させられる事は出来るから。あの人の居場所さえバレなければ、絶対に自分の悲願を叶えてくれるから。

「あっ……」

 そんな決意をした少女の目の前で。
 今まで猛攻を耐え抜いてきた氷結界が、アルベルト本人によるものと思われる十文字の斬撃を受け、粉々に砕け散った。
 そして、少女が最後の足掻きと剣を振るう為に握り締めようと思った時には、既に手の中に剣の重みや硬さはなく……あるのは少女の汗ばんだ肉の感触のみ。
 弾かれた事で生じた金属の悲鳴と、腕を痺れさせる衝撃は、遅れて彼女の鼓膜を、細い腕を激しく揺らす。
 アクティビションを極めた自分であっても眼で追うことの出来ない、音すらも置き去りにする斬撃を放つ腕前は、敵ながらお見事と言うほかにない。
 そして、完全に無力化された少女目掛けて、僅かに見切れる程度の速さで猛進するゼルギウスの隙の無さは、確実な勝利に対する執着心には、恐ろしさすら感じられた。

「ごめんなさい。先に逝くね」

 避ける事も出来なくもないだろうが、たとえ避けたとしても返す一撃で両断されるのは分かりきった未来だ。それなら、もう避ける必要はない。
 どうせ殺されるのなら、最後にあの人に向けての言葉を残しておいた方が良いだろう。そう思って、少女は迫り来る斬撃を避けようともせずにただ見据えていたのだが……。

「むっ。総員、上空からの急襲に対応せよ」

 相変わらずの声の小ささながら、しかし少し焦った口調でゼルギウスは指示を出すと、自身も無理やり勢いを殺して大剣を下段へと構えを変えた。
 直後、まるで焦土にされた熱気が思い出したかのように、凄まじい量の豪雨が降り注いだ。
 ただし、言葉通りの雨ではない。稲光にも似た激しい閃光と轟音と共に降り注いだそれは、死をもたらす、煌びやかな輝きを放つ矢の雨だった。
 快晴の青空より降り注いできたそれは、一本一本が落ちてきた場所を中心に深い亀裂を地面に刻み込む威力を誇る。無慈悲なまでの殺傷力が込められた矢の数々は、魔導師団や騎士団の結界を容易く突き破り、中の術師を問答無用に串刺しにし、土煙を激しく巻き上げた。

「……第七騎士団をここまで圧倒してみせるとはな。それも、あの者だけをピンポイントで守ったとなると、かなり腕前らしいな」

 そんな矢を、大剣一振りだけで全ての矢をはたき落としたゼルギウスは、声を投げかけた。
 土煙を突風で吹き飛ばして少女の側に現れた、一人の女傑に向けて。

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