竜神姫 ~白髪赤眼のモノノフ~

スサノオ

第十五章 少女の審判を任されしは





 時は、少女の岩結界を破壊した断続的な爆撃音を耳にして戦場へ向かう頃にまでさかのぼる。

「……かなり激しくやりあっているようだな」

 リヴァイアの提案のもと、アクティビションを発動させた上での全力疾走ではなく、半分程力を抜いた状態で走っていた千火は、断続的に鳴り響く何かが地面から突き破る音や落下音、更に響き渡りだした爆撃音からそう考察する。

『そうですね。これだけ激しいものですと、魔族同士の魔術合戦か、敵対する王国同士の争いか、あるいは魔族と人との合戦とみて良いですね』
「魔物は違うのか?それに、飛竜族の可能性はないのか?」
『飛竜族との戦いであれば、もっぱら空中での魔術の撃ち合いになります。加えて、この世界の頂点に君臨する竜族の一種たる飛竜族が、たとえいがみ合わない関係であったとしても、人間や魔族を相手に中級魔術を発動させる筈がありません。数が多い場合ですと、大抵は空中で拡散爆発型の火球を吐いて一気に殲滅するか、千火様が受けられたように真空波を伴った暴風だけで殺そうとするかの二択だけです。これは昔と今、そして飛竜族か否か関係なく言える事に御座いますが、わたくしを含めた竜族は、本当に自分が全力を出すに値する敵と認めない限り、魔術を発動させる事は御座いません。これは本能的なもので、自分に戦う意志が無かったとしても、自分が全力を出すのに相応しい相手であると少しでも感じてしまうと、闘争本能が剥き出しになって全力で殺しに掛かるようになったしまうのです。そして、半ば本能的な魔術の発動となりますと、幼竜であったとしても上位魔術を乱発して、魔素が枯渇する寸前まで暴れまわるようになりますので、今回のように中級魔術の乱発はまず有り得ないのです。魔物にしても、確かに上位魔術などで戦える者が戦略的に中級攻撃魔術を乱発する事も御座いますが、そう言った魔物はこの大陸にはおりません。加えて、そう言う魔物であっても複数種の攻撃魔術を発動させる事は出来ませんので、乱戦の場にいるのは人か魔族のどちらかに限定されるのです』
「…………なるほど。そうなると、やはりお前を消せるようにしたいな」
『……そうですね。では、こういう慌ただしい状況下で申し訳御座いませんが、早急かつ手短にご説明致します』

 もし助けた人間が嫌竜派の人間にであった場合、こんな壮麗な龍の装飾が成された薙刀を持っていれば、自分が人類の敵にある竜族に組みしていると声を大にして言いふらしているようなものだ。
 そうなれば、せっかく助けた相手と殺し合わなければならない可能性が高くなる。親竜派の場合であったなら話は違うだろうが、だとしても変に崇められたり旅に同行したいなどと申し出されても面倒だ。
 ならば、竜神姫としての身分を隠した上で様子を見る。人同士での戦いであれば、勿論放っておくつもりだ。
 どちらがどの派の人間なのか分からない以上、下手に手を貸して親竜派と敵対して嫌竜派に味方するような事になれば、せっかくの親竜派を嫌竜派思考へと変えかねない。どころか、助けてしまった嫌竜派に謀られて殺される恐れもある。

「あぁ、頼む。本当に手短にな?」

 ルシファムルグにあげた大蛇の時と異なり、相手は魔術に精通した存在だ。千火もやった無詠唱魔法陣無しでの魔術の発動なんて簡単にやってくるだろうし、何よりそうでなかったとしても発動までにかかる時間が短すぎる。あんな短時間で、次々と放たれる高火力の魔術を躱し続けるのは、魔術に慣れていない千火にとって容易な事ではない。
 かと言って、もし魔族に襲われているのであれば、放っておく訳にも行かない。ならば、この僅かな移動時間を使って全て理解するしかない。

『では、単刀直入に申し上げます』

 思わず唾を飲む。あまりに難しく長い場合であれば、リヴァイアをどこかに置いていき、ルシファムルグの弓矢だけで様子を伺いにいこうとさえ思った。だが、今回は言葉通り短かった。

『わたくしとルシファムルグの魔刃器に銘を付けて下さい。そして、薙刀に向かって『戻れ』と御命じください』
「…………たったそれだけで良いのか?それに、リヴァイアの武器は形こそ違えどトライデントという銘があったのだから、それで良いのでは?」

  あまりに簡単かつ宣言通りの短さに千火としてもまごついてしまう。が、トライデントの事について問い掛けるのは忘れない。

『お気持ちはお察し致しますが、急ぎ銘を付けて頂けますか?音でなんとなくお分かりになられるかもしれませんが、もうそれほど戦場までの距離は御座いませんよ?それに、トライデントは前竜神騎が付けた銘です。千火様と新たに契約を交わした今におきましては、無銘に御座います。ですので、わたくしの武器の銘も付けて下さいませ』

 苦笑混じりの説明厨リヴァイアの言葉に、千火はすぐさま頭を切り換える。
 事実、頭の中に響くという形でなければ聞こえないぐらい近づいている。おそらくあと数里、つまり残り二分も掛からないで戦場付近に到達するのだ。

(とはいえ、いきなり銘を考えてくれと言われてもな……)

 時間が無いのは分かっている。それでも、今後の戦場を共に駆け抜ける大切な得物達だ。決して粗雑な銘を付けたくはない。

(……リヴァイアは水龍王、この世界の水を司る神と呼ぶに相応しき竜族…………そうか、丁度いい名があったな。……ルシファムルグは王にこそ劣れど、成熟すれば上位の竜族と対等な実力を誇るようになる、か。…………そうなると、だ。すこし癪ではあるが、やはりあの銘が良いかもしれないな)

 雪を蹴散らし、深い緑を駆け抜けながらも、千火は今後呼び合うに相応しい銘を思い付く。
 弓の銘。それは、今のルシファムルグには少し、いや、かなり御大層な銘ではある。スズメに鳳凰と名前を付けるのと、殆んど変わらないほどに。が、この先銘の通りの活躍をしてくれる事を願い、同時にそうなって欲しいという期待も込めて。
 薙刀の銘。それは、この世界においても変わることのない、命の源と形容出来る水を司るリヴァイア。千火の知るうる中でもっとも当てはまる、とある神の名を。

「決めたぞリヴァイア」
『随分とお早いですね。早速お聞かせして頂けますか?』

 三十秒も掛かっていない事実に少し驚きつつ、銘について尋ねる。

「無論だ。リヴァイア、お前の薙刀には『淤加美おかみ』、ルシファムルグの弓には『迦楼羅かるら』と銘々する」

 そう告げた直後、な千火は明確に身体に違和感を覚えた。
 魔術を発動させる時と同様の、あの全身を構成する四角い小さな物体がハッキリと感じられる。ばかりか、千火の全身を、三種の魔素が循環しているのを、魔術を発動させる時よりも鮮明に感じたのだ。己が魔素を血になぞらえて赤とするならば、リヴァイアはあの瞳と同じ蒼色、ルシファムルグは羽の色と同じ七色と表現出来る。
 そして、千火はようやく感じ取った。全身を構成する四角い物体に、常に大量の魔素が流れ込み、全身から魔素が漏れ出ている様子を。取り分け、魔術を発動させている為か、全身よりも多く魔素が流れ出ている両足については、ハッキリと感じられた。

「な、なんだこれは!?気持ち悪いことこの上ないぞ!!」

 実際に見ているわけではないが、まるで臓器以外が透明になっている全身を姿見で見ているような、そんな恥ずかしいさと気持ち悪さに思わず声を上げて足を止めてしまう。
 同時に、魔術の集中力が切れた影響で、足から流れ出る魔素の量が激減するのがよくわかった。どうやら、これが完全に魔術の発動を解除させた状況下にあるらしい。

『最初はそう思われるかもしれませんが、しばらくすれば馴れますよ。それよりも、早くわたくしを消しては頂けませんか?もう間もなく戦場に辿り着きますよ?』

 確かにその通りなのだが、千火としてはもう気持ち悪くてどうしようもない。なんとかリヴァイアの話に意識を向ける事で気を逸らそうとするが、痛みのようなハッキリとした感触が和らぐ事はない。
 爆発音が鳴り響く戦場を目の前にして、誰かが殺されるかもしれない緊迫した状況下であるにも関わらず、これだけの醜態を取らなければならないでいる自分が腹立だしい。
 それでも、こんな状況ではまともに刃を振るうことも、矢を解き放つ事も出来ない。

「リヴァイア、消したいところではあるのだが今はそれどころではない!なんとか今までのような状態に戻す事は出来ないのか!?」

 気持ち悪さを我慢出来ない己に腹を立てつつも、千火はリヴァイアに助けを求める。

『……少々お待ち下さい』

 その救済を求める声にリヴァイアが応じるのと同時に、蒼色の魔素が全身を構成する四角い物体の中や千火の魔素に混ざりだした。
 今まで以上に魔素の動きが分かるようになってしまった所為か、嫌悪と恥ずかしさーーそして変に癖になりそうな快楽が入り混じった、おかしな感覚を覚える。男と契りを交わすと言うことは、こういう事なのかもしれないとなんとなしに千火思った。しかし、数秒も経たない内にその感触は徐々に消え失せ、十秒が経った頃には今までと同じ感覚へと戻った。

「…………すまない、助かった。『戻れ』」

 感覚を消してくれたリヴァイアに感謝の言葉を紡ぎつつ、千火は言われた通りに命じた。
 すると、千火の命を受けた白銀の薙刀は、千火の背中から粒子となって姿がどんどん透き通っていく。
 背負っていた重さや硬さが消える感覚もさることながら、薙刀『淤加美おかみ』を形成していたと思われる魔素が身体に流れ込んでくるのを感じ取って、千火は『淤加美おかみ』が完全に消えたのを理解した。

『これで『淤加美おかみ』は完全に千火様の周囲から無くなりました』
「そのようだな。さっきの感触や『淤加美おかみ』の召還方法についても問たいところではあるが、まずは戦場の様子を見に行くとしよう」

 もう竜神姫だとバレる心配もないのだ。気兼ねなく戦場に赴けるようになった千火は、すぐさま駆ける足を早めた。

「……っ!!」

 そして、千火は目の当たりにする。
 かつてそこが深い緑に覆われた大地であったと言われても決して信じる事が出来ない程焼け焦げた、真っ黒く焼け焦げた地獄を。
 そんな焦土だからこそ一際目立つ、白銀や黒の見たこともない甲冑や、奇妙な衣を身体に羽織った数百人近い軍勢を。それらに取り囲まれ、一方的に魔術や弓矢による攻撃をなんとか火属性魔術で無効化している、ボロボロの氷の結界に守られた少女の姿を。

『…………千火様。お気持ちはお察し致しますが、ここは堪えて頂けませんか?』

 リヴァイアの言わんとしている事は分かる。
 戦っているとはいえど、それは人間同士での争いであって、魔族とやりあっている訳ではない。
 どちらが嫌竜派か親竜派かも分からない状況下で戦に介入し、誤って親竜派の国家の勢力を大きく削ることになってしまう可能性が多大にある。加えて、嫌竜派の国家に味方してしまう可能性すらある。ならば、ここは見なかった事にして立ち去るべきだ。たとえ十を少し過ぎた少女が、大勢の軍勢によって囲まれていたとしても。
 頭では分かっている。
 分かってはいるけれど……。

「…………」

 千火はその場を去ろうとはしなかった。いや、去れなかった。
 子供が大好きな千火にとって、今のこの状況を見過ごすなんて論外だ。すぐにでも周囲を取り囲む大軍勢を膨大すぎる力で蹴散らし、少女を助けに行く。このような状況下でなければ、間違い無くそうした事だろう。
 だが、世界の調整を担い、竜族と人との間に架け橋を掛けようとしている以上、そうした身勝手な行動は慎まなければならない。もしかしたら、親竜派の国家に対してかなりの大打撃を与えた大罪人かもしれない。あどけなさが色濃く残るその容姿に反して、あれだけ連続して高威力の魔術を連発させているのだ。国そのものを相手にしてもマトモにやり合えそうな実力は、間違い無く少女は持っている。
 ここはリヴァイアの言に従って少女を捨て置き本来の道へと戻れ!と現実的な意見を言う己と、ここであの少女を見捨てて良いのか?と問い掛ける己。その両者の意見をどちらも捨てがたいと葛藤する千火の目の前で、戦場が更なる変化を迎えた。
 リヴァイアの補助の下、完全なアクティビションを発動させていても尚ハッキリとは捉える事の出来ない、超常的な速さで駆け回る黒鎧の戦士。その両腕に握られた三尺程の白銀色の得物ーーリヴァイアによるとあれがこの世界における剣らしいーーが、ボロボロの結界に噛み付いたのだ。
 綺麗な白銀色の十文字の軌跡が描かれた、次の瞬間には完全に崩れ去っていた。さながら凍った川に石を投げ入れて割れたかのように、辺りに氷の塊を周囲に撒き散らして。
 少女もこうなる事は分かっていたのだろう。右手に握っていた少女と同じ身長程の大剣を構えようとした。
 だが、動き回っている黒い戦士にとってはあまりにも遅すぎた。僅かに構えようと腕を動かした時には、けたたましい金属音と共に黒い戦士の二剣によって弾き飛ばされていた。
 そして、その様子を待っていたかのように、囲い込んでいた戦士達の中でも一際存在感と力強い覇気を放つ漆黒の戦士が少女目掛けて一気に駆け出した。

「っ!!」

 もう、堪えられなかった。
 リヴァイアも制止の声を上げただろうが、そんな物すら聞こえぬまでに一心不乱に矢を放とうとした。
 だが、当然ではあるが『迦桜羅』は今まで千火が愛用していた和弓とは大きく使い勝手が異なる。矢の大きさもさる事ならがら、最初に確認した弦の張りの強さも全然違う。

「くっ!!」

 大きすぎるが為に三本持とうとするのを諦め、せめて気を引ければと瞬時につがえる矢を一本へと変え、上に向けて放った。
 放ったところで、あと数歩で斬撃の攻撃範囲内に少女を収められる漆黒の剣士が、こちらに振り向く事はないのは目に見えている。だからと言って、剣士を狙って射抜こうにも周囲に数多くの戦士達が居るのだ。いかにアクティビションで強化した上で放った矢であったとしても、魔術に精通しているであろう者達の目ならば簡単に叩き落とせるだろう。
 だがらこそ上に向けて放ち、その矢唸りで此方に気付いてくれればと思ったのだが……その悔しさ、つまりはかつて己に出来ていた弓技が頭に鮮明に残っていたその事実が、千火に最高の結果をもたらした。
 矢唸りの無い、ただ一本の矢。されど、それは丁度少女の上空に差し掛かった直後、爆発した。否、ただ爆発したのではない。眩いばかりの黄金色に輝く閃光を放ち、数千を超える膨大な量の雨となって戦士達の身体を焦土に縫いつけたのだ。
 ただ、いち早く気が付いた漆黒の鎧に身を包んだ大剣戦士と二刀流剣士の二人は、そんな当たらない方がおかしいと思える矢の雨を、己が得物だけで弾き返していた。他の者達が結界で身を守ろうとして失敗するのを見て、二人の剣士同様剣で弾こうとしたものの、矢の一撃の重さに耐えきれず折れてしまった者が多発した矢を、地面に深い溝を刻み込み、なおかつ真っ黒い砂煙を巻き上げる死の矢を、だ。
 勿論千火も最初こそその威力と剣士の腕前に目を剥いたものの、すぐさま少女の元へ行くべきだと判断して土煙に紛れて向かう。
 出来る事なら土煙が漂っている内に少女と共に行方をくらましたかったが、アクティビションを使って全力で近付いたのだ。当然土煙は吹き飛んでしまう。
 しかしそのおかげで、縫いつけられてこそいるもののまだ戦士達が死んでいない事を確認出来た。

「……第七騎士団をここまで圧倒してみせるとはな。それも、あの者だけをピンポイントで守ったとなると、かなり腕前らしいな」

 静かな声で、少女の首を斬らんと迫った大剣剣士はそう言葉を投げ掛けてきた。

「ふん。このような布切れだけの子娘一人を相手取るのに数百近い軍勢を率いるお前に言われても、なんの感慨も浮かばないな」

 声音に怒りの感情をしっかりと染み込ませて、千火は目の前に立つ剣士と呼びたくない男に真紅色の瞳を向ける。
 全身を覆う黒い鎧は、太陽光に照らされて獰猛な輝きを放っている。見た目は両肩当が狼牙棒のように尖っている程度しか特徴が見受けられない、かなり簡素な造りだ。だが、実際に装備していないにも関わらず、一目で重いと判断できるような異様な重圧感を纏っている。
 その上に、男の身長程もありそうな長ったらしい真っ赤な外套らしきものを羽織っており、到底動き易そうとは思えない。だが、あの格好であれだけ速く動けるとなると、実際はそこまで行動に支障はないのだろう。
 頭は千火が見たことがない、しかし鎧同様に見るからに重そうな兜を被っている。こちらの見た目も特筆して上げられるものがない。強いて言えば、顔が完全に隠れて顔が確認できない所と、額に向かうにつれて高さが増していく、一部円を斬ったような形ーー現代でいうⅭの字型をした装飾がなされているくらいだ。それでも隙間から覗く黄色い二つの輝きを隠す事は出来ない。

「これは手厳しい。私としても単独でその少女を仕留めたいところであったのだが、なにぶん陛下の御命令とあってはな」
「ほう、言い訳をするのか。陛下とやらに仕えている身でありながらその程度とは、到底忠臣とは呼べたものではないな」

 その眼に移る感情を読み解こうと試みつつ、千火は辛辣な言葉を放つ。
 途端に千火に対して凄まじい怒気と殺気が向けられるが、この程度リヴァイアの殺気と比べればそよ風にも劣る。加えて、なまじ戦い抜いてきた千火が、この程度の殺気で気圧される筈がない。

「フッ、これでも陛下に助けられた身。私は十二分に、忠義をまっとうしていると自負しているのだがな。……それで、貴公はいったい何者だ?見たところ、この世界に来て日が浅い転生者のようではあるが、何ゆえにその少女に手を貸さんとする?」

 唯一縫い付けられていない、背後に立つ二刀流剣士に何か指示を出したのだろうか。カチャカチャと音を立てながらも、手を僅かに上下させながら漆黒の大剣剣士は問いかけてくる。

「貴様は忠義を尽くしてなどいない。ただ言いなりになっているだけの、なにも考えずにただ操られている木偶でくにしか過ぎん。真に忠義を尽くしていると言うのならば、いかに相手が大恩を持つ主君であったとしても自ら考えた事を口にし、多少なりとも我を通せるだけの意志の強さを持つ。そのような木偶でくに名乗る名も、これだけボロボロになった小娘に手を貸す理由を答える義理も、私にはない」

 義理はないと言いながらも、暗に少女一人を守るためにこの場に赴いたと答える。

「そんなにそこの小娘を大勢で手を出した事が気に食わぬか。言っては悪いが、そこの小娘は我が国を滅亡へと陥れんとする害悪に過ぎん。貴公も少しは見たであろうが、その大勢と対等に戦えるだけの実力者でもあるその者を、私一人で倒せるはずが無かろう」
「息を吐くように嘘を言うものだな。貴様は一騎当千の実力、それも少女を一瞬で殺せるだけの実力を持ち合わせている筈だが?」
「…………フッ、この私の真の実力と嘘を見抜いてみせたか。まだ一度も刃を交えていないというのに。見事な慧眼けいがんだ」
「世辞など要らん。だが、私の眼を褒めるというのであれば、兵を退かせて欲しいところだな」

 もっとも、こんな言葉に応じて本当に兵を退くとは思っていない。
 理由はどうあれ、いきなり助太刀した千火をポカーンとした顔付きで見つめる少女は、周囲を取り囲む戦士達が住む国を滅ぼそうとしているのは間違いない。脅威である上にもう少しで討てる距離にあるというのに、どこの馬の骨とも言えぬ千火の言葉に従う道理などないのだから。
 最悪少女を守りながら戦う事になりかねないが、それでもまだ『淤加美おかみ』という奥の手が残っている。親竜派か嫌竜派とも分からない戦士達に、奥の手を出して正体を明かすのはマズい。が、それでも大人しく退かぬというのならば、強引にでも退かせるまでだ。
 幸いにも、動けるのは目の前に立つ大剣剣士と最速の二刀流剣士の二人だけだ。リヴァイアの支援もあれば、そして全力で戦えば十二分になぎ倒せる。それだけの力を、今の自分は持っているのだから。

「どこの誰ともしれぬ貴公の言葉を聞き入れ、追い詰めた大罪人をみすみす見逃して引き下がると?」
「下がる訳もないか。ならばーー」

 無理やり退かせるしかない。予想通りの言葉に対して、そう言葉を紡ぎながら矢を引き抜こうとしてーー

「だが、奇襲であったとは言え、僅か十秒程度で無力化したその実力は侮れん。加えて、殺されても何も言えぬ状況下でありながら、私の部下全員を生かした。その寛大な心に敬意と感謝の意を表し、ここは貴公の望み通り退くとしよう」

 ーー紡ごうとした言葉を遮って放たれたその言葉に、思わず眼を丸くする。

「団長殿!!」

 あまりの発言に、矢で串刺しにされても尚生を掴み取った戦士の一人が抗議の声を上げる。だが、

「第零騎士団団長たるこの私の発言の許可無しに、貴様はこの決断に意見すると?」

 第零騎士団団長という地位を名乗り上げた上で、串刺しにされた戦士の一人に黄金色の瞳を向ける。少女にすら向けていなかった殺気と怒気、そして第零騎士団団長の肩書きに相応しい覇気を浴びせられ、しかし怯える事なく声を張り上げる。

「無礼は承知の上です!しかし、我が国を陥れんとする大罪人をみすみす見逃すなど、陛下に対する裏切りとも呼べる行動ですぞ!!」
「確かにその通りだ。だが、貴様はその矢を受けて何も思わなかったのか?」
「団長殿が何を申されたいのかーー」
「貴様のような下級騎士でも分かるような事だと思った私の認識が間違いであった。もうよい、王城へ帰ってから全てを教える。ひとまずその口を閉じろ。さもなくば」

 軍事命令違反及び不敬罪の名目のもと貴様を斬首しなければならない。

 なおも口を開こうとした騎士も、さすがに自分の命を捨てる覚悟を持って発する言葉は持ち合わせていない。押し黙るより他になかった。

「部下には随分厳しいようだな」

 後ろに立つ二刀流剣士が鞘に納める姿を横目で確認しつつ、その様子を見ていた千火はこの軍勢を率いる総大将に率直な感想を浴びせた。

「これぐらい厳しくなければ、全騎士団を率いる事など到底出来ないのでな」
「ふっ、それは言えているな。だが、退いてくれると助かると言った口でありながら、こんな事を聞くのはおかしいな話だが、何故素直に私の言葉を聞き入れたのだ?武力行使に出ると諦めた上で私は先の言葉を口にしたのだが」

 こんな事言うと前言撤回されて襲われかねないのは百も承知だが、それでも問うた。あることを確認する為に。
 言っては悪いが、周囲にいる騎士と呼ばれた者達の反応が正常なのだ。余程の事が無い限りは、いきなり大罪人に助太刀した者の言葉を受け入れるなど、正気の沙汰ではない。ましてや生まれ育った母国を滅亡においやろうとしているのだ。そんな奴を放っておける人間を、千火は四種類思いついた。
 千火が少女から居なくなる頃を見計らおうと常に監視するために兵を派遣するネズミか。
 この場において絶対に戦うべきではないと判断した、ネズミの皮をかぶったたかか。
 あるいは、実は少女を逃がして少女側に身を投じようとしていた狸か。
 もしくはそれらにも当てはまらない別なるものか。
 千火としては、三種類目の人間ではないかと思っている。だが、思っているだけでは何も判明しない以上、問うよりほかになかった。

 ……果たして、いずれか。

「…………皆、止めだ。先の問答に対する答え、あれを今この場において教える。耳の穴をかっぽじってよく聞け」

 止めだ、と言った時点ですぐにでも撃てるように矢に手を伸ばした千火だが、その後に続いた言葉にその動きを止める。

「確かに貴公の疑念はもっともであるが、大人しく手を引くに当たる条件を三つ満たしている。一つ、貴公が相当な、今現在の状況下において全滅すると断定できる手練れであること。二つ、それを証明できる契約魔刃器を所有している事。…………そして三つ。。これら三つの点から、貴公の言葉を飲み込むべきであると判断した」
「…………なるほど。見逃す変わりに私の名を問いただそうと言う腹か」

 確かに千火は少女を助けただけであって、このあとどうするかについて何も決めていない。
 この総大将が守る国を滅ぼそうとする理由を問う予定ではあるが、その答えようや態度によっては少女の身柄をこの騎士と呼ばれた戦士の住む国に引き渡す事もいとわない。そもそも、この助けた少女や騎士達が親竜派か嫌竜派か分からない以上、どちらに味方するべきか分からない。
 千火としても、ただ私情の赴くがままに戦いに乱入したのであって、完全に少女側の人間であるとは明言していない。いや、明言していないにしても、少女や襲撃者の様子を見てある程度は分かるだろうし、もしそう判断したのであれば、騎士達を生かしている事実に疑問を抱きながらも戦いに専念する筈だ。
 だが、この漆黒の騎士が最初に聞いたのは何故この少女を庇ったのかについて。次いで放たれた言葉も、まだこの世界に来て間もない転生者だと看破していた。どういう観点で見抜いたかはともかくとして、その時点でたまたま居合わせただけの転生者だと見破ったその観察眼は賞賛に値する。
 しかし、疑問が残る。

「名を名乗る事に別段異論はない。だが、何故私に判断を任せて退こうとする?確かに私は貴様らと戦ったところで簡単に殺せるが、それでも少女側につく可能性もあるのだぞ?無論、貴様ら側につく可能性もなくもないが、必ずしも貴様ら側につくとは限らない。そんな状況下で、少女の言い分だけを聞かせて自分たちは何もいわぬというのは少しおかしくはないか?」

 だが、その疑問に対して騎士はクツクツと喉を鳴らして笑うと、

「たとえそこの大罪人が何を言おうと、

 自信を持って言葉を発した。

「大した自信だな。まあいい、後で後悔するなよ?」

 半分呆れながら、千火は名乗り上げる。

辰巳神たつみがみ千火ちか。それが私の名だ。分かり切っている事だとは思うが、地位などは持ち合わせていない」
「わざわざ申し訳ない。私はアメイラル王国第零騎士団の団長を勤める者、名をゼルギウス、性をネアエルデスと申すもの。そこの少女への処遇を決めたその時は、アメイラル王国へ足を運んでいただきたい」
「分かった」

 王国の場所はリヴァイアに後で聞くかと思っていると、

「それでは、これにて失礼する」

 と言うと、ゼルギウスと名乗ったーーすでに忘れかけているがーー騎士団長は足元に焦土を覆い尽くす巨大な無色の魔法陣を一瞬で展開する。魔法陣が一際閃光にも似た強い光を放つと、そこに居たはずの騎士達の姿はどこにもなかった。

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