竜神姫 ~白髪赤眼のモノノフ~

スサノオ

第十二章 新たなる契約に向けて





「…………ルシファムルグが私と契約したがっているだと?」

 リヴァイアに近場の水場で血濡れた服を洗い流すことで気分転換し、すっかり拗ねてしまったルシファムルグに大蛇の半分を与えて機嫌を取ったところで会話を再開ーー料理については作った事実は認めたものの、どうやって覚えたかについては答えて貰えなかったーーすると、リヴァイアはそんな事を言ってきた。
 契約とは、自分が持てる全ての魔素と扱える魔術を捧げる事によって、契約したい相手か自分が完全に死ぬまで付き従う身になる事だ。
 ただ相手に承諾して貰った上で従者になる場合とは異なり、一生涯を契約主と共にし、忠誠を捧げて続けなければならない義務が発生する。契約主に解約を申し出て自由の身になる事は勿論可能ではあるし、勝手に見限って強引に解約する事は可能だが、契約主に失望されて解約される事もある。ただし、双方合意にしろ、強引にしろ、されるにしろ、特殊な条件を満たさないで解約した場合は二度と同じ契約主と契約を交わす事が出来なくなる。その上、一度でも契約を交わすと、解約されるか契約主が死ぬまで、どんなに今の契約主よりも自分に合った相手と巡り会ったとしても、重複しての契約は行えないのだ。
 そして、従者になる場合との決定的な違いは、必ず忠誠を誓う為の最低でも二つ、多くて四つの儀式を行わなければならない事だ。この儀式を通して、本当に契約主として相応しいか見定め、そして互いに契約に同意して、初めて契約が成立するのだ。
 ちなみにそんな大それた事を言い出した怪鳥は、現在千火から譲って貰った大蛇をついばむのに勤しんでいる。なんと自由きままな事だろうか。

『左様に御座います。千火様には足を抜き取る際に手伝って頂いた上に、敵対関係であった自分にジストサーペントを譲ってくれて本当に感謝しているそうです。その大恩に報いる為にも、契約を交わさせて欲しいとの事だったのですが……いかがなされますか?』
「どうするもなにも、契約しても大丈夫なのか?私としては、できるなら契約を交わしたいところだな。空も飛べるから幾分か足を早める事も出来るし、仲間として力になってくれるなら心強……くはないな。ドジだし、私が言えた口ではないが、自分の魔素を扱えきれているようにも見えないしな」
「ピキャァーッ!!」

 言葉を理解し始めているルシファムルグの抗議の声を聞き流し、千火は手頃な大きさに切り分けた肉塊に木の枝を刺しながら言葉を続ける。

「けどまあ、コイツの人懐っこさには癒されるのも事実だし、心配はあるが偵察を任せる事も出来る。…………ここまで言った上でもう一度と聞くが、残る二柱の龍王と契約を交わす事も踏まえた上で、コイツと契約を交わす事は出来るのか?そもそも、契約出来る数に上限はあるのか?」

 最大の焦点は上限の有無だ。
 魔素の扱いに関しては、リヴァイアと契約している現状であってもまだまだだ。とは言えまだ転生して間もないのだし、実戦やリヴァイアとの指導の下で扱いに慣れていけば良い。その一環でルシファムルグの分の魔素も扱いこなせるようになれば問題ない。
 だが、この世界において生ける神とも呼べる存在と契約しなくてはならない身だ。超常的な存在を残り二柱も契約の事を考慮して、他の生き物と契約出来るだけの容量が自分にあるのかと問われれば、首を横に振らざるを得ない。
 何度も言うが、千火は人間だ。どれだけ多くの魔素を有していようと、どれだけ辰巳神流の武術を極めていようと、所詮は人間でしかない。人間という脆く小さな肉を固めた器に、龍王という神と大差ない存在の力を、無理やりでも押し込まなければならない。その上で、その存在の力を使えるようにしなければならないのだ。とでもではないが、このルシファムルグという王に遥かに劣る怪鳥と契約を交わしている余裕などない筈だ。

『そうですね。まずは後者の質問にお答えさせて頂きます』

 そんな千火の心境を察してか、この世界の水を司る龍王は答える。

『勿論、上限は御座います。ですがそれは、契約主が生まれつき保有していた魔素量と、その膨大な魔素に耐えられる肉体の頑丈さ、そして契約を交わしたいと願う相手の生まれつき保有していた魔素量、肉体の頑丈さによって左右されます。千火様の場合……正直に申し上げますと、魔素はわたくし達を含めたこの世界全ての魔物や魔族と契約を交わしても尚余る程の膨大な量を保有しておられておりました』
「…………嘘を吐くなら、もう少しマトモな嘘を吐け」
『信じがたいとは思われますが、これは本当に御座います。ですが、魔素が膨大なのに対して肉体の方が、この世界における普通の人間より少し頑丈と言った程度でしか御座いません。それでも、わたくし達龍王と契約を交わしたとしても、わたくし達にとって右腕とも呼べる最上位の竜族五頭分、つまり今契約を申し出ているルシファムルグ十頭分は契約可能に御座います』
「………………」

 ルシファムルグと契約しても問題ないのは分かったし、上限を知れたのは良かった。
 だが、自分がこの世界全ての魔物や魔族と契約出来るだけの魔素を保有しているなど、到底信じられたものではない。しかしリヴァイアの声音は真剣そのもので、一切の嘘を感じ取れない。それが、千火にとって受け入れがたい現実を突きつける。

「………………私は、いずれの世界においても、特異な存在でしかないのだな……」

 半ば嘆くような口調で、溜め息混じりに呟いた。
 竜神姫になると言った事に、後悔はない。命を助けてくれたリヴァイアに、望みを叶えるという形で恩に報いたい気持ちに変わりはない。他の竜神姫の器が来る前にこの世界が滅びる可能性がある以上、自分に世界を守れる器としての素質があるならば、いつ現れるとも知れぬ代わりの出現を求めるより自分がなった方が良い。そういう気持ちも確かにある。
 それでも、もっと平和な生活をしてみたかったな、と思うのもまた事実だった。
 旅の最中、リヴァイアに宣言した通り、飛竜族に限らず人間に対して憎悪を抱く竜族や、竜族に憎悪する人々、果ては私利私欲に忠実な馬鹿共との戦いに臨み、しかしリヴァイアのようなかつての関係を取り戻そうと望む竜族や人々にとっての希望とならなければならない。
 この旅が終わったとしても、世界の調和の為に忙しい毎日を送る事になるのは目に見えているし、もし竜族と人々との関係が改善されればそれこそどこへ行っても崇め敬われるようになるのは明らかだ。
 そうした事とはまったく無縁の、村人や農民のような生活を送ってみたいと、何度も考えてしまう。
 崇拝はともかく、自ら望んで得た力であるならば、千火としてもそれを受け入れられただろう。だがこの力は生を受けたその時からのもの、つまり自ら望んで得た力ではない。
 持つことを半ば強制されたようなものだ、どうしてもこの力がなかったらどうだっただろうかと考えてしまう時もあるのは、仕方のない事であろう。

『…………千火様…………』
「…………いや、すまない。悲観的になってしまったな。……そうか。それだけ余裕があるのなら、私としては契約しておきたい。リヴァイアの時と契約方法は変わらないのか?」

 だとしても、その事について嘆いた所で、何かが変わる訳ではない。ただいたずらに時が過ぎ去るだけで、生まれ持った力が減る事もなければ無くなる事もないのだ。
 ただ何もせずに嘆いている人間など、もはや人間ではない。天に人として生きる事を許された貴重な時間を浪費し、ただ己の不運を嘆くためだけに命を積む存在など、餓鬼畜生にも劣る害悪でしかない。そんな害悪が生きる為に、無情にも殺され未来を奪われた生き物達が、哀れでならない。
 そんな存在になって生き物の命をいたずらに奪うくらいなら、自らの不運、つまり並外れた人外の力の使い方、あるいは使わないで済む方法を考えながら、前を向いて生きるべきだ。それが、自分が生きる為に奪ってきた命への、千火が唯一出来る償いだから。
 悩み抜いた末に出した結論を芯に入れ、生きていこうと決意していてもなお、こうしてふと嘆いてしまう。それは、武人として、一人の人間として、まだまだ未熟であるからだ。
 リヴァイアの心配そうな声を聞いて我に返った千火は、心中でそう結論づけながら最初に契約した龍王に問い掛ける。

『…………左様に御座いますね。ルシファムルグは千火様の事を好いておられますし、千火様のアクティビションによる攻撃回避の時点で力量は申し分ないそうです。よって、契約に必要な四つの儀式のうち、見定けんていの儀式と力量の儀式の二つの条件を満たしておりますので、行うべき儀式は授力の儀式と魂契の儀式だけでになります』

 そんな千火の人間らしい心境を察しながらも、それに触れる事なくリヴァイアは答えた。

見定けんていの儀式?」
『名前の通り、契約主の性格を見抜き、一生涯ついて行くと思えるかどうか見定める儀式に御座います。わたくしの時は力量の儀式と一緒に済ませてしまいましたが、本来は相手との意志疎通を何度も図ることで成立する儀式ですので、主の意図を読み取るのが難しい魔物にとって最も難しい儀式で御座います。しかしながら、千火様がルシファムルグを助け、しかもこうして食事を与えておりますので、千火様に簡単に気を許せたのではないでしょうか』
「まあ、私自身動物の感情を読み取る事や扱いには慣れているからな。そこら辺も気に入ってくれたのは、なによりだ。……それで、授力の儀式と魂契の儀式はどうやって行うのだ?リヴァイアの時と違って、心臓を刺すための武器が無いぞ?」
『その精製方法は後ほどルシファムルグにお教え致しますので、しばしお待ち頂けませんでしょうか?』
「…………そうだな。その間に朝餉でも食べようか……とも思ったが、お前にまだ魔法陣を用いた魔術の発動を教えて貰わなければ火を付けて焼く事も出来ん。ルシファムルグに授力の儀式と魂契の儀式に必要な武器の作り方を教える前に、私に焚き火をするのに必要な魔法陣と発動方法を教えてくれないか?もしルシファムルグに教える時間が長引くようであれば、自力で火を起こしても私は一向に構わないが」

 むしろ千火にとってはそちらの方がありがたい。
 いくら自力で魔術を発動させられたからとは言えど、あの時とはまるで異なる方法で魔術を発動させるのだ。武器の形になってはいるが、リヴァイアがいるのだ。死ぬような事態にはならないだろうが、それでも不安が無いと言われれば嘘になる。
 為に今回はどちらかというと見送って欲しかったのだが、

『いえ、それはなりません。千火様にはもっと魔術について理解を深め、その身に宿されている魔素の扱いに慣れて頂く必要が御座います。また、この魔術は非常に簡単に御座いますので、無詠唱で火属性支援魔術 バーニングアーマーを発動出来た千火様ならすぐにコツを掴める筈です』

 簡単という言葉と、自らの意識で魔術を発動させたという事実を突きつけて、逃げ道を塞いできた。自力で火を起こすという選択肢は、諦めるしかないなさそうだ。

「というか、一応私が発動させた魔術の名称と種類も分かるのだな」
『当然に御座います。千火様とわたくしの魔素はほぼ共有している状況ですので、わたくしの魔素が乱れて押さえ込もうしている時でも十二分に感じ取れます』
「それもそうか、私とお前は既に契約を結んでいた訳だしな。ただ、お前の魔素の乱れを感じ取る事が出来なかったのは不思議で仕方ないのだが」
『それは、わたくしが意図的に千火様の魔素とわたくしの魔素の大部分を分離したからに御座います。わたくしの魔素の乱れが伝播して、千火様の魔素まで乱れたら大変ですから』
「大変で済む話ではないと思うのだが……。ともかく、簡単なのだろう?ルシファムルグとも授力と魂契の儀式を行う為の指導もある事だし、手早く教えてくれ」
『承知致しました。では早速ですが、薙刀を使って魔法陣を描いて頂けますか?描き方はわたくしが指示致しますので、それに従って描いて下さい』
「…………描き方まで決まっているのか?」
『左様に御座います。ご面倒だと思われるかもしれませんが、同じ形をした魔法陣であっても描き方によってまるっきり効果が異なります。これから描く魔法陣もそうですが、描き方を間違えたが為に別の魔術が発動して大惨事になる事も御座いますので、わたくしの言葉に絶対従って下さい』
「…………分かった」

 描き方一つでそれほどまで危険な代物に繋がるのか、と思いながらも千火は薙刀の切っ先を下に向けて構える。
 描き方一つで変わるのだ、始まる地点でもかなり差異が産まれてしまうのだろうと考え、まだ地面に薙刀は着けない。

『では、千火様が今立っておられる場所に薙刀の切っ先を突き立てて下さい』

 描く準備が整った所でリヴァイアが早速指示を出してくる。

『続きまして、薪の外縁に沿って半時計回りに円を描いて下さい。止まる場所は、今千火様が突き刺しておられる地面までです』
「分かった。…………次はどうすれば良い?」

 こういった調子でリヴァイアの声を聞きながら書き上げていくと、さほど時間を掛けずに薪の周辺に一つの魔法陣が描きあがった。
 だがそれは、ただ薪を中心として二重に円を描いただけであり、お世辞にも魔法陣とは呼べないような見た目をしていた。

「…………これで終わり、か?」

 もっと複雑なものかと予想していた千火にとっては、拍子抜けもはなはだしいものであった。しかし、

『はい、これにて魔法陣は完成致しました。申し上げました通り、簡単に御座いましたでしょう?』

 魔法陣を描く事を指示した水龍王は、これで終わりだと言ってくる。

「……あぁ、確かに簡単だったな。これならーー」
『ここからが本番ですよ。これから先の魔法陣を描いた順序とは真逆の方法で、魔法陣に魔素を流し込んで下さい。魔素の量は、外側は二回やって丁度魔法陣の溝の半分くらい、中は二回やって溝一杯になるまでに御座います。勿論、火を起こす訳ですから、しっかりと薪に火がついて燃え上がる様子を思い浮かべて下さいね』

 確かに簡単だな、と言おうとした千火の言葉を遮って、リヴァイアはさも出来て当たり前のようにそんな事を言ってきた。

 
 しばしの沈黙。

 
「…………はぁっ!?待て待て待てリヴァイア!随分と難易度が跳ね上がってはいないか!?魔素を流し込むのは確かに成したが、それとて私自身の肉体だから成せたのであって決してーー」
『それが出来れば問題御座いませんよ。魔素の流し込み方はバーニングアーマーを発動させた時の応用で、指先の一点にだけ魔素を集中させて放出して、魔法陣をなぞれば良いのですから』
「…………その過程で先の魔術が発動しそうなのだが」
『そう怖がらなくて大丈夫ですよ。思い浮かべた情景がしっかりと定まっていれば、魔素が燃え上がるなんて事は御座いませんので。万が一失敗したとしても、わたくしがついていおります。ですから、そう身構えられずにやってみて下さい。……ですが、限界だとお思いになられたら、すぐにわたくしにそう告げて下さい。わたくしが魔素を流し込みますので』
「…………分かった。少し集中する」

 そう言って、千火はリヴァイアとの会話を完全に断ち切ると、眼を閉じて意識を集中させる。
 初めて自分の意識で魔術を発動させた時と同様、まずは腕全体を形成する四角い小さな物の存在を確認出来るまでに意識を集中。次いで、人差し指に対して全身を流れる液体状の何かーー魔素と思わしき物を指に向かわせる。勿論、紅蓮色に燃え盛る炎に包まれた薪の姿を連想しながら、だ。

(さて、ここからが本番だな)

 ここで、先ほど地面に刻み込んだ魔法陣に魔素を流し込まなければならないのだが、量はおろか上になぞる回数まで決められているのだ。量の調整を誤れば、超常現象にまで発展してしまうのはトライデントやこの薙刀で実証済みだ。回数の失敗については特に何も言われていないが、千火の第六感が回数の失敗も危険だと警告している。
 リヴァイアが付いていると言えども、出来る事なら一発で成功させたいところである。

(…………行くぞ!!)

 最初の魔法陣は二回で半分、つまり最初の魔素を流し込む量は二割五分になるように流し込まなければならない。
 千火は覚悟を決めて眼をカッと見開くと、慎重かつ丁寧にゆっくりと時間を掛けてなぞる場所の開始地点に指を置いた。
 すると、千火の指を、何かで切った指の傷口から血が流れ出ているような感触が包み込んだ。
 見れば、本当に血が流れ出しているのかと思えてしまいそうな、ヌラヌラとヌメり気のある赤い液体が、魔法陣の小さな溝に流れ出していた。
 これが魔素か、と感慨に耽ることなく、千火は魔素の存在を眼で確認しながら右回りで魔法陣をなぞり始める。
 量の調整は指先に作り上げた扉を微妙に開けたり閉じたりしながらやっているが、これがかなり難しい。
 魔素の流れ込み方が一定でないせいで、少ないからと少し大きく開いていると突発的に量が増して魔素の放出量が多くなり慌てて閉じなければならない。だからと言って閉じ過ぎれば、逆に魔素の量が激減して開けなければならない、と思って少し大きめに開けた途端に魔素が一気に流れ込んできたり……と、最初に魔術を発動させた時と異なり、なかなか安定して流れ込ませられないのだ。

「……はぁ……はぁ……はぁ……」

 そうしてやっと一周なぞり終えた千火は、肩で息をしていた。魔素を流し込む作業は、腕に炎を纏った時よりも精神をすり減らした作業であった。
 しかし、魔素の扱いに慣れない女傑の奮闘は虚しく、魔素のバラつきは眼に見えて分かってた。
 やたら薄いところがあれば、指示を大きく上回る溝ギリギリまでの部分があったり、はたまた一回目だと言うのに半分に達していたりーー結果として言えば散々な物であった。
 だが、

『…………千火様。やはり千火様は、歴代の竜神姫の中でも飛び抜けて才能に満ち溢れておられますね……!!』

 指示を出した当のリヴァイアは、感極まった声でそんな事を言ってきた。

「…………これの……どこに、才能……に満ち溢れている……などと……いう言葉が……出てくるんだ……」

 皮肉られたとしか思えない。少しばかりの怒気を込めて、千火は問い掛ける。……精神的疲労がかなりキているのか、声音には一切の覇気が見受けられない。

『決して皮肉などでは御座いません。本当に凄い事なのです。まだ魔素の扱いになれていないお方でも、魔術の才能か並み程度のお方であったとしても半分までなぞれれば凄い方なのですが、千火様は全てなぞりきって見せました。しかも、バラつきこそ御座いますが、魔法陣から溢れ出させていない上に適量に御座います。十二分に才能は御座いますよ』
「…………そんな……ことを言わ……れても……説得力……に欠けるぞ……。量なんて……たまたまそうなった、とも言えるのだぞ……。……それと、お前今……私に支援魔術、掛けているだろ?」

 たまたまだと言い張りつつも、天にスーッと上るように抜けていく疲労感と、なんとなく魔素が全身の筋肉を解しているような心地よさを感じて、千火は才能を褒め称える水竜王に問い掛ける。

『もう気付かれたのですか』
「なんとなくではあるが、魔素の動きが活発になっている上に、疲れがどんどん癒えていくのだから、気づかない方がおかしいだろう?」
『(……やはり、エリザベス様並みに魔素の感性が強いですね)それもそうですね。魔法陣の方はあとはわたくしが残りの魔素を流し込みますので、何も考えずに薙刀をなぞって頂けますか?』

 想像を具現化するという関係上、どうしても魔素ばかりではなく、想像する精神力と想像を維持する集中力が必要になってくる。
 武人として戦い続け、しかも前世でも魔術を使っていたというだけあって、千火の精神力と集中力自体はこの世界においても飛び抜けてはいる。だが、前世での戦においても必要としていなかった、事象を想像したままきめ細やかな作業をした事でかなり精神的疲労が溜まっている。口では言ってはいないが、明らかに千火は限界に達している。
 魔素は食事で回復することが可能だし、精神的疲労もしっかりと休養を取れば回復する。だが、この程度の疲労で休養など必要ないと言い出しかねない千火が、素直に応じるか怪しいところだ。
 それならここで自分が代わりに魔素を流し込み、火を起こす事で少しでも疲労回復につとめて貰った方が良いというのが、リヴァイアの判断だった。

「…………」

 その申し出を受けた千火は、黙り込んだ。
 正直に言えば、リヴァイアの支援魔術で現在進行形で疲労回復している状況にあるし、魔法陣に魔素を流し込むのは正直もうやりたくない。こんな事をしているくらいなら、準備運動を終えた上で薙刀の素振りをしていた方がよっぽど楽しい。
 なんと言っても、腹が減ったのだ。
 これ以上魔素を流し込んで魔法陣を完成させようとしても、今度は空腹のあまり集中力が欠けて乱雑になってしまうのは眼に見えている。才能があるなどと言われたが、それでもリヴァイアの指示した量に満遍なく流し込めた訳ではないのだ。
 正直に言えば、千火も自らの限界を察していた。リヴァイアの言葉に素直に従えば、確かに良いだろう。

「……………いや、最後まで私が流し込もう」

 けれど、だからと言って逃げてはならない。
 慣れない左腕だけでの真剣を使った試合や、本来状況に応じて両手や片手に持ち替える必要がある薙刀を左腕だけで何度も振り回したあの時と、何も変わらない。いや、あの時以上に今回は逃げてはならない。
 膨大な魔素の一部分を、やっと自分の力で操って魔術を発動する事が出来るようになったのだ。その膨大な魔素を完全に自分の力で律せるようにならなければ、到底世界を調和する竜神姫としての役目を果たせない。加えて、昨夜のリヴァイアのように気絶させてしまったり戸惑わせてしまうようでは、落ち着いて生活する事も、たわむれすらもままならない生活をする事になる。そんな生活をするよりは、今ここで苦労してでも魔法陣による魔術の発動に全力で取り組むべきだ。

『いえ、前言撤回致します。千火様はこの魔法陣に魔素を流し込んではなりません』

 だが、リヴァイアはその言葉を両断した。厳しい口調の声音に混じる感情は、心配と呆れだった。

『わたくしは最後に、限界を感じたらすぐに告げるよう申し上げた筈です』
「私は限界などとはーー」
『わたくしが支援魔術を掛け続けなければまともに喋れない程に疲労しておられるというのに、限界を迎えていないなどとよくおっしゃられますね。嘘を吐かない事を信条にしておらながら、こうして嘘を言われるのですか?』
「…………はは、一本取られたな」
『笑い事で済まされる事では御座いません。千火様の早く自分の魔素の扱いを上達させたいお気持ちはお察し致しますが、だとしてもご無理は禁物です。魔素が枯渇することこそ御座いませんが、だとしてもまだ慣れておられない魔素の扱う為に精神をすり減らし続けるのは危険です。いかにわたくしがいると言っても、いつでも緊急召喚で助けに向かえられる訳では御座いませんし、千火様の意図した召喚と比べて、わたくしが本来持ち合わせている魔素の三倍も消費しなければなりません。なにより、それだけ魔素を使ったとしても、引き出せるのはわたくしの本来の力の百分の一程度です。弱い魔物ならば圧倒する事は可能に御座いますし、大技を叩き込んで強敵を潰す事も可能では御座いますが、それが出来るのも地理的な条件が揃ってこそです。そもそも、ここは大型肉食魔物が謳歌する大樹海です。千火様が疲弊するあまり動けなくなれば、他の魔物達にとって格好の餌となってしまうのですよ?』
「……なるほど、緊急召還にも欠点はあるのか。だとすれば、確かに控えなければならないな」

 千火が魔法陣に魔素を流し込もうと考えたのも、この緊急召喚の存在が大部分を占めていた。
 リヴァイアに言われるまでもなく、狩りや修業などで山奥に行くことが多かった千火は、肉食動物が住まう場所で動けなくなる事の危険性は十二分に理解していた。それでも、精神疲労のあまり動けない所で魔物に襲われたとしても、リヴァイアや契約を結びたがっているルシファムルグに助けて貰うという寸法が可能な以上、多少なりとも無理をしても大丈夫だろうと踏んでいた。
 だが、そういう致命的な欠点があるとなれば話は別だ。ルシファムルグにも助けを求められるとは言ったものの、そもそもルシファムルグの実力が分からないのだ。襲撃してきた魔物の方が上で、守ってくれと頼んで戦わせたらあっさり殺されました、なんて事もあり得る。
 ただでさえドジを踏みやすいのだ。あの場では千火が助ける方針で行動を起こしたから言いようなものの、もし討つ方針で行動を起こせばあっさり討てていたと確信出来る。そういう意味で言えば、最初から戦力としての期待は薄かった。だが、リヴァイアが緊急召喚で上手く立ち回ってくれれば、かなり手強い相手であっても殺せるという安心感が持てる。
 その安心感の要素が崩壊した以上、千火としてもこれ以上食い下がる道理はない。

「分かった。後は頼むぞ」

 そう言うと、安堵の吐息が頭の中に響き渡った。どれだけしつこく反抗すると思っていたのだろうか。
 失礼な奴だ、と思いながら描いた時とは真逆の順序で魔法陣をなぞる。
 やはりこの世界の水を司ると言うだけあって、流し込まれる魔素は全て安定していた。数分かけて魔素を流し込んでいた千火とは雲泥の差を見せつけ、十秒もかけずになぞり終えてしまう。

「なるほど、こういう風に発動するのだな」

 魔素を流し終えた直後、千火の想像していた通りの風景が足元で展開される様を見て、千火は呟く。

『魔術名も御座いますし、魔法陣による魔術の発動原理については後ほどお答えさせていただきます。それと千火様、お手数では御座いますが、ルシファムルグのすぐそばにわたくしを突き立てて頂けませんか?』
「そうだな。指導の方、頼むぞ」

 一言頼んでからルシファムルグの近くに薙刀を突き刺すと、いそいそと朝餉あさげの調理に取り掛かるのだった。

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