竜神姫 ~白髪赤眼のモノノフ~

スサノオ

第七章 銀世界の上で



 リヴァイアの案内のもと洞窟を抜ける事が出来た千火であったが、抜けた先に出迎えてくれた風景に、思わずほぉうっと感嘆の溜め息を吐いてしまった。
 気温は決して寒くない。いや、むしろ春の陽気にも似た心地良さなのだが、眼前に広がるのは、日の光に照らされてキラキラと光り輝く美しい銀世界だ。
 快晴の青空をバックに広がる大雪原には一切の生き物の気配を感じさせず、岩か何かに積もったであろうゴツゴツした白銀塊が数個見受けられるくらいだ。木の類までもが見受けられないのが少し物足りないが、それでもただひたすら水平線の彼方まで広がっていそうな世界は、別次元の世界に来たのではと思える美しさがあった。
 気温と風景がどうにもちぐはぐだが、そんな事など千火にとってはどうでも良かった。
 山奥に住んでいた事もあり、冬になると必ず雪積もったのだ。重みで家や道場が潰れるのを防ぐ為に屋根の雪落としをしたり、大根などの収穫の際に雪を払ったり、食料を確保する為に冬眠している動物を狩るべく山を駆け回ったり…………年末の大掃除以上にせわしかったのものだ。
 それでも、風景を愛する千火は雪は好きだった。真っ白い衣服を身にまとった山々が、日の光を浴びて輝いている姿を初めて見たときの感動は、十六年経った今でも昨日の事のように覚えているし、冬になると必ずそれを呼び起こして鑑賞に耽っていたのも良い思い出だ。

「……この世界にも、雪は降るのだな」

 今となってはもう戻れないが、次々と思い浮かぶ懐かしい思い出の数々に胸を暖かくしながら、千火は呟いた。

『はい。ですが、ここ周辺は本来海に御座います』

 その呟きに対し、薙刀となった洞窟の主たる水龍王は答える。

「海だと?この辺り一面に広がる銀世界がか?」
『左様に御座います。この洞窟、水龍洞は大陸より随分離れた場所に御座います。また、水棲の魔族や魔物が多数御座いますので、普通の人にとっては非常に危険な場所に御座います。……勿論、この場所にあることにも、竜神姫としての素質があるか否か確かめる為の重要な要素となります。一部を除きますが、海域近辺の魔物や魔族易々とを追い払える程度の実力がなければ、到底わたくしの力を受け入れられる筈が御座いません。詰まるところ、竜神姫や竜神騎としての最終訓練所としての役目を果たしているのですが、飛竜族に襲われていた千火様に竜族と人々の関係について早急にお話する必要があり、尚且つ竜神姫としての素質があると判断致しましたので、この海域で訓練なされる事なく直接水龍洞にお連れした次第です。また、本来ならわたくしの力を使いこなせるか否か確かめる為の場でもあるのですが、流石にまだこちらに来て間もない千火様がそれをするのは流石に酷ですので、今回はわたくしが凍らさせて頂きました』
「たしかにそれは、魔素の扱いに慣れていない私が出来そうな事柄ではないな。だが、そうだとしても、この世界である程度過ごした竜神姫か竜神騎としての器を持った人間が来るには酷なのではないか?仮にこの海域近辺の魔物や魔族を退けながら向かうにしても、そんな危険な海域なら落ち着いてかいを漕ぐ事も出来なさそうだが……」
『その件につきましては、器に相応しきお方に漕ぎ手と船を魔物や魔族から守っていただきます。万が一器となるお方が守りきれなかった場合は、わたくしが最も信頼している水竜族の者に守らせ、同時に器となるお方の成長過程を監視するように致します。ですので、滅多な事では死ぬような事は御座いませんよ』 
「…………その規格外に当てはまる私が言う言葉ではないのだろうが、なんとも無茶苦茶な話だな。ところで、地龍王の所に向かうまでは良いが、どの方角へと進めば良いのだ?」

 もし転生して間もない内に飛竜族に襲われなかったら、そんな過酷な運命を辿らされる羽目になっていたのだろうか。そう思うと、薄ら寒い気持ちになる。
 いくら魔術の扱いに慣れた上に今以上に強くなれたとしても、結局海中や空から襲いかかってくる魔物や魔族から漕ぎ手と船を守らなければならないのだ。船の下から急襲されようものなら、成す術もなく転覆させられる事になるのは火を見るよりも明らかだ。
 そんな目に合わなくて良かった。死にかけたとは言え、襲ってくれたあの飛竜に心の奥底で感謝しながら、千火は水龍王に問い掛ける。

『そうですね、まずは海岸沿いに広がっている大樹海を目指しましょう。北西へとお向かい下さい』

 そんな事を思っているなど露ほども分からないであろう水龍王は、無茶苦茶という批評を無視してそんな事を言ってきた。
 分かったと返しながら、漕ぎ手の防衛という難を逃れた竜神姫は、一歩前へと足を進めた。
 サクッ、と。何ともいえない心地良い、そして村での忙しい生活をしていた頃を思い出す懐かしい踏み心地が足の裏を支配する。

(村は大丈夫だろうか)

 ふと、その事に思い至る。
 いっそ死んでしまいたいなんて安易に思ってしまったが為に現実となってしまったが、あの後村がどうなったのか気になるところではあった。自分が死んだ事で討伐軍が村に近付く事なく引き返してくれたとあれば、千火としても悔いはない。……いや、嘘だ。後悔も、あの世界でやり残した事も、たくさんあった。けれど、村さえ無事であれば、そしてあの芝居で村上達が自分の事を最悪の人間だと思い込み、死んでしまっても悲しむどころかむしろ喜んでさえいてくれれば、残った後悔などどうでも良いのだ。
 本人の意志すら無視した幕府のやり方は許せないが、それでも決して将軍の考えが分からない訳でもない。千火が同じ立場だったとしても、市民の安全や、村人達に掛けられた呪縛を解かんと、同様の指示を出して討伐軍を派遣していたと思う。
 村の安否が気になるが、死んで転生を果たしてしまった以上は確認しようがない。その事に歯痒く感じながらも、千火は村の無事を祈りつつ歩みを進める。

『……千火様、一つお願い事が御座います』

 歩き出してから数分経ったか経たないかくらいだろうか。それまでただひたすら雪を踏む柔らかい音だけが支配する世界に、おずおずとしたリヴァイアの声音が響き渡った。

「なんだ?」
『別に大したお願いでは御座いませんが……わたくしの事を、名前だけではなく、わたくしの名を知らなかっ時のように『お前』などのようにもっとお気軽にお呼びして頂けますでしょうか?これから先の旅において、わたくしは千火様の武器となると同時に使い魔ーーいえ、あなた様の支える者の一人になるのです。名前だけではどことなく壁を感じますし、信用して頂いて貰えていないようでわたくしは悲しいのです。……私情なのは十二分に承知しては御座いますが、それでもどうか、もっとお気軽にお呼び頂けないでしょうか……?』

 新たなる竜神姫にそう頼み込む水龍王の声は、心底寂しそうなものだった。
 種族を束ねる王であり、この世界の全ての生き物たちの生命線たる水を司っている立場上、崇められる事が当たり前となっている。バハムートという、世界を造り上げた神の姿を拝見した事があるリヴァイアとしても、そこは納得している。仮にもし自分ではなく他の水竜が王になっていたしても、あがたたえ、間違っても気軽に接しようとは思わないだろう。
 ……だが、崇められるくらいなら、それこそ親友同士で会話するような軽さで接して欲しい。王に対する下位の者達の心情を理解しても尚、そう思ってしまうのだ。
 エリザベスの血筋が絶たれる前は、その限りではなかった。本人も含めて、子ども達は皆が皆性格がまるっきり異なっていた。のだが、龍王達に対してだけは全員共通で、遠慮と言う言葉を知らないのかと聞きたくなるぐらい素を剥き出しにして、こき使われたものだ。初代竜神姫エリザベスが特に顕著で、国内でのいざこざに対する解決策の相談や、友好国が魔族に悩まされているから力を貸して欲しいなど、真っ当なものならまだ良い。酷い時には下が影で自分の事をああ言ってただのと散々はけ口にされ、書類仕事が面倒だからと印鑑を押す作業をーーそもそも龍王はかなりの巨体を誇るため通常の竜族並みの身長の分身も召還出来るのだが、それでも印鑑の小ささゆえにひたすら苦労したのは良い思い出だーー押し付けられたり、、挙げ句の果てには世界のバランスを保という重要な立場すらも無視し、遊びと称して全力で戦わされたものだ。
 当然配下の竜達は怒り狂って、王達の制止も聞かずにエリザベスと戦いに挑んだが、結果は言うまでもなく惨敗。それも、竜刃器や龍王達の魔素を使う事なく、自身の魔素や一般の武器だけで成し遂げたのだ。しかも、当の本人はそうやって怒って喧嘩をふっかけてくるのを面白がって、以降わざと龍王達を雑用に使う姿を竜族達にまざまざと見せ付け、挑発するようになったのだ。これには龍王達としても呆れざるを得なかった。
 ……それでも、そうやって気軽に接される斬新さと、今までの生活では感じた事のない楽しさを得るための代償として、龍王達も使われる事を許した。少なくとも、リヴァイアはそうだった。ちなみに、他の子ども達もまた似たような扱いをされたのは言うまでもない。
 しかし、転生者や転移者達となると、やはりどこか遠慮しているような言葉遣いをするのだ。いや、これが普通なのだ、エリザベスの血筋が異常過ぎただけだ。そう頭では理解出来ていても、心ではどうしても飲み込めないのだ。
 エリザベスの血族達との生活から、ただ崇められ祭られ、純粋に力と循環の為に存在する生活に戻っただけだというのに……リヴァイアにとって千火と出会うまでのこの数百年は、とても寂しいものだった。
 王たる身であっても分からない者が多いこの寂しさを、理解し得ないだろう。そうは思ってはいても、つい口にしてしまうこの言葉は、一体何回目だろうか。
 ……とはいえ、千火は随分とマシな方である。敬語を使わないで欲しいとお願いしただけですんなりと受け入れ、しかも自然体で接してくるその態度は、エリザベスを思い出してひどく懐かしかった。……リヴァイアのことを名前で呼ぶ以外は。
 だから呼んで欲しい。『お前』でも『てめぇ』でも『あんた』でも構わないから、名前以外の、呼び方で。

「…………リヴァイア、私が前に生きていた世界についてあれだけ詳しいのに、何故私の容姿を見て何も思わない」

 だが、現実は非情である。名前で呼んで欲しいという願いがまるで聞こえていないのか、責め立てるような口調でそんな事を言ってくる。

『何も、とおっしゃられましても、わたくしには分かりかねるのですが。それに、わたくしはわたくし自身の眼で千火様の世界を見た訳では御座いませんので、細部に至るまでは……』

 確か千火の生きていた戦国時代についての知識はある。とはいえそれは、どういう理屈でそうなるかは王であるリヴァイアでも未だ分からないが、何度か戦国時代の武人がこの世界に転生し、竜神騎となった際に聞いて得た知識でしかない。……詳しいとは言われたものの、所詮は焼き付け刃でしかないのだ。

「ならばリヴァイア、一つ問うぞ」

 はぁ~、と溜め息を吐きながらも、新たに竜神姫となった女傑は水龍王に言葉を投げかけた。

「私が以前生きていた世界において……いや、日の本の国というほうが適当か。そこで生きていた者達の姿はどういう姿をしていた?」
(……黒髪黒眼で白い肌をした着物、あるいは甲冑を身に纏ったお姿、という認識で合っておりますでしょうか?』

 それと千火様の容姿にどのような関係がお有りなのですか、と千火の言いたい事が理解出来ないリヴァイアは続けて問い掛ける。
 すると、また溜め息を吐いて「少し買い被ってしまったか?聡明なリヴァイアなら、これで十二分に察するかと思ったのだがな」と、半ば独り言を言いながらも答えた。

「容姿は確かに合っている。だが、それらに比べて私は異質過ぎだとは思わないか?」
『確かに千火様は他の日の本のお方と少し、いえ、だいぶ異なりますね。ですが、千火様の容姿は、この世界ではそこまで珍しい物では御座いませんよ?』
「……なるほど。見解の相違、といったところか。そう言うことならばいた仕方ない。、日の本の国がいかなる場所だったか、教授してやろう」

 そう言って、千火はリヴァイアに差別や神格化について全て教えた。……神子と崇められていたかつての自分と、その自分を恐れ殺した者達の事も、包み隠す事なく。

「……そうだったのですか』

 全てを聞き終えたリヴァイアは、悲しそうに一言呟いた。だが、同情などしてくれるなと言わんばかりにその言葉を無視して、

「日の本の国とはそんな物だ。どんなに強かろうと特異な者は妖怪や化け物扱いされ、本人にその気が無くともお構いなしに数の暴力で殺しにかかってくる。現に私も、この世界では少し珍しい程度の容姿と、この世界にとっては類い希と言われる膨大な魔素を持って生まれてきてしまったせいで殺され、こうして転生してきたのだからな。……とは言え、先に話した村人達のように、私を神子として崇め慕ってくれた者達もいるから、一概にもそうとは言えぬがな。私もかつては崇められていた身だ、リヴァイアが抱く孤独感というのは理解出来る。……ただ正直な所、、お前呼ばわりして良いのか迷っていたのだ。地位的な関係でもそうだが、竜と言う神にも次ぐ存在を、そんなに気安く呼んで良いものかと悩んだ節も勿論ある。だが、それよりも気になった事があってな。私はどちかと言うと、名前で呼ばれる事に親近感を抱く方でな。私の父や母、村人達のような気心の知れた相手ならばそうでもないが、大して付き合いの無い人間に言われると馴れ馴れしく感じてどうにも好かん。……まあ、これは個人の好みの問題だから放っておいた訳でもあるし、聞かなかった私にも非はある。だが、お前がそれを望むのであれば、やぶさかではない」

 もとより最初に本来のお前と顔を合わせた時から私と同じ性格だろう事は察してたからな、と付け加えて千火は言った。

『……ありがとう御座います』

 『お前』と呼ばれたのはいつ振りだろうか。感傷に浸りながらも言葉を発したリヴァイアの声は、心の奥底から嬉しそうなものだった。

「ただし、条件、というよりは聞きたい事が一つある」

 せっかく喜んでいるところで悪いが、千火としても確認しておきたい事があった。
 だが、今度は流石に千火が聞きたい内容に察しがついたリヴァイアは、すぐさま答えを出した。

『わたくしの口調は、生まれつきに御座います。千火様のおっしゃりたい事につきましてはお察し致しますが、こればかりは直しようが御座いませんので、ご容赦頂ければ幸いに御座います』
「……やはり、か。それなら仕方ないな」

 リヴァイアの答えに察しが付いていたのだろう、口調に反して残念がる事なく千火は言葉を返しーー

「あれが、私の目指すべき大樹海か?」

 ーー水平線に沿って見えてきた、巨大な木々の上に掛けられた緑色の雲に視線を向けて、問い掛けた。
 雲一つ無い青空をバックに照らされている所為か、黒っぽく見える筈のそれも遠目で見てもハッキリと分かる程青々としている。緑、白、青、茶色の四色が織り成すその背景は、常緑樹が生えていなかった山に住んでいた千火にとっては新鮮な物であり、また感嘆の息を吐いてしまいそうになる。

『左様に御座います。あれが第一の目的地、アメアクダイエ大樹海に御座います』
「由来や名付けられた経緯はあるのか?」
『あるにはありますが、それについては後回しにして頂いてもよろしいでしょうか?ヨルムンガンド様に向かわれるまでの道のりは、かなり長い物になりますので』
「…………それもそうだな」

 その言葉に頷きつつも、凍り付いた海の上を歩む千火の足取りは早い。

『…………千火様。わたくしとしましても、急がれるのは嬉しい限りに御座いますが、もう少し歩調を緩められてはいかがですか?』

 自分達すらも凌駕する力を誇る魔族の出現を防ぐ為にも、バハムートよりたまわりし任をまっとうするためにも、竜族と人々が共に暮らしていた平穏な一時をいち早く取り戻す為にも、リヴァイアとしては急いで貰えると助かるのは間違いない。
 だが、そのリヴァイアの意志を察しているか否かについてはさておいて、樹海を見つける前と比べて明らかに主の歩む速度が増しているのだ。感覚として言えば、今までが散歩にも似たゆったりとした歩みだったのに対し、現在の足取りは小走りの足運びに近い。しかも何故か、その踏み締める雪の音ですら、どこか焦っているようにさえ思えてしまう程荒々しい物になっている。

「なんだ?また言葉に矛盾が見受けられるぞ?それに、私は別に急いでなどいない」 
『千火様はそのおつもりかもしれませんが、わたくしにはどうにも、急がれているように見えてならないのです。矛盾の件につきましては、おっしゃる通りに御座います。ですがわたくしはーー』
「お前は私の母親か?あまり心配してくれるな。まあ、今日の内にあのアメアクダイエ大樹海に着いておきたいなとは思うが、それとてかいぶーーではなかったな。アクティビションを使えば、いくらでも距離は稼げるしな」

 洞窟内でリヴァイアから聞いた怪物の力の正体を口にしながら、千火は急いでいないと否定した。
 アクティビション。分類としては支援魔術にあたるが、この世界における全ての魔術の基本のきの字にあたり、魔術師としての才能があるか否かを断定する肉体強化魔術だ。
 効能としては、魔素を酸素や栄養分に似た性質に変換する事で常時全身を酸素と栄養分が満たされた状態にし、魔素本来が持つ゛魔素を帯びるか取り込んだ物質や事象に応じて異常強化させる゛性質を最大限に発揮させ、さらに脳が無意識に掛けている制御を魔素で外す事で、生物の限界を遥かに超越する強靭な肉体と絶大な力を得る、という代物だ。
 常に栄養分と酸素が満たされるという特性上、魔素さえ尽きなければ口での呼吸すら必要ではなくなる為、酸欠や呼吸する事が困難な状況下における戦闘にも有用性は高い。また、肉体が著しく強化される為、脳が抑えている力を最大限に発揮しても、その後の生活に支障を来す反動が来る恐れもない。
 ただし、これら全ての効能を得る事が出来るのは最大限にアクティビションを究めた者のみであり、基本的にはどれか一つの効能を極端に発揮するか、どれか前者に加えて他の効能が僅かでも発揮するか、全ての効能の劣化版が使えるかのいずれかに分かれる。
 千火の場合、最初の儀式で魔素に適応した肉体に作り替えられ、さらにリヴァイアの魔素による補助があってこそ、完全なアクティビションが使えるようになったのだ。……洞窟内でアクティビションを全身に発動させられる訓練をした際に判明した事なのだが。
 これらの補助が無い場合だと、三つ目の効能が極端に強く出、二つ目は音速で岩壁にぶつかっても耐えられる程《、》度《、》に頑丈にはなるが内面に殆ど変化は現れず、一つ目に至っては皆無になる。
 大なり小なり三つの効能が発揮されてる場合だと、魔術師としての才能があると言われるのが一般的らしい。千火のような発動の仕方や一種類だけ極端に発揮した人間の大部分は、魔術師としての道を諦め、王国の騎士や冒険者ーー説明を聞いたときは本当に浪人に似ているなと千火は思ったーーとしての戦う腕を磨くか、戦う道から外れて商業者になるか、自らの命を投げ打つ覚悟で魔術師としての道を歩むかの三択に分かれるらしい。というか、最後者は余程の変人かそれだけ魔術師に強い憧れを抱いている者か、もしくは反動を物ともしない強靭な肉体を最初から保持している人間くらいしか選ばないため、殆ど二択なのだが。
 一つ目二つ目の効能が極端に発揮した場合ならば魔術師としての道を歩めそうだが、いずれも人体にとってはかなり危険なのだそうだ。というより、千火の場合が一番安全、かつ魔術師になれる可能性が高いそうだ。
 一つ目の効能が極端な場合だと、発動した瞬間に魔素を多量に消費してしまう関係上、魔素を生産する心機能ーーつまりは全臓器に甚大なダメージを受ける事になる。酷い場合だと一瞬で魔素を枯渇させてしまい、その影響で臓器機能が低下、そのまま死に至ってしまう事もあるらしい。
 二つ目の場合が特に危険で、度が過ぎた魔素を全身に張り巡らせてしまい、生物が持つ肉体の限界を遙かに越えた異常強化か突発的に発生。肉体が耐えきれずに爆死するか、しなくても痛みのあまり精神崩壊を起こして廃人になるか、その痛みに耐えられるだけの強靭な精神力を手にするかーー魔物となり果てるかの四択なのだそうだ。
 魔物とは、獣魔種から派生した種族で、何の負の感情も帯びない魔素、あるいは自己嫌悪などと言った自らに対する負の感情を帯びた魔素、もしくは何者かに対する強い報恩の念などの善良な感情を帯びた魔素が、無機物や生き物の身体に馴染む事で誕生する生物だ。
 千火達の世界で言うところの野生動物と同じ立ち位置にあり、魔族とは異なりこちらから刺激しなければ危害を加えられる事はない。むしろ、報恩の念を帯びた魔素から誕生した種族のように、人間に対して友好的な者も少なくないのだそうだ。
 その性質上、この世界では食料や家畜としての需要があるばかりか、この世界を循環させるに当たって非常に重要な役割を果たしているため、絶対に滅ぼしてはいけない生物なのだそうだ。とは言え、それは自然界で発生した物であり、魔素に馴染みすぎた場合の魔物は魔族同様獰猛な為、即時討伐が求められるのだそうだ。
 ともあれ、確かにそれを言われると、魔素を枯渇させる危険性も無ければ、生物としての限界までは行くものの越えることは絶対になく、人外に堕ちる危険性もない。これらから見ると、最も安全と言える。
 …………とは言え、肉体に込められた最大限の力を使った事に対する反動は、決して軽くはない。最悪二つ目同様、精神崩壊を起こして廃人になる可能性もあるが、それでも前々者と前者に比べた場合、死の可能性は皆無なのだ。痛みに耐える精神力を鍛える必要があるが、それさえあれば後はコツを掴むまで発動すれば良いだけの話だ。

『確かに千火様のおっしゃる通りに御座いますが、それなら何故そんなにも足運びが早いのですか?わたくしには、千火様が急いでおられるようにしか見えないのですが……』

 問いかけてくるリヴァイアの声に、千火は内心唸った。
 今までならばすぐに身を引いてくれたリヴァイアが、今回に限ってはしつこく噛みついてくる。急いでなどいないっ、と一喝して黙らせてしまっても良いが、それだとかえって何かあるのではと思われて事あるごとに聞いてきそうだ。尾を引かれても面倒だ、と溜め息を吐きながら、

「……私は冗談は好きだが、嘘は嫌いだ。急いでないと言っているのだから、それを信じてはくれないか?それとも、私の言葉が信じられないのか?」

 と問い掛けた。事実、千火は急いでなどいない。
 確かにリヴァイアの言葉通り、龍王達でも勝てぬような強大な魔族が出現するよりも早く、竜族と人との関係を元に戻さなければならない。しかし、だからと言って現状のままで地龍王のところへ向かっても返り討ちに遭うだけで、力を示す儀式を成立させるのは不可能だ。
 何より、世界の調和を司る役割を担う竜神姫が、自分の魔素すら補助が無ければ使いこなせないようでは話にならない。鍛錬の時間は勿論のこと、狩りや迎撃も兼ねた実戦で感覚をより的確に掴む為の時間も作る必要があるのだ。

『とんでも御座いません。千火様の事を決して疑っている訳では御座いませんし、何よりそのようなお方を竜神姫になど致しません。……ですがそれなら、少し歩を緩められてはいかがですか?』

 信用については否定したものの、やはりその点についてはしつこく噛みついてくる。

「それならば逆に聞くが、何故さっきから私にそうも執拗しつように歩を緩めるように言うのだ?何かアメアクダイエ大樹海に急いで入る事に不都合が生じるのか?生じるのならそうとハッキリと言えっ」

 ここまで言われると、さすがにクドい。
 千火としても少しばかり声を荒げざるを得ないが、ここまでしつこいと何かあるのだろう。一応は歩調を緩める事にする。

『申し訳御座いません。いかに氷雪越しと言えども、先ほどまでの千火様の足音ですと海にいる魔物達にーー』

 と、言っている側から。
 リヴァイアと戦った時に聞いた、しかしあの時ほど強烈な威圧感のない、何か巨大な生き物が氷の中を突き進む音が響渡った。

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