竜神姫 ~白髪赤眼のモノノフ~

スサノオ

序章 神子の最期



 遥か昔。
 ある者は天下を己が手に掴み取る為に。ある者は己が名を天下に轟かせる為に。信頼する得物と武術を、兵法書より学び経験により盤石ばんじゃくを得た軍略と観察力を振るった、激動の戦国時代。
 民草の疲弊など露ほども考えず、ただ己の野心を胸に戦場を駆ける者達を、畏敬の念を込めて民はモノノフと呼んだ。その存在は、戦などとは無縁の山奥にひっそりと佇む小さな村にすら道場を建てさせるまでの影響力を有していた。
 そんな小さな村に建つ朝靄あさもやかおるる威風堂々とした道場の前に、その女の姿はあった。
 この時代にしては珍しい一丈はありそうな高身長で、赤い龍と緑色の大蛇が描かれた白い和服を鮮やかな明るい水色の帯で結い、下には同じ物が描かれた白袴を履いている。
 しかし、右上半身は意図的に脱ぎ捨てられており、そこから覗く純白の肌はまるで取れたての白真珠のような美しい輝きを放っている。露出した細い腕は、しかし至る所に大小様々な傷が刻み込まれており、如実にょじつに戦の経験者である事を物語っていた。黒い胸当てで隠されている胸もまた、この時代にしては珍しく発育がよい。
 だが、何よりも彼女の目を引くのはその美貌と髪の色、そして差され、背負われた武器の数だろう。十人中十人--といっても現代人とっての話であるーーが振り返るであろう凛とした、しかしどこか人の良さそうな整った顔立ち。そこには、彼女の優しい性格が如実に現れた愛嬌のある双眸が鎮座している。だがその瞳は、水平線に沈む夕日のような鮮やかな赤色をしている。そんな深紅色の瞳を強調するかのように、肩口をくすぐる位の髪と三日月のような綺麗な眉は、まるで月光に照らされる刃の切っ先のような鋭利な輝きを放つ白銀に染まっている。
 何より、右腰には刀身だけでも身の丈の二倍はありそうな大太刀と、小太刀代わりに差された太刀が一振りずつ、左腰には五百本程の矢が入った矢筒が差されている。大太刀とさほど変わらぬ大薙刀と和弓を背負うその姿は、武蔵坊弁慶を思わせる威風堂々とした出で立ちであった。
 あやかしとも、戦いの女神とも言われても納得出来てしまう異様な女は、まだ日も昇らぬ早朝に村の外へと歩き出した。
 決してこの村を出て行こうと言う訳ではない。この日が昇らない時間帯だからこそ見られる、彼女の密かな楽しみを堪能しにいく為だ。
 山奥にあるというだけあって、朝靄あさもやが掛かる緑生い茂る暗い森は、どこか不気味とも神聖とも取れる雰囲気を醸し出していた。悲しげに、しかしどこか涼しげに鳴き叫ぶヒグラシの鳴き声だけが、ここが現世であること物語っていた。人通りが殆ど無い所為か、今女性が歩いている道は草木に覆い尽くされ獣道同然となっている。こんな道で彼女と出くわそうものなら、悲鳴を上げて逃げるか美しさに見惚れるかの二択になるだろう。……霞にまみれてぼうっと姿を現す形なので、前者が殆どだろうが。
 草木を草履で踏み締める感触を楽しみながら、彼女は緩やかな坂を登っていく。……その後ろについて来る気配に気付きながらも、わざと気づいていない振りをして。
 ほどなくして山頂の開けた場所に辿り着いた彼女はほう、と感嘆の息を漏らした。
 山間から朝日が徐々にその姿を見せる、純白の陽光を眩しそうに見つめながら。
 いかなる者も優しく照らす太陽は徐々にその光の強さを増し、暗かった山々を、生い茂る森の緑を照らしていく。同時に、漂っていた朝靄は、その光を嫌って必死に逃げ始め、反対に歓迎するように多種多様なセミたちの鳴き声に混じって小鳥の歌も聞こえてくる。
 四季によって、天候によって、その時の気分によって見え方が変わる朝の風景が、女性は好きだ。 
 やはりここに来て良かった。そして、

「うわ~……」

 この風景を、自分以外の人間に見せる事が出来て良かった。
 可愛らしい甲高い感嘆の声を背に受けて、女性は口を緩めながら振り返った。たったそれだけの行為だというのに、女神の微笑みとさえ見えてしまうのは、朝日が後光のように彼女を彩っている所為だろう。

「綺麗だろう?」

 優しくも凛とした風貌に見合った少し低めの柔和な声で、彼女を追ってきた六歳程の男の子に投げ掛ける。

「ぁ……ぇと……そのぉ……」

 途端に男の子は顔をリンゴのように真っ赤に染めて、女性から視線を逸らしてしまう。可愛いな、と微笑ましい表情を浮かべて、固まってしまった子供に歩み寄り視線を合わせる。

「こんな朝早くにどうした?私に何か用でもあったのか?」
「……ぅ、ううん。……あさ、しょうべんでおきたら、ちかおねぇちゃんがどこかにいこうとしてるのみたから」
「それで付いて来た、と言うことか。……う~ん、まさか君に見つかるとは思わなかったな。これでもこっそり抜け出したつもりだったんだけどな」

 そう言って女性ーーちかは、困った表情を浮かべる。

「ぁ、ぇと、ごめんなさい。このことはだれにもいわないからーー」
「ふふ、冗談だ。気にするな」

 その表情を見て慌てる男の子を見て、いたずらに成功した子供のような笑みを浮かべる。途端に男の子は不機嫌そうに頬を膨らませて睨みつけてくる。……朝の風景と同じくらい子供が大好きなちかにとっては、そんな表情すら愛らしくて笑いそうになる。

「……ちかおねぇちゃんのいじわる」
「ふふふ、すまないな。お前を見るとどうしてもいじわるしてやりたくなってな。……さて、帰ろう。そろそろみんな起きる頃だ。早くしないと父上や母上に怒られるぞ」

 ムスッとむくれてそっぽ向いた男の子をそっと抱き上げると、獰猛になりつつある日差しを背に森の中に歩み始めた。この年頃になると子供扱いするなと暴れるものだが、不思議と男の子は成されるがままに抱き上げられた。……相変わらず顔はむくれていたが。

「…………ねぇ、ちかおねぇちゃん」

 しばらくして機嫌を治したのか、おとなしかった男の子はちかに声を掛ける。

「なんだ?」
「ちかおねぇちゃんって、いつもあそこでおひさまみにいくの?」
「あぁ。私はあそこで山の間から昇る太陽が好きでな。毎朝見に行くぞ。……今日はあのまま狩りに出かけようと思っていたんだがな」
「…………またそうやっていじわるする」
「意地悪じゃない。本当にそうしようと思っていたんだ」

 ちかは冗談こそ口にするものの、こういった事に関しては嘘は言わない。
 自分のやりたい事、やりたくない事ははっきりとそう言うし、口調が冗談を言うときのそれでも本心から望んでいた事なら「本当」という単語を口にする。……本人にはあまり自覚はないのだが。

「……じゃあぼく、ちかおねぇちゃんのじゃましちゃった?」

 それを分かっているから、傷付いた響きを伴った声で問い掛ける。

「…………あぁ」

 間があったのは、彼女としてもあまり邪険な振る舞いをしたくなかったからだ。だが、邪魔されて今日の予定が若干狂ったのも事実なので、素直に答えることにする。

 「だが、謝る必要はないぞ。私も君にあの風景を見せたかったのも本当だ。それに、君が付いて来ていると分かった時に村へ帰さなかったのも、私がそうしたかったからだ」

 勿論、男の子が何か言うよりも早く口を塞ぎ、自分の所為に差し替えるのも忘れない。
 やはり、子供のああいう声は聞きたくない。子供には無邪気で楽しそうな笑い声の方が似合ってる。だから自分の所為に差し替える事に躊躇いはない。

「……なんだ、そうなんだ~」

 男の子はホッと胸をなでおろして、「でもなんでいつもちかおねぇちゃんだけひとりじめしてるの?なんできょうはぼくにみせようとおもったの?」と問い掛けてくる。

 「それはな、あんな暗い森の中で君たちを歩かせたくないからだ。私は武器も持っているから大丈夫だが、君のような子供だと熊やイノシシに襲われたとしてもどうしようもないだろう?」
「だいじょうぶ。だってちかおねぇちゃんがたすけてくれるもん」

 無邪気なその言葉にちかは笑い声をあげて、

「ふふふ、そう言われると嬉しいな。私としても、いつも君たちを守っていたいさ。だが、あいにく私の身体は一つしかない。ゆえに、いつも君たちを守れるかどうかと聞かれれば怪しい。今日は私と一緒だったから襲われてもそれは出来たが、私の目が届かないどこかに行かれたら助けに行くことは出来ない」
「そんな~……」
「だから君たちも、私が守れる範囲内にいてくれ。そうすれば、私は絶対に君たちを助けてやれるからな」
「うん、分かった!!」

 その弾んだ声にちかは口を緩ませる。やはり子供とは良いものだ。そう思いつつ、本人が忘れているであろうもう一つの質問にも答える。

「それとな。君が大人になって私のように強くなったら、ああいう綺麗な風景をたくさん見つけて欲しいんだ」
「ぼくが?」
「ああ。いつ終わるか分からぬ戦乱の世も、いずれ全ての戦を勝ち抜き天下を治めた者の手によって平和な世が訪れる。その時にでもなったら、私は旅に出て、いろんな場所を回って、沢山の美しい風景を見て回るつもりだ」
「たびにでるって、じゃあここからでていくの?……やだよ!ぼくもっとちかおねぇちゃんといっしょにいたい!ちちうえもははうえも、そんちょうだって、もっとちかおねぇちゃんといっしょにいたいっていうとおもうよ!!」
「だから平和な世になったらと言っただろう?安心しろ、今すぐ村を出て行く訳じゃない」
「ほんとうっ!?」
「あぁ、本当だ」
(やれやれ、随分と懐かれてしまったな)

 今にも泣きそうな声で言う男の子を宥めてーーしかし少し寂しげに視線を正面に向ける。

「しかしな、私も所詮人間だ。戦無き世になるまで生きていられるか分からない。……だからな、もし私が死んだら、その時は君が私の代わりに美しい景色を見て回って欲しいんだ」
「じゃあ、もしへいわなよがきたときにちかおねぇちゃんがいきてたら、むらをでていっちゃうの?」

 寂しそうなその声に、ちかとしても少し考える。あまり寂しい思いをさせたくないのも事実だが、いつかは旅をして回りたいと昔から思っていたのもまた事実だ。だから、

「……そうだな。だが、もしその時に君が大人になっていたら、君も連れていこうと思う」

 そう答える事にした。……死という形で反故されてしまった父が、幼い頃にそう言ってくれたように。

「えぇっ!?ほんとうっ!?」

 抱っこしているため表情は分からないが、キラキラと目を輝かせているであろう事が簡単に想像出来る程弾んだ声で言ってくる。

「あぁ。君の父上と母上に許しを貰わないといけないがな」
「だいじょうぶだよ!!ちちうえもははうえも、ぜっっったいいかせてくれるよ!!」
「そうか。ほら、着いたよ」

 話しながら帰ってきた所為か、来るときと比べて随分と遅くなってしまった。その所為で村では男の子が居なくなった事で大騒ぎになっていた。

「あっ神子様っ!!どこで源三郎げんざぶろうを見つけたのですか!?」

 源三郎と呼ばれた男の子の父親だろうか。息子の無事な姿を見て一人の男性がこちらに向かって走り寄ってきた。
 神子様。ーーそれが本名、辰巳神たつみがみ千火ちかの村の中での呼び名だ。
 なんでも、千火が産まれたその日、深い緑色に染まっていた木々の葉が突然燃えるような真紅に染まり、その葉を掻き分けて村に人の背丈もある大白蛇が姿を現したらしい。そんな異常現象が起きた上に、白蛇の体色そっくりの赤子が産まれたのだから、神様の生まれ変わりだと信じる者が後を絶たなかった。ゆえに、村では敬意を表して神子様と呼んでいるのだ。……もっとも、千火はこの呼び名を好まないので、子供達には名で呼んでくれと頼んでいるが。

「私が朝の風景を楽しもうとした時にちょうど目を覚ましまして。少し見せてやりたいなと思い、勝手に連れ出してしまいました。……心配させたことを深く詫びます。申し訳ありませんでした」

 そう言って千火は源三郎を降ろすと、地面に座って土下座をした。

「……そっ、そんな滅相なっ!!どうかお顔を上げて下さい!」

 突然の行動に面食らって慌てる父親に対し、千火は静かに言った。

「いえ、いくら私としても身勝手が過ぎました。以後このような事は絶対に起こしませんゆえ、何卒ご容赦を」
「わ、私は大丈夫ですからどうか顔をーー」
「神子様」

 頑として頭を上げようとしない千火に、深みのある低い声ーー村長が声を掛ける。
 白い麻の着物に身を包んだ白髪頭の老人だが、皺の寄った穏やかな表情はまさに好々爺と言う言葉が相応しい。

「はっ、何用でございましょう。私としては、村を追い出されても何も言えぬ身、いかなる罰もお受けする覚悟にございます」

 言葉が分からなくてもただならぬ雰囲気で千火がマズいと思った源三郎だが、それでも頭を下げた赤い瞳が、『何も言うな』と制していた。いや、その瞳に恐怖を感じて目蓋すら動けないと言う方が正しいのかもしれない。
 もともと千火は辰巳神流という独自の武術流派の当主にして勇猛な武人であった辰巳神たつみがみ宗一そういちとその妻お龍の間に産まれた一人娘だ。父が生粋の猛将とあれば、その娘も十二分に血筋を引いている。こういった荒事の時の顔となれば特にそれがよく現れ、鋭く射抜くその眼差しはまさに猛将のそれだ。普段が優しいそれなので、初めてみるであろうその眼光に身動きが取れなくなるのは自然だと言えよう。……もっとも、本人としては脅かそうなどと言った意図はこれっぽっちもないのだが。

「そう事を急いてはなりません。わしとしても、この村の用心棒を勤めていただいているあなた様には感謝しているのです。それに、神子様がかような事をなされるのは非常に珍しいことにございます。滅多にない我が儘です、咎める方が気が引けるというものです」
「しかし……」
「神子様はこの村には無くてはならないお方です。ですからどうか、顔をお上げ下さい」
「……そういう事でしたら。寛大な処置、ありがとうございます」

 そこでようやく千火は顔を上げた。村人達も村長の処置にホッと胸を撫で下ろした。

「さあさ皆の衆、源三郎も無事に見つかったのだ。畑仕事に精を出してくれ」

 振り向いた村長の一言に村人達は頷き、各々の仕事に取りかかり始める。源三郎は何度も千火に振り返りながら、母親に連れられ家に帰っていた。
 その様子を見届け、千火もまた本来自分に課された巡回に当たろうとする。
 女と言えども、千火はそこらにいる武人よりも遥かに腕が立つ。村の男衆も千火の指導の下それなりに戦えられるよう鍛えているものの、所詮は民だ。戦う事を本職としていないのだからある程度でしかない。
 だから、女の身でありながら千火は村の巡回に当たっているのだが、

「神子様」

 村長に呼び止められる。

「何用でございましょう?」
「少々お話がございます。わしの家に来て頂けますかな?」
「分かりました」

 千火はすぐさまそう返すと、そのまま村長の後ろを付いていく事にする。
 村周辺で厄介事が起きた時、あるいは食料問題について相談する時、必ず村長は千火を家に招いて相談をしてくるのだ。争いとは無縁とも言えそうな小さな村だが、しかしその実山賊の襲撃などで戦が起きている。もっとも、その殆どは追い払われるか全滅させられるので、今のところ村に被害は出ていない。だが、今回は前々から村長に話していた事についてだろうと、千火は半ば確信を抱いていた。
 ほどなくして村で一番大きい家に辿り着いた。大きいと言えども、千火が居を構える道場より一回り小さく、飾り気のない木造の家である。そんな家に上がり、村長と向き合う形で囲炉裏に敷かれた座布団に座る。

「それで、話というのはなんでしょうか?」
「……神子様。誠に遺憾ではございますが、の幕府の方でついにあなた様を討つための軍が動きました」
「……やはりですか」

 別段驚きはなかった。むしろ、言っては悪いがこの村の人々が少しおかしいのだ。
 なにせ千火は白髪赤眼--今で言うところのアルビノーーで高身長の女。しかも普通の女性にはなし得ない、それどころか男ですらも軽く凌駕する怪力も持っているのだ。
 そんな女を、化け物として見ない方がおかしい。物心ついた当初はあまり気にしていなかったが、初めて山賊の一団を全滅させた時からはずっと自分の身なりや力について疑問を抱いていた。山賊や浪人に化け物呼ばわりされ、他の人間とは違う力と容姿が嫌になって一時期放って置いてくれと引きこもった事もあった。それでも、村人達はずっと神子様と呼んで今も尚慕ってくれている。
 だが、一時期風の噂で山奥に、女の化け物に魅せられた村があると小耳に挟んだ時には、ずっと此処に居るわけにはいかないと思った。村人達や子ども達は悲しむだろうが、このままでは本当に村そのものが化け物に付き従う者達として滅ぼされかねない。
 だから、千火はいずれこの村を離れて旅に出ようと思っていた。村長には風の噂を聞いた時に相談したのだが、せめて軍が動くその時まではこの村に居て欲しいと頼まれ、しぶしぶーーというのは建前で本心ではほとぼりが冷めるのを願いながらーー今日までこの村に居座っていたのだ。

「ならば、私もそろそろこの村を出て行かなければなりませんね。幕府となると南側から攻めてくるでしょうから、先にこちらから仕掛けるとしましょう」

 自分一人の所為で村を滅ぼさせる訳にはいかない。
 出来る事ならしたくはないが、相手は千火を化け物と認識している。ならば、それ相応の振る舞いとしてそれなりの人数を道ずれにするかと考えながら立ち上がろうとする。

「いえ、その事についてなのですがーー」

 村長がなにか言おうとしたが、次の言葉を予想出来た千火は構わず立ち上がり、背を向けた。

「これは私の容姿と力が招いた問題です。お気持ちは有り難いですが、私は村人達を、子ども達をこの問題に巻き込みたくありません。何より私一人が戦に出て死ねば、それで全て丸く治まるのですよ?」

 戦うのではなく逃げて生き延びて欲しい。そしてほとぼりが冷めたらまた村に戻って来て欲しい。
 村長の言いたい事も、その気持ちも分かる。だがそれでは、村の民が千火を庇ったと疑われて村そのものが滅ぼされる可能性が高くなってしまう。故に、千火は戦いに出向く。……身勝手な理由で戦いに赴いた武人を斬り捨て、死ぬために。

「しかしそれでは……」 
「みんなには私が独断で旅に出たとお伝え下さい。……決して、村を守る為に戦いに出たなどと言わないで下さいね」

 二十年間、お世話になりました。

 何か言おうとした村長の口を感謝の言葉で封じ、千火は何食わぬ顔で村長の家から出る。が、

「神子様」
「ちかおねえちゃん……」
「…………」

 溜め息を吐かざるを得なかった。
 千火と村長の様子に違和感を覚えたのだろう。近くの畑で働いていた村の男数人と……剣呑な雰囲気に気がついた子ども達の姿が、源三郎の姿があった。

「何用ですか?私はこれから行くべき所があるのですが。……君達も私に何か用か?急ぎの用事があるのだ。悪いが君達に相手している暇はない」

 さすがに千火としても態度を冷たくせざるを得ない。ここまで慕ってくれているという事実は嬉しいが、それとて今となっては邪魔なだけだ。

「何故神子様は、戦いに出られ、死のうとするのですか?ここのみんなは、神子様にずっと生きていて欲しいのですよ?」
「ねぇ、ちかおねえちゃん。わたし、ちかおねえちゃんがしんじゃったらいやだよ……。ねぇ、にげてよ……」
「…………」
「神子様、どうかお考え直し下さい」
「ちかおねえちゃん……ぼくをたびにつれてってくれるって、いったよね……?あれって……うそだったの……?」
「……女々しいぞ貴様ら!!」

 馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに、千火は子ども達の前で初めて大喝した。

「そんなに私が大事か!?そんなに私が必要かっ!?貴様ら、私に依存しすぎていないか!?」

 本当は私だって死にたくないッ!お前たちと、みんなと、もっと一緒に居たいッ!!!
 今にも口を突いて飛び出しそうな激情を、必死に押し殺して。

「いつまでも私がこの村に居ると思うな!私は常日頃から旅に出たいと言っていたがな、あれは貴様らと同じ空気を吸うだけで、胸がムカムカするからとっととこ出て行きたかったからだ!!」

 でも、ダメなんだっ、駄目なんだっ!!私が生きていたら、みんなが殺されてしまうかもしれないっ!!私をかばったばっかりに殺されるなんて、私には耐えられないっっ!!だから…………行かせてくれ……っ!!
 ただひたすら本心を隠して、千火は吼えるッ!

「やっとこの村から出て行けるのだ!しかも相手は私を殺さんと欲する幕府の軍と聞くではないか!!はっ、上等ッ!!丁度辰巳神流と私の名を天下に轟かせたいと思っていたところだッ!!これ以上無い好機を、貴様らに邪魔などさせん!!どけっ!!どかぬと言うのなら女子供であろうとも斬り捨てるぞ!!」

 腰を落とし、今にも斬り殺さんばかりの形相で大太刀の柄に手を掛ける姿を見て、あまりの剣幕に呆然としていた男達はすぐさま道を開ける。

「ふふふふ、ハハハハハハッ!!ああ楽しみだっ、喜びに震えるぞ我が刀がッ!!ハハハハハハハッ!!」

 高笑いして威風堂々と歩みを進める千火の後ろ姿は、さも村から出られて清々したと言わんばかりのものでーー

「神子様……」

 ーー寂しさと自己嫌悪が入り混じった痛々しいものだった。







 
「……すまない。どうか私を恨んでくれ。憎んでくれ」

 村人が追ってきていない事を確認し、千火は小さくそう呟いた。
 たとえ死んでも悲しまぬように、それどころか死んで良かったと思って貰えるようにと、本心をひた隠して大喝した。だが、

「……子供の居る前で怒鳴り、堂々とあんな嘘を吐き、挙げ句早朝に交わしたばかりの約束を破ってしまうとはな……」

 子供が好きな千火にとって、それは身を斬られるよりも辛い事だった。
 確かに反故されたとは言えど父のそれは病気ゆえだ、仕方がない。だが、千火は違う。自らの意志で、約束を破った。破ってしまったのだ。
 それが許せない。父に約束を反故された時、千火は心底腹が立った。あんな思いを誰にもさせたくないが故に、千火は絶対に嘘を吐かないと心に決めていた。だが、自ら禁忌と定めた行為を犯した。その罪は限り無く重い。
 今すぐ死んでしまいたくなった。けれど、もうすぐ死ぬのだ。殺されるのだ。だからその時まで耐えよう。
 ……いや、そもそも何故私は殺されなければならない?
 ふと、千火は疑問に思った。思った瞬間、千火の思考は今まで覚えた事のない激情に支配される。
 そうだ。私はただあの村で賊や浪人から村人達から守っていただけだ。だと言うのに何故、幕府から討伐軍が派遣されなければならない?私が幕府に何をした?何もしていないだろうっ!だというのにたかがこの特異な容姿で怪力を持つからという、ふざけた理由で殺されなければならないのかっ!?
 自然と足が早くなる。
 いやそもそも、私が死んだからと言って討伐軍が村を滅ぼさないという確証がどこにある!?根斬る為に村をも滅ぼす可能性もあるではないか!!ならば、私は生きなければならない!!生きて、あの村を守らなければっ!!
 千火は決意する。決してここで死なないと。たとえ何千何万という大軍が押し寄せようと、根斬って、殺し尽くして、二度とあの村に手を出そうなどと愚かな思考を抱かせないと。
 憎悪の黒い焔に身を焦がし、女傑はその山の緑に囲まれた小高い丘を歩き続けーー遂に獲物を見つける。

「…………来たか、私を滅ぼさんと望む軍勢がっ」

 数里先に見える、小さな一筋の影。しかしその数が今までの比ではないとすぐに察し、背から弓を引き抜くと同時に矢を三本右手に持ち、近くの山林に身を潜める。視界も悪く、足場も安定していないため矢を撃つのに決して好条件とは言えない場所。しかも、白髪という非常に目立つ髪色の為だいぶ奥まで隠れる必要があった。
 本来、千火は名乗りを挙げて討伐軍と正面から戦い、そして適当なところで隙を晒して死ぬつもりだった。だが、自殺の念を押し殺そうとするあまり、彼女の身体を燃やし尽くしていた憎悪の炎が、彼女の思考と行動を狂わせた。

(最初に不意打ちの矢衾やぶすまを射掛け、尽き次第大太刀抜刀で根斬る。……ふんっ、あの程度、私の怪物の力であれば一瞬でほふれる)

 自分の思考が狂っていると分からず、自然とそう思いながら待つこと五分。千火が潜んでいるとも露ほどもおもわずに進軍する先頭足軽が、千火の射程圏内に入り込んだ。

(今っ!!)

 身体の奥底にある何重にも縛られた鎖を引きちぎり、全身を流れる血に禍々しい何かを混ざりあったような感覚を覚える。それと同時に、つがえていた矢を解き放った。
 距離にして約半里程。しかし、放たれた三本の矢はそれぞれ吸い込まれるように首へと到達、その勢いを以てして鞠のように兜のついた頭を跳ね飛ばす。跳ねても尚衰える事を知らぬ矢は、二人目の鎧を貫通し心臓をも射止めてみせる。
 突然の事態に慌てふためく数千の軍勢。
 そんな哀れな者達目掛けて、泣きっ面に蜂と言わんばかりに矢筒に入った約五百本の矢を、少しも威力を弱める事なく雨霰あめあられのように放った。それを降らせるのに要した時間は、およそ二十秒弱。しかも、万遍なく矢が軍全体に降り注ぐように、居場所を特定されないように走り回りながらの滅多撃ち。しかしそれらは全て的確に兵達の脳天、或いは心臓を捉えて確実にその命を奪う。

(頃合いだな、後は一気に叩くっ!!)

 矢の嵐を受けて早くも半数以上が死に絶えた軍に向けて、空っぽになった矢筒と弓をその場に投げ捨て千火は駆ける。
 残像すら残さぬ速さで、ひたすら狼狽ろうばい極め逃げようとする大軍の中を駆け回りーー

「逃がす私と思ったかっ!!」

 ーー大喝を浴びせ、いつの間にか抜かれていた大太刀を鞘に戻し、チンッと音を立てた。
 次の瞬間、夥しい血飛沫を巻き上げて、馬も含めた兵士たちの身体は重力に引かれるがままに地に落ちた。組み立てた積み木が、叩かれた衝撃で崩れ落ちるかのように。

「…………この程度か?期待外れも良いところだぞ」

 いまだ憎悪の炎が燃え尽きぬ千火は、心底失望したようにため息を吐いた。

「とはいえ、このまま野晒しにしては親族たちに失礼か。それに、どれほど弱くとも幕府の為に忠義を尽くした者たちだ。その忠心には敬意を評さねばな。どれ、」 

 墓でも作ってやろうか。そう呟こうとしたところで。

「……くっ……!!」

 表情を苦悶のものに変えた。
 化け物の力を、人間という脆弱な存在がその身で振るえばどうなるか。それを如実に言い表すかのように、全身を重圧な鋼鉄の塊で押し潰されているかのような劇痛に襲われる。

 (……いつもより……少し…………いや、かなり………キツイな……っ!!)

 怪力を使えば必ずこの気が狂いそうな痛みが襲い掛かってくるのだ、必然的に千火の身体は痛みに強いものになってた。そんな千火ですらも音を上げる激痛など、筆舌に尽くしがたいものであろう。
 しかもあろうことか、時間が経つにつれて痛みは引くどころかどんどんその強さを増してくる。

 (…………頼む……!!……誰か…………誰でも良いから…………私を………殺してくれ……!!)

 声を上げることも、少しの身動ぎすらも取らせる間すらも許さず急激に増した痛みは、ただ生きていることが苦痛にしか感じられない、地獄の苦しみにすらも勝るそれに変していた。
 じりじりと肌を焼く真夏特有のそれとは明らかに異なる汗を全身から吹き出しながら、膝を着いたまま発狂することも許されないまま痛みに苦しまされ続ける千火の願いが、天に通じたとでもいうのだろうか。爆竹とは少し異なる爆発音が何千回と鳴り響き、

「ッ!!」

 矢とは明らかに違う何かが、もはや狂わないほうがおかしい痛みに満ちた体を、感じられないはずの激痛と共に全身を貫いた。
 何がどうなったか分からない。
 急激に身体が燃えるような熱さを帯びた、と思った次の瞬間には恐ろしい寒さと眠気に襲われ視界がどんどん暗くなっていく。そして、全身を蝕んでいた痛みも、波が引けるようにスーッと引けていく感触が、心地よかった。
 ……皮肉にもそれは、千火な死なない覚悟を蘇らせ、死にたくないという欲求を駆り立たせた。
 ………………だが、もう遅い。

「……ぁぁ…………」

 ……みん……な…………すま……ない…………。
 それが、辰巳神千火が、この世界で最後に思った事だった

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